昭和の学校3
ウィーンと音を立て電動バリカンが僕の頭の中央を刈り上げる。瞬く間に、頭の中央の髪が切り放され、ポトン、ポトンと床に大量の髪の毛が落ちる。もう真ん中が切れてまるで最初、畑の真ん中に耕運機が入り米を刈り取った状態だ。たとえここで髪を切るのをストップしたとしても、もう修正はきかない。まるで落武者のようである。五分もすると僕の頭は、羊が毛を剃られまるで別の生き物に変わったような状態になっていた。しかしそれで終わりではなかった。それからマスターは、カミソリを皮のバンドのような物で何度も包丁を磨ぐように磨ぎ、僕の頭を剃り出した。
「動かないでよ、動かないでよ、動くと切れるから危ないよ」と僕に何度もそう言った。顔は、カミソリで剃られるのは慣れていたが、頭はこそばゆくつい少し動いてしまった。その瞬間少し僕の頭部が切れ出血したではないか・・・
「だからいったでしょう動かないでって、まあいい、まあいい、これくらいなら大丈夫、大丈夫」マスターはそう言って、僕の切られて痛い患部をポンと叩きそう言った。僕は大丈夫どころか、切たれた部分が痛くて痛くて仕方なかった。暫くすると、マスターは、ちょいと待ってくれへんかと、突然関西出身でもないのにぶつぶつと独り言を言い、店の奥から純白には程遠い、少し茶色がかり汚染されたようなガーゼを持ってきてそれを私の頭部の傷口にあて、絆創膏で患部を十字に目立つように貼った。お疲れさん、これで終わり、終わり、どうでっか後ろのほうは?」その言葉遣いも子供と思ってばかにしやがって、この親父は、関西出身でも無いくせに、普段使わない関西弁を使い、まるで何事も無かったかのように装っている。何が「どうでっか」だ。どうもこうも無い。スキンヘットの出来栄えより、痛みも強いし、それにもまして、何処かのスイカのシールのようにガーゼを貼られた頭部は、ヒーローどころかお笑い芸人である。なんか見た目もおかしい、マスターもそれを見て、お前が動くからいけないんだとばかり、謝罪するどころかその光景を見て薄笑いさえ浮かべている。子供あつかいされている。
ばかにするな、その時、大人になった今の自分なら激怒しただうが、所詮小学校を卒業したばかりのお子様である。腹が立ち悔しくてたまらない気分だが、結局、何のクレームを付けること無く、その店を離れた。理容店を出て、自分で自分の散髪したての頭を触る。いつものように、髪の柔らかい感触が無く、ゴツゴツとした石を触っているようである。公衆トイレに行き鏡を見ると、果物で例えるとみかんが皮を剥いた状態のように思える。それは髪という皮で覆われ日常を過ごした人間が、自分自身をさらけ出した状態に見え、人に見せることが恥ずかしくてたまらない。おまけに、出血した頭部の一部に貼ったガーゼを見て、通りすがりの街の人も笑っている。髪という皮で守っていた頭も、外を歩くとしてもたとえ日差しが弱い春であっても、昼間は太陽の光が反射し火傷でもしそうで、健康にも良くない。こんなに良くない物をなぜ中学校は強制し校則にするのかわからない。そんな疑問だらけの丸刈りで、その時は、中学校生活が始まることへのテンションも下がる一方であった。