4 ゆく当てもなく
エミーリエは手近にある金目のものだけをトランクに詰め込んで、屋敷を出た。
ロッテの件もあってすぐにエトヴィンたちに捜索されるだろうし、いそいで行方をくらませる必要があったのだ。
しかしだからと言っても行く当てはない、実家を頼ることもできないし、エミーリエは孤独だ。
それでもやるべきことだけはある。街へと降りて乗り合いの馬車に乗り、教会と救貧院のある南区へと向かった。
そこは復旧工事のおかげで少しずつ交通が再開している為かとても賑わいを見せていて、ほっとする気持ちはありつつも貧しい人々は教会の周りに多く、中に入れば礼拝堂の中には敬虔に祈る人々の姿があった。
この町の住人だけではなく、旅路でこの場所を通る芸人や、深くローブをかぶっている人もおり、長く立ち往生させてしまって申し訳ないという気持ちになりつつも、エミーリエは修道女に声をかけた。
「……あの、これをすべて救貧院の運営費にしてください」
「え? あ、寄付のご申し出ですね。ありがとうございます。窓口の方へとご案内いたしますのでついてきてください」
少し戸惑った様子でエミーリエを見る修道女の言葉に、頭を振ってトランクを押し付けた。
エミーリエがこの場にいたという履歴を残すつもりはない。
それにもっと遠くに逃げなければ、たとえ事実を伝えただけとはいえロッテの世界を壊したことをフォルスト伯爵家の人間は許さないだろう。
なににせよさっさと別の領地に移らなければならない。
「よろしくお願いします。急ぎますので」
「えっ、困ります! 必要な手続きなどもありますしっ、あのっ」
無理矢理受け取ってもらい、エミーリエは身を翻して人の多い礼拝堂を出た。
周りにいた人間はエミーリエに注目しており、よく考えると人目を避ける必要もあったのに、ローブの一枚も羽織っていないエミーリエは、平民の教会にいるには高級すぎるドレスを着ていた。
しかし、そのことからどういったことが想像できるかという点について頭が回るほど、エミーリエは自分の事を考えられてはいなかった。
このままではいられないと去る決意をして爪痕も残したのに、こうして飛び出してきてしまうとそれだけで満足してしまったような気がして、これ以上何をしたいのかするべきかということもわからない。
しかし歩みを止めるわけにはいかず、また乗り合いの馬車に乗ろうと足を進めていると、案の定というのかそれとも不運にもというのか、救貧院の周りにいたガラの悪い男たちに行く先を阻まれた。
「おっとぉ、嬢ちゃん。とっても素敵な服着てるじゃねぇか」
「その可愛いドレスもっとよく俺らにみせてくれよぉ」
「ほっそい腕だなぁ、おらっ、こっちこい!」
「……」
腕を掴まれて引きずられ、それでも周りの人間は見て見ぬふりをする。
それを見つめながら、エミーリエはなるほどと思った。
こういうことになるのかとまるで他人事のように考えた。
それから、抵抗する手立てがないわけでもないが、考えるのも動くのも億劫に感じるほど疲れ切っていて、そのままずるずると引きずられた。
……このまま、私の人生はただ終わるのかもしれません。
それもいいかと思うほどに、エミーリエの心の傷は開きっぱなしになっていて、どうしたら治るのかもわからない。
しかし、「ガッ」「ギャ」「ごぉ」と変な声をあげて、エミーリエの腕を引っ張っていた男たちが次々と道端に倒れこんでいき、石畳に頬を打ち付けた。
その光景をまじまじと見つめながら、鞘をつけたままの剣を持っている女性を目で追う。
彼女は三人のごろつきを見事にのした後に、ローブを深くかぶり直した。それから素早くエミーリエの後ろに走り抜けていく。
「怪我はありませんか。そのような格好でこのあたりをうろつかれるのは大変危険ですよ」
そのまま振り返れば礼拝堂の中にいた、ローブをかぶった男だということがわかる。ごろつきを倒した女性は、彼の騎士のように後ろにつき、視線を伏せる。
そのしぐさから察するに彼が助けろといったから、エミーリエを助けたのだろう。
「…………」
「何かトラブルで屋敷に戻れなくなったのでしたら、教会に事情を説明して一度匿ってもらい迎えに来てもらうのが一番安全です。そのようにしたらいかがですか?」
その提案ができるということは彼も、多少なりとも高貴な身分の人間だということがわかる。ローブの隙間からちらりと覗く金髪は、貴族に多い髪色だ。
この場所は隣国からの訪問者も通ることが多い……しかし、貴族の場合は隣国から直接連絡が来て、迂回路を使う事が出来るはずだ。
それでも復旧途中のあまり安全とは言えないこの道を使うということは、お忍び、もしくは彼もトラブルの真っただ中で秘密裏に入国している可能性が考えられる。
そんな風に彼の素性について考察してみたが、だから何だというのだという気持ちがもたげてきて、エミーリエは適当に話をした。
「帰る家も行く当てもないだけですのでお気になさらず。助けていただいてありがとうございました」
なにかそれらしい理由をつけて断ればよかったのだが、その理由を考えることを放棄した結果の返答だった。
頭を下げて、振り返る。
エミーリエは自分の人生がこれまでのすべてが無駄だったように、きっと今も同じように、面倒くさい事情を持っていそうなエミーリエのような女を彼が引き留めるとは考えられなかった。
「待ってください」
しかしその、人生に対する絶望を否定するように声が届いて、力強く腕を握られた。
「行く当てがないといいながらどこに行くつもりですか?」
「……それは……」
まっとうな質問のはずなのに、答えられない。だってどこにも行く気がないからだ。
しかし、行く当てはなくても、今から向かう場所はある。少し考えてから、エミーリエは答えた。
「村の乗合馬車の乗り場に向かうつもりです」
「礼拝堂を出てすぐに絡まれたのに、村にこのまま徒歩で向かうつもりですか?」
「はい」
「それはまた、すぐに絡まれることは容易に想像がつきます。それをされに行くということで間違いないですか?」
「…………」
彼の言葉に、その場しのぎの答えを返すと、エミーリエのやろうとしている行為がどんなものだかはっきりと言葉にされて、ハイとは言えない状況になった。
なんせエミーリエは破滅に向かっているだろうとは消極的に思っていたが積極的に破滅に向かっているつもりはない。
こうしてはっきり言われると否定するほかない。
「そんなつもりはありません」
「ではどういうつもりですか。あなたのようなうら若い女性が一人で行く当てもなく彷徨えばどうなるかわかるでしょう? 悪い事は言わないので、教会に戻り、頼れる伝手を探す方が賢明です」
「……」
「それもできないような状況ですか?」
問いかけられ、その言葉がなんだか妙に暖かくてエミーリエは変な表情になった。どうしたらいいのかわからなくて困惑しつつも、泣いてしまいそうなまま、自分でもよくわからないまま頷いた。
「……私は、ユリアンと申します。こちらはアウレール」
言いながら彼はゆっくりとローブのフードを外した。
その瞳には美しい深緑の瞳が輝いており宝石みたいで神秘的だ。
そして、すぐに正体にピンときた。まさか彼のような人物がこんな場所にいようとは思っていなかった。
「一緒に来ますか? 私も故郷を追われて帰る場所を失った身です。とても他人事とは思えません」
「……」
「それに、今のあなたはとても危うげに見えます。このまま手を離したら不幸になるように見えるんです。あなたはそう思いませんか?」
……思わないとは言えません。
ぽつりとそう思って、エミーリエはまた頷いた。すると彼は人好きのする笑みを浮かべて「では共に行きましょう。丁度二人きりで、会話にも飽きてきたんです」といい、数奇なことに、エミーリエは危機を脱することになった。
そうしてユリアンについていき、エミーリエは彼の行き先であった、隣国の王族の傍系である貴族の屋敷で働きながら暮らすことになったのだった。