見ていただけです!
翌日、街は大騒ぎとなっていた。俺は昨日の興奮が冷めやらぬまま朝早く目覚めてしまい、朝食を簡単にとってからすぐに出かけていた。道行く人々はドラゴンの話題一色に染まっていた。
”よくやった、流石は我が国の騎士団”という賞賛の声や”なぜ住民に知らせなかった、情報を隠蔽していたのか”といった非難の声、”ドラゴンのタペストリー、ブローチ、ぬいぐるみなど各種取り揃えておりまーす”という異常に素早い商魂逞しい声など様々な声が聞こえてくる。
ジルさんとの待ち合わせの時間には少しばかり早かったが待ち合わせ場所の裏門まで行くとすでにジルさんが待っていた。いつも通りの短めの挨拶を交わすと、ジルさんは興奮した様子で誘ってくる。
「陽介君、ドラゴン見に行こうよ!」
「見に行っても大丈夫なんですか? 取り締まってる兵士に怒られたりしません?」
「大丈夫大丈夫。近くまではいけないだろうけど遠くから見る分には問題ないよ」
それならそれで見物人でごった返しているんじゃないだろうか。しかしあの後ドラゴンがどうなっているのかも知りたい。
「それなら行きましょうか」
「よーし! じゃあ早く乗って乗って!」
ジルさんの馬車に乗り込み城壁沿いに正門に回っていく。裏門を警備している兵士はうらやましそうにこちらを見ていた。
「いやぁ、すごいよねぇ! ドラゴンだよドラゴン! 生きているうちに見れるなんて思わなかったよ!」
少年のようにはしゃぐジルさんの気持ちは昨日の俺と同じだろう。この世界でもドラゴンは珍しいものみたいだ。
「私も子供のころは憧れたもんだよね! 魔物をバッタバッタとなぎ倒し、険しい山に住む邪悪なドラゴンを退治する、そんな物語にさ!」
前にあった傭兵のおっさんも言っていたが、やはり男の子はそういう英雄譚に憧れるのだろう。
「ジルさんも子供のころはそんな冒険がしたいと思ってたんですね」
「そりゃあね! でもそんな英雄になれるのは百年に一人くらいだろうけどね。ただゴブリンを倒した数だけなら私は物語の英雄達にだって負けないよ!」
毎日二百体以上のゴブリンを倒しているジルさんにはさすがに英雄たちも敵いはしないだろう。
曲線を描く城壁を普段よりも少しだけ速い速度で進んでいくと、遠くの方に人だかりが見えてきた。その人だかりの向こうには真っ赤なドラゴンが倒れているのが見えた。
「やっぱり皆考えることは一緒だね。あんなに集まってるよ」
「これじゃあよく見えないかもですね」
「そうかもね。でも行ってみるだけ行ってみよう。こんな機会はもう無いかもしれないんだし」
邪魔にならない場所に馬車を止めて足早に人だかりに向かう。王都中の人間がいるのでは、と錯覚してしまうほど人にあふれている。人の熱気で少し息苦しい気がする。
ジルさんは早々に人だかりに突っ込んで行ってすぐに見えなくなってしまった。恰幅のいい体なのにその素早い動きに感心してしまった。俺もドラゴンにどうにか近づけないかと人だかりの中でもがいていると隣の人の足を思いっきり踏んでしまった。
「おい、兄ちゃん。痛ぇじゃねーか」
「うわ、すみません」
横を向くといかつい顔をしたおっさんと目があった。その見覚えのある顔は商工ギルドでからんできた傭兵のおっさんだった。
「って、あの時の滑稽な兄ちゃんじゃねーか」
「思い出させないでください……」
おっさんの顔を見てあのときの記憶がまざまざと蘇ってくる。あの恥ずかしい記憶は厳重に封印してなかったことにしたいのに……。受付嬢が可愛かった、それだけがいい思い出だった。
「今日ここに戻ってきたらこの騒ぎだろ。驚いたのなんのって、まさかドラゴンだなんてな」
「実は俺、あのドラゴンを倒すところ見てたんですよ」
俺は本当に見ていただけだが、少しばかり優越感に浸って自慢してしまった。
「マジかよ!? すげぇな」
思った以上に驚かれてしまった。これが倒したのだったらもっと自信を持って自慢していただろうが、まあ悪くない気分だった。
「兄ちゃん、詳しく聞かせてくれよ!」
「しょうがないですね」
おっさんは疑うこともなく予想以上に食いついてきた。周囲にいた人たちもこっちを興味深げに見ている。俺は身振り手振りを交えて昨日の興奮を伝える。ドラゴンが如何に恐ろしかったか、ブルーノの名は伏せて、どうやってドラゴンを地面に落としたのか、そして騎士達が勇敢にドラゴンに猛攻をかけた時の様子を。
話も終盤に差し掛かり、周りにいた人々の興奮が最高潮になったところで締めくくると正門の方から仰々しい一団がやってくるのが見えた。キラキラと輝く純白の毛の馬二頭に引かれた豪華絢爛な装飾が施された馬車がドラゴンの方に向かっている。その周りには見るからに高そうな鎧に身を包んだ十数人の護衛が取り囲んでいる。兜をしている者としていない者とに分かれている。
「へぇ、王様もドラゴン見たさにわざわざやってきたんだねぇ」
おっさんはにやにやしながらその一団を眺めている。どうやらあの馬車には王様が乗っているようだ。先頭の護衛が近づいてくると自然と人だかりが割れた。その護衛は歴戦の勇士といった顔つきをしている。だんだんと近づいてきて彼らがよく見えるようになってきた。昨日ドラゴンの上で勝鬨を上げていた騎士の姿も見える。その護衛の中に一人だけ少女と表現して差し支えない見た目の騎士が一人いた。
「騎士にはあんな女の子もいるんですね」
「ああ、そうか。兄ちゃんこの国の人間じゃなかったな。あれは異界人ってやつだって聞いたことあるぜ。兄ちゃんでも流石に異界人くらいは聞いたことあるだろ?」
「あれが異界人ですか」
自分もそうなのだがそんなことはおいそれとは喋れない。国からはなかったことにされたしな。
この世界で初めて見る同じ日本人の彼女は、肩あたりで切りそろえられた艶やかな日本人らしい黒髪にやや大きな黒い瞳、鎧の上からではわかりにくいがスレンダーな体型をしているはずだ。しかし幼さの残る顔立ちをしている割にはその表情はひどく疲れているように見える。
そういえば異界人が国境から一人、ドラゴン討伐に向かっていたという話を聞いたのを思い出した。結果的には間に合ってなかったが……。
多分あの子がアイーシャさんが言っていた弥生ちゃんだろう。こんなときでなければ話しかけたかったが今は遠くから眺めていることしかできない。
「おーい! 陽介くーん! 馬車で待ってるよー! 早く来てねー!」
どこからかジルさんの声が聞こえてくる。ジルさんはもう満足したのか、それとも時間が迫っているのか、どちらにしろ仕事に行かねばならないようだ。傭兵のおっさんや周りにいた人達と別れの挨拶をして馬車へと向かう。
別れ際に傭兵のおっさんと名前を教えあった。おっさんはバルバトスという名前らしい。ずいぶんと顔に似合った男らしい名前だ。「またどっかで会おうや」とにやにや顔で手を振ってくれた。
停めてあった馬車まで戻るとすでにジルさんは御者台に乗り、いつでも出発できるようになっていた。俺は馬車に乗り込み声を掛ける。
「すみません。お待たせしました」
「いや全然待ってないよ」
すぐさま馬車が走り出し、裏門まで元来た道を進んで行く。俺はさっき語ったドラゴン討伐の話をジルさんにもしようと思った。案の定ジルさんは食いついてきてくれたので、馬車に揺られながらその話を語った。本日二回目になるその話は、一回目よりも上手に語れたと思う。
その日、興奮しっぱなしの俺達のゴブリンを突き刺す槍捌きは普段とは一線を画していた。俺は「乱れ突き!」や「流星衝!」などと叫びながら素早くゴブリンを倒して行った。ジルさんに至ってはわざわざ剣を持ってきてケージの中に入りゴブリンをばっさばっさと切り倒していた。
いつもに比べ気合が違ったため順調に仕事が片付き少し早く家路についた。今日はステーキにでもしようかな、ドラゴンステーキってうまいのかな、などと考えながら玄関の扉を開けると
――ゴスッ! バキッ!
と、そんな音が家の奥から聞こえてきたので急いで扉を閉めて逃げだそうとするが手が扉から離れない。
しまった!? 罠か!
つーか、帰ってくんのはえー!
このままではご飯ができていないと難癖つけられて激しすぎる愛の鞭を受けてしまう。何とか逃げ出そうともがくもまるで手と扉の取手が接着剤でくっ付いているかのように全く離れない。
家の奥からゆっくりと、そしてにっこりと微笑んだアイーシャさんがぼろ雑巾のようになったブルーノを引きづってくる。頬に返り血のついたその姿にドラゴン以上の恐怖を呼び起こさせられる。
「陽介、おかえりなさい。私お腹ペコペコなの。早くご飯作って」
「了解であります!」
軽く手をかざされると今までが嘘のように取手から手が離れた。
問答無用で殴られる理不尽は起こらなかったがご飯の支度中ずっと机をこつこつと叩いて催促してきたのには神経が磨り減った。
少し早い夕食になったが、何事もなかったかのように復活してきたブルーノを交え食事を始める。
「ところでなんでブルーノをしばいてたんです?」
黙々とステーキを食べるアイーシャさんに恐る恐る聞いてみた。
「私が疲れて帰ってきたのにぐーすか寝てたからよ」
予想通りの理不尽な回答をいただきました。無言で茶碗を差し出してくるのでお代わりを注いで手渡す。今日はいつもより食べているがやけ食いの類なんだろうか。何があったか聞くに聞けずに様子を伺っていると、俺の視線に気が付いたようで、
「昨日から何も食べてないのよ」
アイーシャさんは少し恥ずかしそうに頬を染めて視線を逸らした。
普段の恐怖とこの可愛らしさのギャップがあるから始末に負えない。惚れてまうやろ!
空腹も満たされ、食事のペースがゆっくりとしてくるとアイーシャさんが今回の事の顛末を話してくれた。
「あのドラゴン、どうやら使役させられていたみたいなのよね」
「っていうと噂の魔族?」
確かエムトさんがそんなことを言ってきた気がする。
「魔族かどうかは分かっていないんだけど皆もうそう思ってるわね。私もそう思うし。
あのクラスのドラゴンでは考えられないほどの魔力を持っていたのよ。魔法なんてほとんど弾かれちゃったし。何者かがドラゴンに魔力を無理やり注ぎ込んでいたとしか考えられないわね。そんなことができるのは魔族くらいのものだわ」
「そんなことできるんですか」
なら俺にも誰か魔力を注いでくれないかな。
「普通ならできないわよ。だいたい陽介にそんなことしたら確実に体が弾け飛ぶわね」
わお、汚ねー花火にはなりたくないです。あきらめよう。
「今、マギラスに事実確認をしている最中だけどあいつらは認めはしないでしょうね」
マギラスって確か魔族の国だったよな。戦争してるんだから確かにドラゴンをけしかける動機としては納得できるか。
「魔族が犯人だったら戦争が激しくなるんでしょうか?」
「僕は違うと思うよ。ほとんど惰性で戦争してるようなもんなんだから、そんなことになったらお互いにとって損にしかならないよ」
「そうね。今回は幸い死者も出なかったし一気に戦線が過熱するってことはないでしょうね」
「魔族だったとしてもただの愉快犯だと思うよ、僕は」
「だとしたら余計性質が悪いじゃない。そんなスカタンがこの国を狙ってるんだったら私の仕事が増えるじゃない」
「姉ちゃん、それはどうでもいいけど僕を巻き込まないでよ。なんで僕がわざわざ外に出なきゃいけなかったのさ」
今回、ドラゴン迎撃に駆り出されたことがブルーノはまだ不満げな様子だ。アイーシャさんは無言で睨みつけるとブルーノのステーキを奪い始めた。
あー、悲鳴を上げて抵抗しているが阻止はできていない。すぐにステーキは全滅させられてしまった。悲しそうな顔をしたブルーノがこっちを見てきたのでブルーノの皿にそっとあしらいの人参を置いてあげた。
「あ、そういえば今日弥生ちゃん? だと思う子を見かけましたよ」
アイーシャさんに渡りをつけてもらえないかと思って話を切り出すが、アイーシャさんの表情が凍り付いた。
「あの子の話はここではやめて」
普段では見ないような態度で冷たくあしらわれてしまった。アイーシャさんは弥生ちゃんに含むところがあるのだろうか? この様子だとこれ以上聞いても多分何も答えてはくれないだろう。
「弥生? どこ!?」
と、きょろきょろとしているブルーノをアイーシャさんはゴスッと一撃で沈めている。
もしかしたら現役宮廷魔道士のアイーシャさんは強大な魔力量を持つ異界人との間には確執があるのかもしれない。最初に弥生ちゃんの話を聞いたときはそんな感じはしなかったが名前も聞きたくないほど嫌いなのだろうか?
翌日「仕事行きたくなーい」とぶつぶつ言っているアイーシャさんを見送って家の掃除を始める。今日は休日なのでいつもは手が回らないところをやろう。各々の部屋自分たちでやることになっているが、それ以外は俺がやらなければならない。以前、俺の扱いの改善を求めようとしたが、ブルーノはやる気がないし、アイーシャは掃除を始めると余計に物が散乱するので手を出させないことにした。アイーシャさんの部屋を見せてもらったが、ブルーノの部屋よりもひどかった。女性なんだから少しは綺麗にしてもらいたいところではあった。
しかし普段使ってない部屋も多く、調度品も少ないので掃除自体は大した手間にはならない。結局昼ごろまでかかってしまったが簡単な昼食をとり買い物に出かけた。曇り空の中行きかう人波に乗ってぶらぶらと露店の商品を見て回る。街は依然としてドラゴンの話題で一色に染まっている。ドラゴン饅頭やドラゴンクッキーといった一過性と思われる便乗商品をたくさん見かけた。商魂たくましくて何よりです。
しばらくぶらぶらしていると、少し離れたところの屋台でフランクフルトのようなものを買っているラチェちゃんを発見した。天使のような微笑みでフランクフルトのようなものを見つめている。広場のベンチに座ると、あーん、とちっちゃな口を精一杯開けてフランクフルトのようなものを頬張る。蕩けるような笑顔でむしゃむしゃと食べている。
その様子を見ているだけでかなり興奮してきた。深い意味は無い。無いったら無い。
あの笑顔が俺に向けられるのはいつなんだろうか。というかそんな日が本当にくるんだろうか? いや、来ると信じなきゃやってらんない。
視界の端にたまに見かける執事っぽいおじ様を見つけたので何気なく視線を移す。おじ様はどうやらラチェちゃんの方をガン見しているようだ。遠くからなので分かりずらいが、肩が激しく上下している。何やら息遣いも荒そうだ。マラソンでもしてきたんだろうか?
俺が見ていることにおじ様が気付き視線が絡まる。おじ様はキッと俺を睨んでどこかに行ってしまった。
おじ様を気にしていてもしょうがないので、ラチェちゃんに声を掛けようとしたがすでにいなくなっていた。きょろきょろと周りを見て探すも見当たらない。おじ様なんか見ているんじゃなかった。
ラチェちゃんを探すのはあきらめて再度フランクフルトのような――もうフランクフルトでいいや――ものを売っている屋台に目を向ける。何人かお客がいるようだがその中に少女は全く並んでいない。せっかくの休日なのにこれじゃあ楽しみも何もあったもんじゃないと思っていると後ろ肩を叩かれた。振り返ると二人組の衛兵がこっちを見ていた。
「君、ちょっといいかな?」
「僕はまだ何もしてません! 見ていただけです!」
反射的に無実を訴える。
いつ気付かれた!? いや、誰かが通報しやがったのか!? 紳士の社交場のこの広場でなんて掟破りをしやがるんだ! ていうか何もしてねーし!
突然の事態にパニックに陥り、訳の分からん思考が頭の中を駆け巡る。
「む? 何かよからぬことでもするのか?」
「しません!」
挙動不審な態度を訝しんだ衛兵が鋭い目つきで俺を見る。
「まあいい。聞きたいことがあるんだが、この辺で執事らしき服装をした年配の男性を見なかったか?」
執事らしき服装をした年配の男性……もしやあのおじ様はすでに何かやらかしちゃったんだろうか? しかし十中八九変態紳士であろうあのおじ様を俺は見捨てることができるのだろうか?
「五分くらい前にあっちの方に行きました」
おじ様が立ち去った道を指さし素直に衛兵に情報を売り渡す。
「そうか! 協力感謝する! 急ぐぞ!」
相方に声を掛けるとすぐさまおじ様を追って走り出していった。これでこの王都から一人の性犯罪者が消えることだろう。いい事をしたぜ。
目下の危機は脱したので改めてフランクフルト屋に目を向ける。周囲から冷ややかな視線を受けているような気はするが気付かなかったことにしておこう。
すると、屋台のオヤジが先ほどまでいなかった客と何か言い合っている。
その客は手の込んだ刺繍の施された高価そうな濃紫色のフード付のローブを着ている。フードを目深にかぶっているためはっきりと顔は見えないが隙間から雪のように白い肌、銀色の髪が目に入ってくる。成熟してはいないが青い果実というにはいささか不十分な体のラインがローブの上からでも見て取れた。
この日この時、俺はフランクフルト屋の前で運命の少女に出会った。