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どうせ去るなら爪痕を。  作者: ぽんぽこ狸


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14 抱えている問題



 

 のびのびした職場というのはとても良い。


 しかし一人一人の個性があるからこそ、合わない人というのも出てくるもので、まったく私情を挟まない関係だったらまだしも、生活を支える侍女という仕事のグレータと素性の知れないエミーリエは少々相性が悪い。


 けれども好いてくれる人もいるわけで、別館の方へと来てもらった侍女三人にお願いして、ベーメンブルク公爵からもらった鏡台の件で相談があると持ち掛けると、すぐに彼女はやってきた。


 部屋に搬入されてから一度も手を付けていないそれが見える様な位置でソファーに腰かけて向かい合った。


 けれどもグレータの視線は鏡台の方へと向いていて、なんだかその視線は悲しげだった。


「……それは、そんなにグレータにとっても思い出深いものなんですか?」


 前置きもなしにエミーリエはグレータに問いかけた。

 

 すると彼女は鋭い視線をキッとこちらに向けて、けれど一度自分を落ち着けるように細く息を吐いた。


 それから、いつもよりも元気のない声で言った。


「もちろんです。これは……多くの人間にとってとても、思う所のある品です」

「やはりそうですか。平然と使ったりせずによかったです、よく思い出してみると、私に使って欲しいとは言っていましたがベーメンブルク公爵閣下も何か言いたげでしたから。


 無理にお返しするのも違うかと思いまして、事情を知っている方にどうするべきか話を聞きたかったんです」

「そうですか。……一つお伺いしてもいいですか、エミーリエ様」


 今まで同様に、冷たい態度をとられるかと思ったが、意外にもグレータは観念したような様子で問いかけてきた。


 頷くと続けて言った。


「ヨルク様やフランク様を傷つけるつもりはないとおっしゃっていましたが、その気持ちにまだ変化はございませんか?」


 この屋敷に移った時の会話の事だろう。


 もちろんだとも変わるはずもない、しかし鏡台が子供たちにも由来するとなると少し答えがわかって来た気がする。


「はい。変わりありません」

「では、お話しいたします。


 この屋敷ではあまりに急な事でしたので、誰もが受け止めきれていない事なんです。ですから、エミーリエ様も、どうかうかつにはこの話を出さないようにお願いします」


 そうしてグレータは、あの鏡台が何なのかという事と、ベーメンブルク公爵や二人の子息の気持ちや状況を察せられる限りで話したのだった。





 エミーリエは自身の部屋に置いてある鏡台を磨くために、侍女から色々な道具を借りて丁寧に作業をしていた。


 本当ならば製造した家具職人に依頼するのが筋なのだ。


 しかしこんなに高価なものを下手に運び出してよそで綺麗にしてもらうのは、屋敷の住人の気持ち的にもよくないだろうと思い、出来る限り綺麗な状態で保存するために手を打とうと考えたのだった。


 柔らかいブラシで繊細な彫刻から埃を除き、コットンの綿を巻き付けた綿棒で隅から隅まで綺麗にする。


 年代物なので少し曲がってしまった蝶番は流石に、自分では直すことができないが金属部分をきれいに磨くことぐらいは可能だ。


 少しでも美しさを損なうことはないように、慎重に引き出しの中まで拭き上げる。


 付属のアクセサリー用のクッションは新しいものに変更してもいいだろう。


 自分が使うわけではないが、いつか使う人の為にも考えて、そばに置いておいたメモ用紙に寸法を記載した。


「……エミーリエ様はこんなこともするんだね。使用人にお願いしてもいいと思うけど」


 隣にいたヨルクがエミーリエが真剣に床に膝を突いて作業をしているのを見てそんなふうにこぼす。


 彼はエミーリエがこうして別館に移ってからも、兄の目を盗んでこちらに遊びに来ることが多かった。


「それは、たしかにその通りですが、自分でやりたいと思ったんです。なにより大切なものなのでしょう。人によっては見るだけでもつらいような、そんな……」


 それ以上に彼にかける言葉も見つからなくて、エミーリエはいつもよりも言葉少なだった。


「……僕は別に。でも、父さまと兄さまは違うんだろおね」


 子供っぽいような、どこか含んだような言い方だった。

 

 彼はそっぽを向いていて、エミーリエから見ると子供らしい丸い頬が可愛く見える。


「ええ、人それぞれ思うことは違います。私はまだ真に自分の身内をなくしたという気持ちを味わったことはありません。けれどわからないからと言って想像する事をやめてしまうつもりはないんです」


 エミーリエは父と母を亡くしている……らしい。しかしそのことについてはよく覚えていないのだ。


 ただ王族からの印象を相当悪くしてしまったらしく、二人の死を受け止めるまでの間、面倒を見てくれるような親戚に引き取ってもらうことができなかった。


 なので婚約者の屋敷でお世話になっていたという経緯がある。


 そこで必死に気に入られようと仕事をしているうちにいつの間にか、没落して不慮の事故で亡くなったということ以外は思いだせず、心にぽっかり穴は開いているけれど、どんな気持ちを失ったかは覚えていない。


「想像なんて、しなくていいよ。想像したって、可哀想な子って僕の事を思うだけなんだから」

「……そうですか」

「うん」


 落ち込んだように言うヨルクに、エミーリエはうまくフォローを返せずに、なにか気の利いた言葉でも言えればよかったのだが思い浮かばない。


 代わりを務めることもできないし、エミーリエはただここに転がり込んできただけの妙な女性貴族でしかない。


 究極的には他人なのだ。


 そんな人間が無責任なことを言ってはいけないだろうと思う。


 しかし何かを言いたくて、言うべきだと思って、作業を一度止めて、顔をあげた。

 

 それにヨルクは気が付いていない様子だったけれど、子供なのだからエトヴィンがロッテにやっていたように、ぎゅっと抱きしめてやったらいいのかと思う。


 しかしそれもまた、厚かましいような気がして、控えめにそのくるくるした金髪をぽんぽんと撫でた。


「……でも、また刺繍がほどけたら直します。ほかは、少しなら庭園で散歩をしたり、一緒にお菓子を作ったりも……しますよ。ヨルク」


 それがエミーリエに出来る精一杯の愛情表現であり、懐いてくれて、この場所で唯一無関係だったエミーリエに居場所を与えてくれた彼へのささやかながら出来る恩返しだ。


「……」

 

 そうするとヨルクはちらりとこちらを見た。


 それから、唇をつんととがらせて「約束だよ」と小さく言った。


 そのとても愛らしい姿にエミーリエは、ああ、抱きしめてもよかったかもしれないと、少し思ったけれど、やっぱり厚かましいだろうという気持ちもあったのだった。






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