8 猫を愛でる
ユリアンは実はエミーリエの事についてある程度の調べがついていた。
彼女とこの地にやってきて、一ヶ月ほどが経とうとしていた。なんだかんだと時間がかかり別館の準備はまだ整わないが、エミーリエは日に日に笑みが増えてきている。
……彼女は多分、アウレールとは違って元々はきっと表情が豊かだと思うんです。なのでいい兆候のはずですよね。
彼女は今やこのベーメンブルク公爵邸の一員としてめきめきと仕事をしている。今でも多少彼女にいい顔をしない人たちがいる様子だが、きっと時間の問題だろうと思う。
そんな、有能なエミーリエがあんなに切羽詰まった様子でいたあの場所。
フォルスト伯爵家に彼女は籍を置いていた。
出会った場所から推察して調べてみたが案の定だった。
出会う数ヶ月前までは跡取り息子の婚約者として屋敷にいたのだが、彼女の実家であるブラント伯爵家は没落し、母は心労がたたって、早世。
父は水難事故によって亡くなっている。
そんな彼女の状況を鑑みてか、婚約は破棄されフォルスト伯爵家で事務官として働いているような扱いになっていた。
実際に給金が支払われていたかどうかはわからないが、とにかくエミーリエは婚約者という地位から降ろされて、それからしばらくして救貧院への支援が打ち切られ、街道の整備が始まった。
そのおかげでユリアンたちはあの道を通ってくることができたのだが、エミーリエはそのあとすぐに、屋敷を出たのだろう。
礼拝堂で救貧院への寄付をしている様子も見ていたので、きっとそのことへの罪悪感もあって飛び出してきたのではないかとユリアンは思っている。
彼女は自分の事を素性も知れない女だと言うときがあるが、そんなことはないし、何よりそんな事情があったのならばもっと自信をもって言って欲しいと思う。
彼女の選択は、ユリアンは間違っていなかったと思う。
ベーメンブルク公爵のつてで調べてもらったフォルスト伯爵家の現状を記した報告書を見ながら、ユリアンは頬杖を突いた。
「……祈祷代に、魔薬代、魔道具代、講習料金……その他もろもろ……」
それらはすべて、フォルスト伯爵家の第二子であるロッテ嬢の為に支払われた金銭だ。
貴族は総じて子供を妊娠しづらい性質を持っている。そんな性質を都合よく変えるための道具や薬などこの世に存在しない。
それを改善できるとすれば、健康的な生活と適度な夫婦生活のほかはないと、多くの医療や魔法学に精通している貴族たちが明言している。
それでもあきらめられない人間というのはいるもので、それを食い物にする人間もまたいるのだ。
そしてそういう人間はまったく容赦がない。
フォルスト伯爵家はそのあたりから財政がひっ迫し始め、ロッテが生まれてからも上級貴族並みの生活をさせて後先を考えなかった。
ここまで自分の状況を顧みないということは、それはきっと彼らの性質だ。
救貧院への支援を打ち切るような貴族の元にいなくて正解だし、現状、彼らは、エミーリエがいなくなったことによって大きく傾いているらしい。
「領民との調整役がいなくなって、困窮した平民たちが暴動……街道の整備は中断され、近隣領地にも強盗の被害多発……ですか。こうなれば王族も黙っていませんね」
そのうち王族が動いて、借金をしてでも街道の整備をさせたり、救貧院を復活させたりするだろう。そしてそれを拒否すれば他領への損害賠償の為に領地返還を求められる。
そうなれば彼らはもう貴族としての体面を保つことはできない。
「……主様、エミーリエ様というのはそれほど有能な人物なんですか?」
ふと、話を聞いていたアウレールが後ろからユリアンに問いかけた。
彼女は大抵のことに興味がなさそうなのに、珍しいと思いつつもユリアンは少し「ええ、それはもう」といつもよりも意気込んでいった。
「実際、彼女がフォルスト伯爵家でどんな仕事をしていたかわかりませんが、いなくなった途端に崩壊するような場合には、要となっていた人物だということに変わりはありません。
今でも、一ヶ月の間にいろいろな仕事を任されるようになったでしょう。
そしてそれをこなしながらも色々なことに気を配っています。
私の場合は、支障がない部分についてはあまり細やかな人間の機微には気を配りませんが、彼女はそうではありません。
ああいう人が一人いてくれるだけで、一人一人のパフォーマンスがかわってくるのですよ、アウレール」
「……なるほど」
「ただ最近は、いろいろと忙しく仕事をしすぎな気もしているんですが、アウレールから見た彼女はどのように映っていますか?」
せっかく興味を示したアウレールに、彼女のすごさを理解してもらうとポイントをアピールしつつ、アウレールがどうして彼女に興味を持ったのかも気になり、問いかけてみた。
すると彼女は、いつも通り、きりりとした表情のまましばらく考えて、それから少し腑に落ちない様子で言った。
「いえ、エミーリエ様は今もお忙しい方なんですよね」
「はい、そうだと思います。ベーメンブルク公爵から話を聞く限りは」
「…………」
「どうかしましたか?」
それから首をかしげて考える彼女に、催促するように聞くと、彼女はやっと続きを言った。
「その、この間から休憩時間に庭園で子猫を見かけるようになって、可愛がっていたのです。
すると先日突然、ミルクを携えたエミーリエ様に遭遇し、自分と共にあげようと思って待っていたとおっしゃったので。
お時間が余っているのかと思っていました……」
……それは、とても不思議な話ですね。
彼女の言葉にユリアンも腑に落ちない気持ちになる。
とても子猫にミルクをあげている時間などないと思うし、たしか彼女は、ベーメンブルク公爵家の子息、ヨルクにも懐かれている。
負担をかけてしまって申し訳ないと先日公爵から言われたばかりなのだ。
「しかしお忙しいのでしたら、よっぽど猫が好きなのでしょう。好みの色を聞いてプレゼントしてみるのはいかがでしょうか?」
……なるほど、そういう捉え方もできますね。
エミーリエが無類の猫好きという可能性をアウレールは口にして、それから続けてユリアンに提案した。
「……私が……ですか? なぜ、突然そんなことを?」
「喜ばれると思ったので」
……違います。いいえ、喜ぶとは思うんですが、私がエミーリエに贈り物ですか。
それは友人としては少々重い贈り物だ。もちろん相手の好みを熟知しているのならば問題はないしそういう場合だってあるだろう。
しかしそれにしてもなぜアウレールは、ユリアンがエミーリエに贈り物をすること自体は普通だと思ったのだろう。
「そういう事ではなく、私が、エミーリエに贈り物をするのは不自然ではないですか?」
「いいえ。きっと喜ばれます」
けれども聞き返してみても、彼女は同じような返答をするばかりで、いつものあまり主張をしない彼女に戻ってしまったとユリアンは思った。
時たま主張したと思ったらこれである。
何故そう思ったのか言ってくれればいいのに、この人はとてもいい人ではあるのだが、たまに話がかみ合わないところがある不思議な人だ。
仕方がないので、エミーリエにペットをプレゼントする様を想像してみる。するとユリアンは少しもやっとした。
喜びそうなことはありありとわかる。想像の中でも彼女はニコニコしている。
しかし毛がパヤパヤしている可愛い子猫を彼女が愛でて、そばに置いて、餌をやって、その毛並みを撫でつけている様子を思い浮かべる。
するとユリアンがどれだけ他のいいものを持って、友人として話にやってきても、一番には優先してくれない気がするのだ。
ともに仕事をして、たまに一緒に食事をとり、他愛ない話をする穏やかな友人それがエミーリエだ。だからこそなのか、それとも別の要因か、エミーリエに軽くあしらわれたら、むきになってしまう気がする。
……な、なんて情けない……。私は初めてできた友人に多くを望みすぎですね。
そんな自分の気持ちに、なんだか落ち込んでしまって自分は子供かと思ったのだった。