1.普段のニート生活
ニートという言葉が誕生したのは一九九九年のロンドンといわれている。日本では義務教育を終了した人で学校や職場からエスケープしている人に対して使われる言葉だ。
そして今、このニートという言葉は中学生などでも使われているのだが、学校でのニート、いわゆる登校拒否が今、深刻な社会問題となっている。特にいじめや環境に馴染めないといった理由で不登校になる学生が急増しているのだ。
もちろんこの問題に文部科学省は黙っていなかった。ありとあらゆる手段を用いてでも彼らを学校に通わせようとしたのだ。家に訪問したりネットの回線を切断したり、中には親を誘拐して家に一人にさせるということまでしたらしい。
しかし、もちろんこれがうまくいくわけもない。結果、今では中高生の百人に一人が登校拒否になってしまったという。
そして俺、菊原陸もその中の一人なのである。なぜニートになってしまったのか。まあそれは学校でいろいろあったからなのだが…このことを思い出すとなぜか涙が止まらなくなってしまうのでここでは語らないことにしよう。
とにかく地元の中学に通っていた俺は、中三の夏休み明けから一度も学校に行っていないのだ。
それからかぼちゃやサンタの日を一人家で寂しく過ごし今は一月の中旬。最近の日課といったら、もう少しで太陽が南中しそうなときにベットから体を起こしご飯を食べる。その後は今となっては唯一のお友達の「パニーちゃん二号」という名のデスクトップパソコンを立ち上げゲームをする。気が向いたらご飯食べたりお風呂に入ったりする。そしてパーティーの仲間が落ちる頃に俺もパソコンの電源を切って寝る、という生活を送っている。
昔だとお役所さんが来て、口うるさく学校行けなどと言っていたらしいけれど今はそんなこともないからのんびり過ごしている。
まともに会話をする相手といったら母親か妹の巫女(←本名)、あとはネットを介しての会話となる。
最近はニックネーム「リリー」という人とネット上で仲良くしている。どうやら彼女もニートのようで平日の真昼間から二人でよく狩りに行ったりする。この時間帯だったら接続している人数も少ないからスムーズに動く。
もちろん、こんな生活が世間から嫌な目で見られていることぐらいはわかっている。しかし俺としてはこんな生活も良いかもしれないと思っている。ずっとこんな生活が続いてくれればな…。
そんな俺の生活が一変したのは一月の末頃に届いた一通の手紙からだった。
俺はいつもどおり起きたい時間に起きる予定だった。
しかしその予定は郵便配達員というやつによってあっけなく崩れ去った。
十時という俺時間では早朝にあたる時間にやつは俺の家のチャイムを押した。母親は仕事で巫女は学校、今は亡き父親の霊を出させるわけにもいかなかったから、仕方なくベットから出て一階にある玄関までいってドアを押した。
そこにいたのは若い配達員だった。
「菊原陸さんのお宅ですか?書留です。」
「書留?」
珍しい。引きこもりに郵便を送ってくる人とか今時いるんだな。それとも何かのワンクリック詐欺にでも引っかかったのか?
「誰からですか?」
気になったので訊いてみた。まあ受け取ればすぐにわかる話なんだけどね。やっぱりこういうのは早く知りたいものだ。
しかしその好奇心をすぐに恨むこととなることをこのときの俺は知らなかった。
「えっと…文部科学省からですね。」
「も、文科省!?」
気がついたら俺は目の前にいる配達員の首を絞めていた。確かに彼は早朝にチャイムを鳴らすという重罪を犯したが、ここまでされるぎりはない。
そしてやっと俺は配達員が悪くないことに気がついて手を離した。
「こここ、こちらにサインを!」
配達員のほうはまだビビッているらしく震える手で控えとペンを差し出してくる。
俺はサインをして戻した。
「ご利用ありがとうございました!」
そう言うと配達員は書留を俺に押し付けるような形で渡して、逃げるようにバイクで走り去っていった。
しかし、文科省からか。とうとう俺のパラダイスが終わり、あの学校に行かなきゃならねえのか。
気がついたら俺は震えていた。これが寒さからきているわけではないことぐらいはすぐにわかった。それほどまでに俺は学校に行きたくないんだ。
俺は本能的にそのままベットに直行した。書留は誰もいないリビングのテーブルにほうり投げてきた。
俺がベットに向かったのは眠かったからなのだろうか?
今後は1~2週間に一回更新できればと思っています。