33 結婚の約束
王都から戻ってきたユリアンにエミーリエはとても真剣そうな顔で話があると言われ、彼の私室に向かった。
一応、彼が王都に行っている間に、作っておいたクッキーとちょっとしたプレゼントを持って部屋の中に入ると、彼はエミーリエを出迎えて二人はソファーに腰かけた。
ローテーブルの上には綺麗に生けられている花と、それから上面がガラスのケースが置いてあった。
「……私がいない間、困ったことなどありませんでしたか? エミーリエ」
本題が話づらい内容なのか、当たり障りのない事を聞いてくるユリアンに、エミーリエは少し首をかしげてそれからゆっくりと頭を振った。
「いいえ、仕事も順調ですしここ数日は天気もいいので、災害の心配もしなくて良いそうです」
「それは、何よりですね」
「はい」
こちらも同じように当たり障りのない言葉を返す。
フリッツ王太子の来訪があって、エミーリエはユリアンに対するいろいろなことを言ったけれど出発前にも普通に会話をできたし、エミーリエの方はユリアンと話しづらいとは感じなかった。
あれはもちろん、ユリアンを助けるために言った言葉だったし、そもそもエミーリエたちは傍から見てそう言うふうに見えるような関係をしているだけで実際は何の関係もない。
だからこそユリアンだってわかっていると思う。
しかしながら、いつかはエミーリエは彼と本当の意味で関係を持ちたいと思っている。
言った言葉は大仰だったけれど、それでもいつか遠い未来そうなれていたらいいなと思っている。
けれどもどういうふうに、そうなるかについてはエミーリエもよく考えてはいなかったのだった。
「……」
「……」
エミーリエが当たり障りのない言葉を返したことによって二人の間には沈黙が流れて、ソファーがきしむ音さえ聞こえそうであった。
そして必死に考えを巡らせていた、ユリアンが思いついたように言った。
「そ、そういえばエミーリエ、あなたはご実家のブラント伯爵家の事について、ほかの貴族とは違った魔法道具などを見たことはありませんでしたか?」
「魔法道具……ですか」
「はい。長雨の原因を解き明かす糸口になるのではないかと私は考えているのです」
「……そうですね」
これが本題だったのかどうかはエミーリエはわからなかったけれど、真剣に思い出そうとするまでもなく、実家での生活は靄がかかったように思い出せない。
領地の運営をするうえで、領民や屋敷での生活に必要な魔法道具は多くある。しかしそれらは大体どの屋敷でも同じようなもので、特別な魔法道具があったなら普通は覚えているはずだ。
しかしエミーリエはそこでの生活自体が思い出せないので、力にはなれそうもない。
「申し訳ありません。何分子供でしたので、あまりブラント伯爵家での生活はあまり覚えていないんです」
「そうですか、ぜ、全然いいんです。きちんと調べればわかることですから、ただの雑談として聞き流してください」
「……はい」
そういわれても、せっかく話をしてもらえたのになんだか申し訳がない。
それに長雨の原因になっていることといえば相当重要なことだ。それをエミーリエが知っていたら少しでも原因究明までの時間が短縮できただろうにと思ってしまう。
「ダメですね。すみません、せっかく気を紛らわそうと当たり障りのない話題を出したはずが、あなたを落ち込ませてしまうなんてこれでは本末転倒です」
エミーリエが落ち込むと、ユリアンも落ち込んだ様子で困り果ててそういった。
しかし先ほどの話すら本命ではないとして、エミーリエを落ち込ませてしまっては出来ない話とはなんだろう。
「いえ、実家の事は……というか、話をしていましたっけ? 実家の……末路も……」
本命の話が気になって、実家の事は気にしなくていいと言おうとするとふいに、あれ? と疑問が思い浮かぶ。エミーリエの実家の事を知っていたらエミーリエの今までの事についても知っているのではないだろうか。
「え?……あ」
ユリアンはエミーリエの指摘に少し間を置いてから、しまったという顔をした。
「ああ、申し訳ありません。頑なに隠したいと望んでいたわけではないんです。しかし実家が没落して無くなり、それから婚約者の屋敷でお世話になっていました。
けれど、婚約破棄されて雨の影響で傾いた婚約者の家で、私は彼らに恨みを買う事をして飛び出してきました。なので彼らが私の事を知って追いかけて来そうであれば、私は迷惑を掛けるわけにはまいりません」
きっと今までの間に知る機会があったのだろう。
名前といた場所さえわかればそれなりの調べはつく。調べられていることに忌避感を示すほどにエミーリエは潔白ではないし、そのことに罪悪感を持たないでほしい。
なのでエミーリエは出来るだけ気軽に今までの事を説明し、恩をあだで返すようなことにならないように注意を払っているという事だけを強調した。
「なので、そう言う場合にはユリアンに受けた恩を返すことができないのは残念ですが、ここを去ろうと思っています。安心してください」
しかし、エミーリエのその言葉にユリアンは前のめりになってテーブルに手をついていった。
「それは困りますっ。エミーリエ。話があるといったでしょう?」
この話はどうやら本題と関係しているらしく、ユリアンはそのまま続けた。
「私は、先日エミーリエにあそこまで言ってもらえてとても助かりましたし、私もあなた以外はないと思っています。
あんなことをあなたから言わせてしまう私は、とても不甲斐ないと思いますが、決心してこれを用意しました。
エミーリエ、これを受け取って欲しいんです。しかし現実的にはまだ、アーグローデでの身分は未定の状態です。なので、約束をするような形になると思います。
けれど、あなたがいなくなる事なんて考えられません。これからもそばにいて欲しいんです。ですからどうかそれを誓ってはくれませんか」
ユリアンはそう言ってテーブルの上に置いてあった箱をエミーリエの方に向けて開いた。
中には、繊細なつくりの指輪が二つ入っていて、ペアのデザインになっている。窓から差し込んでいる陽光を反射してキラキラと輝いていた。ダイヤモンドだろうかとても綺麗だ。
それにエミーリエはすぐに納得した。
……終身雇用という事ですね。
話の流れ的に、エミーリエが迷惑をかけるかもしれないという欠点を呑み込んだうえで、ユリアンはそれでも自分のそばに一生、そう言う相手としていてほしいという事だと認識する。
それにフリッツ王太子にああいった手前、別居してしまったらまた何かを言われるかもしれないし、連れ帰られてしまうかもしれない。だからこそエミーリエがユリアンのそばにいなければ困るという事だ。
利害関係が一致しただけの体面上の関係だとしても、ユリアンとならばうれしい。
それに必要とされていることも。
「はい、喜んでお受けいたします」
……しかし、私の事は仕事上の夫婦として尊重してくださると思うのですが、こちらでユリアンに本当に好きな人が出来たりしたらどうするつもりなのでしょうか。
というか子供などについてはどうお思いでしょうか。
王族の血筋を引いているので、あまりにも低い地位でというのも難しいだろう。
いろいろと疑問は尽きない、しかしそれはもう少し後の事でもいいだろう。今はただ過去を含めてエミーリエの事をそばに置いてくれるという彼の器の広さをありがたく思っておくことにしよう。
「いいんですか? こんなにあっさり受け取ってもらえるだなんて想像していませんでした」
「ええ。それでもこんなに高価なものを頂くのは少し心苦しいですが」
「そんなことを言わないでください、これでもあなたの細い指に合うように控えめなものを選んだつもりなんです。
……手を出してください、エミーリエ」
彼は指輪を手に取って、エミーリエは左手を差し出した。
はるか昔、神話の時代から左手の薬指は心臓に繋がっている血管のある特別な指なのだそうだ。その指に美しいきらめきをはらんだ指輪がはめられる。
その行為はとても特別なもので、エミーリエは小さく息をのんだ。
……重みはさほどないはずなのに、何かずっしりと感じるものがありますね。
「……では、今度はあなたに」
不思議な気分でエミーリエはユリアンの手に触れて、薬指に指輪を通した。
彼はとても嬉しそうに頬を染めていて、それを見てそんな理由もないのにドキドキしてしまって、その手に揃いの指輪がついている事をとても強く意識してしまう。
そして変わらずそれを見ていたアウレールは、すれ違いが生まれていることは理解していたが、口をつぐんで若いですね、と思っていたのだった。




