空気に解けるコットンキャンディ
それでも私はあなたが好き
口の中に入れた途端に解ける綿菓子が嫌いでした。
綺麗なそれをふわふわのまま口で転がしたらどんなふうだろうかと、もしかすると雲みたいなんじゃないかしらと期待した子どもの私を裏切って、口から消えてっちゃったのですから。
私がほしかったのは甘さではなかったのに。
あの子はそういう菓子にそっくりな女です。
手に入れたと思った瞬間に溶けちゃうような、薄情な女なのです。
あの子と私が仲良くなったきっかけは私の挨拶をあの子が褒めてくれたことです。
お気に入りのスカートをちょんと摘んで澄ましたお辞儀を披露したら、手を叩いてあの子は喜んでくれました。
その頃の私は、必死で覚えたお辞儀なのに周りの誰も彼もが及第点だと言いたげな顔をするので不貞腐れていたのです。
私の周りには上等な大人しかいないそうだから、喜んでくれているこの子は審美眼の欠けているバカな子で、だからこの程度のことで褒めるのだ、そう思いながら私は頰を赤くしました。
私のようなこまっしゃくれた生意気な子供に、素直で大人に従順なあの子が犬みたいについて回るのを、苦い顔してみてる大人がいることを知っていました。ですが私は、あの子に態度を改めさせようだとか、私自身の態度を変えようだとか、そんな気は一切起きませんでした。あの子のふわふわした髪も、ひらひらした可愛いお洋服も、綺麗に整えられた爪先も、全部私のものだったからです。それであの子が私の一番のお気に入りだったからです。家では可愛がれない私のお気に入りとの楽しい時間を些細なことで奪われるのに我慢ならなかったのです。
私のものを私がどうしようと勝手だろう、と誰かに聞かれたら子どものくせに傲慢だなんだと誹られるようなそれを当然だと思い込んでいました。
小言に機嫌を損ねるまるきり子供らしい情動で、大人はすべからく嫌いな私でしたが、特に嫌いなのは私とあの子が一緒にいるのを非難するようにみる大人でした。
だからそんな大人のまえでは、当てつけるようにあの子を可愛がりました。頭のてっぺんやつむじを撫でてやって、柔らかい髪を梳いて、艶々の爪先を一本一本差し出させ、宝石なんてのはきっとこんな手触りなんだろうと、うっとりするのが常でした。
爪先をそんな風に触られるのは落ち着かないらしく、何度もか細く私の名前を呼ぶあの子は特に可愛らしいのですが、やりすぎると不貞腐れてしまうので、特に嫌いな大人に見せつけるときだけと決めて、指の上にちょこんと乗った私の宝石を撫でていました。
私たちの大人が苦笑するような関係は3年ほどで終わりを迎えました。あの子と私の進学先が違っていたからです。もちろん私はあの子といたかった、あの子だってそうでしょう。ですが私は子どもで、大人が決めたことに従うしかありませんでした。だから私は大人が嫌いなのだとすとんと理解しました。あの子を私から遠ざけるから。あの子を泣かせてしまうから。
それでも進学先が違うだけならまだよかった。あの子の家族はまるでやましいことがあるかのように海外へ飛んでいってしまったのです。文通の約束を取り付けてはいても住所はまだ分からないと泣いたあの子に、私はただその涙を拭いてやることしかできませんでした。あの子の荷物には私の住所を書いたメモが入っています。
とても辛くて悲しいながらも、あの子からの手紙を心待ちにする日々はあっという間に過ぎて行きました。一日が終わるのが待ち遠しく、朝は早くに起きて配達員を待つ日々は一週間、一ヶ月、半年と過ぎていくなかで、形を変えて、私は起き出してはいても配達員が来ていても一目散に玄関へ走るようなことをしなくなり、椅子に座ってただ時間になるのを惰性で待っておりました。
彼女の手紙を熱心に待っていた頃は窓の外を背伸びして眺めても玄関のポストが見えなかったから、椅子をずるずると引きずってそれでやっとポストが見えたのです。
背が高くなる頃には立っていても座っていても窓からポストが見えましたけど、私はあの子からの手紙が来ると確信できなくなっていたので、ひどく苛立って不安で、あの子を詰りたくて仕方ありませんでした。
馬鹿みたいに部屋の中をひたすらにぐるぐる動き回ってあの子の郵便を待つだけがこれからの私の人生なのかしらと思うこともありました。
それで二度ほどすべてが嫌になって忘れてしまおうと思ったのです。それでそのとき覚えていたことを出来る限りさらってそのあと捨ててしまおうと考えました。万が一にも思い出さないようにあの子のことを思い起こすものから遠ざかってしまおうとしたのです。
傲慢でした。結果として私はそれを痛感させられたのです。
私が覚えていられたあの子は私に愛でられているあの子だけでした。あの子のお気に入りの服や好きだったお菓子のことなんかとっくに朧気なのに、私が撫でた髪の甘い匂いだとか頰の柔らかさだとか首の皮の弾力だとか手で包み込んだ肩の角度だとか足の爪先の大きさだとか、そんなことばかり私ははっきりと覚えているのです。あの子は私に撫でられると幸せそうに笑いましたが、私が何もしなくても私に関わりのないことで笑うあの子だって何度もみたはずなのに、私はそれを一切覚えていないのです。
あの子のりんごみたいに赤くなった頰と泣き出しそうな赤い目尻とをいつでも好きなときに好きなように撫でていたいと何度も何度も私は思っていました。
だから多分、あの子が泣いていたっていいのでしょうね。あの子が傷付いて痛くて悲しくて、それで泣いていたって別にどうでもいいのでしょう、あの子を愛でていられるなら私は満足なのでしょうよ。
あの子からの手紙は再会するそのときまで、ついぞ貰えませんでした。
私の時間はあの子のせいで全部色褪せてしまいましたから、友達とのおしゃべりもショッピングも楽しくなくて、以前よりも勉強机の前で座り込むことが増えました。意味もなく上がっていく成績に両親は喜んでくれましたが、私は何がそんなに嬉しいのかよくわかりませんでした。
その成績のせいで私は通っていた女学校のなかで"優等生として"扱われていました。優良な成績をとる私は教員からよくよく他の生徒の模範になるように、と言い含められましたが、これは教員の言うことすべてに頷けということです。そんな馬鹿らしいことはありません。ついつい反抗的な態度をとる私に罰として雑用を言いつけられることもよくあることでした。
あの子との再会はその雑用のため休校日に呼び立てられたことで叶いました。
成長したあの子の可愛い声は骨なしのように振る舞う猫の体みたいにふにゃふにゃしたものから、金属を打ち合わせたようなあたりに響く音にかわっていて、成長したあの子の指は、ぷくぷくとした赤ん坊の柔らかさを捨ててすらりと伸びていて、何よりふわふわで長い髪が短く切られて白いうなじがよく見えました。
一目で私は短髪の彼女があの子であると確信しました。あの子に会えたら言いたいことは沢山ありました。なぜ手紙をくれなかったのか、とか、どんな生活をしてただとか、なんで髪を切ったのかとか、そんなことです。でもいまだけは全部くだらないことでした。手紙だって何か事情があったに違いありません、大事なお気に入りの一つだった髪があの子からなくなっても、また伸ばせばいいだけです。
私はただこのときあの子との再会を喜びたかった、きっとあの子もそうだと思って喜びを分かち合いたかった、でもあの子、怯えた目をして私から逃げてったんです。それでね、他の方から名前を聞いたら、名字はともかくとしても、名前までを変えてしまっていたんですよ。
私はあの子の名前も好きでした。私の名前と同じ字が一文字あるあの子の名前が、あの子は生まれた時から私のものなんだと思えてならなくて、とても好きでした。変わったあの子の名前には私なんてどこにも見当たりません。せめてこの名前をつけたのがあの子自身でないことを願うばかりでした。
ぼうっと惚けて授業なんかろくに聞きもしないで、いつのまにか放課後になっている、そんな日を何日か過ごしていると、私に手紙が届きました。あの子からの手紙です。丸っとした小さい、可愛らしいあの子の筆跡で、便箋の裏に新しい名前が書きつけられていました。
私はあの子になんて言って欲しかったのでしょう。
砂糖菓子みたいなあの子の息は、手のひらの熱で溶けていくお砂糖のように私の肌にこびりつく。
***
(砂糖菓子のようなあの子 視点)
あの子と別れてお父様とお母様に外国に連れられたときから、私の終わりのない苦痛は始まりました。
肌の色がおかしな私たちは彼らにとって受け入れがたいものだったらしく、暴力を振るわれることもままあることでした。あの子が優しく撫でてくれた髪は、私を引きずって遊ぶためだけのおもちゃになりました。あの子が指先で遊んだ爪は、入り込んだ油汚れで黒く汚れてしまいました。それであの子が私にくれた白いメモは黄ばんで、元の文字もわからないくらい掠れてしまっていたのです。あの子の角ばった字は不恰好で、不器用なあの子らしいものでした。読めなくなったって覚えています。あの子が住んでいた場所の名前はもうとっくの昔に頭に刻んでしまっておいています。
なのに私はあの子への手紙を書かなかったのです、いえ、ちがいますね、私には書けなかった。用意できた精一杯の紙は、あの子が私にくれた、ボロボロになったそれと比べても数段見劣りするのです。それだって私の洗っても洗っても汚い手が汚してしまいました。そんなものをどうしてあの子におくれるというのでしょう?
いえ、書けたとしたってあの子へお手紙を送るお金なんて私たちにはありませんでした、あったとしてもおつらそうなお母様やお父様にそんなお願いをすることなんてできなかったでしょう。お二人はあの子のことがお嫌いでしたから、どちらにせよ、お許しにならなかったでしょうが。
勝手なことです。お母様もお父様も、そして私も。あの子だったらきっと、盗んでだって、奪ってだって、私に手紙を送ってくれる、それがどんなに汚い紙でも、何にも恥じることなく、臆することなく、あの子が私にあきるまで、必ず、そうしてくれることでしょう。
私はあの子だけでは生きていけない、だからこのまま貧しく、あの子に手紙を送らないまま暮らしていくつもりでした。それで良かったのに、今がどんなにつらくても、あの子への手紙を捨てた私にはそれで良かった。
お父様とお母様は、お友達やご親戚の方々にお手紙を送っていたそうです。だから私たちはお国に帰れるのだそうです。私は送れなかったのに。そんな素振りを見せないで、私に一言も告げてくださらなかったのに、私にもそれを許してくださったなら……!いえ、いいえ、これは違いますね、筋違いの逆恨みです。
あの子の名前と同じ字は、私の名前からもう消えてしまいました。私の新しい名前は、お父様とお母様が新しく考えてくださったものです。私がお願いしてつけていただいたものです。全く違う名前がいいと、あの子の名前をよばなくなったこの口で、お願いしました。
こんな私をあの子には見て欲しくない。私のことをお気に入りの人形みたいに可愛がって、私の切り落とした髪を何度も何度もとかし撫でてくれたあの子に、手紙一つだって送らなかった私が、どんな顔をして会えと。
帰国を伝えてもろくに反応しない私にお父様はおっしゃいました。
「きっと幸せになれるからね」
にこにこと笑顔を浮かべるお父様をみたのは何年ぶりでしょう。
私は言葉に詰まりながらも、はいと返事をしました。
私は承諾したのです、肯定しました、頷いて拒絶しなかったのです。
それが正しい道なのだと説かれて、何も言えなかった。
***
「結婚なさるんですって、あの方、ひどく年上の方だとか。」
「いやね、女って。自由なんてないのね。」
「あの家くらいよ、そんなのってもう時代遅れだわ。」
「娘を売ったのよ。恥ずかしくないのかしら!」
***
お前は、何度私を裏切ったら気がすむのでしょうね。
***
あなたと私、何にもつり合わない。
あなたのお家はお金に卑しい成り上がりもので、私のお家は、誇り高く清貧な旧家。
あなたは私のためなら死んでくれるんでしょう?でも私、あなたのために何にもできない。
顔も知らない旦那さまのための誠実を、死んでしまったとしても守りたいの。
こんな私と知っても、まだ、笑っていられるでしょうから。こわいのに。
……それでも私はあなたが好きです。