昭和の学校6
中学校になると、科目が違っても小学校のようにほとんどが同じ先生が教えるわけでは無い。この科目毎の先生がとてもキャラが濃い先生が多く、僕のように勉強は嫌いだが人間観察が好きな者にとっては、とても面白い学校だった。そのひとりが、英語の中山先生通称(まゆげ}である。この先生は、風貌がとても眉毛が濃くあだ名をその名のとおり(まゆげ)と僕達生徒は呼んでいた。先生は一見、実に温厚に見えたが、しかし人は見かけによらずで、とても勉強には厳しく、週に一度テストをしてある点数以下の赤点の生徒は発表し、放課後学校に残業という形で残すのである。
先生の授業が始まった。英語の教科書の中に掲載されている果物や野菜を見てみんなで発音する。
「それではみんなでー ハイこれはバナナ ハイこれはトマト」良くできました。
みんなも真剣に先生の後に続き発音している。僕は、その時はすでに外来日本語となっている英語のフレーズを聞いて、英語って簡単、簡単、これなら授業は寝てても赤点だけは避けられるとそう思いっていた。しかしそれは浅はかな考えだった。文法だの発音だのだんだん授業も難しくなって来たのだ。なんで、外国人は五歳児でも簡単に会話できていることが私にはできないのか、その時はわからなかった。それに先生の発音は、全くネイティブな発音ではなく、実際に街で外国人と話しても通じないレベルである。こんな難しい学問は、頭が悪い僕に理解できるはずも無いと勝手にそう思いこみ、しばらくすると、英語の教科書を見るだけでも、吐き気がするほどいやになっていた。土曜日の四時間目である。この時代は、ゆとり教育などどこ吹く風のように、日曜日こそ学校は休みであったが、土曜日は昼まで授業がたっぷりあった。土曜日になると明日が休日なので、たとえ昼までの授業であっても嬉しくてたまらない。僕は、早く帰ってお気に入りのテレビ番組を見たり、みんなで、街に遊びに行ったりしたいのだ。しかし、土曜日は一時間目から、この一週間に習った英語のテストをまゆげ先生がする日なのである。
「みんな勉強してきたか?坂田、君は前回赤点で残業だったので、今日は、定時で買えれるようにがんばれよ」
先生が僕に、わざと皮肉のような言葉をあびせている。僕が、一番苦手な科目と知ってのことか。だいたい日本人が、英語なんか勉強して何になるんだ。僕の父ちゃんなんか、英語どころか、算数もできんけど立派に東京湾の漁師として働いている。僕も勉強なんかしなくて十分だと思っていた。そんなやる気も興味も無い科目の試験は実に僕にとって苦痛であった。やはりこの日も案の定、選択式の問題は、何とか鉛筆を転がし選択番号を回答することができたが、記述式は、問題の意味さえ解らず、白紙で出した。
すべてが終わり、この日も確かに残業になる手ごたえを感じる日だった。それから、四時間目の国語の授業が終わりこれで帰れるとほっとしたのも束の間、忘れていた残業という言葉を思い出した。担任の先生が、一時間目の英語の試験結果を、まゆげ先生から預かりみんなに配った。
「坂田おめでとう、おまえ50点で赤点なので残業、放課後中山先生のクラスに行くように」先生が僕に笑いながらそう言った。しかし先生も今、何もみんなの前で赤点の点数まで読み上げなくても良いのに、今であれば個人情報なのだろうが、その時はどうにか点数の良い人だけ発表するようにできないものかと思っていた。
残業時間になった。僕は指定された教室に行き、英語の中山先生が来るのを待った。せっかく学校が午前中までの土曜日だが、居残りで帰れない。くやしい、くやしい、これで大好きなテレビ漫画の最終回が見れない。ビデオも無い時代で録画もできず、再放送も無いテレビ漫画では、もう一生この番組の結末は見れないかもしれない。そう思うと、この先の自分の人生の中でずっとこの結末が見れなかったもんもんとした心を背負って生きて行かなければならないと、当時の僕にとっては、とんでもなく一大事であった。いったい先生どうしてくれるんだと・・・・・そんないたたまれない気持ちを晴らすため、少し先生にいたずらをしてやろうと考えた。教室には僕も含め五人の男ばかりの野郎がいる。そこにいる生徒達は、どの生徒達も英語という科目が不得意というよりは、勉強以外に中学校生活をかけている者が多いのである。例えば野球部の高松は、野球で甲子園に出るのが夢であり、いつも勉強より野球一筋の学校生活を送っており、先生から良くもっと勉強しろと言われると「何で勉強なんかしないといけないんですか?これ野球と関係あるんですか?、大人になって役に立つですか?」野球と関係無いととかく、興味が無く先生に反発していた。
もうひとりの常連は、入学時、髪を丸刈りにしてこなかった、ぽかちゃんである。このぽかちゃんは、結局あれから丸刈りにすること無く、自分のスタイルを貫き「丸刈りにするくらいならもう学校には行かない」と登校拒否になり、先生と保護者が、相談しショウトカットでの登校を学校に認めさしたのだった。今となっては、何もなかったように学校に通っている。このぽかちゃん裁縫とか料理は得意なのだが、勉強の方は、得意というより興味がない。他にもそんな勉強にやるきのない連中ばかりが教室に集まっていた。いたずらは、この当時定番であった、先生が教室に入る入口に黒板消し仕掛け、先生が入口を開けると使用済みでチョークの埃がいっぱいの黒板消しが先生の頭上に落ち先生の体がチョークまみれになるといういたずらである。暫くすると、先生の教室に入る影が見えて来た。教室のドアが空いた。その瞬間黒板消しは落下し「わっー」と驚いた奇声が上がった。その時僕は、やった成功だと思ったのも束の間、そこに立っていたのは、見慣れない背広姿で白いチョークまみれ僕の父ちゃんだった。僕はその時、何で、何で、父ちゃんがここにいるのかと思った。
「背広が、背広が、こらこんな事をするのはどこのどいつだ!!」と大声を立て怒鳴っている。僕の父ちゃんは、漁師をしていて背広姿など見たこともない。今日は、組合の会合でいっちょらの背広を着て、会合の前、僕に昼の弁当を届けに来たのだ。それというのも、朝、僕が家をでる時に母ちゃんにこう言ったからだろう。
「今日は土曜日で、学校は昼までだけど、学校で残って勉強して来る」と言ったもんだから母ちゃんは、僕がお腹を空かし勉強できんかったら可哀想と思い、わざわざ父ちゃんを使い弁当を僕に届けさせたのだ。その後僕は父ちゃんから弁当を受け取ると同時に、頭にげんこつ二発も受け取った。そして暫くして教室に入って来た中山先生に
「もう息子が勉強嫌いですいません、残業でもなんでも毎日でもやって下さい」そう言って先生に謝っている父ちゃんがそこに居た。