35 二人の事情
エミーリエは久々に自分の水の魔法を使った。
特段魔力が多い方ではないし、魔法が大の得意というわけでもない。それに魔法使いか騎士でもない限りは魔法を使う機会はあまりない。
なのでぷわぷわと浮かんでいるエミーリエの魔法の水をロッテの額に当てるとき少し躊躇してしまった。
しかし、魔力が適切に消費されていき水の魔法の癒しがかけられていると判断できれば、順調に彼女の体力を戻していけていけると思う。
「ロッテお嬢様……」
ベットに横になって規則正しい寝息を立てているロッテの手を握ってアンネリーゼは呟いた。
あまりにロッテが消耗している様子だったので、水の魔法の癒しをかけながら事情聴取になってしまったが、この方が彼女も心が休まるはずだ。
付き合ってくれているユリアンの為にも早めに事情を聴いた方がいいだろう。
「……それで、アンネリーゼ、あれから何があったんですか? フォルスト伯爵家は領民からの暴動を受けて、王族が対応したと伺っていますが」
アンネリーゼはロッテの手を握ったまま、ベットの向こう側からエミーリエに視線をあげて答えた。
「はい、たしかに王族から派遣されてきた貴族の方々がいらっしゃいましたし、借金の清算の話や、治安の悪化についても再三注意して、一からやり直すための提案をなさいました。
その件については私はほかの、使用人から共有されていました」
アンネリーゼは一つずつ思い出すようにゆっくりと話をした。
「しかし、フォルスト伯爵もエトヴィン様もフォルスト伯爵領を手放してしまえばロッテお嬢様の故郷を奪うことになると王族の提案を拒否しました。
それから何度も話し合いの場が設けられている様子でしたが、領民からの税収もない状況で次第に、使用人たちに給金が払われなくなり始めたんです。
ロッテお嬢様も、そのころには贅沢をしてはいられない事をきちんと把握して、家族で話し合いの場を持ち、新しい生活の為にと動いていたのです。
しかし、フォルスト伯爵やエトヴィン様はロッテお嬢様のお言葉にすら首を縦に振りませんでした。
屋敷は荒れ果て、フォルスト伯爵家についていた兵士たちも次第に離れていく、そんな中でいつ屋敷に怒れる民衆がなだれ込んでくるかわかりませんでした」
声を震わせて言うアンネリーゼの話にエミーリエは言葉を失った。
エミーリエはロッテにさえ、選択肢を与えることが出来れば、きっと彼らはロッテが苦しむことはつらく思いながらもロッテの為にも民衆を助ける方向に向かうはずだと思っていた。
けれど、どんなに身に危険が迫ろうとも、ロッテが何と言おうとも彼らは盲目的にロッテを甘やかすことしか考えていない。
ロッテが好きなのではなく、ロッテを甘やかしている自分が好きなのかもしれない。
「しかし、私は、奥様がこの領地からの脱出を準備をしていることを知っていました。
奥様はエミーリエ様のように魔法を持っている大人の貴族です。いざというときに自衛もできるし、国をまたいでも働き口があるはずです。
そして、以前はロッテお嬢様にお金をかけすぎるフォルスト伯爵やエトヴィン様をいさめている様子もありました。
ですから、きっと奥様がロッテお嬢様を連れてこの狂った屋敷から逃げてくれると思ったんです」
エミーリエはどこかその言葉の続きを予想できた。
ロッテを見るフォルスト伯爵家にいた女性の瞳は、全員どこかに恨めしいという気持ちを含んでいたと思う。
「けれど、奥様はお一人で逃げることを宣言され、お嬢様はこのままフォルスト伯爵家に残ればいいと提案して去っていきました……ですから私だけでも何とかロッテお嬢様を導かなければと奮起して私財を投げ売り、伝手のある下級貴族の元を転々と訪れていました」
けれどもどこにも行く当てがなくなってしまったと、そう言う事だろう。
長雨の影響でどこも不作が続いて、災害が多い。下級貴族を回ったところで、フォルスト伯爵家のロッテの噂はそこそこ出回っている。
派手にお金を使っていたし、吹聴とまではいかないがフォルスト伯爵自身がロッテにどんな贅沢をさせてやって、どんなに可愛いかという話を社交界でする親ばか加減だった。
そして、そのせいともとれるような没落っぷりに、そんな縁起の悪そうな子供の面倒を見てくれようという貴族は少ない。
それに、アンネリーゼはたしか平民だ。彼女の実家は、ロッテのような貴族を連れて戻れる場所ではない。
「……それ以降は先程お話した通りです。
私がここに来たのは、エミーリエ様の向かった先は存じませんでしたが、こちらにカルシア王国第二王子ユリアン王子殿下が滞在することになったと聞いた際、フォルスト伯爵領の貴族用のう回路を通った記録は残っていなかったことを思いだしました。
一番王都から近いルートでしたし、基本的には皆さん使っていらっしゃいましたから、秘密裏に通過していたのではないかと思いました。
そしてそのう回路を使った貴族たちにはロッテお嬢様の件もあり、フォルスト伯爵がエミーリエ様を匿っていないか確認を取っていたのです。しかしエミーリエ様は見つからない。であればとても些細な可能性ではありますが、ともにベーメンブルク公爵家に向かったのではないかと仮説を立て一か八かで参りました」
「すごい事をしますね。私がいなかったらどうなっていたか……」
ロッテは見る限り、疲れや雨に濡れた寒さから風邪をひいている様子だ。
子供のただの風邪だと侮ることはできない。旅の途中では医者に見せることもできないし、休ませる場所を借りるのにだってお金がかかる。
お金が無くなったら保護してくれる場所もない。
「はい。その通りです。……ロッテお嬢様には、徒歩での移動と、雨の多い旅路はとても堪えている様子でした。
治っては風邪をひいての繰り返しで、次第に立っていることもおつらい様子で。
私はもう、このまま、お嬢様と二人野盗に襲われ、ゆく当てもなく行倒れる覚悟で足を動かしここまで参りました」
次第に声が震えて、感極まって涙をこらえて眉間を押さえるその姿を見ているとエミーリエも悲しくなってくる。
「お願いします、エミーリエ様。どうかロッテお嬢様が完治するまでの間このお屋敷に置いていただけないでしょうか」
肩をすくめて頭を下げる彼女からぽたぽたと涙が落ちる。
エミーリエにはもちろん義務もないし、むしろ自分だっておいてもらっている側だ。それなのに彼女を進んで受け入れるとは言えない。しかしこの話を聞いて否といえるほど冷徹ではない。
隣にいるユリアンを伺うように見ると彼は「私は構わないですよ」と笑みを見せていってくれる。
その答えに甘えて、エミーリエはアンネリーゼのお願いを了承したのだった。




