ママが契約公妃、私は契約公女!?
◇プロローグ
「ユラちゃん、公女になった気分はどう?」
「ど、どうって聞かれても。急すぎてよくわからないよ、ママ」
波打った白金色【プラチナヘア】の長髪を靡かせ、透き通った水色の瞳を輝かせているママ。
つい数日前まで、私とママは貧困街に住んでいて毎日の食事にも困っていた。
それなのに、今の私とママは国を挙げての結婚パレードに主役として馬車の上に立たされ、沢山の人から注目を浴びながら街を移動している。
おまけに、私の横にはこの公国の頂点に立つ公爵閣下が立っているのだ。
もう、訳がわからないよ。
困惑していると、深くて青い髪に鋭い目付きに紺色の瞳を浮かべるレイシア・セルリオン公爵閣下が笑顔を周囲に振りまきながら「安心しろ」と低い声を発した。
「すぐに理解できるはずだ。お前の母ジールが公妃になったこと。そして、ユラリア。お前がこの国唯一の公女となったことがな」
「え、えぇ……?」
私はただただ圧倒され、唖然としていた。
でも、ママから聞いた秘密の話だと、この結婚は『契約結婚』らしい。
つまり、ママは契約公妃、私は契約公女になるそうだ。
「ほら、ユラちゃん。笑顔で手を振らないと」
「う、うん」
ママに言われるまま声援に笑顔と手を振るも、私の心は穏やかじゃなかった。
この先、私とママはどうなっちゃうんだろう。
◇本編
「ユラリア、今日も手伝ってくれてありがとうね」
「とんでもありません。働かせてもらえているだけでも有り難いです」
笑顔で深々と頭を下げると、宿屋のおばさんは顔を綻ばせた。
私の名はユラリア・クルーゼス。
今年で八歳になる女の子で、世界で一番美人なママ譲りの波打った白金色【プラチナヘア】の長髪と透き通った水色の瞳が私の自慢だ。
ただ、髪色は泥で汚れて茶色にくすんでいるけれど。
今いる場所は宿場町にある宿屋の裏口。
早朝から日が沈んだ今まで宿屋の仕事を手伝っていて、それがようやく終わったところだ。
「誰も彼もが、ユラリアみたく仕事を任せられる子なら良いんだけどねぇ」
「私の座右の銘は信頼と誠実であることですから」
えっへんと胸を張って答えると、おばさんは「ふふ、そうだったわね」と笑みを溢して頷き、懐から財布を手に取って紙幣を取り出した。
「じゃあ、これは今日の給金だよ」
「ありがとうございます」
お金をもらう時は両手で受け取って深々と感謝の気持ちを持って頭を下げること。
そうすれば、またお仕事をもらえるかもしれないから。
金額を確認するのは顔を上げてからだ。
恐る恐る顔を上げて受け取ったお金を確認すると、紙幣で千ルドだった。
百ルドでパン一個を買えるぐらいの価値がある。
「朝から晩まで手伝ってもらったのに、いつも少なくてごめんなさい。うちも厳しいから」
「いえいえ。こうしてお金をちゃんともらえるだけ嬉しいです。気にしないでください」
私がにこりと笑うと、おばさんは「じゃあ、また頼むわね」と言って宿屋の中に戻っていった。
「……千ルド、か。私が大人なら、もうちょっともらえるんだろうなぁ」
ため息を吐くと、私はとぼとぼと重い足取りで貧民街にある自宅への帰途に付いた。
正直、朝から晩まで働いて千ルドはいくら相手が子供だからといってどうかと思う。
でも、あの宿屋のおばさんは『お金』をちゃんとくれる人だ。
私みたいな貧民街に住んでいる子を雇ってかつお金を払ってもらえるところは少ないし、中には誘拐目的で仕事を頼んでくる大人もいる。
私はお仕事をもらえて、お金をくれるだけまだましなのだ。
「あ、駄目駄目」
私は慌てて首を横に振ると、自分の頬を両手で軽く叩いて意気込んだ。
「弱気になっても何も解決しないの、ユラリア。私が頑張らないと、今月の家賃だって払えないんだから」
どうして子供の私が働いているのか。
それは私のママが心の病だとお医者様に言われているからだ。
ママが心の病になったのは、きっとパパが亡くなったことと私のせいなんだと思う。
美人のママは貴族だったパパに見初められて結婚したらしい。
程なくして私が生まれたけれど、その頃にパパは不慮の事故で亡くなってしまったそうだ。
『あいつらディエゴが死んで葬式が終わると、親族で徒党を組んで私を無一文で追い出したのよ。夫の遺産を全部横取りするためにね』
ママはお酒に酔っ払うと、いつもそう言ってから私を睨む。
『それでも、それでも私独りだけならこの美貌で何とかできたのよ。それなのに、どうして。どうしてあいつは死んだのに、あんたが生きて私の側にいるの。あいつじゃなくて、あんたが死ぬべきだった。そうでしょ⁉』
『……うん、そうだね。私が死ぬべきだったね、ママ』
私は怒号にそう答えて、いつも笑顔をママに見せている。
だって、ママは酔いが冷めると『ごめんね、ごめんね。ユラちゃん』と涙を流して泣くからだ。
きっと本当に辛いのはママだから。
暗さが増していく帰り道で家族を見かけると、いつも目で追ってしまう。
「ねぇ、パパ、ママ。今日はどこで晩ご飯食べるの?」
「今日はお前の誕生日だからな。特別なお店を予約しているんだ」
「本当、やったぁ」
「ふふ、パパに感謝しましょうね」
「うん。パパ、ママだ~いすき」
綺麗な身なりをしたパパとママに抱きつく私ぐらいの女の子。
家族揃って満面の笑みを浮かべている。
「……幸せそうでいいなぁ。きっと、仲良し家族なんだろうな」
パパさえ亡くならなければ、私にもあんな未来があったんだろうか。
暖かい家族のやり取りを目にする度、ついそう考えてしまう。
想像の中での私とママは綺麗な服に身を包んで、砂糖を沢山使った甘くて美味しいお菓子を沢山食べて幸せいっぱいだ。
「ぐぅ~……」
お菓子をお腹いっぱい食べている私とママの姿を想像した途端、お腹の音が鳴ってしまった。
夢の世界は心を少し楽にしてくれるけれど、残念ながらお腹は膨れない。
「お腹減ったなぁ。朝から小さなパンとお水しか飲んでないし……」
空腹のお腹をさすりながら前を見たその時、私は目を見開いた。
『見切り品。パン一個につき五十ルド』
パン屋さんの店員がそう書かれた札をお店の扉に貼り出していたのだ。
この好機、逃してなるものかと私は全速力でお店に入って、五十ルドのパンを三個買った。
一個は私ので、二個はママの分だ。
だって、大人の方がお腹減るもんね。
今日は家に帰ったら、良いことがあるかもしれない。
淡い期待を抱きながら、ママが寝ている自宅へと急いだ。
◇
「……ただいま」
小声を発しながら恐る恐る静かに扉を開けた私は、足音を立てないよう抜き足、差し足、忍び足で部屋の中に入っていく。
自宅は貧民街にある建物の二階だ。
彼方此方ぼろぼろだけれど、日当たりが良いところが密かに気に入っている。
家具は最低限しか置いてなくて、ベッドも一つしかない。
床を見渡せば、部屋中に空き瓶が転がっていた。
ママ、またお酒を飲んだみたい。
お医者様から飲んだら駄目だよって言われているのにな。
無一文で家と領地を追い出されたママは私を連れだって彷徨い、この貧民街に辿り着いた。
ここでやり直そうと思った矢先、浮き沈みの激しい気分を何とかしようとお酒に手を出してしまう。
一口飲んだのを切っ掛けにみるみるお酒の量が増え、あっという間に体を蝕まれてしまった。
お医者さん曰く、ママは以前から心を病んでいたと思われるそうで、弱っていた心がお酒を求めてしまったのだろうと、そう言っていた。
「……すーすー」
ベッドを見やれば、寝間着姿のママが静かに寝息を立てていた。
良かった。
仕事から帰ってきて起きていると、お金を持ってお酒を飲みに行っちゃうから。
ほっと胸を撫で下ろすと、私はこっそり移動して部屋の床の板を外した。
そこには小さな貯金箱が置いてある。
この中身が私とママの生活費だ。
「うん、この調子なら今月の家賃は大丈夫かな」
本当にちょっとずつだけど、貯金は増えている。
お金が貯まれば、私は鶏の番を飼って卵を売る商売をはじめるの。
鶏を増やしながら卵を売る商売を始めれば、きっとお金持ちになれるから。
そうすれば、きっとママも元気になってくれるはず。
『ユラちゃんは本当に賢くて良い子だわ』
『ありがとう、ママ。大好きだよ』
「えへへ……」
綺麗なママが私を抱きしめてくれる姿を想像してはにかんでいると「う、うぅ……ん」とベッドから声が聞こえてきた。
わわ、貯金が見つかったら大変だ。
慌てて貯金を隠して床で蓋をしたその時、ママがベッド上で急にのたうち回った。
「ああぁああああ、あぁあああああ⁉」
「……⁉ ママ、ママ、どうしたの⁉」
私は急いでベッドに駆けつけ、ママの手を握った。
『お酒というのはね。少量であれば健康に繋がるのだが、過度な飲酒は体を壊す。最悪、頭まで壊してしまう。そうなってしまっては、取り返しがつかない。気を付けるんだよ』
お医者様が去り際に言っていた言葉が脳裏に蘇る。
「うあぁあああ、あああああ」
「いやだ、ママ。ママ、壊れないで。ママ、ママァアアアア」
神様、お願いします。
どうか、どうか、ママを連れていかないでください。
私にはママが必要なんです。
お願いします。
目を瞑って必死にママの手を強く握りながら祈っていると、ママの叫び声がぴたりと止んだ。
どうしたんだろう。
ゆっくり目をあけていくと、ママが上半身を起こして天窓から差し込む月明かりを呆然と見つめていた。
穂波のように波打ったプラチナヘア、雪のように白い肌、目尻の上がった目に浮かぶ澄んだ水色の瞳、眉や目鼻立ちがはっきりした綺麗で容姿端麗な顔付きをしている私のママ。
ここ最近はずっとお酒を飲んで寝たきりだったのに。
今は月明かりに照らされて、とても綺麗だ。
見蕩れながらも私はゴクリと喉を鳴らして「ママ、大丈夫……?」と切り出した。
「……?」
ママは虚ろな顔できょとんとしながら私を見ると、「ユラリア……?」と名前を呟いてから目を大きく見開いた。
叩かれるかもしれない。
そう思ってびくりと身構えるも、ママは私の手を引っ張り胸の中に抱きしめて「ユラリア、良かった。生きていたのね⁉」と大粒の涙を流し始めた。
「ごめんなさい、私が馬鹿だったんだわ。貴女だけが私のことを本当に思ってくれていたのに。ごめんなさい、本当にごめんなさい」
力強くぎゅっと抱きしめられて、ママの温もりと震えが伝わってくる。
「う、うん。私は生きてる、大丈夫だよ」
「良かった、本当に良かったわ。でも……」
ママは鼻を啜ると、私の顔と体を不思議そうにゆっくり見つめた。
「ユラリア、小さくなったみたい。まるで子供の頃みたいだわ……」
「子供の頃って。ママ、何を言ってるの。私、この間八歳になったばかりだよ」
「八歳ですって……⁉」
ママは青ざめるとベッドから立ち上がって窓から外を眺めた。
窓の外には月明かりが照らす闇夜の中にちらほらと家の灯りが点いている。
貧民街の明かりは少ないけれど、宿場とその先の貴族街、街の中心にそびえ立つ城に向かって明かりはどんどん強くなっていく。
「間違いない、昔過ごしていた貧民街だわ。まさか戻ってきたというの。いえ、でも……」
外の景色を見つめるママの顔がどんどん険しくなっていく。
「あ、あの、ママ。大丈夫?」
「……えぇ、大丈夫よ。それよりもユラちゃん。少し教えてくれないかしら」
ママは相槌を打ってこちらに振り向くと、にこりと笑う。
『ユラちゃん』と呼ばれ、私の胸がドクンと鳴った。
心が壊れてお酒に溺れる前、ママは私のことを『ユラちゃん』と呼んでいてくれていたからだ。
帰ってきた。
ママが、私の自慢で優しいママが本当の姿で帰ってきてくれたんだ。
湧き上がる感情を抑えきれず涙が頬を伝い、ぽろぽろと溢れていく。
「ユラちゃん、どうしたの⁉ どこか痛むの⁉」
血相を変え、ママが駆け寄ってきてくれた。
「ち、違うの。嬉しくて、ママが元気になってくれて嬉しくて」
「……そうだったわね。この頃の私はそうだったわね」
私が泣きじゃくっていると、ママは私をまた優しく抱きしめてくれた。
「大丈夫よ、ユラちゃん。『今度』こそ、絶対に幸せを掴んでみせるから」
「……今度こそ?」
「ふふ、気にしないで。こっちの話だから。それよりも、今日は帝国歴何年で何月何日かしら。お酒を飲んで寝ていたせいか、日にちが良くわからなくなっちゃったのよ。教えてくれる?」
「う、うん。アウキリウス帝国歴九九八年四月一日だよ。時間帯は多分、一九時ぐらいだと思う」
ママに聞かれるまま、私は帝国歴、日付、時間を答えた。
「……なるほど、やっぱり戻ってきたのね。あと、ここは帝国に属する四公国で東に位置する『セルリオン公国』で間違いないかしら」
「うん、そうだけど。ママ、どうしちゃったの。本当に大丈夫なの?」
「えぇ、大丈夫よ。ユラちゃんが手をぎゅっと握ってくれたおかげで正気に戻れたから」
ママはそう言って微笑むと、すっと立ち上がった。
「さて、それじゃあ……」
「ママ……?」
私がきょとんとしていると、ママはしゃがみこんでベッドの下から大きな旅行鞄を取り出した。
ここに流れ着くまで、ずっと使っていた鞄だ。
「確か、この中に一着だけ残っていたはず」
鞄を開けると、ママはにやりと笑って立ち上がる。
その手には綺麗で鮮やかな赤いドレスが握られていた。
無一文で家と領地を追い出されるとき、ママが密かに持ち出して大切にしていたものだ。
「派手で少し古くさいけれど、今はこれで十分ね。どうかしら、ユラちゃん」
「とても似合っていると思うけど、それを出してどうするの?」
良い予感がせずに問いかけると、ママは窓をちらりと見やった。
「今日は、この公国を治める公爵がお城で舞踏会を開いているの。それに参加してくるわ」
「え、えぇえええええ⁉」
私は驚きのあまりに大声を発してしまった。
セルリオン公国の公爵とは、この国の頂点に立つ一番偉い人。
帝国全体で見ても皇族の次に偉い人で、私達からすれば雲の上にいる存在だ。
こんなこと、この国に住んでいる者であれば子供だって知っている。
「駄目、駄目だよ。絶対に駄目。公爵閣下は気に入らない人の頭に赤いお花を咲かせて殺しちゃうって、街の人達が言ってたもん。ママ、殺されちゃうよ」
「ふふ、そうね。でも、大丈夫。私は絶対に帰ってくるから」
「駄目ったら、駄目ぇえええええええ!」
大声を発すると、ママは私のおでこにつんと人差し指の先を当てた。
「ユラちゃん、ごめんなさい。これからのため、今日は絶対に行かないといけないの。だから、少し眠ってて」
「ママ……?」
私が首を傾げると、ママは小声で何かを呟いた。
すると、唐突に強烈な眠気に襲われ、私は「だぁ……めぇ、だよぉ……」と口にしながら目を瞑ってしまった。
◇
『……ここはどこだろう』
気付けば私は青い空の下、草原の真ん中に立っていた。
『ユラちゃん』
名前を呼ばれて振り向けば、そこにはドレス姿のママが優しく微笑んでいた。
『ママ、ママ!』
良かった、ママは無事だったんだ。
急いで駆け寄っていくも、ママは悲しい表情を浮かべて大空に浮かんでいく。
『ごめんなさい、ユラちゃん。ママ、遠いところにいかないといけなくなっちゃった』
『いやだ、いやだ。ママ、いかないで。どこにもいかないで』
やっとお話出来るようになったのに。
また、『ユラちゃん』って呼んでくれるようになったのに。
ママともっと、もっと沢山お話がしたいのに。
「待って、ママ⁉」
大声を上げて目を見開くと、目に飛び込んできたのは見慣れた部屋の天井だった。
天窓から朝の日差しが私の頬を照らしている。
「夢、だったの……?」
私はいつの間にかベッドで寝ていた。
「あ、それよりもママは……⁉」
ハッとして部屋を見渡すも、ママの姿はない。
飛び起きてベッドの下を覗き込み、旅行鞄を取り出して開いてみたけれど、あのドレスは残っていなかった。
ママは本当に公爵と会うため、夜の間に出掛けてしまったのだろうか。
愕然としながらも、私は『まさか……⁉』と思って貯金を確認すべく床を外した。
でも、貯金は一ルドも減っていない。
ほっと胸を撫で下ろすも、私はすぐに青ざめた。
家のお金はここにしかない。
つまり、ママはドレスだけの無一文でお城に出掛けたことになる。
「ママ、本当にどうしちゃったの……?」
窓から遠くに見えるお城を見つめながら呟くも、私は今日も朝から仕事があったことを思い出し、慌てて身支度を整えて家を飛び出した。
◇
日が沈み始め、夕暮れから夜へと変わっていく狭間の時間。
私は飲食店での仕事を終え、とぼとぼと街を歩いていた。
ドレス一枚、無一文で『公爵に会ってくる』と言って夜の街に出て行ったママのことが気掛かりで、今日は仕事にあまり集中できず、雇い主の店主さんから何度か怒られてしまった。
幸いお皿を割ったりとか、ヘマはしなかったけれど、もらえたのは昨日に引き続き千ルドだけだ。
「……ママ、どこに行っちゃったんだろう」
ふと足を止めて街中を見渡すも、行き交う人達の中にママの姿はない。
誰も彼もが、私のことをまるで地を這う鼠や飛び回る蠅のような目で訝しみ、見て見ぬ振りをして去って行く。
私がいまいる場所は貧民街ではなく、私達よりも少し裕福な人達が住む平民街だ。
彼らや貴族達は貧民街に住む者のことを人と思っておらず、その眼差しはとても冷たい。
中には優しくお金を恵んでくれる人もいるけれど、そんな人は滅多にいない。
「もしかしたら家に帰ってきてるかも……」
ふいにそんなことを思った。
いくらママが綺麗でドレスを着飾ったとしても、公国の頂点に立つ公爵に会えるなんてやっぱり思えない。
今頃、家でしょぼんとしているのかも。
そう考えたら、そうだとしか思えなくなった。
「……よし、ママを元気づけられるように今日だけは贅沢しちゃおう」
私はそう呟くと、家の帰り道にあるお菓子屋さんで焼き菓子のクッキーを一袋、千ルド分購入した。
お金を渡す時、手が震えたことはママには内緒にしておこう。
待っててね、ママ。
急ぎ足で家に帰ると、私は力強く扉を開けた。
「ママ、ただいま!」
大きな声を出したけど返事はなく、部屋の中は真っ暗だった。
「……まだ、帰って来てないんだ」
しょぼんと肩を落としながら部屋の明かりを付けたその時、『ぐぅ~』とお腹が鳴ってしまった。
そういえば、朝から水しか口にしていなかったな。
でも、買ってきたクッキーはママと一緒に食べる分だから、口にはできない。
「あ、そうだ。確か、パンが余っていたはず」
私は昨日の帰り道に買ったパンのことを思い出し、いそいそと昨日のパンを手に取った。
「二個はママの分で、一個は私の分」
パンを一個だけ手に取ると、私はゆっくり口に運んだ。
昨日の日暮れ時、それも値引きされていたパンだから、すでに硬くなっていた。
それでも、食べられないことはない。
決して美味しいとは言えないけれど、お腹を満たすことはできる。
かじる度にパンからカリッ、パリッという音が鳴って、口の中がぱさついていった。
これといった味もないけれど、少しずつお腹は満たされる。
でも、心が渇いていくような気がして、気付かぬうちに私の目は潤み、涙が頬を伝っていた。
「……私、もしかしてママに捨てられちゃったのかな」
ママの代わりに街に出て仕事を始めるようになり、気付いたことがある。
それは、お世辞抜きにママがとびきりの美人だということ。
たまにすれ違う貴族の人だって、服装こそ綺麗だけれど素の綺麗さはママに及ばない。
でも、だからこそ、心の病が治ったママが外に出れば、きっと沢山の注目を浴びることだろう。
『さようなら、ユラちゃん。ママはこの人と一緒に新しい世界に旅立つの』
『そんな……⁉ ママ、ママァアアアアア⁉』
頭の中でママが見知らぬ人と船に乗って海の彼方に消え去っていく映像が浮かんでくる。
ほろりと涙が頬を伝うも、服の袖で涙を拭った。
「弱気になったら駄目よ、ユラリア。だって、だってママは帰ってくるって言ったんだもの」
そう呟いた時、家の扉が叩かれてハッとする。
ママだ、ママが帰ってきたんだ。
私は慌てて立ち上がると、買ってきたクッキーを持って扉に駆け寄った。
ママは約束を守ってくれたんだ。
「おかえりなさ……」
扉を開けて間もなく、私は声を失った。
そこに立っていたのは日焼けした浅黒い肌を持ち、つり上がった鋭い目付きに茶色の瞳を浮かべた黒髪で怖面の騎士様だったからだ。
「……」
騎士様は何も言わず、私の足下から顔までじろりと見てくる。
その視線に背中がぞくりとしつつも、私は目を見開いた。
帯剣の柄に刻まれた家紋、あれはこの公国を治めるセルリオン公爵家のものだ。
もしかして、ママが何かやらかしてしまったのだろうか。
「あ、あの、何かご用でしょうか」
探るように訪ねると、騎士様はハッとして「これは失礼いたしました」と深々と頭を下げた。
「恐れながら、ジール様のご息女ユラリア・クルーゼス様でお間違いないでしょうか」
「え、えっと、ジールはママの名前ですし、私は娘ですけど。貴方は一体誰なんですか」
「申し訳ありません、自己紹介がまだでございました」
彼は跪いて目線を私に合わせると、仰々しく畏まって頭を垂れた。
「私の名はレオン・クリューゲル。この公国を治めるレイシア・セルリオン公爵閣下に仕える騎士でございます。そしてこの度、レイシア公爵閣下とジール様のご結婚が決まりました故、公国唯一の公女となられるユラリア様をお迎えに参った次第です」
「え……?」
騎士の言葉が理解できず、私の思考は固まってしまった。
ママが公爵様と結婚?
本当に?
え、でも、私が公女?
騎士が迎えに来たって、どういうこと?
頭の中で様々な疑問がぐるぐると駆け回って答えられずにいると、騎士は「ふむ……」と何やら自らの口元に手を当てた。
「言葉で説明するよりも、外を見ていただいたほうが早いかと存じます」
「外、ですか?」
言われるがまま、騎士様をよけて外を見やれば、そこにはセルリオン公爵家の家紋が描かれた豪華な、見たこともない豪華な馬車が停まっていた。
「な、ななな、なんですかこの馬車は⁉」
「ユラリア様、ジール様がお待ちですので失礼いたします」
「え、えぇえええええ⁉」
私が手に持つクッキーごと騎士様に抱きかかえられ、そのまま馬車に乗せられ、あっという間に公城の門を潜ってしまった。
つい昨日までは遠くから見つめるだけの、私とは無縁の世界なはずだったのに。
城内に続く大きな階段前で馬車が停車し、おずおずと降りると「ユラちゃん!」と名前を呼ばれる。
聞き覚えのある声にハッとして見上げると、城内に続く両開きの扉が開かれ、白いドレスと宝石を身に纏った女神様のようなママの姿があった。
「ママ、ママァアアアアア⁉」
私が溢れんばかりの涙を流しながら駆け寄っていくと、ママはその胸に私を力強く抱きしめてくれた。
「心配かけてごめんね、ユラちゃん。心細かったでしょう」
「うん。でも、いいの。こうして、ママに会えたから」
今までの寂しさや不安が一気に溶け、私の中から消えていく。
ママの温もりを全身で感じていると、「ジール様、感動の再会中に申し訳ありません」と厳かな女性の声が聞こえてくる。
ママの胸から顔を覗かせると、何やらメイド服で厳めしい雰囲気の女性が立っていた。
「ジール様、結婚式は二日後でございます。ユラリア様と合わせ、急ぎ衣装の準備をお願いいたします」
「はぇ……⁉」
二日後にママが結婚式を挙げるって、どういうこと⁉
開いた口が塞がらず唖然とするも、ママはさも当然のように「わかっているわ」と答えた。
「だけれど、今は大切な家族の時間なの。少し、下がっていてくれないかしら」
目付きを鋭くしたママが睨みを利かせると、メイドの女性は「う……⁉」とたじろいで頭を下げた。
「畏まりました。それでは準備ができるようになりましたらお知らせ下さい」
「えぇ、わかったわ」
メイドの人が下がっていくと、私を送ってくれた騎士様がこちらにやってきて畏まった。
「ジール様、それでは私もこれで失礼いたします」
「ありがとう、レオン騎士団長。娘を無事に連れてきてくれて」
「とんでもないことでございます。何かありましたら、また何なりとご用命ください」
騎士様はママにそう告げると、私に白い歯を見せて去って行った。
「ママ、一体何がどうなっているの?」
私が困惑しながら尋ねると、ママはにこりと笑った。
「ママは公爵様と結婚して公妃となったの。だから、ユラちゃんは公女になるのよ」
「わ、私が公女……⁉ でも、私はママの子で、公爵様の子供じゃないよ」
「あら、可愛いわね。私が公爵様と結婚するんですもの。当然、私の子であるユラちゃんは公爵様にとって義理の娘になるわ。つまり、公女ってわけ」
「で、でも……」
唐突すぎて状況が飲み込めずにいると、ママは周囲をちらりと見やって私の耳元に顔を寄せた。
「詳しい説明は後でするけれど、私は公爵様にある提案を持ちかけて契約したの。だから、私は契約公妃というわけ」
「契約……?」
私の知っている契約とは仕事の労働時間、給与、待遇を取り決めるものだ。
つまり、ママは公爵様から公妃という仕事を請け負ったということだろうか。
「じゃあ、私は契約公女になるの?」
「そう、さすがユラちゃん。察しが良いわ」
「え、えぇ……?」
「でも、さっきも言ったとおり詳しい説明はあとでね。ここには人の目もあるから。
誰にも言ったら駄目よ」
「う、うん」
満面の笑みを浮かべるママ。
私は頷きながらも早く詳細を教えてほしくてたまらなかった。
「ユラちゃん。ところで、その手に持っているのは何かしら?」
「あ、これは今日の仕事でもらったお金で買ったの。
ママに食べてもらおうと思って……」
どんな経緯にしろ、お城で今まで過ごしていたママにとって街で買った焼き菓子のクッキーなんて美味しくないだろうな。
そう思って決まりが悪く答えると、ママはきょとんとしてから目を細めた。
「ありがとう、ユラちゃん。貴女は本当に優しい子だわ」
「あ……⁉」
言うが否やママは私が持っていた袋を取って封を開け、クッキーを取り出してぱくりと頬張った。
「ま、ママ。街で買った安いクッキーだから、お口に合わないでしょ」
「そんなことないわ」
ママはそう言ってペロリと自分の口元を舐めた。
「ユラちゃんが私のためを想って買ってくれたクッキーだもの。この世のどんなお菓子よりも最高に美味しいわ」
「……⁉ ママ、ママぁ」
「あらあら、急にどうしたの」
私のママが、夢にまで見た優しいママが帰ってきた。
どうか、これが夢でありませんように。
優しいママを守るためなら、私はどんなことだってやり遂げてみせます。
私はそんなことを考えながら、ママの胸の中で大泣きした。
そしてこの日から、私の運命が大きく変わることになったのは言うまでもない。
少しでも面白いと思って頂けましたら、
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