報告という名の覚悟
父上の執務室は、相変わらず静かだった。
重い扉を閉めると、外の気配がすっと切り離される。
この部屋に入る度、子供の頃から変わらない感覚が胸に残る。
——逃げ場は無い。
「……父上」
声を掛けると、机に向かっていた父上は筆を止め、ゆっくりと顔を上げた。
「来たか、エドワルド」
それだけだった。
だが、視線は既に“察している”目だった。
「報告があります」
「座れ」
促され、向かいの椅子に腰を下ろす。
一拍置いて、俺は口を開いた。
「隣領に、人と物資を回しました」
一瞬の沈黙。
「……ほう」
怒気は無い。否定も無い。
それが、逆に重い。
「名目は保護です。ですが実態は、介入です。王政への正式な許可は、取っていません」
そこまで言って、視線を逸らさずに父上を見る。
「私の判断です」
父上は、すぐには答えなかった。
椅子に深く腰を下ろし、指を組む。
「理由は?」
「村が、消え始めていました」
短く、だがはっきり言う。
「暴動でも反乱でもありません。
ただ、機能を放棄し、“存在しないもの”になる村です」
父上の眉が、僅かに動いた。
「数字には出ません。報告にもなりません。ですが——確実に、人は死にます」
沈黙が落ちる。
やがて父上は、低く息を吐いた。
「……越えたな」
その言葉は、断定だった。
「はい」
否定しない。誤魔化さない。
「線を越えました。承知の上です」
父上は、しばらく俺を見つめていた。
その視線は、領主としてでも、父としてでもない。
——同じ場所に立った者の目だ。
「エドワルド」
静かに、名を呼ばれる。
「王政は、“混乱が起きた後”でなければ動かん。だが、混乱が表に出た時点で、もう遅い」
……やはり。
「お前のやった事は、正しいとも、間違っているとも言える」
父上はそう前置きしてから、続けた。
「だが一つだけ、はっきりしている」
机に、指を置く。
「お前はもう、“現場の人間”ではない。動かした瞬間から、責任は個人では済まん。それに私もお前の行動を認めた」
「……はい」
「噂も、期待も、敵意も——全てが集まる」
父上は、僅かに口角を上げた。
「面倒な場所に、足を踏み入れたな」
それは、叱責ではなかった。
「止めますか?」
俺は、そう聞いた。
父上は首を振る。
「いいや」
即答だった。
「止めれば、より多くが死ぬ。それに——」
視線が、鋭くなる。
「もう止まらんだろう。お前自身が」
図星だった。
「ならば」
父上は立ち上がり、背を向けて窓の外を見る。
「私がやる事は一つだ。王政への“帳尻”を合わせる」
「父上……」
振り返る。
「だが、“動いた者”を見捨てるほど、私は無能ではない」
胸の奥で、何かがほどけた。
「覚えておけ、エドワルド」
父上は、はっきりと言った。
「今日からお前は、“選ばされる側”ではない。選び、背負う側だ」
——それが、この世界の本当の戦だ。
「……はい」
深く、頭を下げる。
扉を出た時、背中に重みを感じた。
だが同時に、足は不思議と軽かった。
もう、迷う段階は終わった。
これは戦争じゃない。
だが——確実に、戦だ。
俺は廊下を歩きながら、次の指示を思い浮かべていた。
夜明けは、もう近い。




