動き出す者たち
朝だった。
領主館の中庭には、まだ夜の冷えが残っている。
日が昇り切る前のこの時間帯は、館全体が一息つく、僅かな隙間だ。
「エドワルド様」
呼び止められて足を止めると、そこにはレオンが立っていた。
その背後には、数名の団員が控えている。
「どうしました?」
そう返すと、レオンは一歩前に出て、簡潔に告げた。
「我々団員、体調は回復しました。任務に支障はありません」
「何なりと、指示を」
エドワルドは一瞬、彼らの顔を見渡した。
顔色は悪くない。動きにも迷いは無い。
「……そうですか」
短く頷き、少し考える。
「では、数人ずつの組で、隣領全体の情報収拾は出来ますか?」
「はい。その程度でしたら」
「直ぐに対応出来ます」
即答だった。
戦場での判断と変わらない、迷いの無さ。
「では、直ぐにお願いします」
そう告げた後、エドワルドは一拍置いた。
「情報収拾と言っても、軍事ではありません」
「見るのは——民です」
団員の一人が、僅かに首を傾げた。
「民、ですか?」
「食料の状況。配給が行き渡っているか。それと、健康状態」
「……」
一瞬、空気が変わる。
剣を振るう任務ではない。
敵を探す仕事でもない。
だが、その重さは誰もが理解していた。
「……解りました」
レオンが静かに答えた。
「戦うのではなく、見る。聞いて、覚えて、持ち帰ります」
「お願いします」
エドワルドは深くは言わなかった。
言わずとも、彼らなら分かる。
この情報が、何を左右するのか。
団員たちは敬礼もせず、静かに散っていった。
目立たぬように、しかし確実に。
中庭に残されたエドワルドは、空を見上げる。
雲は薄く、天気は崩れそうにない。
「……剣の無い戦、か」
小さく呟き、歩き出す。
噂より先に、数字より先に。
“現実”を掴まなければならない。
動き出した者たちは、まだ知らない。
この小さな命令が、やがて領地全体を巻き込む流れになる事を。
レオンは即座に動いた。
呼吸を整える間もなく、短く、しかし的確に指示を飛ばす。
地図を広げる必要すら無い。
頭の中には、すでに経路と配置が出来上がっていた。
「三人一組。東西南北、均等に」
「街道沿いは二組ずつ。村は深入りするな、聞いて戻れ」
「接触は最小限。目立つな」
団員たちは一言の無駄も無く頷き、それぞれの方向へ散っていく。
気付けば、庭に残る人数は半分以下になっていた。
数十組に分かれた影が、朝の街へ、街道へ、そして隣領の奥へと溶けていく。
「……」
エドワルドは、その様子を黙って見送った。
「数日もあれば、大まかな輪郭は見える筈です」
レオンがそう告げる。
「飢えが局所か、広域か」
「一時的か、構造的か」
「——隠されているかどうかも」
「十分です」
エドワルドは静かに頷いた。
必要なのは完璧な報告ではない。
嘘の混じらない“現実の温度”だ。
やがて、中庭には再び静けさが戻った。
だがそれは、何も起きていない静けさではない。
水面下で、確実に流れが動き始めていた。




