山の知恵
「山へ行く?」
レオンが眉をひそめた。
「はい」
エドワルドはあっさりと答える。
「視察だ」
「視察、ですか……」
明らかに納得していない顔だった。
「危険です。野盗が出る可能性もありますし、獣も居ますし。それに領主が自ら山に入るなど——」
「だからだ」
エドワルドは遮った。
「机の上の報告だけでは分からん。実際に見ておく必要がある」
レオンは少し黙った。
そして、ため息を吐く。
「……分かりました。ですが護衛は付けます」
「当然だな」
小さく笑う。
「少数で行くぞ」
山へ入ると、空気が変わった。
ひんやりとした湿り気。
土と木の匂い。
風が葉を揺らす音。
町とはまるで違う静けさだった。
「……」
エドワルドは一歩一歩、地面を踏みしめる。
落ち葉が柔らかく沈む。
「悪くないな」
ぽつりと呟いた。
レオンが周囲を警戒しながら言う。
「気に入られましたか?」
「少なくとも、机よりはな」
少しだけ口元が緩む。
案内しているのは、同行している農民の一人だった。
山に慣れている男だ。
「この辺りは食える物が多いです」
そう言いながら、しゃがみ込む。
「これなんかは?」
指差したのは、小さな草。
「……ただの草に見えるな」
「これ、煮ると食えます」
「ほう」
エドワルドもしゃがみ込む。
葉を触る。
少しざらついている。
「そのままは?」
「苦いですね。煮れば抜けます」
エドワルドは頷いた。
「覚えておく価値はあるな」
農民はさらに進む。
「こっちは木の実です」
枝から実を取る。
小さな、固い実。
「乾燥させれば長く持ちます」
「保存食か」
「はい」
レオンが口を挟む。
「兵糧になりますな」
「量が取れればな」
エドワルドは周囲を見渡した。
確かに、いくつか実がなっている。
しかし大量に採れるかは別だ。
さらに奥へ進む。
すると、農民が急に手を上げた。
「止まってください」
全員が動きを止める。
「……どうした」
農民は低い声で言う。
「足元です」
エドワルドが視線を落とす。
そこには似たような草が並んでいた。
「これ、さっきのと似てるが」
「違います」
農民は首を振る。
「こっちは毒です」
「……」
エドワルドは少し目を細めた。
見た目はほとんど同じ。
「間違えたら?」
「腹を壊します。最悪、死にます」
静かな声だった。
エドワルドはその草をじっと見た。
「……」
ほんの少しの違い。
だが、それが生死を分ける。
「覚えておく」
短く言った。
しばらく歩くと、少し開けた場所に出た。
日が差し込む。
柔らかい光。
「ここは……」
「昔、誰かが使ってた場所です」
農民が言う。
「見張りにも使えます」
レオンが周囲を確認する。
「確かに」
「視界が開けていますな」
エドワルドはその場所を見回した。
山の中に、こういう場所がある。
「……使えるな」
ぽつりと呟いた。
帰り道。
エドワルドはゆっくりと歩いていた。
手には、小さな葉と木の実。
「……」
思ったよりも、得るものは多かった。
食べられる草。
保存食になる実。
毒草。
地形。
どれも、書類には載らない情報だ。
「やはり」
エドワルドは小さく言った。
「来て正解だったな」
レオンが横で笑う。
「危険はありましたがその価値はあったかと」
「ああ」
エドワルドは頷いた。
そして少しだけ空を見上げる。
木の隙間から光が差していた。
「……人は」
ぽつりと呟く。
「こういう物で生きてきたんだな」
町。配給。制度。
それも必要だ。
だが根本は違う。
「土と山か」
エドワルドは少しだけ笑った。
「まだまだ、知らない事ばかりだ」
そして前を向く。
「戻るぞ」
町へ。また、書類が待っている。
だが今は。少しだけ、気が軽かった。




