行間3
――12
誰もいない研究室でマナはただ一人椅子に腰を掛けていた。
「私のせいだ」
マナは思いつめていた。自分がブルードルフィンの事を話さなければ、素子は襲われずに済んだのではないか、今後も黒野や素子に迷惑が掛かるかもしれない。自分はここに居ない方が良いのかもしれない。
そんな時だった。コンコンと研究室のドアをノックする音が聞こえた。黒野ならわざわざドアをノックせずに中に入って来る。マナはこの研究室に訪ねてきたお客さんだろうと思い、自分では対応が出来ないので無視をした。しかし、それでもしつこくドアをノックするのでマナは恐る恐る研究室のドアを開けた。
「はい、どちら様でしょう……」
ドアを開けた途端、マナは言葉を失った。
「やあ、久しぶりだね。マナちゃん」
「進藤……さん」
ドアの向こう側に居たのは黒野恭輔ではなく、マナの父の部下である進藤であった。
「そんな、どうしてここを?」
「そんなことはいいじゃないか。さあ、帰ろう。お父さんはとても心配しているよ」
スッと右手を差し出す進藤に、マナは一歩後退していた。
「い、嫌です。私は……帰りたくありません」
嫌がるマナを見て、進藤はふぅと溜め息を吐く。
「困ったな。そんなわがままを言わないでよマナちゃん。僕も社長も本当に心配しているんだからさ」
進藤はにっこりと笑顔を崩さず、マナに一歩ずつ近づく。一方、マナは少しずつ後退していった。
「さあ、マナちゃん」
進藤の手がマナの肩に触れそうになった、その時だった。
「嫌です! 私は絶対に帰りません!」
進藤の手がマナに触れる寸前で止まる。
「私は、私はブルードルフィンの計画が何故今になってまた進められているのか、それを知るまでは家に帰りません。その為にこの明神先生の研究室に来たんですから」
マナは息も切れ切れに自分の目的を言い切った。それを聞いた進藤は手を下ろすと、顔からは笑顔が消え、冷たい無表情となる。
「マナちゃん、君はどこでブルードルフィンのことを知ったんだい?」
さっきまでとは違う、冷たく感情の無い声で進藤は問うた。
「たまたま、父の書斎に行った時にブルードルフィンの計画書を見つけたんです」
「それで、真相を確めるために当時の研究チームリーダーである明神先生にお話を訊きに来た。っとそういうわけかな?」
「そ、そうです」
マナの返答を聞いた進藤はククッと笑いをもらした。
「何が可笑しいんですか」
「いやいや、ごめんね。マナちゃんはつくづくお父さん思いの良い子だなって」
その後も二人の距離は縮まらず、マナの顔は険しいものとなっていた。
「マナちゃんはブルードルフィンの計画が知りたいんだよね?」
「そうです」
マナは進藤の問い掛けに即答する。
「じゃあさ、お父さんに直接訊いてみようか?」
「え? ど、どういう意味ですか?」
突然の進藤の言葉に狼狽を隠しきれず、問いを返すマナ。
「どういう意味も何も、お父さん本人に訊けば早いでしょ?」
「で、でも、以前父に訊いた時はなんでも無いって……」
「以前は、でしょ? 今なら僕も付いて行くから違う答えが返って来るかもしれないよ? それに、ご家族に心配をかけちゃ駄目だよ。特にお母さんにはね」
「っ!」
進藤の口から放たれた「母」という言葉にマナは反応し、その表情は見る見るうちに青ざめていった。
「お、お母さんは……か、関係ないです」
「そうかな? あまり心配をかけると、お母さんのお体に良くないと思うよ? 病気が悪化でもしたら……」
「わかってます!」
マナの大声が研究室に響き、研究室はシーンと静まり返る。
「わかってますよ……そんな事」
マナは今にも泣きそうな弱々しいマナの声で言った。
自分は真相を知りたい。でも、もう黒野と素子に迷惑をかけたくはない。それに病床に伏している母に心配をかける訳にもいかない。そんな考えが頭の中でぐちゃぐちゃに絡みあっているマナに、また進藤の言葉が降りかかる。
「それに、君がお家に帰って来れば、ここの研究室の人達が危険な目に遭うことも無くなるかもしれない」
「な、どうして、その事を!」
「僕は何でも知っている。さあ、どうするの? ここに残ってこの研究室の人達を危険に晒し続けるか、それとも、家に帰って真相を知るか。これは君が決めることだよ? 僕は強制しない」
苦渋の選択だった。ここに残れば二人をもっと危険に晒してしまう。もし家に戻り、父に真相を訊けば、今度は何か訊けるかも知れない。でも、今まで自分の為に身体を張ってくれた二人に申し訳無い。
「今すぐでなければ駄目ですか?」
「うーん、そうだね。出来ればその方がいいな。あんまり時間をかけたくないんだ」
下を向き、少し考え込むマナ。そして、どうするかを決めたマナは顔を上げた。
「わかりました。私を連れて行って父に会わせて下さい」
「良かった。帰って来てくれるならとても助かるよ」
「ですけど、その前に……」