歩けない現実
南町から戻ったその日の夕刻、レオン団長が執務室を訪ねて来た。
その顔を見た瞬間、嫌な予感は確信に変わる。
「……報告です、エドワルド様」
「頼む」
短く促すと、レオンは静かに言葉を選びながら話し始めた。
「先日、団員を向かわせた場所ですが……想定より、さらに酷い状況でした」
俺は、思わず眉を寄せる。
「更に?」
「はい。馬車での移動を前提に考えていましたが……正直、厳しい」
机の上に置かれた簡易報告書には、村の位置と人数、状態が記されている。
だが、目に留まったのは、そこに書き添えられた一文だった。
―― 移動不可者、多数。
「……歩けない、か」
「はい。数日分の食事を与え、最低限の体力回復を待たなければ、移動そのものが命取りになります」
つまり——
助けに行っても、すぐには連れ出せない。
「団員からは、“その場で倒れる者が出かねない”との判断です」
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
南町を受け皿として整えて来た。
流れも、ある程度は出来ている。
だがそれは——“歩いて来れる者”が前提だ。
「……数日、か」
「はい。最低でも」
数日あれば、何が起きる?
暴動か。略奪か。
それとも、静かな消失か。
どれも、既に各地で起きている。
「レオン」
「はい」
「その間の安全は?」
「団員を残します。村の周囲に警戒線を張り、外からの干渉は出来る限り防ぎます」
それは、もはや傭兵の仕事だ。
いや——軍だ。
「……すまんな」
思わず、そう口に出た。
「いえ」
レオンは、きっぱりと首を振った。
「民を殺せと言われて拒否した我々です。今さらです」
その言葉が、胸に重く落ちる。
「食料は、どれくらい要る?」
「最低三日。出来れば五日です」
「分かった。直ぐに手配する」
俺は立ち上がり、執務机の引き出しから指示書を取り出した。
「商人経由では遅い。領都から直接出す」
「医療兵も一部回す。簡易でいい滋養食を」
「承知しました」
レオンは一礼した。
彼が部屋を出た後、俺はしばらく立ったまま動けなかった。
——助けに行っても、助けられない。
いや、正確には。
助けるには、時間が掛かる。
その時間が、もう残っていない場所が増えている。
「……流れが、変わったな」
これまでは、“受け止める”段階だった。
だが今は違う。
こちらから出向き、留まり、回復させてから運ぶ。
それはもう、避難じゃない。救援作戦だ。
「……嵐の前、じゃないな」
静かに回していた歯車が、軋み始めている。
音はまだ小さいが、確実に。
俺は窓の外を見た。
南町の灯り。
一次受け入れの村々。
その先にある、南町の場所。
「……次は、選別か」
救える順番を、決めなければならない。
考えたくもない現実が、すぐそこまで来ていた。
俺は、再び机に向かい、白紙の指示書を引き寄せる。
——止まれば、終わる。
なら、動き続けるしかない。
嵐は、もう始まっている。




