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明日からよろしくね

 十メートルほど廊下が続いており、左側に扉が二つ、右側に今出てきた部屋を含めて三つ扉がある。どうやらブルーノの部屋は角部屋のようだ。廊下の先には玄関が見える。天井にはガラスなのだろうか、透明な素材を用いて建物の中に外の光がうまく差し込むように作られている。建築技術は結構高いようだ。ブルーノの部屋の汚さと貧相な調度品からブルーノが貴族というが全く思いつかなかったが、これほどの家に住んでいるならもしかしたら貴族なのかもしれない。


「ここよ。入って」


 そう促されて左側のやや立派な扉の部屋に入る。しっかりした作りのキングサイズのベッドがあり、意匠を凝らした大きなクローゼットが置いてある。しかし一番目を引いたのは壁際にある漆黒のフルプレートメイルだ。いくつか目立つ傷がついているのでただの飾りというわけではなく実際に戦闘で使用されているのだろう。その横にやや乱雑にではあるが数本の剣と槍が立掛けてある。華美な装飾は施されていないが素人目にも質の良い造りに見える。


「父の部屋よ。辺境勤務になって一年ほど帰ってきてないから今この家にはいないけどね。クローゼットに入ってるのを好きに着ていいわ。サイズは合わないと思うけど、明日までだし我慢してね。新品の下着は一番下の棚に入ってるわ」

「ありがとうございます」

「着替え終わったら食堂に来てちょうだい。玄関に来ればすぐわかるわ」


 アイーシャさんが部屋から出ていったのでクローゼットの中から服を物色し始めた。落ち着いたデザインの服がずらっと並んでいる。その中から俺が着ても変に見えない、少しカジュアルな服を選び着替えることにした。サイズは少し大きく不格好に見えるが仕方がない。革靴も置いてあったので借りることした。ちょうど良い大きさだった。


 アイーシャさん、最初はただの悪鬼かと思ったけど、話してみたら可愛らしい大人の女性だったな。ちょくちょくあざといけど。結婚はしているようには見えない。いき遅れ感はあるがあんなに可愛い美人さんならまったく問題なしです。むしろ余計興奮します。

 一緒に住むならドキドキな展開を期待しちゃってもいいんじゃないかな?


 着替えも済んだのでさっきから気になっていた剣と槍をいじることにした。


「やっぱ男なら剣よね」


 そう、ロマンなのだ。剣は男のロマンでできているのだ。剣と魔法のファンタジーならば剣を使わねばはじまらないのだ。魔法は期待できないから剣に生きるのだ。

 ぶつぶつと独り言をつぶやきながら置いてある剣の中で一番軽いものを取り素振りをする。


「ふん! はあ! 重っ!」


 なんてこった。一番軽い剣なのにこんなに腕に負担がくるなんて……。剣はだめだ。俺はナイフ使いになろう。体を鍛えてからいずれ剣を使おう。


 剣をそっと戻し、さっさと食堂にいくことにした。

 ロマンをなかったことにしてロマンスを追うことにしよう。そうしよう。着ていたローブはブルーノの部屋に投げ込んでおいた。


 玄関に来ると食堂はすぐに分かる場所にあった。八畳ほどの広さの部屋に長方形の木製のテーブル、そしてテーブルとおそろいの椅子が三つあった。アイーシャさんはおらず、どうしたものかと悩んでいると料理を持ったブルーノが食堂の奥からやってきた。


「姉ちゃーん! できたよー!」


 ブルーノが叫ぶと、今いくーと返事が聞こえてきた。

 手際よく三人分の料理を配膳しているブルーノに先ほど気になった質問を投げかける。


「ブルーノって貴族?」

「違うよ。平民」


 どうやら貴族ではなかったらしい。この世界の平民は結構裕福な暮らしをしているのかと聞けば、エクサス家は下級貴族より裕福なのだと答えてきた。

 テーブルの上に着々と並ぶ料理には見覚えがあった。


「ブルーノ、この料理って何て名前?」


 目の前に並ぶ料理を一つずつ指さしながら聞いた。


「オムライス」

「中身は?」

「チキンライス」

「上にかかってるのは?」

「デミグラスソース」

「じゃあ、このサラダの横にある白いのは?」

「マヨネーズ」


 予感はあった。だが考えないようにしていた。知らなければ楽なこともある。しかし、知らなければ人間は先に進めないし、間違った道に進んでしまうこともある。だからこそ聞かねばならない。


「この国の主食って米?」

「そうだよ」

「箸ってある?」

「もちろん」


 もう完全にあるというのは確信しているが最後の質問を投げかけた。


「……味噌と醤油ってある?」

「あるけど、オムライスに使う?」


 ここに俺の現代知識で金儲けの道も閉ざされたことを理解した。米食を流行らせ味噌醤油を作って一大食文化革命はすでに終わった後だった。まあもともと味噌と醤油の作り方なんて知らなかったからできなかっただろうけど……。

 そりゃ日本人が頻繁に召喚されてるなら食文化も伝わるわな。


 切なさとやるせなさを感じているとアイーシャさんがやってきたので食事を始めることにした。マナーは特に気にしなくていいようだ。平民バンザイ。

 先ほどまでとは違いラフな格好に着替えているアイーシャさん。深い青のロングワンピースがよく似合っている。対面に座っているのでオムライスを食べつつ、ちらっちらっと愛でる。


 せっかく料理を作ってくれたブルーノには悪いがあまりおいしくない。ケチャップがちゃんと混ざってない部分があったり、卵が焦げていたりする。


「どう、おいしくないでしょ」

「まあ、正直」


 ちらっとブルーノを見たが特に気にしている様子はない。それどころか、うんうん、とうなずいている。


「ってことで、明日からよろしくね」


 手を胸の前で組み小首を傾げてにっこりと微笑む。

 これから一緒に暮らすからよろしくね、という意味なのだろうか。それとも……。


「あ、明日の夕ご飯からでいいわよ。朝夕の二回用意してね。台所の使い方はあとでブルーノに聞いておいて」


 あ、もう料理作るのは決定事項なんですね。だからさっき料理が得意か確認してきたんですね。

 料理を作るのは好きだし、住まわせてもらうのならば仕方がないと割り切ろう。


「家の掃除もお願いね。それと日中時間が余るわよね。知り合いの牧場で明後日から働かせてもらえるように言っとくから」

「あんたら姉弟はそろって言うこと同じだな!」


 違うのは強引に事を進める行動力だろう。もうすでに家事をやり、働くことは決定済みだったようだ。


「文句あんの?」


 ――ヒュッ

 何かが右頬をかすめた。さっきまでアイーシャさんがサラダをつついていたフォークがない。恐る恐る振り返ると石の壁に深々とフォークが突き刺さっていた。


「……誠心誠意がんばります」


 ただ飯ぐらいは一人で十分よ、とつぶやいていた。

 視界の隅で喜んでいるブルーノはあとでしばこう。



 食事も終わり片づけをしながら台所の使い方の説明をうけた。食器類、調理器具を確認しているとその中にさっき言ってた箸があった。鉄製ではなく日本で一般的な木製の塗り箸だった。火は魔法レンジがあり簡単に制御できるには驚いた。また氷魔法を用いた二畳ほどの冷蔵室もあった。様々な調味料、それに冷蔵室には人参や玉ねぎと思われる見慣れた食材もあったが、見たこともない食材も多々ある。食べたことのない新しい味に出会えそうで楽しみだ。魔石を使って魔法を維持しているらしく、定期的に魔石を交換しなければならないそうだ。

 ここまで生活用品が魔法で支えられているなら水も魔法で作り出しているとばかり思っていたが、この国は上下水道を配備しているようだ。二百年ほど前の”賢王”と呼ばれた当時の王様が魔石を買うほど余裕がない国民の衛生問題の改善のため配備したそうだ。


 玄関からブルーノの部屋へ続く廊下とは反対側の方にある部屋があてがわれた。以前住み込みで働いていた使用人の部屋だと言っていた。平民なのに使用人を雇っていたとなるとエクサス家は相当裕福な印象を受ける。簡素なベッドとクローゼット、それと木製の机と椅子がおいてある。

 嬉しいことにこの家には風呂が備え付けてあった。家に風呂があるのは裕福な家庭だけで、普通は共同浴場に行くそうだ。お湯を沸かすために使用する魔石のコストが掛かりすぎて共同浴場に行くほうが相当安く済むためらしい。


 日もとっぷりと落ちて虫の鳴く声が聞こえてくる。湯船に浸かりゆったりしていると、召喚機がぁー! という叫び声が聞こえてきた。まったく同情がわかなかったので気にせずに虫の音に耳を傾けた。


 生活する上では今のところ不便はないな。それに風呂があるのは嬉しかった。一緒に生活するんだからアイーシャさんが入っているときに間違って入って、きゃー、いやーん、なお風呂ハプニングもあるはず。ぐふふ、楽しみ楽しみ。

 それまでにアイーシャさんの攻撃を受けても生き残るすべを身につけなきゃ確実に死ねるね。


 さっぱりして部屋に戻り、今のうちにやっておかなければならないことをいろいろと試すことにした。


「ステータス! オープンステータス!」


 何も見えてこない。


「インベントリオープン!」


 何も起こらない。

 特殊な動作が必要なのかもしれないと思い、発声しながらいろいろな動きをしてみる。踊ってるみたいでちょっと楽しくなってきた。


「……あなた何してるの?」


 いつの間にか部屋のドアを開けてこっちを見ているアイーシャさん。


「お願い! 部屋に入るときはノックをして!」


 ノックは人類最大の発明品よ!


「したわよ」


 集中しすぎてて聞こえなかったようだ。

 とても恥ずかしいところを見られてしまった。いずれお礼としてアイーシャさんの恥ずかしいところを見るとしよう。


「はいこれ、地図とお金」

「ありがとうございます」


 渡されたお金は金貨や銀貨ではなく紙幣だった。少しがっかりしたが持ち歩くときの重さを考えたら紙幣でよかったと思うべきだろう。


「いろいろ見て回るといいわ。でも夕ご飯が遅れたら……わかってるわね?」


 明日俺の命の灯火が消えるかもしれないので、余計なことをしていないで早く寝て明日に備えることにした。


 鳥の鳴き声に目が覚め、洗面所で顔を洗ってから食堂に向かった。アイーシャさんはすでに起きていて朝食をとっている。すぐに仕事に行かなければならないそうだ。仕事に出かけるのを見送ってから用意してもらっていた朝ごはんを食べる。パンとシチュー、少量のサラダだ。ブルーノは昼ごろ起きてくるらしく食事は俺の分しかない。シチューはあまりおいしくなかった。


 もらった地図を頼りに街を散策する。街並みは中世ヨーロッパのような石造りの建物が主体となっていて、街の外周を石壁で囲っている城塞都市のようだ。遠くに見える王宮の大きさに少し圧迫感を感じる。地図を見ると中央に王宮があり、王宮を囲うように街が広がっている。王宮の外周には濠が掘られており正規門以外からの侵入は難しそうだ。街のどこからでも見えるように王宮の四方に時計塔が立てられている。時計塔に刻まれている文字を見るとこの世界も一日二四時間のようだ。

 商業地区にでるとたくさんの人であふれている。様々な露店が立ち並び所狭しと商品がおかれている。まだ日も高くなっていないが活気があり、その人波の中に頭髪が青やピンク、さらに頭に猫の耳や兎の耳ををはやした獣人がいる。


 うおー! ケモ耳きたー!

 やっぱり異世界ならこれっしょこれ!


 興奮を抑えきれず顔がにやける。遠慮のかけらもなく舐め回すかのようにうさ耳少女を見ているとギロッと睨まれてしまった。あわてて視線をはずし、気を引き締めなおすもすぐに他のケモ耳少女が目に入りにやけてしまう。黒髪黒目は対してめずらしくないようで俺は完全に人波に溶け込んでいた。

 ケモ耳少女を堪能しながら、露店の商品の値段を見ていると通貨価値は日本と大きくはかわらなようだ。一円がほぼ一エスラであろう。

 面白そうな商品もあったが、今持っているのは服代として渡されたものなので自分で金を稼いでから買いにこよう。幸か不幸か、働き口はすでにあるのだから。


 おお、武器屋がある。いかつい禿げ頭のおっさんが店番をしている。いかにもって感じがすばらしい。後で覗いてみよう。


 大通りから脇の路地に曲がる。緩さかな上り坂を上がっていくと目的地のポルカ服飾店が見えてきた。こじんまりとしているが趣味のいい外装をしている。扉には魔女が裁縫をしている飾りがついている。


 ――カランカラン


「いらっしゃいませー」


 ちょっと舌足らずな声ではちみつのようなきらきらした淡い金髪のほんわかとした巨乳の女性が出迎えてくれた。


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