兄の違和感
「……最近さ」
兄は、何気ない調子でそう切り出した。
剣の稽古を終え、汗を拭きながらのことだった。
木剣を立てかけ、腰を下ろす。
「お前、前より喋らなくなったよな」
「そうですか?」
「そうだ」
即答だった。
「前は、もっと子供らしかった。畑を見に行くにしても、誰かに聞いて回って、すぐ飽きて、別のことを始めてた」
兄は、遠くの畑を見る。
今も、そこに人影はある。
農家と話しているのは――弟だ。
「今は違う」
違う、と言い切った。
「遊んでるように見えるのに、何かを確かめてる目をしてる」
エドワルドは、言葉を選んだ。
「……気のせいですよ」
「気のせいじゃない」
兄は、少しだけ声を落とす。
「この前な、農家の爺さんに聞いたんだ」
胸の奥が、わずかに軋む。
「お前が何を言ったのか、って」
「……」
「命令はされてないって言ってた。でも、不思議そうに笑ってた」
兄は、真似るように口調を変える。
『考え方が変わっただけだ』
『やるかどうかは、俺たち次第だ』
「そう言ってた」
沈黙が落ちる。
兄は、責めるでもなく、探るようでもなく、ただ続けた。
「それがな。一番、厄介なんだ」
「厄介、ですか?」
「うん」
兄は、少し困ったように笑った。
「命令なら、逆らえる。方針なら、反対もできる」
「でも考え方を渡されると、戻れなくなる」
グレイスは、視線を伏せた。
兄は、剣を握る側の人間だ。
前線に立ち、命令を受け、結果を出す。
だからこそ、
“誰かの頭の中が変わる”ことの怖さを知っている。
「お前、何を目指してる?」
問いは、真っ直ぐだった。
「兄上」
グレイスは、静かに答えた。
「目指しているものは、前と同じです」
「前?」
「この領地が、壊れないことです」
兄は、言葉を失った。
子供の口から出るには、あまりに具体的だった。
「……誰かに言われたか?」
「いいえ」
「本で読んだ?」
「それも、少し」
「じゃあ」
兄は、弟を見る。
「どうして、そこまで考える?」
エドワルドは、一瞬だけ迷い、
そして、真実ではないが、嘘でもない答えを選んだ。
「失うのが、怖いからです」
兄の手が、止まった。
「父を」
「兄上を」
「この領地を」
一つ一つ、置くように言う。
「それだけです」
長い沈黙。
風が、稽古場の砂を撫でる。
「……そうか」
兄は、深く息を吐いた。
「なら、いい」
「いい、のですか?」
「いいさ」
兄は、立ち上がり、弟の頭に手を置いた。
少し乱暴で、だが確かな温度。
「俺は、前で剣を振る。お前は……後ろで、変なことを考えろ」
変なこと、と言いながら、声に軽さはなかった。
「ただし」
兄は、少しだけ真剣な目になる。
「一人で抱えるな!それだけは、約束しろ」
エドワルドは、頷いた。
「約束します」
兄は、それ以上踏み込まなかった。
分からない。
だが、危険でもない。
少なくとも――
今の弟は、何かを壊そうとしてはいない。
それだけで、十分だった。
兄は、再び剣を手に取る。
背を向けながら、ぽつりと言った。
「……不思議だな」
「何がですか?」
「お前を見てるとこの領地が、少しだけ先を見てる気がする」
それは、違和感であり、直感であり、まだ言葉にならない予感だった。
そしてその違和感は、やがて――兄を、ある選択へ導くことになる。
だが、それは、まだ先の話だ。




