16 ただ損なわないように
彼らが部屋を出ていくと、フランクは、エミーリエの手を振り払ってそれから距離を取った。
けれども、けんかの仲裁をされたことによって勢いは失っているらしく、彼はどこかバツが悪そうに床を見つめていた。
「……まず、あなたの意見は肯定します。そのように見えて当然だと思いますし、実際ヨルクに懐かれて、この屋敷での居心地もよく、家具をいただけると言われた時には純粋にうれしく思いました」
彼はちらりとこちらを見て、それから「やっぱり」とジトッとした声で言った。
けれど、きちんと今までとは違って、本音でコミュニケーションが取れているという事をエミーリエはうれしく思う。
彼は成人こそしていないが、それなりに大人に近い年頃で、エミーリエに対して直接糾弾するようなことを言わず、心の中でその気持ちを秘めていた。
もちろん大人同士の仕事上の付き合いではそういうことも大切だ。
しかし、こう言った事情が絡み合っているときは素直に思っていることを話さないとなかなか状況は変わらない。
「あなたのお父さまに取り入って、後妻の席に座りたいと望んでいる、そんなふうにも見えると思います」
「そりゃ、そうだろ……っていうか言葉だけで違うなんて言って説得されても、信じられるわけない。結局俺も懐柔して、結果的にはそうなっちゃったって言おうって思ってんだろ」
エミーリエがそういうと、彼は先手とばかりにエミーリエに厳しい視線を向ける。
……懐柔して、結果的に……なるほど。そんなことも、出来ない事はないのですね。
その言葉に、素直に感心してしまう。
もちろん心からそんな気がないので、考えもしなかったが、ずっと警戒していた彼はいろいろな可能性を考えていたのだろう。
そしてそんな可能性を考えていなかったので、フランクを説得しようと思っていた言葉が少し弱いような気がしてきた。
「…………たしかにそうですね、あなたも懐柔してなんて考えてもいませんでした」
「そんなこと言って、イイ子ぶったってあんたの魂胆なんて見え見えだから」
「懐柔というか、単に誤解を解きたい気持ちでいましたが、将来絶対にそうならない事を口約束するのも意味はありませんしね。
……この場合書面で契約を交わすというのも個人間の気持ちの問題ですから、おかしいですし……」
「契約って、いや、そんなことしろなんてユリアン様のご友人に言えないし」
「たしかに、体面も悪いですね」
「っていうか、もういいだろ。あなたがその気がないなら俺たち兄弟にも父さまにも必要以上に関わらないってことで、そうしたら俺だって、何も言わないし……さっきみたいな暴言だって言わない。
……過ぎた言葉を言ったことは謝罪する。申し訳なかったと思ってる」
それだけ言ってフランクは会話を切り上げようとした。
しかし、それだと彼とヨルクの間の溝は埋まらない。フランクが納得してくれない事には、関係がぎこちないままだと思うのだ。
「そんなことは気にしていないんです。フランク。それに、たしかにまったく関わらなければいいというのはその通りです。
けれど、懐柔策に見えるかもしれませんが、疑っているままでも聞いてください、私はこの鏡台を使う気はないんです」
自分がどんなふうに彼らと関わるつもりなのかを示すために、エミーリエはこの鏡台を綺麗にしようと思ったのだ。
自分が貰ったものではあるけれど、いつかきっと取り戻したいと思う時がベーメンブルク公爵にもフランクにも来るはずだ。
エミーリエの言葉に、フランクはちらとこちらを見たけれどまたすぐに視線を逸らす。
エミーリエの事を見たくなかったのかそれとも、鏡台を視界に入れたくなかったのかわからないがそのまま「なんでだよ」と投げやりに聞いた。
「私は、この屋敷で我が物顔でこの鏡台を使うような人間になるつもりはないというだけです。
ただ損なわないように、美しく保って、眺めて思いだすことを阻害しないようにしたいと望んでいるだけです。
あの刺繍も、ベーメンブルク公爵夫人が施したものなんでしょう? それを自分勝手にアレンジをしたり、デザインを変えたりしません。
出来る限り元に戻るようにして、いなくなって痕跡が消えていくのを寂しく思うあなた方の助けになればいいと思っています」
「……口先だけなら、なんだって言えるだろ」
「はい。なので、あなたもヨルクと同じように、いつでも状態を確認しに来てくださいね。フランク、いつでも私は、私に居場所をくださったベーメンブルク公爵家の人のお役に立ちたいと思っていますから」
エミーリエはそう言って目を細めた。
彼はやはりとても難しい表情をしていて、しばらく考えた後に口を開いた。
「いや、来るわけないだろ………………あなたみたいな若い人の部屋に通ってるなんて、どんな噂を立てられるか。あなたにも悪い」
説得は出来なかったかと一度気落ちしたが、お互いの体裁を考えてそう言った彼にエミーリエはほっとして、気を抜いて返した。
「そこは、ヨルクと来てくださればいいんですよ。元気な弟が粗相しないように付き添っている兄に、誰が変な噂を立てられましょうか」
「……」
「ああ、あと私はユリアンの友人ですが、ただの友人というわけではないんです。
この別館で主従関係がない人間関係は私たちだけです。彼もそういうつもりのようなので、本当に後妻の心配などする必要はありませんよ」
先日の事を思い出して、対外的にはそういうふうにするつもりだとユリアンが示した以上は、こう言っても大丈夫だろうと思い、エミーリエはフランクに説明した。
すると彼は意外そうな顔をしてから、つきものが落ちたみたいに「なんだ」という。
「そういう事なら、先にそれを言ってくれればよかったのに」
「……そうでしたか? 失礼しました。
あまり他の人と好い関係だから、そういうつもりじゃないと言うのはそうでなかったら狙っていたという意味と捉えられかねないと思いましたので」
「それもそうか。……まぁ、もう流石に、少しはあなたの事が分かった……でも! ヨルクを甘やかすのはやめろよ! あいつ日に日に生意気になってきてやがる!」
「そうなんですか? いいではないですか、子供は少し生意気なぐらいが健全だと思いますよ」
腕を組んで苛立たし気にいう彼に、エミーリエは今までの自分だったらきっと口にできなかったであろう言葉を言って、目を細めた。
無邪気なヨルクはとてもかわいいと思えるし、彼ははっきりものを言えるいい子だ。それを愛されていて妬ましいなどとは微塵も思わない。
そんな自身に、エミーリエは、自分も一歩成長したのか、となんだか達観した気持ちになったのだった。




