叩く音~音に関する短文~
若干の残酷描写あり
かん――と短く乾いた音が鳴る。
どこからともなく聴こえてきた、硬く一切の温もりを感じさせない音。
その音が鳴り始めるのとほぼ時を同じくして。
ひとりの童が頽れるようにその場に座り込んだ。
ああっ、と童が自らの顔を手で押さえながら呻く。
ああっ、あああ、あああっ。
てて(父)さま、と童は哭いた。
ててさま、ててさま、ててさま。
ああ、あああっ、あああああっ――。
嘆く、叫ぶ。
何度も、何度も。
張り裂けそうなほどの悲愴をその総身に湛え、絶望をその声に乗せる。
童は今宵、ひとつの罪を犯した。
泣き崩れる童のかたわらに落ちた、血まみれの小刀。
その前に横たわる、男の死体がひとつ。
童が殺した。
童の父親――否、父親だったモノ。
心の臓を一突きにされ、ソレは物言わぬ肉隗となった。
かつて、否、ついさきほどまで童を、童の人生を苛み続けていた男の、突然の最期。
童の手で終わらせた。
童は嘆く。
悲しい、哀しい。
だがそれは、実の父親の命を自分の手で絶ったという罪の意識ではなく。
また肉親を失ったという悲しみでもなく。
父と自分の世界が。
二人だけの、狭くて怖くて痛くて、けれど時折穏やかで、薄靄のような実態のない、幻のような世界が。
父を手にかけた、その瞬間に。
終わってしまった――絶望。
やがて嘆くのも疲れ果ててしまった頃。
かんっ――と再び音が鳴る。
かん、かん、かん、と繰り返し打ち鳴らされる。
どこから鳴るのか。
何の音なのか。
外から聴こえてくるような気もするが、童自身の頭の中で響いている音のような気もする。
拍子木の音か。
鐘の音か。
音は次第にその大きさを増していく。
童にはその音が自分を断罪するために近付いてくる足音のような気がした。
誰かにこの罪を暴かれるのが怖いとは思わない。
むしろこの罪が白日の下に晒され、全てを他者に委ね、裁かれることで、何もかもから解放されたいとも願う。
それは怠惰か逃避か。
どちらでもあり、どちらでもないのかもしれない。
最早どうでもいいことだ。
たとえこの世の全ての人間に謗られようとも。
粗末な言い逃れと嘲られようとも。
父を殺した。
その真の理由は。
ただ、解き放って遣りたかったのだ、と。
辛く厳しいことばかりの世の中から。
酒に溺れることでしか、傍らにいる童に手を上げることでしか鬱憤を晴らすことの出来ない哀れな現実から。
何のしがらみもない世界へ。
この世の終わりから彼岸の始まりへ。
ただ父を往かせて遣りたかったのだ、と。
恨みでも憎しみでもなく。
童の中には父に対するひたむきな愛情しかなかったのだ、と。
思い遣りだったのだ、と。
誰に信じてもらえなくとも。
誰に理解されずとも。
それが、自分の中の全てだったのだ、と。
何故かと問われれば。
童はそう答えるのだろう。
音が鳴る。
かん、かん、かん。
カン、カン、カン。
閑、喚、陥。
侃、乾、潤。
甘、寒、寛。
何の温もりもない只の叩打音だったものが、様々な響きを伴って鳴る。
詰る音か。
嘲う音か。
破滅させる音か。
どれでも――その全てでもかまわない。
時折優しく響くその音が心地よく感じられて。
そんなはずはないのに。
少しだけ許されているような。
その音を聴きながら。
たったひとりこの世に残された童は。
冷たい塊となった父の傍らで。
ゆっくりとその瞼を閉ざした。
あくまで加害者側の独りよがりと言われればそれまでのような……。