第一話・二人の少女と辺境伯
時は婚約破棄の時より十年程遡る。
当時、辺境伯の領と隣国とで行商人として商いをしていた。
エレナとその両親はその日、雨の降る国境付近の道で、盗賊に襲われる。
エレナの父は幼い彼女を胸に抱え背に矢を受けながらも何とか最寄りの街まで辿り着くと門番をしていた兵士に事情を話し息絶えた。彼から事情を聞いた兵士は生きていたのが奇跡だと言えるくらいだと調書で語る。
それから即座に隣国に国境付近にいる賊を駆除する件を報せ、フラムメント騎士団が行商人を襲った盗賊を皆殺しにした。
そして盗賊の住処の近くには、エレナの父の馬車と身ごもっていた母が無残にも陵辱され流産させられた結果、股から血を流して死んでいたそうだ。
両親を失ったエレナは孤児院にと言う話になる―――ところをエレナの両親を懇意にしていたフラムメント辺境伯が彼女を引き取り育てると言い出した。
テオルギウス・フラムメント。
十七歳にして現当主であり、数年前に隣国との争いにて痛み分けによる停戦の代償として父と祖父を失い、父が死んだショックで寝込んだ母がそれからしばらくして病で亡くなりテオルギウスは彼の妻と二人きりになった。
しかし、その妻もフラムメント伯爵領の為に実家に一度戻り父に支援を受けられるか打診してみると言って領を出た後、彼女の実家の騒動に巻き込まれ帰らぬ人となった。
そして彼は一人になった。
―――帰ったら子供作りましょう。そう約束した妻さえも失った。
そんな彼の元に彼は懇意にしていた行商人――今は亡き父の友人――の幼い娘が独り身になり孤児院に送ると言う話を聞いて本人も言うつもりはなかったのだが、私が引き取る、と久方ぶりにハッキリと声にした。
少女とは何度か行商人の父に連れられて屋敷の中に入ってきていたのを見たことのあった青年――筋肉隆々にして少し顔の彫りの濃い黒髪で透き通るような青い瞳の彼、の事を怖い人だとしか認識して居なかった。
だから、屋敷に連れられてやって来た時、その場にいた青年がかつて自分が見たあの人と同じ人なのかと疑った。
「やあ、君がエレナ君だね。僕はテオルギウスだ。今日から君と過ごし君が大人になるまで面倒を見させて貰うことになったんだ。よろしく頼むよ」
そう言って見せたのは初めて見るテオルギウスの、フラムメント辺境伯の笑顔だった。
けれど、それは何処かで寂しそうで怖がる少女を安心させようとして、無理矢理に作っている笑顔だと幼いエレナでも判断することが出来た。同時に、直感的に私はこの人と同じなのだとエレナは理解した。
気が付けば、少女は自身の倍以上ある体格の青年を抱きしめていた。小さな手で抱きしめきれないほど大きな身体に手を回して、悲しそうな顔をして泣いていない彼の代わりにエレナは泣いた。
この人はどうして泣かないのだろうか?どうしてそんなに傷を負ったように見える心で私に微笑むことが出来るのだろうか?と泣かないで怯える私を安心させようと微笑む彼の心の在り方に少女は涙を流した。
決してテオルギウスの過去を知っている訳ではない。
ただ、この時は子供特有の直感としてこの人は自分よりも傷ついて傷ついて傷ついているのに、と漠然としたイメージとして感じただけだった。
エレナは彼を抱きしめながら、この時に十一も年上の青年に恋をしたのだった。
それから互いに落ち着いてから何度かテオルギウスはエレナは養子にならないかと誘ったが、彼女は養子になるのを嫌がった。
第三者からすれば理由は明白だが、彼にはそれを察することが出来ず、未だに彼女は今は亡き家族のことをかつての自分のように引きずっているのだと勝手に思い込んだ。ならば、今度は自分が彼女を救おうとテオルギウスは決意した。それが見当はずれであるとは知らず。
養子にはなりたくないけれど、幼い彼女だとは二人きりの時は口癖のようにテオルギウスへの愛を囁いた。時間がある時は抱きしめて欲しいと強請ったりもした。
彼は親を失い肉親のいない悲しみを知っているから少女の内心を勝手に想像して、その我儘を笑顔で聞き入れた。
その日々は、彼女としては彼にいくら愛を囁いても自分をオンナとして見てくれないと嘆く日々でもあったが愛しの彼の隣に自分一人がただあるという途方もない幸せをそこに見出していた。
しかし、何事にも永遠は存在しないし、少女が何もしなくても世界は常に変化し動いていく。出会った時はまだ六歳だった彼女も歳を重ねる。彼に習う勉強や歴史の内容は日に日に難易度や複雑さを増していくしひと月前に着れたドレスはいつの間にか小さくなって着れなくなった。
そんな事をしながら二人の出会いから約二年が経つ、テオルギウスが八歳になったエレナの前に一人の少女を連れて来た。
少女の年頃はぱっと見ではエレナと同じくらいの年齢だが、少し体の発育がいい。
この屋敷のメイドたちが着る服と同じ給仕服を着た少女だ。
綺麗なブロンドの髪を結い上げて、新緑のような鮮やかな瞳で少女の前に立ち緊張からか少しだけ顔を赤くして身を強張らせてそこにいた。
筋肉隆々な彼の横に立ってエレナを真っ直ぐと見ていた。
「エレナ、彼女は今日から君の身の回りの世話をすることになるうちの騎士団の元団長の娘さんでシャーロットだ」
彼に紹介されて少女は緊張から唾を飲むのもオーバーなリアクションになっていた。
数年後の彼女を知っているものが見れば、彼女にもこんな時期があったのかと微笑ましく思うことは確実である。
「今日からエレナ様の身の回りのお世話をさせていただきますっ!シャーロット・ブライアン、です!よろしくお願いします!」
エレナは、そう言って頭を下げる少女を軽く一瞥すると青年の顔を見た。そして色々と察した。
二年間、彼のあれこれをずっと見て考えて来た少女だからこそ青年の考えは手に取るように分かった。
乙女のセンサーにより、愛しい彼の顔から何を考えているかすぐに読み取れるしそこからの思考パターンなど算盤を弾くより早くに導き出せる。
なので、彼の求める少女であることにした。
「初めましてシャーロットさん。先に言っておくと、私はフラムメント辺境伯の娘ではないの。……平民なのだけれど、よろしければお友達になっていただけると嬉しいわ」
そう言って微笑みをシャーロットに向けた。
彼が望んだ通りの展開に持っていく。
「はい。……では、親しみの証として私のことはシャーリィと呼んでいただければ幸いです。家族は私をそのように呼ぶので」
そんなシャーロットの返答を得て彼女の乙女センサーが鋭く反応した。
エレナはこの少女も、最近になって笑顔が増えた自分の想い人―――テオルギウスに惚れたのだと理解する。同じ人が好きだというのは同じ乙女として一目見ればで分かることだった。
この場で少女たちの心の機微を全く理解していないのはB級アクション映画の主人公のような筋肉隆々で少し彫りの深い顔をしたアイドル系とはまた違った方向性のイケメンであるテオルギウスだけであった。
そうとは知らず幼い少女二人が仲良さそうに過ごす姿が自分のことのように嬉しくて心温め微笑むのだ。
彼は全く気づいていなかったが、
少女たちのテオルギウス攻略は幼い日々から続いていたのだった。