冷えていくもの
夜。
砦の上は、風が強かった。
戦は一旦、止まっている。
敵も動かず、こちらも動かない。
だが、静けさは平穏ではない。
エドワルドは一人、外壁の上に立っていた。
下では兵が交代で見張りを続けている。
火は最小限、声も小さい。
秩序は保たれている。
「……守れているな」
口に出してみる。誰も死んでいない。
内側の裏切りも処理し敵の罠も防いだ。
結果だけ見れば、完璧だ。
なのに。
胸の奥が、妙に静かだった。
達成感も、後悔も、怒りも、悲しみも。
薄い。
「……薄くなってきたな」
自覚していた。
あの男を斬った時。
前なら、多少の迷いがあった。
理屈を重ねて、自分を納得させる必要があった。
だが今回は違う。
計算。判断。処理。
それだけだった。
「……必要だから、やった」
それは事実だ。二度裏切った。
火を放てば砦は落ちる。兵も民も死ぬ。
だから斬った。
間違っていない。
“間違っていない”と即座に割り切れた自分が、少しだけ怖かった。
足音。
レオンが近付いてくる。
「眠れませんか?」
「まあな」
並んで立つ。しばらく無言。
レオンが口を開いた。
「兵は、安心しています」
「何故だ」
「裏切りは許されないと、分かったからです」
安心。その言葉が妙に重い。
「……俺が怖いからか」
「多少は」
レオンは正直だ。
「だが、それでいい」
エドワルドは遠くを見る。
国境の向こう。闇の向こう。
「恐れで秩序が保てるなら、それも手段だ」
レオンは何も言わない。
ただ横顔を見る。
「……昔は」
エドワルドがぽつりと呟く。
「皆に信頼される形で守れると思っていた」
「今は?」
「信頼だけでは守れないと知った」
風が吹く。冷たい。
「信頼は裏切られる。
だが恐怖は裏切られにくい」
自分で言って、少し笑う。
「嫌な言葉だな」
レオンが静かに言う。
「ですが、生き残る言葉です」
沈黙。
遠くで狼の遠吠えが。
エドワルドは続ける。
「守れなかった」
父も。兄も。領も。
そして自分は処刑台に立った。
あの高さ、あの冷たい木。
喉元に当たる刃。
鮮明だ。
「同じにはならない」
低く、確かに。
「そのためなら、何でもやる」
レオンが横目で見る。
そこにあったのは、怒りでも焦りでもない。
決意。
そして、冷たさ。
「……変わりましたな」
「そうか?」
「ええ」
レオンは小さく笑う。
「最初は理想を語る若様でした」
「今は?」
「勝つ為に考える指揮官です」
エドワルドは答えない。
勝つ。守る。生き残る。
その優先順位が、はっきりしてきている。
守る為に勝つ。勝つ為に斬る。
斬る為に迷わない。
「……少しずつ、遠ざかっている気がする」
「何がです?」
「昔の俺からだ」
風が止む。砦の上は、やけに静かだ。
エドワルドは自分の手を見る。
血は洗い流したはずなのに。
まだ、残っているような気がする。
だがもう、震えはない。
「……必要な冷たさだ」
自分に言い聞かせる。
「温いままでは、生き残れない」
レオンはそれ以上何も言わなかった。
ただ理解している。
この少年は、守る為に削れていく。
そして削れた先に残るものが、光か、闇か。
まだ誰にも分からない。
夜は、深い。
そしてエドワルドの中で、
何かが静かに凍り始めていた。




