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第1章:開花

【あらすじ】蘇生 温瑰:沈黙の開花と毒の宿命

幼い頃の蘇生そせい 温瑰はるきは、感情を表に出すのが苦手な口数の少ない少年だった。学校でのいじめに遭い、不登校を経験したこともある。日本有数の医薬家系の長男として生まれた彼は、日本人の父・湊人とベトナム人の母を持ち、父からの重い期待を背負わされていた。しかし、傍にいた母は彼に武道を教え、困難に立ち向かう強い意志を育ませた。


15歳の時、温瑰の運命は一変する。最愛の母が毒殺され、時を同じくして温瑰自身も学校の実験中に不慮の事故で六価クロムを浴びてしまう。奇跡的に一命は取り留めたものの、体内に残った毒が彼の身体を蝕み、皮肉にも「老化が止まる」という異質な体質へと変えてしまった。


母の死後、父・湊人は冷徹な仕事人間へと変貌し、温瑰と二人の弟妹を突き放す。孤独の中で温瑰は強く成長し、自ら妹たちの面倒を見ながら、5年前の母の死に隠された真相を密かに追い始める。


大学生になった温瑰は、ベトナム人留学生の**瑞希(みずき / ザー・クイン)と出会う。二人は研究を通じて絆を深め、共にボランティア活動に励むようになる。しかし、活動先の救援キャンプ「AK JI」で彼らが目にしたのは、見るに耐えない「現代の地獄」だった。


そこは、強制労働や残虐な拷問が横行し、誘拐や詐欺で私腹を肥やす犯罪組織の巣窟だったのだ。温瑰と瑞希は、代々伝わる東洋医学の知識と、母から受け継いだ武術を武器に、囚われた人々を救い出すために立ち上がる。


しかし、彼らはまだ知らない。この凄惨な事件の裏に潜む真の陰謀は、まだ始まったばかりであることを――。

人生とは、花や薬のようなものだ。美しく甘い蜜を持ちながらも血気を損なう花もあれば、見栄えは良くないが五官や血気を穏やかに整える花もある。

温瑰はるき、お前はもっと優秀にならなければならない」

それは、日本とベトナムの血を引く少年、蘇生 温瑰が一生忘れることのない言葉だ。父は毎日、その言葉を繰り返した。

毎朝、温瑰は両親へ挨拶に伺い、その後、父である湊人から前日に学んだ生薬の知識について試問を受ける。蘇生家は300年以上の歴史を誇り、東洋医学による治療を家業とする名家である。当主である蘇生 湊人は、サフラン、紫檀シタン、蓮の精油といった希少な生薬の製造と貿易を行う会社も経営していた。

温瑰は蘇生家の長男として、まだ多感な時期の子供でありながら、父を満足させるために誰よりも努力しなければならなかった。

伝統的な白い上衣の最後のボタンをゆっくりと留め、温瑰は乱れた髪を櫛で何度も丁寧に整えた。柔らかい髪が梳かされるたびに、規則正しい摩擦音が響く。少年はふと動きを止め、茶色の木の櫛を机に置き、力を抜いて呟いた。

「僕に……できるなんて、一度も思ったことはない」

「ハル兄ちゃん、何をそんなに長くしているの? みんな食堂で待ってるよ。早く行こう!」

甘いキャンディのような声が、沈黙を破った。温瑰が振り向くと、そこには二つ結びの髪をした、無邪気で太陽のような笑顔を浮かべた少女が立っていた。

「あ、菊。ごめんね、すぐに行くよ」

菊と呼ばれた少女はニッコリと笑い、兄の元へ駆け寄ってその手を握った。彼女はまだ8歳だが、誰よりも深く優しい心を持っていた。

「ハル兄ちゃん、また悩み事? もう、いつもそうなんだから。お母さんが言ってたよ、悩みすぎると心の病になって、五臓六腑にまで影響するんだって!」

温瑰は優しく微笑んだ。それは、妹の無邪気な言葉に対して彼がいつも見せる微笑みだった。

「その時は、薬を煎じて飲むしかないね。うちは薬屋なんだから」

「じゃあ、私がハル兄ちゃんのために薬を煎じてあげるね!」

「そうだね。頼りにしてるよ」

窓から差し込む陽光が、妹の頭を撫でる少年の後ろ姿を照らしていた。彼はこの妹を一生守りたいと願っていた。 優しい笑顔、穏やかな眼差し、そして手から伝わる温もり。 愛を感じること――おそらく、この感情に勝る良薬はこの世に存在しないだろう。

「この瞬間が、ずっと止まればいいのに」

________________________________________

広々とした客間。温瑰は静寂の中で、そっと襖を開けた。最高級の畳が敷かれ、障子が光を柔らかく遮っている。その何もない空間の中、古風なちゃぶ台と、床の間に掛けられた一幅の書が、名家の静かな富を象徴していた。

「温瑰です」

「父上、母上、おはようございます」

温瑰の心臓は激しく波打ち、胃がひっくり返りそうな不快感に襲われていた。両親と向き合う時、彼はいつも息苦しい講義室に閉じ込められたような、逃げ場のない圧迫感を感じるのだ。

「温瑰。今日は学校が終わったら、市街地近くの東洋医学研究所へ行って学びなさい。生薬の調合レシピを早急に覚えるのだ」

「でも湊人さん、温瑰は先日やっと血気を整える薬草について学び始めたばかりです。そんなに急がせては、あの子が……」

「あの子はもっと多くを知るべきだ。学びすぎて損をすることはない。……さて、私は用事がある。先に行く」

父が横を通り過ぎる間、温瑰は頭を下げたまま顔を上げなかった。扉が閉まる音が聞こえて初めて、彼はゆっくりと母に視線を向けた。

蘇生 結依は温瑰の母であり、蘇生家の夫人である。周囲からどれほど尊敬を集めようとも、彼女自身の人生で自由な選択を許されたことは一度もなかった。結依は、自分の子供たちまでもが自分と同じように縛られていくことに、憤りと苦しみを感じていた。特に温瑰には、自由に自分の道を選んでほしかった。

「温瑰、ごめんなさい……」

「いいえ、お母さん。自分を責めないでください」

温瑰の瞳には強い意志が宿っていた。赤みを帯びた黒褐色の瞳が、人の心の奥底を見透かすように鋭く光る。 それは果たして、本当に12歳の子供の目なのだろうか。

________________________________________

ベトナム、ダナン市。 「コム・ニャ・マイ(マイさんの家のご飯)」という小さな食堂。

「おい、白ごはんのお代わりをくれ!」

「はい、ただいま!」

客の呼びかけに答えたのは、落ち着いていながらも芯のある、甘く柔らかな声だった。その声の主である少女は、額の汗をさっと拭うと、客の皿を下げて厨房へと向かい、炊き立てのご飯をよそった。炊飯器から立ち上る湯気が、週の始まりの朝の香りを運んでくる。

「クイン、このご飯を7番テーブルに運んで。あと、5番と8番のヌクマムの瓶も空っぽだから、後で補充しておいてね」

「分かりました」

チュオン・ザ・クインは、まだ10歳を過ぎたばかりだが、学校の合間に地元の食堂を手伝っていた。両親は仕事で不在がちなため、親戚が営むこの食堂に預けられて生活している。その代わり、クインは食費と宿泊代を補うために、懸命に働かなければならなかった。

夕方まで店を手伝った後、クインはようやく裏の倉庫で少しの間眠ることができた。今夜は塾があるため、今のうちに体力を回復させておかなければならない。彼女にとって最大の喜びは、学校で知識を吸収し、人々と出会うことだった。周囲からは「女の子に学問は必要ない」と言われることもあったが、彼女は誰よりも物知りになりたいと願っていた。

「細胞モデルの概念について、もう少し深く勉強してみようかな」

あらゆる教科の中で、クインは特に生物学を愛していた。自然界の仕組みや、生と死がどのように構築されているのかを知ることに心を躍らせていた。時折、彼女は傷口から血が出た後、どうして元通りに治るのかを考える。もし、一生治らなかったら? 踏みにじられた花のように、そのまま枯れてしまうのだろうか。

クインはふと黙り込み、膝を抱えて俯いた。自分の名前クインが高貴で誇り高い花でありながら、すぐに萎れてしまう「月下美人」に由来していることを思い出したのだ。

「私も、クインの花のように、すぐに萎れてしまうのかな……?」


最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。


本作『蘇生そせい 温瑰はるき:沈黙の開花』は、「薬と毒は紙一重である」という東洋医学の思想と、過酷な運命に抗う人間の意志をテーマに執筆いたしました。


主人公の温瑰はるきというキャラクターを描くにあたり、私が最も大切にしたのは彼の「孤独」と「再生」です。日本とベトナム、二つのルーツを持ちながら、どちらにも居場所を見いだせなかった少年が、母の死と自らの身体を蝕む「毒」という皮肉な運命を経て、どのようにして他者を救う強さを手に入れるのか。その過程は、作者である私にとっても大きな挑戦でした。


特に、劇中に登場する六価クロムによる「老化の停止」という設定は、科学的な恐怖であると同時に、彼が背負う「時を止められた悲しみ」の象徴でもあります。癒えない傷を抱えながらも、瑞希ザー・クインという光に出会い、ベトナムのダナンという地で新たな一歩を踏み出す彼の姿に、何かを感じていただけたなら幸いです。


また、物語後半で描いた「AK JI」キャンプのエピソードは、現代社会に潜む闇を反映させたものです。東洋医学の知恵と武術という、一見古典的な力が、現代の悪に立ち向かうカタルシスを感じていただければと思い筆を執りました。


本作を書き上げるにあたり、日本とベトナムの両文化、そして伝統医学に関する多くの資料を参考にさせていただきました。この物語が、読者の皆様にとって「明日へ踏み出すための一滴の良薬」となることを願ってやみません。


温瑰たちの物語は、まだ始まったばかりです。彼らが辿り着く真実の先に、どのような花が咲き誇るのか。願わくば、次の物語で再び皆様とお会いできることを楽しみにしております。


最後に、多大なるサポートをいただいた関係者の皆様、そして何より、この本を手に取ってくださった読者の皆様に、心より感謝申し上げます。


著者より

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