動き出す現場
変化は、命令ではなく噂から始まった。
「じゃじゃ芋を増やすらしい」
「今年の作付けに、組み込むって話だぞ」
朝の畑。
鍬を肩に担いだ農家たちの間で、そんな声が交わされていた。
正式な布告は、まだ出ていない。
だが、空気は確かに変わっていた。
「領主様の方針だそうだ」
「……例の坊ちゃんの話が元だとか」
誰かがそう言うと、別の誰かが鼻を鳴らす。
「坊ちゃん、な」
「でもよ、あの肥料といい、芋といい……結果は出てる」
反論は、弱かった。
畑の端で、その様子をグレイスは静かに見ていた。
今日は指示を出していない。
質問にも、必要以上には答えない。
「……様子見、ですね」
隣に立つのは、以前から畑を任されている年配の農家だった。
「はい」
「不安か?」
「いいえ」
エドワルドは首を振る。
「判断は、彼らがすることですから」
老人は、少しだけ目を細めた。
「坊ちゃんは、妙なところで欲がないな」
「欲しいのは、結果だけです」
「結果、か」
老人は、畑に目をやる。
「もう出てると思うがな」
◇
同じ頃、屋敷の裏手では、別の変化が起きていた。
倉庫の前で、職人たちが集まっている。
「乾燥パスタ用の乾燥棚を増やすってよ」
「今のじゃ足りんらしい」
「誰の判断だ?」
「領主様だ」
その一言で、空気が引き締まる。
だが、次に続く言葉が、場を少しだけ和らげた。
「設計は、坊ちゃんが考えたそうだ」
「……あの歳で?」
「細かい寸法まで指定があったって」
職人たちは顔を見合わせ、苦笑する。
「世の中、分からんもんだな」
「だが、やりにくくはない」
「押し付けてこないからな」
それは、評価だった。
◇
昼過ぎ。
エドワルドは、兄に呼び止められた。
「お前さ」
剣を肩に担いだまま、兄は言う。
「なんか、周りが勝手に動いてないか?」
「……そう見えますか?」
「見える」
即答だった。
「父上が決めた」
「お前が考えた」
「で、現場が判断してる」
兄は、少し楽しそうに笑う。
「厄介だな」
「兄上も、そう思いますか?」
「思うとも」
だが、その目は冗談ではなかった。
「これ、一度回り始めたら止まらんぞ」
「……はい」
「覚悟は?」
「あります」
同じやり取り。
だが、重みは増していた。
兄は、弟の肩を軽く叩く。
「ならいい。俺は剣で守る」
「ありがとうございます」
「その代わり」
一瞬、真剣な目になる。
「無理はするな!前に出るのは、父上の役目だ」
エドワルドは、頷いた。
◇
夕刻。
執務室で、領主は報告を受けていた。
農家の反応。
職人の動き。
倉庫の整理状況。
「……順調です」
側近の言葉に、領主は静かに頷く。
「急がせるな!“やらされている”と思わせるな」
「承知しました」
報告が終わり、執務室に一人になる。
領主は、窓の外を見た。
畑。
倉庫。
人の動き。
(押していない)
(だが、進んでいる)
それが一番、強い。
(……やはり、面倒な才能だ)
だが、否定する気はなかった。
この領地は、少しずつ、しかし確実に――
「仕組みで、動き始めている」
その中心に、名は出ない。
だが、確かに。
エドワルドという存在が、根を張り始めていた。
そしてそれは、
まだ誰もはっきりとは言葉にしないが――
戻れない変化だった。




