模造真珠
そろそろ×次審査通過作品のストックがネタ切れです。
という訳で、第1回小説の王子新人賞落選作品を加筆訂正しました。
この新人賞は、ポップな文体がいいんだろうなあと思い、私の作品の中では、かなり崩した文体になっています。
なので、好き嫌いは分かれると思います。
課題が「ピアス」だったので、ピアスにまつわる話を書きました。どうぞお読み下さい。
ピアスはいけないと両親に止められていた。両親は牧師だったから。
旧約聖書によると古代ユダヤでは、奴隷の耳にピアスを刺していたらしい。
「だから耳にピアスをして挿入するということは、金属の奴隷になるということだ」
そう両親はあたしを戒めた。
ちょっと違うんじゃないのかなあ。古代ユダヤの奴隷だって別に金属の奴隷になった訳じゃないでしょ。と思ったけどあたしは両親に何も言わなかった。両親は聖書を曲解してばかりの人たちだからいちいちそれに反応するのは面倒臭かったし、そもそもあたしはクリスチャンじゃなかったから。
両親の影響でキリスト教を信じていた時期もあったけれど、あたしは十九歳の時に信仰を捨ててしまっていた。聖書を曲解してばかりいる牧師が自分の師だったことから何だかクリスチャンでい続けることがよく分からなくなっていたし、短大進学と同時に家を出たあたしはキリスト教以外の世界にも触れるようになったから。
キリスト教以外の世界って気持ちがいいの。ここでは何でもかんでも罪だ罪だって断罪されないの。何が正しくて何が罪かとかじゃなくて何をやりたくて何をやりたくないかで生きていけるの。何かすごく新鮮だった。心の枷が取れた感じ。
両親には手紙でクリスチャンを止めますって書いて送った。反対されるかもと思ってたら母親に電話で
「あなたは真面目だからクリスチャンを止めるのね」
と言われた。
変なの。クリスチャンって真面目な人たちなんじゃないの? と思ったけどせっかく母親がうるさく反対しないんなら渡りに船って感じで適当に返事をして電話を切った。信仰捨てるのって結構簡単。クリスチャンになるまでは牧師に悔い改めをしたりとか洗礼式で川の中に全身をぶち込まれたり色んな儀式があったのに止める時は結構簡単。「止めます」って言ってそして止めれてしまう。
もちろん止めるって決意するまでには色んな逡巡があったけど、でももし神様がいてクリスチャンじゃないなら地獄行きだよって言うんなら、じゃあ地獄に落とせば?って思った途端気楽になった。
あたし実は結構真剣に信仰してたクチで、洗礼とかも
「まだ早すぎる」
って止める親を説得して小学生で受けたような人だから、何かこんなに熱心に信仰持ってても神が全然応えてくれない感覚が嫌だったんだよね。遠藤周作の「沈黙」な感じ?
熱心に信じたり愛したりすればこそ、相手の不実を感じるとさっさと相手を切ることできたりするのよね。神も男もそして親も。でもキリスト教の神が本当に不実なのかどうかは知らないよ。だってキリスト教っていっぱい宗派あるじゃん。
たまたまうちの親の入ってた宗派が変だったのかも知れないし、うちの親が個人的に変だったのかも知れないけどでもじゃあどのキリスト教が本物かなんて探しようが無いよ。膨大すぎるもん。数が。それにそもそもキリスト教が正しいとは限らないでしょ。イスラム教とか仏教とかが正しいかも知れないでしょ。でも世の中にある宗教の宗派いちいち調べてられないよ。
それにもしかしたら無神論が正しいのかも知れないしさ。だからいいの、あたし。十数年熱心に信者やったし、やりながら本物は一体どれ? って思ってた訳だからもうこれ以上はいいの。何だかんだいってあたしはキリスト教の影響受けちゃってるからかなりモラリストな方だしだからこれからはやりたいようにやるの。ピアスも開けるの。
でもピアス開けるのってやっぱ抵抗あった。あたしはピアスが流行り始めた頃に高校生だった人だから当時はピアスにまつわる都市伝説とかあったしね。ピアスの穴から白い糸が出てそれ引っ張ったら失明しちゃったとか今考えたら眉唾な話が伝播してたし。それでも周りにはばんばん開けちゃう子もいたけどね。画びょう使ったとか安全ピン使ったとか確実に流血沙汰なやり方でやっちゃうの。
怖いよねー。大人になった今考えてもそんなの無理って思うもん。やる人の気が知れない。あとうちの高校ピアス禁止だったし。何かわざわざ校則破ってまでやるのってどうなのっていうか。いやあたしだってスカートは校則違反してたよ。その頃ようやく制服のスカート丈が短いのが流行り始めたから自分でスカート切断して縫ってはいてた。だってスカート丈は別に先生たち黙認してたんだもん。
でもなぜかピアスには厳しかったな。毎月耳たぶチェックとかされてた。今考えると何か猥雑な感じ。男の先生が髪をかきあげた女生徒の耳たぶを真近で一人一人チェックしてたの。たまに「可愛い」とか耳元でささやくセクハラ教師とかいてさ。あたしはそのチェックが嫌だったから高校時代は穴開けなかったっていうのもある。だってその場だけピアス外しても穴ってばれるでしょ。
いつまでも耳さらしたまんま
「穴、開けてるだろー」
とか何とか言われながらじろじろ見られるなんてたまんない。あれかな。耳たぶって性感帯だからそういう風に思うのかな。
短大に進学してクリスチャンも止めて、あたしはいつでも穴開けスタンバイできてたんだけどしばらくあたしはピアスってうざったくない? と思ってた。あたしアクセサリーは帰宅したら全部外しちゃう人だからピアスだけ差しっぱなしって何か邪魔な感じがして。
短大の頃、家庭教師派遣センターのテレフォンアポインターのバイトしてたんだけど、バイト仲間に両耳に八つもピアスしてる子がいてびっくりした。ゆで卵むいたみたいなつるんとした色白の肌にお雛様みたいなちんまりした顔立ちで、烏の濡れ羽色のロングヘアーだから、一見するとかなり和風な子なのに耳元だけパンクしてるっていうか。
ある時その子に
「ピアスってつけっぱなしなんでしょ。寝る時とか邪魔じゃない?」
って聞いたら
「邪魔じゃないよ。お友達って感じで」
って愛おしそうにピアスを撫でるもんだからちょっと気持ち悪かった。
ピアスがお友達って発想が危なくない? ピアスって装飾品でしょ? お友達が常時耳たぶにひっついてるのも異常だし。何か現実を直視できない不思議な国の人と会話した気分。もちろんうちの親も不思議の国の住人だけど。彼女とうちの両親がピアス論戦わせたらどうなるんだろうなと思った。多分常人には理解できないディスカッションタイムが開催されそう。
でもまあオーソドックスに両耳一つずつなら、トライしてみてもいいかなあと考え始めたんだよね。ピアスってイヤリングよりちっちゃくってさりげない感じがいいかなと思って。つけっぱなしっていうのも考えようによっては楽でいいかなと。でもそのさりげなさと楽さを手に入れるためには最初に貫通の儀式を行なわなきゃいけないんだよね。
考えてみれば自分の体に穴を開けるってすごくない? ある意味処女喪失よりすごいよ。初体験で処女膜は確かに破れるけど、でも激しいスポーツやってた人ってセックス関係なしに破れたりするし膜には穴がとっくから開いてる訳だしさ。でもピアスの穴は違うんだよ。何でもない所に人工的に穴開けるんだよ。ただ単にオシャレをするために。
だから
「親からもらった体に、傷を作るなんて」
とか言うピアス否定論者も出てくる訳さ。まああたしはこの意見には納得しかねるけど。
だって親からもらった体より他人からもらった体の方を大事にするべきじゃない? たとえば臓器移植とか。あれって全くの第三者の善意だよ。まあ臓器売買とかもあるけどそれはそれとしてやっぱ全くの他人の善意の方が尊いでしょ。親は種子保存の本能に従って子作りしてるだけだし、ピアス開けたからって種の保存的には別に問題ないんだからいいでしょ、ピアスくらい開けても。
大体親からもらった体に傷付けちゃいけないなんて言われたら子供はどうすんの。体型的に子供は転びやすいんだよ。あたしは田舎育ちだったからしょっちゅう野原を駆け回っては転んでたよ。木に登ってみたり崖をよじ登ってみたり岩場でジャンプしたり河に落っこちて流されたり。
あたしは比較的おとなしい方だったけどそれくらいのことはやってたよ。田舎の子ってそんなもんだよ。別に大怪我はしなかったけどすり傷はしゅっちゅうこさえてた。でも怪我一つしないで室内にこもってゲームに興じてるよりは健全でしょ。子供として。
外で遊ばない子って、うっかり転んだ時手が出ないから顔面打ち付けたりするらしいじゃん。顔から転んだりしたら危ないってば。だから親からもらった体は子供の内は多少傷付けといた方がいいんだって。
大体傷を恐れてたら料理もできないじゃん。いつも買い食いか外食しろってか? そんなの体に悪いじゃん。それこそ親からもらった体を大事にしろよって話だよ。だから矛盾してんだよ。親からもらった体に傷を作るなとかいうのは。
でもね。分かるよ。要は意図的に傷を付けるなってことでしょ。つまりピアス否定論者にとってはピアスもリストカットも同じカテゴリーになるんだろうね。でもあたしリスカはすでに経験あったからさあ。というかリスカした時に誰かに親からもらった体うんぬんの話されたらすごい腹立ったと思う。生んでくれなんて頼んでねえよって話。
でもさ、そこでリスカが高じて自殺までしちゃうくらいならピアスした方が良くない? 人生を楽しんでる感じじゃん。それにピアスって普通のことだし、人間って色々禁止事項が多すぎると死にたくなるんだよ。だからピアスごときであれこれ言う人はちょっと考えた方がいいと思う。人間には楽しみが必要なんだってことをね。
ただそうはいっても、眉とか鼻とか唇とかニップルとかラビアとかにピアスしちゃう人は個人的にどうかと思うけどね。だって顔にピアスしたら顔洗う時邪魔そう。特に鼻なんて花粉症の時期とかすごく大変そうじゃない? 消毒する姿も間抜けっぽいし。唇は歯医者に行った時に邪魔そう。まあ耳のピアスもレントゲン撮る時には外さなきゃいけないから邪魔だけどね。
でも耳はレントゲンの時だけ外せばいいけど唇はそういう訳にはいかんでしょ。だから顔にピアスする人って何でわざわざ面倒背負い込んでるんだ、この人はと思う。まあ本人の自由だけどね。人間って案外面倒が好きだしね。耳のピアスにしたって興味無い人からすればわざわざ穴開けるなんてよく面倒なことするよなあと思うんだろうし。
けどニップルとラビアは怖いよ。すごく痛いって話だしメリットあるの? って思う。だって好きになった男にそれが原因で去られる可能性もあるじゃん。それともニップルとかラビアに穴開けける人は同好の士としか恋愛しないのかな。そうすると恋愛面で可能性が限定されちゃうね。ストライクゾーンは広い方がいいと思うんだけど余計なお世話なのかなあ。
たとえば金持ちしか相手にしない人に
「貧乏人には貧乏人の良さがありますよ」
と言ったところで相手にされないだろうし、つまりはそういうことかしら。
あたしも以前は面食いだったからストライクゾーンが狭くて損してたけど、でも昔はどうしても顔にこだわりたかったから気持ちは分かるんだけど、でも昔面食いでも体に痕跡残らないけどピアスは痕跡残るじゃん。だからあんまりうかつな場所にピアスしない方がいいと思うんだけどでもへそピアスはあたしの範囲内。
可愛いよね。へそピアス。そんなに邪魔じゃなさそうだし。でもあたしはしないけど。あたしへそにコンプレックスあるから。へそが縦長じゃなくて横長なの。かなりやせてた時期でも横長だったから多分一生このまま。横長のへそじゃピアスが映えないだろー。だからたまにへそピアスをしてる人を見るとピアスよりへそが羨ましくてジロジロ見ちゃう。いいなあ。縦長のへそ。
でもいいんだ。へそピアスをしたらへそ出しルックをしなきゃ意味無いから始終へそをさらさなきゃいけなくなるけど、女は腹を冷やしたらいかんからね。それに一度へそピアスをしたらうっかりデブることもできやしない。デブのへそピアス程、侘しいものはないよね。へそピアスをしたら最後スレンダー体型を維持しなきゃいけなくなっちゃう。それはちと厳しい。
人間もっとゆとりを持って生きないとね。その点耳のピアスはいいよ。市民権得てるから気楽にできる。でも初めて穴開けた時はやっぱ怖かったけどね。
あたしのファーストピアスは二十歳の時だった。ホントは十九歳だったってサバ読みたいんだけど事実だから仕方が無い。でも十代で開けた方が断然かっこいいよね。けど十九歳の頃は何かと忙しかったんだよね。新しい彼氏ができたものの遠距離恋愛だったり就活もしなきゃいけなかったし卒論もあったし。
そう就活。それを控えてる身としはやっぱピアスは先送りした方がいいかなと思うじゃん? ピアスってまだ開けてない人も多い時代だったから少しでも就活に不利になることは極力避けたいなみたいな。あたし一人暮らし続けるつもりだったから就職は何としてもしなきゃいけなかったし、短大の奨学金の返済もあったし。
だからようやく社会人になった二十歳の時に友達に
「ピアス開けない?」
って誘われてやっとファーストピアスを買いに行った。ファーストピアスって案外種類少ないんだね。真珠を模したデザインが大半だった。ファーストピアスは一ヶ月外しちゃいけないって話だしその間葬式とか出ることになったら困るから、擬似真珠が一般的なんだろうね。
そのファーストピアスを持って、友達お勧めの皮膚科に行ったら
「先生が学会でいない」
とか言われて出鼻をくじかれた。ピアスってやっぱ開けるって決めたその日に開けたいんだよね。
それでファーストピアスを買った店で紹介された病院に行くことにしたんだけど、そこって何と美容整形外科だったの。えー嘘ちょっと待ってって感じ。あたしたちは普通に耳にピアスを開けたいだけなのに何でそんな場所に行かなきゃいけないのと思った。そんな所に足踏み入れるの結構勇気いった。
でも結局行ったけどね。その病院は街中の雑居ビルの一隅にあって、えーこんな場所で整形手術すんのって驚いた。あたし別に整形願望無いけどでももしやるとしたらこんな場所じゃやだよ。落ち着かない。もっと閑静な環境の大きい病院じゃなきゃ。
病院に入った後は、ピアスを開けることが怖いんだかこんな場所にいることが怖いんだか何だか訳が分からなくてむしょうにドキドキした。待合室で読んだシワ取り注射の冊子も怖かった。だって副作用で呼吸困難になることもあるなんて書いてあるんだもん。メスを使わないシワ取りでそんな副作用が起きるんなら、本格的な整形やったらどんな副作用がある訳?
それなのに世の中には整形する人なんていっぱいいる訳でしょ。あたしなんてたかがピアス開けるだけでおたついてんのに信じられない。世の中って何かすごいなと思った。
ピアス開ける前に位置とか聞かれて
「なるべく、下の方」
ってお願いした時、背後のカーテン越しにうめき声が聞こえてきてぎょっとした。追い討ちをかけるように
「もうすぐ麻酔が効きますからもう少し我慢して下さいね」
とかいう声も聞こえてくるし。
すぐ隣で整形やってたのかよ? って感じ。そっちが気になってすっかり上の空になってたらいつの間にかピアッシングが終わってて、あたしの両耳にはファーストピアスが差し込まれてた。痛みはあんまり感じなかったなあ。そんなことより自分が美容整形外科に来てしまったって事実の方が衝撃的だったから。
まあでも多分普通に皮膚科とかで開けてもらってもたいして痛くないと思うけどね。小学生の時初めて血液型の検査した時も切られた場所は耳たぶだったし、耳たぶって多分痛覚鈍いんだと思う。
でもその日は一日耳たぶがカーッと熱かったな。病院出た後、友達と飲みに行っても何だか熱くて不快でおしぼりでやたらとこすってたら友達に
「あんまり、いじらない方がいいよ」
って言われた。
やりたいことをやっていい世界で生き始めて開けたいと思ったピアスを開けたけど、その中でもやっちゃいけないことがあるんだなあと漠然と思った。世の中ってやっちゃいけないことがいっぱい。キリスト教の世界にいたら更にやっちゃいけないことや思っちゃいけないことがいっぱい。
このピアス両親にどうやってカミングアウトしようかなあと思った。実家にはその頃ほとんど帰ってなかったけど、両親は年に一度くらいのペースであたしを訪ねて来てたからさ。でもこの一ヶ月は来る予定無いし来た時だけ外せばいいかな。そして耳の隠れる髪型してればいいかな。
そんなことをあれこれ考えてたら途端に両親が疎ましくなった。いやとっくにあたしは両親が疎ましかった。あの人たちはテレビ番組も規制するし服だって
「襟が付いてなきゃ駄目」
とか言うんだもん。禁止事項が多すぎるの。あの人たちは。
でも思ったんだけど、それだけストイックな環境で育てられたあたしがピアス開けたのってすごいことかもね。奔放な家庭で育った人がラビアにピアス開けるのに匹敵するかもよ。ということは刺激を得たければなるべくストイックに暮らすことだよね。ストイックに暮らしてるとちょっとしたことが刺激的。たかがピアス開けたことが刺激的。ピアス開けた日にお酒飲んじゃうことが刺激的。
いいの? 飲んじゃってみたいな感じ。こういう日は刺激物避けた方が良くない? でも飲みたいから飲んじゃえみたいなのが刺激的。抑圧された生活が長いとこんな小さなことがすごく刺激的。あたしってかなり感受性高いかも知れない。それは長所でもあって短所でもあるけどさ。
でも翌日会社で
「わあ、ピアス開けたの」
って皆が寄って来た時が一番楽しかったかも知れない。オシャレってやっぱ人に認めてもらえるのが嬉しい。ただそろそろ産休に入る三十代の先輩が
「わたしもお産の時、病院でついでにピアス開けてもらうつもりなの」
って言ったのには驚いた。
何かあたし出産ってもっと神聖なものって思ってたから。でも出産入院の最中についでにピアッシングを頼む人って結構いるらしい。何かそういうもんなんだねえ。出産で入院する時ってもっと出産に集中するもんだとばっか思ってたけど、病院にいるんだからついでにって感覚でピアス開けたりするんだあ。
でもさすがに、どうせ股開くんならついでにってラビアにピアスする人はいないだろうけどね。やりたがる人がいても医者が止めそう。すでにピアスしてる人はお産の時には外すんだろうし。どうなんだろ。生んでどれくらいしたらラビアのピアスって再開していいんだろ。
ピアスホール完成してからだって、何日もピアスしなきゃ穴ふさがっちゃうんでしょ。でも出産後すぐにピアスするのって何か良くなさそう。ラビアにピアスする人ってそこら辺どう考えてるんだろ。あとニップルにピアスする人も。ピアス外さなきゃ母乳で育てられないよねえ。というかニップルに穴開けた時点で母乳の観点からいって何か良くなさそう。変なとこから乳出ちゃいそうだし。
要はラビアとかニップルにピアスする人って先のこと考えてないのかな。それか出産願望が無いのかな。でも今生みたくなくても後で生みたくなったらどうするんだろ。結局先のことを考えてないってことか。そういうのって本人の自由だけどあたしは先のことは考えたいなあ。
何かキリスト教世界から抜け出して普通の世界で暮らし始めたけど、普通の世界でも制約あるね。ある程度やりたいことやってもいいけど先のことは考えなきゃいけないっていうか。普通の世界も不自由だね。でも仕方ないね。あたしはとんでもない場所にピアスしたりとかそこまでは突き抜けられない人間だし、耳のピアスだけで充分冒険心満足できたし。
一ヵ月後にファーストピアスを外した時のために可愛いピアス買いたいなあ。沢山買い揃えて色々つけてみたい。楽しみだなあ。あたしはそんなことを考えてウキウキしてた。
ピアスって開けるのは面倒だけど、開けた後のワクワク度は他のアクセサリーの比じゃないね。何か特別なことをしたって感じ。手間隙かけてオシャレをするのって面倒だけどすごく楽しい。
そんな風に浮かれていたら一ヶ月しない内に母親から電話がかかってきた。父親が死んだんだって。
驚いた。動揺した。でも悲しみは感じなかった。もうあの人と会わなくていいのかと思うと気がせいせいするくらいだった。ピアスのカミングアウトを父親にする必要がなくなったことと、その時耳につけていたファーストピアスが葬式に対応できるデザインだったことに喜びすら感じた。
実家に帰る道すがら中央線の列車に揺られながら欠落してんな、あたしと思った。普通の二十歳の女が父親の死を知らされた時に湧き上がるはずの感情を味わえないあたしは、欠落してる。自分が両親を好きじゃないことなんてとっくに分かってたことだったのに、その欠落感に打ちのめされた気分になってあたしは無意識に耳元のピアスに触れた。
模造真珠のピアスはしっかりとあたしの耳に差し込まれていて、あたしはふと自分は穴を開けたかった訳じゃなくて欠落を埋めたかったんじゃないかっていう気になった。それはピアスを「お友達」と呼んだバイト仲間よりもずっと滑稽なことに思えた。
父の死の知らせを受けてから電車に乗るまで、あたしはまだ一粒の涙も流していなかった。父の遺体に対面してからも涙が流れる自信が無くてあたしは耳元の模造真珠にすがるような気持ちになった。
真珠が涙の象徴ならあんたが代わりに泣いてよ。偽物の涙でいいからあんたが代わりに泣いてよ。そしてあたしのことをどうか普通の女に見せてよ。
そんなことを考えながらあたしの体は故郷に運ばれて行った。そして葬式が終わるまで結局あたしは涙一つこぼさなかった。
あれから十五年、あたしの耳には色んなピアスがはめこまれたけど穴の数は変わっていない。両耳に一つずつ光るピアスは一見あたしを普通の女に見せてくれる。でもあたしの中の欠落感は消えることが無い。
付ける前は邪魔じゃないかと危惧したピアスなのに、今ではピアスを外していると不安でたまらなくなる。あたしの中の欠落が、はたから見ても分かってしまうかのようなそんな気分。
今あたしの両耳には赤いハートを模したピアスが差し込まれている。購入時に黒いハートと迷ったのだけど、黒いハートでは心がくすみそうな気がして赤いハートを買った。けれどあたしのハートは燃えない。毎日どす黒く濁っている。
こんなあたしにしっくりくるピアスがどこかに売っていないだろうか。あたしの欠落を埋めてくれるピアスがどこかに売っていないだろうか。そんな物がありはしないのは分かっているのに、あたしは未だに自分の欠落におびえながらしきりに耳元のピアスが外れていないか確かめている。
あたしが夢見た自由な世界はこんなものじゃなかったはずなのに、じゃあどんなものを夢想していたのかも今では分からない。
た だピアスが、単なる装飾品だと思っていたピアスが、何よりも身近な存在になったことだけは確かかも知れない。ベッドにいる時も浴室にいる時もピアスだけはあたしの身から離れずあたしの欠落感に寄り添ってくれている。そんな気がする。
そんな自分を哀れに思うこともあるけれど、あたしはやっぱりピアスをして良かったと思ってる。両親を愛せない事実は変わらなくても耳元のピアスはいつもあたしの側にいてくれるから。
欠落を埋めてくれるものって一体何なんだろう。ピアスでは埋まらない欠落を抱えながらもあたしはピアスの存在に依存してる。耳元の二つのピアスがあたしを普通の女に見せてくれることが嬉しい。
普通の女。普通の女。形だけかも知れないけれどせめて見た目だけはあたしを普通の女に見せてくれるピアス。そんな異常を承知しながらも今日もあたしは耳元に触れる。これは愛しい装飾品。そして少しばかりあたしの欠落を補ってくれる小道具。
宗教ものなので、とっつきやすくするためポップにしたという部分もあります。
でも宗教もので、重めの文体の作品も書いてます。宗教は真面目に扱わねばけしからんという方もいらっしゃるでしょうから。
それもその内、投稿します。 もちろんそれ以外のテーマも幾つか作成済みです。
読者の皆様はどんなテーマがお好きか、教えて下さいね。