第13話 戦闘
「よし。後は一次発酵が終わるのを待つだけだ」
ベッカーは普段着に着替え、調理器具を洗い終わると、必要な所に薪を足していった。
「さ、一杯飲んで二時間ほど仮眠する……タイミングだが」
エールの瓶を一本持ち上げ、愛おしそうに眺めた。
「嬢ちゃんのためにもう一仕事終わらせるか」
子供部屋に鍵がかかっているのを確認し、防犯用の鎧戸が窓の全てで閉まっているのを確認し、玄関に鍵を掛け、夜の街に繰り出していった。
◇
下町の危険な路地裏に、怪しげな店が立ち並ぶ。ベッカーが歩いていると、客引きの女性たちから声がかかる。
店もなくなり、袋小路の最奥。そこがゲドー組の事務所。
ガラの悪い男たちが四人、ベッカーを囲む。
「ん? 何の用だおっさん、女と遊びたけりゃ向こうへ行きな」
片手にビールを持った酔っぱらいのおっさんが、道を間違えたのだろうと、凄むだけで済まそうとしていた。
「ああ、お前らと遊ぼうと思ってな、まあ、乾杯でもしようや」
振りまくったエールの王冠を抜き、男たちの顔に飛び出すエールを吹きかけた。
「なにしやがる!」
目にエールが入って、ひるんだ男たちを、エールの瓶で殴る。
足をかけ倒すと、靴底で鎖骨を折る。
「鎖骨折れたら腕が使えなくなるだろ。死にたくなけりゃ転がってな」
男たちのうめき声と、「カチコミだ!」という叫びが響いた。
「お~お~、出てきやがったか。あいにく、今死ぬわけにゃあいかねえんだ。発酵時間内で終わらせてもらうぜ」
十人ほど出てきた男たちの、腕や足を折りながら階段を上がり、組長のいる二階のドアを蹴破った。
「随分派手なご登場だな、ベッカー」
組長のゲドーが、黒塗りの机の前で豪華な椅子に座りながら、低い声でベッカーに挨拶をした。
「ああ。まさかあんたが俺に喧嘩を売るとは。随分、モウロクしたんじゃねえか?」
「こいつ!」
「親分に向かって何を!」
周りを固めた男たちが恫喝する。
「やめな。おい、ジャンク!」
「ヘイ」
「俺は、手を引けって言ったよな」
「しかし親父! たかがパン屋のおっさんじゃねえか」
「なんだい、内輪もめか? 三文芝居で時間潰す暇はないんですけどねえ」
場にそぐわない、緊張感のない声で茶々を入れるベッカー。
「発酵しすぎるとパンがまずくなっちまわあ」
「すまんな。おい、ジャンク、この件うまくやって、俺を追い落とそうとしたんだろ! 証拠は挙がってるんだ!」
「ああそうさ! 俺も来年は四十。いつまでもナンバー2でいられねえ」
「お前を買っていた俺が馬鹿だったのか、あと三年で新体制を整えてからお前に組を譲る気だったんだがな」
「親父のやり方は生ぬるいんだよ!」
「お前は智謀が足りん。補佐が必要だ」
ならず者同士の親子げんかに巻き込まれているベッカーは、だんだんイライラしてきた。
「だからよう、俺に対してどうけじめ付けてくれるってんだ! あんたら放っといて、構成員全員潰すか!」
「まてベッカー。そうだな。おいジャンク、お前こいつとサシで勝負しろ。殺しても構わん。お前が勝ったら俺は黙って隠居してやる」
「ホントか? こんなおっさんひねりつぶせばいいのか?」
「ベッカー、お前が勝ったらお前達には二度と手を出さねえと約束する。1000万ギルも払おう。他に何かあれば話は聞く」
ベッカーは、「やっちまって構わねえのか?」と確認を取った。
「ああ。好きなようにやっていい。他の者は手を出すんじゃねえぞ」
事務所で暴れられても困る、と、構成員全員裏庭に出た。
「ゲドー組がこの街の裏稼業のトップと知っての狼藉。このジャンク様が楽に殺してやるよ」
暗殺用のナイフを器用に振り回しながら、ベッカーを煽る。
「で、お前の武器は?」
「ああ、そうだな。麺棒は置いてきたし。じゃあ、この肩こり解消棒でいいか」
最近、他国から持ち込まれてブームになっている肩こり解消のための短い棒。いわゆる、ツボ押しのための道具だ。
「いや~、歳は取りたくないね。最近疲れがひどくてな」
「ふざけてんのか!」
肩をグリグリをと棒で押しながら、のんきに答えるベッカーに、いらだちを隠せないジャンク。
「殺すぞ」
「俺は殺す気はないから」
「はん、死ぬ気もないってのか。手加減してほしくてそんなもの持ち出しやがって。殺すぞ!」
「殺される気は満々だが、今日じゃねえ。それに」
「なんだ?」
ベッカーに殺気が宿った。
「殺された方がマシだってこともあるんでな」
「はじめ!」
今だとばかりに、ゲドーが声を出した。
「一発で仕留めてやる」
その言葉とは裏腹に、舐めることなく丁寧に間合いを取り合い、慎重に隙を窺うゲドーの腕は、裏稼業のナンバー2として確かなものだった。
「挑発して隙を作ろうとしたのか? すぐに刺しに行くとでも思ったのか? 甘いぜ」
二三度フェイントをかけながら、主導権を握るジャンク。刃には毒を塗っている。絣さえさせれば、勝ちは確定だった。
「おっと」
雪に足を取られ、姿勢を崩したベッカーに、チャンスとばかり最短距離でみぞおちを刺しに行った。
ベッカーは、半身でかわし、勢いよく踏み出したジャンクの喉にツボ押し棒を刺し入れた。
グワファァ!!!
戦いは一撃で終わった。全員そう思った。
「おらぁぁぁ!」
息ができなく、強烈な痛みで転がりまわるジャンクに、足蹴りを何発もくらわすベッカー。
「よく見て置け! 死んだ方がマシな戦いってものをよ」
戦意を喪失したジャンクに容赦ない攻撃を仕掛ける。
うつ伏せに倒れ込んだジャンクの背に尻を乗せると、足首を胸に引き寄せホールドした。
そして、ツボ押し棒をグリグリと、足裏のあらゆるツボに、力を込めて押し込んだ。
「痛い! やめろ!」
「お客さん、飲みすぎですか? だいぶ肝臓お疲れですね」
グリグリ。
「ぎゃあぁぁぁー!」
「おや、随分目もやられてる」
グリグリグリグリ。
「うわぁ、痛い! 死ぬ! くっ、殺せ」
「失礼な、終わったら健康になりますよ~」
ツボ押しは、ふくらはぎ、もも、背中、肩と続いていく。
笑顔でツボを押すベッカーの姿は、ネズミをいたぶっている猫、いや、絶対殺さない死神のようだった。
その拷問を黙って見続けないといけない構成員たち。止めようとする者は腕を折られ、逃げようとすると、追いかけられて引き戻される。
「折るのは骨だけじゃねえ。心を折るのが俺のやり方だ」
「な、なんなんですか組長!」
下っ端が声を上げた。
「こいつだけは敵対しちゃあいけない奴なんだ。二十年前、公国と小競り合いになっていたエーリッヒ領の奇跡的な和解を知ってるか?」
「へい。今にも戦争が起こる寸前に、なぜか公国が手を引いたと。噂では二人の若者が向こうの将校とナシを付けたっていう」
「それがこいつだ。ついた二つ名が|トルヴィート・ヴォルフ《狂犬病の狼》」
「ええっ!」
「おいおい、内緒だっていっただろ」
「同じ過ちを繰り返さねえためだ。いいか、ここだけの話にしとけ。他に広まったらああなるぞ」
ぼろ雑巾のように転がっているジャンクに視線が集まった。
「あそこでエルザと出会ったんだ。エルザのいる街で戦争なんか起こせないだろ」
「だからって、お前とカルロの二人で、小隊一つ潰すか! しかも死人は一人も出さずにだ」
「だって、誰も殺さないでってエルザが言ったから。まあ、誰も死ななかったから戦争が起こらなかったんだ。結果オーライだろ」
「全員、骨が折られ、隊長、副隊長ら数人が、今より酷い拷問を受け、見させられた兵士の心をへし折ったからだろう」
「まあ、昔の話だ。それよりも、これからの話だ」
「ああ」
「ゲドー、裏社会をまとめてるお前が抜ければ、街が騒がしくなる。裏には裏の理屈があるのは分かってる。お前らを潰す気はねえ。金も立て直しに必要だろ。大体お前らから金貰ったら厄介ごと押し付けられる。預かっている嬢ちゃんの安全が一番だ」
「そうか。他の組にも声を掛けておく。あとは、情報が欲しいのか」
「ああ。知ってる限り教えろ」
「あのエバ・プリマベーラ男爵令嬢を追ってきたのは三人。二人はお前がぼこぼこにした。もう一人は名前はわからねえ。片眼鏡をかけた執事風の男だ。もうこの街からは去った。おそらく首謀者に情報を流しに行ったんだろう」
「じゃあ、しばらくは安全ってことか」
「多分な。何か情報があったら伝える」
「よろしく頼む」
もう何もないなと去ろうとしたベッカーに、ゲドーが声を掛けた。
「せっかくだ。とっておきの情報をくれてやる」
「なんだ?」
「お前の女房と息子、川に落ちた事故死ってことになっているが、ありゃ間違いだ。突き落とされたんだよ。エーリッヒ領の男に」
ベッカーが走り込んでゲドーの胸倉をつかんだ。
「なんだって!」
「初恋こじらせて、お前の女房とガキの幸せそうな姿に嫉妬したみてーだな」
「なんで……なんで黙っていた!」
胸倉を掴んだ手に、力が入る。
「おいおい、俺らは情報屋もしているんだ。金さえ貰えればいくらでも教えたさ」
「そうだな。気が付かなかった俺のせいか」
「どうする? なんなら居場所しらべてもいいぜ。今回の詫びだ」
ベッカーは星空を仰いだ。
近くにいるはずの妻と息子を思い浮かべた。
「いや……いい。会ったら殺してしまうだろうからな」
「そうか」
「もう事故で決着がついた事件を、今さら本気で調べないだろ。憎しみで人を殺したら、死んだってあいつらと一緒にいることはできねえ。俺は誰も殺さない。殺されるのを待つだけさ。じゃあな、仕込みがあるから帰るわ」
「土産だ。持ってけ」
ゲドーは、雪に埋めていたエールの瓶を渡した。
「ああ。飲みたい気分だ。ありがとな」
王冠を開け、グイっと飲むと、手をひらひらと降って店に向かって歩いて行った。




