39 気持ちの籠った謝罪
一週間も経てばロッテは無事に回復して、数カ月前まではよく見ていた愛らしい女の子に戻る。
しかし、ロッテは数カ月前までとは違って、自信やプライドなどいろいろなものを失っている様子で、ただ愛されていただけの彼女とはもう違うのだと思う。
数カ月の間でも環境が変われば人は変わる。
延々と変わらずに、自分たちだけの愛情に酔いしれて破滅まで突き進んでいく人間はごくわずかだ。
それに、ロッテ本人もエミーリエ自身に負い目を感じている様子で、あまり言葉を交わさなかった。
それもまた彼女の変わったところだろう。今まではエミーリエがロッテに対して何か思う所があるという事すら考えもしない事だったのだから。
「……もう熱も引きましたし、後は精のつくものでも食べれば完全に回復するでしょう。つらくなったらいつでも呼んで構いませんから」
そう言ってエミーリエはロッテの額から手を放して、沈黙している彼女から離れようとした。
エミーリエと居てもロッテは気まずいだけだろうし、エミーリエも自分の気持ちに整理をつけられていない。
気軽に言えることもあまりないし、何と言ったらいいのかもわからない。
しかし、ロッテはそうではなかったらしく彼女はベットから乗り出して「まってっ」と心細そうな声でエミーリエを呼び止めた。
振り返って、エミーリエは首をかしげる。
「はい」
「……、……」
しかし、言いづらい事だったのかロッテは、言葉に詰まって顔を俯かせる。すると綺麗な金髪がさらりと落ちてロッテの表情を隠した。
そうしているだけでロッテはなんだかエミーリエにいじめられているみたいに悲壮感たっぷりで、エミーリエは長年の習慣から周りに怒られないか心臓がドキドキしてしまう。
「あの、話がないのなら行きますね。ゆっくり休んでください」
「ま、あの。話はあるのっ。エミーリエ。私ずっと、次にエミーリエに会ったらずっと謝らなきゃならないって思ってたからっ!」
大きな声で彼女がそう言うと喉に負担がかかったのか、ゴホゴホと咳き込んでしまって、エミーリエはベットに戻りロッテの背中をゆっくりと摩ってやった。
「っ、ごほっ、はっ…………ありがとう。もう大丈夫っ」
そう言って離れていくロッテに、エミーリエは少し表情を困らせつつも、ベットの隣の元居た席へと戻った。あまりせかしてしまうと体に負担がかかってしまうかもしれないと思ったゆえの判断だった。
「……あのね、エミーリエ」
「はい」
「私、あれからずっと考えてたの」
ロッテの瞳にはすでに涙が浮かんでいた。体がまだ本調子ではないからなのかそれとも、涙が出てしまうくらい悲しい事を言おうとしているからなのか。
布団をぐっと握って、その涙に濡れた瞳をエミーリエに向けた。彼女がそんな顔をしているとエミーリエはどうしても自分の気持ちがわからなくなる。
「私はずっと全部当たり前だって思ってた。ほ、本当は自分が優先されることも、良い子で可愛くて、愛されている自分だから当然だって思ってた。
そうじゃない人がいて、どんなふうに思っているか知らないくせに、自分ってとっても優しいんだって思ってた。だからイイ子だって思ってたっ!」
ロッテの紡ぎだす言葉は涙声で、感情が抑えられていない様子だ。
いったん落ち着いてと言った方がいいのかもしれないけれど、エミーリエはロッテの言葉に聞き入ってしまって、難しい表情で彼女を見つめ返した。
「でも、アンネリーゼに連れて行ってもらっていろんな貴族に、うちの子の方がずっと大事だって反応されて、エミーリエがどんなふうに思ってたか大人だったから口に出さないだけで、私の事どう思ってたかわかったの!」
「……」
「悔しくて、悲しくて、恥ずかしくて堪らなかった。それなのに、エミーリエは教えてくれた。私に、大切な事っ。私がお菓子一つ食べるのを我慢したら、苦しまなくていい人がいる。
私がわがままを言わなかったら、元気に暮らせる大勢がいる。
そんなの知らなかった、でもわかってよかった。たくさんわかったからごめんなさいって謝れるんだって、っ、それもわかった!
だ、だからぁ、エミーリエ。ごめんなさいっ、ゔ、迷惑かけてぇ、なんにもできなくてぇっ、お父さまとお兄さまがひどいことしてっ、ごめんなさい」
ついにロッテのまん丸の瞳から大粒の涙がボロボロとこぼれだした、謝る彼女は苦しそうに息を吸って、言葉を吐き出す。
「私の事、きらいだったのに、教えてくれてっ、ありがとぉ、うっ。たくさんっ、っはぁっ、ほんとに、ごめんなさぃ」
拭っても拭っても涙は零れ落ちていって、ひどく泣くロッテにエミーリエは鼻の奥がつんとして自分の視界も歪んで何故だか瞳が潤んでいた。
いろいろ、思っていた気持ちもある。
彼女には嫉妬していたし妬んでいたし黒い感情を向けていたこともある。
しかし天真爛漫な彼女はいつだって眩しくて、日の光の下に輝く笑顔を振りまいていたその姿を、憎たらしくも愛らしいと思っていた。
だから決して、こんなふうに謝ってほしいわけじゃない。というかロッテがエミーリエに謝るなんてお門違いだ。
ロッテはただ、甘やかされて愛されて育っただけだ。そんな子供が、それを妬んでいた人間に謝罪するなどおかしいだろう。
思わず、泣き腫らすロッテに堪らなくなって、エミーリエはベットに乗り上げて彼女をぐっと抱き寄せた。
傷をつけてしまわないように軽く、けれど彼女の存在を感じられるように強くきつく抱きしめた。
抱きしめてその熱い子供の体温を感じながら、にじみ出てくる涙を抑えるためにきつく目をつむって、ロッテの頭に頬をこすりつけた。
「謝らないでください! あなたは悪くない、あなたは誰にも責められる謂れはないんです! 悪かったのはあなた以外の者なんです。
だからそんなふうな謝罪なんて必要ないんですっ、ロッテ、私怒ってなんていません。
あなたを嫌ってもいません。あなたがどこかで倒れる前に私を頼ってきてくれてよかった!
思う所はいろいろあります。でも、幼いころから見守っていて……か、家族みたいなものだと思っていますから、ロッテ。ここまでよく頑張ってきましたね。
あなたが最善の選択をしてくれた事私は、心から嬉しいと思います」
苦しくて言えなかった言葉は、口にしてしまうと案外なんてことなくて、ロッテはエミーリエから真実を突きつけられて、悩んで苦しんで、そして受け止めることを選択した。
それによって物事が動くことはなかったけれど、理解しようとしてくれた事それは間違いなくロッテがした選択で、エミーリエはそれが出来る彼女を糾弾するつもりなんかない。
ロッテはただの被害者に過ぎない。多少の罪は犯したかもしれないが実家が駄目になってもロッテは悪くなんていないのだ。
「あなたは、悪くありません。あなたはちゃんと今でもいい子です。体調が戻ってよかった、ずっと心配していました」
心から言えなかった言葉を吐き出すと、ふと体が軽くなるような気持ちになって同時に何故か自分自身も救われたような気持ちになった。
実家の問題で思いつめて、謝罪をしたロッテに悪くないという事でエミーリエは、実家が没落して必死に生きるしかなくなって婚約者に迷惑をかけていた自分の負い目が楽になったような気がした。
「っ、ゔっ」
エミーリエの言葉を受けてロッテはエミーリエに抱きしめられたまま、声をあげて「わぁ~っ!」と堪えきれなかったように大きな声で泣き出して、エミーリエはその背をずっと摩ってやったのだった。




