42 ロッテのお使い その二
執務室に到着すると彼らの目論見通りにイザークがおり、二人はそろってイザークに手紙用の蝋を貸してほしいと言ったのだった。
「……何に使うんですかー? 火を使わなければならないので子供には渡せません。手紙でしたら僕が蝋封を押すぐらいならやりますけど」
エミーリエはバレないようにその場にいた侍女に頼んで後ろに隠れさせてもらいつつ執務室の中に入った。
イザークは当たり前のようにそう口にして、二人の子供たちを眼鏡越しに見つめた。
するとヨルクは萎縮してしまっているロッテの手から書類を受け取ってイザークの前に差し出した。
「これを白いのでくっつけて欲しいんだ。破れてないって見えるように」
「それはもちろんくっつくとは思いますが……いいんですか?」
「うん! どうしてもくっついてないとだめな紙なんだって! ね、ロッテ!」
「うん」
イザークは、その意味があまりよくわかっていなさそうな様子だったが、ヨルクが「お願い!」と頼みこむとあまり事情を深く聞かずに、仕事で忙しいにもかかわらずに紙の背面に蝋を垂らして簡単にならした。
……イザークありがとうございます。迷惑をかけてしまって申し訳ありません。
エミーリエは心の中で謝って、今度、直接言おうと心に決めた。
「はい、一応できましたけど……ああ、やっぱり、背面にたらしましたが滲みましたね」
イザークは紙を彼らに向かって差し出した。そしてその言葉通りに、蝋をたらされた部分は無残にもインクがにじみだし、文字を湾曲させてしまっている。
「よかった。くっついたねロッテ、ちょっとしわくちゃだけど、これで父さまのところにもって行けるよ!」
しかし紙をくっつけることしか頭になかったヨルクはそれを見て、やったぞとニコニコする。
ロッテは紙を受け取って、滲んでしまったインクをじっと見つめていた。
…………ロッテ。ヨルクはあなたの為に紙をくっつけることを最善として動いてくれただけなんです。
もとはといえば、ヨルクのせいではなく、あなたが紙を破いてしまったことが原因なんですから、ヨルクは悪くありませんよ。
心の中でエミーリエはロッテにそう説いた。
しかし、このまま泣き出してヨルクにどうしてくれるんだと怒り出すロッテの姿が目に浮かんで流石にそうなったら、ロッテを回収してヨルクには手を尽くしてくれてありがとうと言おうと考えた。
というかそうなったらというよりも、そうなるだろうと思ってエミーリエは侍女の影から顔を出した。
しかし、ロッテは、頬を膨らませて、それからいろいろと堪えた声でいった。
「ありがとぉ。ヨルク様。すごくありがとっ」
「うん。どういたしまして!」
そう言葉を交わして、ロッテとヨルクは執務室から出て、手を振って仲のいい友達のように別れた。
それからロッテはとぼとぼと本邸の廊下を歩いた。書類は蝋で滲んだまま、未だベーメンブルク公爵の元に持っていくことはできていない。
行き先が分からなくなってしまったというわけでもないだろうし、彼女は何度か書類を見つめて立ち止まっては、じっと見つめてそれからまたとぼとぼと歩いた。
エミーリエの元にも罪悪感で戻ってくることができない様子で、どこにも行く当てが亡くなった子犬のように、屋敷の廊下の人のいない場所をうろうろとして、最終的に廊下の隅の方で小さく蹲った。
その様子をみて、エミーリエはそろそろ偶然を装って彼女の元に出向こうと思った。
甘やかすのはよくないが、ロッテはちゃんとがんばっただろう。
あそこで堪えて、ヨルクに当たらなかったのも偉い。
次こそはうまくやればいいのだ。ロッテにはきちんと成長するまで見守っている二人の大人がいるのだから。
なのでひょこっと顔を出した。
するとそこに、あろうことか廊下をずんずんと歩いているフランクがやってきた。
彼は何かを探しているような様子で、こういう場合には大体ヨルクの事を探しているのだ。
彼は大人しくしていろと言っても割と自由奔放にいろいろな場所に出向いてしまう性格をしている。
ロッテが出会った時もふらふらとしていたところだったのだろう。
そんな彼はすぐに廊下の端で小さくなっているロッテを見つけて、怪訝そうな顔をした。
それから無視して歩き去ろうとしてから、やっぱりチラリと振り返って、厳しい顔でロッテのそばまで向かった。
「こんなところで何してるんだ。ロッテだろ。別館への戻り方がわからなくなったのか?」
どうやら迷子だと思ったらしく、首をかしげて問いかける。するとロッテは書類を持ったまま立ち上がって、涙を堪えた様子でフランクを見上げた。
「っ……ふっ……、っ戻れなくて」
「それなら、そこら辺を歩いてる侍女に聞け。そうすれば、道案内ぐらいはしてくれる」
「……」
彼の言葉に、ロッテはぶんぶんと頭を振って、書類を見せた。
見せつけられた書類を見てフランクは眉間に皺を寄せて、じっと覗き込んだ。
破けてくっつけて、文字が歪んで皺皺になってしまっているそれを見て、意味が分からなかった様子でロッテに目線をやった。
「なんだこれ」
「……っ、エミーリエからの、お使いなの。届けてきてって、でも破っちゃって、直そうとして、変になっちゃって。
こんなの公爵様に、渡せないし、エミーリエにもこんなこともできないんだって思われちゃうの……」
「……ああ。そういう……」
彼女の説明にフランクは納得して、面倒くさそうにそう言った。それからしばらく黙って、無言で書類を手に取って内容を見つめる。
彼ならばそれがほんの些細な報告書だと一目見ただけでわかるだろう。
こんなものはくだらない報告書だから、素直にエミーリエの元に戻って、破ったことを伝えればいいと言うだろうなとエミーリエは思った。
「……どうしよう。大事な紙なのに、私にお願いねって言ってくれたのに。エミーリエが私の事、大っ嫌いだって思っちゃったらどうしよぉ」
実際に言おうとしている様子だった。しかしロッテの言葉を聞いてフランクは、ふーっとため息をついて、それからロッテの手を取った。
「ほら。俺が送ってやる。あの人はこのぐらいでそんなこと言わないだろ」
「……」
「それに、戻ってこなかったら心配するだろ。道に迷ったとか誰かに攫われたとか、その気苦労に比べたら、お使いが失敗したことぐらいなんてことない」
「……そうかな」
「ああ。多分な。それにあんたも、失敗したなら悪かったっていえばいいだろ。廊下の隅で蹲ってたら誰か声をかけてくれって言ってるようなもんだ。
甘えた態度取ってないで、落ち込むなら部屋に戻ってから一人で落ち込めよ。それが、大人な態度ってもんだ」
フランクの言葉は若干辛辣で、エミーリエやアンネリーゼだったら絶対に言わない言葉だ。
しかしロッテは手を引かれて、別館への帰路を歩き始める。
ロッテはまだまだ大人ではない。もう少し甘やかされて子供をやっていてもおかしくない年齢だ。しかし、彼女は今まで何もしてこなかった分、急速に大人への階段を上らなければならない。
それはとても痛みを伴う。けれども、支えてくれる周りの人間もいるし、ロッテ自身もそれを受け入れている。
彼女はまだ自分が子供の歳だとは言わず、フランクの言葉にただ小さく頷いて、顔をあげたのだった。




