29 真実の愛の前には その二
……手紙がユリアンにとって唯一出来る、意思表示だったと思うのですが、それをこうまで言われてしまうと、今までのすれ違いも多かったのではないかと思ってしまいますね。
フリッツ王太子には強く言わないと伝わらない上に傲慢で欲張りだ。
しかし、そのきっぱりとした言葉をユリアンは彼に対して持っていない。なんとか回りくどい理由でこの場にとどまりたいと伝えているけれど、それはフリッツ王太子によって次々と論破されていく。
「……それ、に。私はこちらにいた方が、心が休まるんです」
「そんなのはまやかしだ! 俺たちはずっと一緒に生きてきただろ。俺は生まれた時からお前の事を知っているし、何より大事にしてきたんだっ。それを今更、ここの仕事がそんなに気に入ったのか?
領地経営にそんなに興味があるなら、カルシアで少しぐらい融通を利かせてやることなんか簡単だ」
次第に、回りくどい事ばかり言うユリアンに苛立ってきたのか、説得するために、フリッツ王太子は声を大きくして提案する。
「違います兄上。た、ただ王城の雰囲気は、わ、わたしには合わないというだけです」
「じゃあ何が悪かった!? 年配の侍女が怖かったのか? それとも立ち代わりやってくる貴族たちのたくらみか? 陰口か? そんなものをしらなくてもすむ仕事を俺が采配してやろう。
お前の周りにたくらみを持った貴族たちが集まって、お前を担ぎ出して馬鹿みたいな主張をしたときでも、お前が争いに巻き込まれないように俺はちゃんと守っただろ!
今までは俺も未熟だった、あんなふうに反抗するような貴族を残していたからな。次からはそんなことはさせない。
王位につけばお前は立派な補佐になる。俺を支える良い弟だ。俺はそれが何より誇らしい。
そうして家族で支え合っていきたいんだ。そうだ、婚約者もいただろう。今回の件で破談になったが、彼女だってお前にあつらえたいい女性だ!
お前のすべてはカルシア王国にある。一度は国を出たことで、すべてを失ったような気持になったかもしれない、しかし絆とは切れるものではないんだ」
意外なことに、フリッツ王太子の方もとても必死そうに見えた。
今までの明らかに自分が上位だという態度を変えて、ユリアンに提案を重ねていく。
もちろん、婚約者もいただろうということは知っていたし、長年そういう関係にいた女性もいて、家族もいて安定した仕事もある。
父からも期待されている立派な兄もいる。
奔放で気ままかもしれないがその王たる資質は、こちらの国王陛下も自分の息子と比較して取り替えたいと言っているほどだ。
悪くない提案で、悪意もない、しかしユリアンはどんどんと追い詰められたような表情になっていくだけで、揺らいでいるという事ではなさそうだった。
「ですが、兄上……、ぼ、僕は……」
「なぁ、戻ってきてくれ、ユリアン。お前は今までずっと俺の言いなりだったそれは認めよう。だからこうして出ていって、初めて思う所があったのかもしれない。
でも、すべてを捨てることはないだろ? 今まで積み上げて来たものより大切なものがあるわけでもない。
この場所にこだわる意味なんかない。カルシアに戻ってきてからなら手紙でもなんでも読むことにする。
お前の些細な小言も聞くようにする。お前はこんなところで、平穏なんて言う名のつまらない日々を送る男じゃない、俺の弟だ。
お前には俺が必要で、この場所はただの避難場所だ。ずっといる場所じゃない。……お前はここにこだわっているんじゃない、お前はただ、少し反抗してあの場所に戻りたくないと望んでいるだけだ。
それなら王城にすぐに戻らなくたっていいんだ。国内なら好きなところに離宮を設けてやる。そこでしばらく療養してくれてもいいんだ」
「……」
「ユリアン戻ってきてくれ。何があっても俺らは代えがたい家族だ。大切な絆だろう。
それよりも優先すべきものなんてないはずだ」
「…………」
いよいよ黙ったユリアンに、エミーリエは、口で勝てる気がしなかったけれど、それでも、それならと一つだけ言い返せる考えを携えて口を開いた。
「失礼ながら、フリッツ王太子殿下。ご兄弟の会話に口をはさんでしまって申し訳ございません。しかし、今言わなければならないと思い、決心して話させていただきます」
沈黙のさなかだったので、エミーリエの声はとてもよく響いた。
その場にいた全員の視線がエミーリエに一気に集まる。
「私は、こちらに向かう旅の途中で出会ったエミーリエと申します。ユリアンと将来を誓い合い、ともにいることでお互い誰にも代えがたいと思い真実の愛で結ばれた関係です。
家族愛はとても大切なものだと思います。しかし、それは真に愛し合っている男女の仲よりも優先されてしかるべきものでしょうか」
エミーリエは、どのぐらい言えばいいのかあまり見当がついていなかったので、ものすごく大きく一歩を踏み出した。
すると、ジークリット王妃が知っていたようにフリッツ王太子もエミーリエの存在をまた認識していたようで、エミーリエの言葉にイラつきながらも視線を鋭くする。
一番驚いた様子だったのはユリアンだった。
彼はエミーリエの言葉に目を見開いて、それから困ったような、けれどとてもうれしいようなそんな表情をした。
……ああ、よかったです。急に何を言い出したんだと奇異の目で見られたらどうしようと思っていましたから。ユリアン。
そんな彼に、エミーリエは安心させるように笑みを浮かべて、続けていった。
「順序は違いましたが愛の為に自分の家族と離れること、それは人として認められた尊厳ではないでしょうか。
フリッツ王太子殿下のお話を聞いていれば、ユリアンを大切にしているからこそ戻ってきてほしいと望んでいるかのように見受けられました。
それが間違っていないのであれば、真実の愛の為にあらたなる場所で新しい生活を送り、その生活を望むことを受け入れてくださると思うんです。
ユリアンは国を出てたしかに多くのものを失ったかもしれません、けれどそれが男女として愛し合うために必要な損失だったとするならば、必要なものだったと私は言いたいです」
「……エ、エミーリエ……」
ユリアンは何故だか、か細い声でエミーリエの事を呼んだ。視線を向けると顔を赤らめて、恥ずかしがっているような様子だ。
しかしそんなに恥ずかしがることではない。大丈夫だ。
家族愛が何物にも代えがたい美しいもので、多くの免罪符に使えるように、また男女間の愛情もそれと同じぐらい非常識なことをする場合の言い訳になる……と恋愛小説を読んでいて思ったのだ。
愛や恋については、エトヴィンをあこがれのように思っていたあの時、以来覚えがない。
しかしこういう時には大概、大恋愛のように大口をたたいておく方が他人が家族愛にケチをつけられないように、男女の恋愛にケチをつけるとその人が悪者になるのだ。
「……そ、そんなぽっとでのお前のような人に、俺たちの今まで積み上げてきたものが負けるはずがない!」
突然のエミーリエの盛大な愛の告白にも、フリッツ王太子はすぐに受け止めてそう切り返す。
「たしかに共にいた時間は短いです、けれど二人でこの屋敷で過ごした時間は今までの人生の中で一番充実していました」
エミーリエはもちろん嘘は言っていない。いろいろなことがあって、時間があっという間に過ぎていくようだった。
「だとしても、これからユリアンは、カルシアの国を引っ張っていく重要な補佐官になる予定だ。それよりも充実していて、やりがいのある仕事をお前は提供できるのか」
「人生の充実というのは仕事だけではなく、楽しい日常生活にあると私は思っています」
「そもそもユリアンは王家の人間として最高水位の生活水準で暮らしていた、今更こんな質素な館での質素な生活で幸福を得られると思うのかっ」
「贅沢をしているから、今もこれからも幸せになれるというのは暴論だと思います。
たしかに質素で慎ましやかな生活が肌に合わない人もいるとは思います、けれど、それを今までともに過ごしてきたユリアンからは感じませんでした。
これからも大丈夫だと思います」
エミーリエはいたって冷静に答えた。
フリッツ王太子の指摘は、結婚するときなんかに重要視される問題だが、何にせよ愛し合っている二人の前ではただの些細な障害に過ぎない。
むしろ障害があるからこそ燃え上がるのだとでも言っておけばいいのだ。
それに、この話の本題は周りが勝手に話し合って決めることではない。
ユリアンは兄に強くものを言うことができないと言っていたし、その言葉通り彼は黙り込んでしまっていた。
だからこそ、ともに帰るべきだという主張を、受け入れるか、拒否するかという選択肢ではなく、ユリアンがここに留まる正当な理由を作って、どちらを選ぶかという形式をとればいい。
そうすれば、ユリアンも自分の意見を言うための些細ではあるが応援になるだろう。
……どうでしょうかユリアン。
エミーリエは考えながらユリアンに視線を送る。
「それに、家族愛をとるか、真実の愛をとるかそれはユリアンが決めることです。それがどんな選択でも、誰にも文句をつけられるべきことではないのではないでしょうか、フリッツ王太子殿下」
「……」
エミーリエの言葉に、反論は出来ないようすで、フリッツ王太子もユリアンを見た。
しかしユリアンのそのまなざしを見れば、答えはすでに、決まっている様子だ。
「……兄上、私は、ここにいたいんです。こんなふうに女性に導いてもらえなければ自分の意見もあなたに言えないような未熟者ですが、私はこの人といたいんです。
カルシアへは戻りません」
「しかし……ユリアン」
まだ食い下がってこようとする、フリッツ王太子に、ユリアンはさらにごくっと息をのんでそれから、ぐっと眉間にしわを寄せていった。
「それに、私は、幼いころからずっとあなたが、に、苦手だったんです。もちろん家族としては愛しています。尊敬できる兄です。
けれど、あなたはあまりにも大きな存在過ぎた。あなたが何かするたびに結果的にはよくなっても、たくさんの余波が生まれる。その波にもまれて、周りで些細だけれどつらい事件が起きる。
保守派の人間に誘拐されたり、敵対貴族に毒を盛られたり、アウレールがいなければ私は多分生きていません。
それでも、あなたは言うんでしょう? 結果的には生きていて、国はよくなっていると。
っ、けれどその途中で余波を受けて職を失った平民が何人いましたか。切り捨てられることはとても重要だと父上はいいます。
しかし私は自分の目の届く範囲でいい、精々領地一つ分、穏やかな方法で敵を作らず、命を狙われても仕方ないなんて言われない良い人間でいたいんです。
それがここなら叶う。私は王家の人間としての才能がなかったように思います。
……それに何より、国民の生活の向上よりも自分の欲を優先して、愛しい人を選んでしまうような人間ですから、私は戻りません」
その言葉を聞くとフリッツ王太子は流石になにも返さなかった。
最後にユリアンは自分の中の呪縛を断ち切って、思っていることを口にできた。少しつらそうだったけれどとても勇気がいたことだろう。
……ユリアンはやはりすごいですね。尊敬します。
エミーリエもアレだけの大口を叩いただけの甲斐があったというものだ。
しかし、今更少しこの後ユリアンとどんな会話をしたらいいのか、気恥ずかしくて思い浮かばないのだった。




