数字にならない現実
俺は、その間も保護民の対応に追われていた。
食料の配分。
住居の割り振り。
体調不良者の把握と隔離。
一つ一つは小さな判断だが、止める事は出来ない。
気が付けば、夜が明け、また夜が来て——それを何度も繰り返していた。
「……もう、数日か」
そう思った頃、執務室にレオン団長が入って来た。
表情は硬い。報告前から、嫌な予感はしていた。
「如何だった?」
問いかけると、レオンは一度だけ息を吐いた。
「……かなりまずいです。酷いもんです」
その言葉だけで、十分だった。
「そんなにか?」
「はい」
即答だった。
「特に地方は、壊滅的な状態と言っていいでしょう」
机の上に置かれた報告書は、厚い。
だが、紙の枚数以上に、重さを感じた。
「食料は底を突きかけています。体調不良者も多く、医者の手が回っていません。
村単位で“何も動いていない”場所もあります」
「……」
「回収した情報を元に、グレゴールさんには既に話を通しました。
商人も向かわせていますが……正直、追いつくかどうか」
俺は視線を落とした。
「そうか……」
「はい。あの状態だと」
レオンは言葉を選ぶ様に、一拍置いた。
「各地方で火の手が上がるのも、時間の問題かと」
暴動。
略奪。
あるいは——もっと静かな崩壊。
どれも、想像出来てしまう。
「……ありがとう。よくやってくれた」
「いえ」
レオンは首を振る。
「見ただけです。現実を」
現実。
それは、報告書に書かれた数字でも、王政に上がる文面でもない。
現地で見た、人の顔。沈黙。諦め。
「……次だな」
俺は小さく呟いた。
もう、保護民“だけ”を見ている訳にはいかない。
この領地の外で起きている事は、確実に——こちらへ流れ込んで来る。
静かな時間は、もう終わりだ。
レオンが部屋を出て行った後も、俺はしばらく席を立てずにいた。
報告書に目を落とすが、文字が頭に入って来ない。
書かれているのは、どれも“予測出来ていた最悪”だ。
——その時だった。
執務室の扉が、控えめにノックされた。
「入れ」
入って来たのは、伝令役の若い兵だった。
息が少し乱れている。
「エドワルド様。急ぎの報せです」
「どこからだ?」
その言葉で、背筋が伸びた。
「内容は?」
兵は一瞬、視線を伏せてから答えた。
「村の代表が、領主館宛に文を出したそうです。と保護民が話しておりました。
ただし——」
「ただし?」
「“支援要請”ではありません」
俺は眉を寄せた。
「では何だ?」
「……最後の報告、との事です」
空気が、止まった。
「最後?」
「はい。『これ以上、税も報告も出せない。
村としての機能を維持出来ないため、今後は“存在しないもの”として扱って欲しい』
——そう書かれていたと」
……存在しないもの。
「住民は?」
「多くが既に離散。残っている者も、動けない老人と子供が中心だと」
俺は、ゆっくりと息を吐いた。
これだ。
数字に出ない。火も上がらない。暴動にもならない。
ただ——消える。
「……なるほどな」
兵は不安そうに俺を見ている。
「エドワルド様……これは」
「ああ」
頷く。
「これは、始まりだ。直ちに保護へ向かえ!」
一つの村が“無かった事になる”。
それが許されるなら、次も、その次も同じだ。
王政の言う「混乱は無い」とは、
つまり——把握出来なくなっただけだ。
兵が退出し、執務室には再び静寂が戻った。
俺は窓の外を見た。
南町の灯りは、今日も点いている。
だが、あの村には——もう灯りが無い。
「……待つだけでは、救えないな」
これはもう、後処理じゃない。
火消しでもない。
流れそのものを、変える段階だ。
俺は机に向き直り、新しい指示書を取り出した。
——次は、こちらから動く。




