13 大きな鏡の鏡台
「中古品で君に使って欲しいものがいくつかあるんだけど、どうかな?」
それは、別館に移るときにベーメンブルク公爵に言われた言葉だった。
エミーリエは、ここに来るとき自分の荷物をあまり持たずに来た。
綺麗に清掃されて新しくなった別館にもっていくための家具はなかったし、買うにしても常に商会に在庫があるわけではないので、作るのに時間がかかる。
それに貴族が使うような家具は高級品なので譲ってくれるというのであればそれ以上に嬉しい事はない。
「はい。とてもうれしいです。ベーメンブルク公爵閣下。気を遣ってくださってありがとうございます」
きっと、用意が間に合わないだろうと思ったから気を利かせてこちらの本館で余っている物を持って行っていいと言ってくれているのだと思うので、申し訳ないという言葉を飲み込んでお礼を言った。
すると彼は、エミーリエから目を逸らして「いや……」と何かを言いかける。
けれども、気を取り直したように、少し笑ってごまかすように言う。
「では使用人に用意させておくから、よろしく頼むよ。家具も使われずにしまいこまれるよりも、必要としている人が持っていた方が、きっと長持ちするだろうから」
「? ……はい、ありがたく使わせていただきます」
そんな会話をしたことは覚えているし、ありがたい事だなとしかその時には思わなかった。
ベーメンブルク公爵は、こんな素性の知れないエミーリエの事も尊重して置いてくれるようなとても器の大きな人だ。
彼の息子であるヨルクとフランクも基本的にとても良い子に育っていて、優秀なんだと侍女たちから聞いている。
彼自身が良い人だからこそそうなのだろうと思う。
しかし、実際に本館の方から中古品でもらった家具の中には、一つとても異質なものがあった。
それは高級な大きな鏡がついた鏡台であり、それはとてもあんな気軽な会話だけでもらっていいような代物には見えなかった。
気になりつつも仕事を進める日々は続いた。
本館でこの屋敷の事務官長であるイザークに書類の確認をしてもらいつつ、エミーリエは少し気になって問いかけてみた。
「イザーク、少しいいですか?」
「はいはい、えーっとなんですか、エミーリエ様」
「大したことではないのですが、ベーメンブルク公爵からいただいた家具の中に、とても高級そうな鏡台があったんです。そういうものを他の貴族からもらうような機会があったんでしょうか?」
「いいえー、なかったと思います。少なくとも僕が知っている限りは。あ、ここ、少し記載の仕方が違いますね」
「はい、どのあたりですか?」
「ここです。わかりづらいですよねー、これ。早く改善してほしいです」
「そうなんですね。次回から気を付けるようにします。まだまだ、完璧にとはいかないものばかりですね」
エミーリエは、慣れた伯爵家での仕事を思い出しつつ、少し悲しくなった。
しかし、あちらは伯爵家でここは公爵家だ。おのずと、王家に提出する書類の量も種類も変わってくる。
領地から上がった税収や領地の管理について、余すことなく報告し、与えられている領地に関して貴族が得ている特権の価値を正しく伝える。
それに見合った貢納をしているかどうかも厳しく見られるうえに、このベーメンブルク公爵家は特別だ。
カルシア王国との兼ね合いもあるので、書類がわかりづらく面倒くさい。
あちらの国にも様々な報告を必要とするらしく、形式がごちゃごちゃしていて厄介だ。
「エミーリエ様、完璧なんてとんでもないですよー。
そもそも他領とはまるで違う形式なのに、領地は広大で管理することも報告することも多いこの屋敷。
けれども書類仕事ができる優秀な貴族は数少なく、こうしてまったく嫌な顔をせず手を貸してくださるだけでも僕はとっても、助かっているんです。
だからどうかそんなふうに自分に厳しくせず、ゆっくりと仕方ないから手伝ってやろうって気持ちで手を貸してくれればそれでいいんですよー」
「……手を貸してやろうなんてそんな」
「それに、エミーリエ様は侍女たちからも頼られているそうじゃないですか、急にいなくなられたりしたら、本当に、本当に困りますからね。気軽で、気軽でいいんですよ」
イザークはとても鬼気迫ったような顔をして、眼鏡越しにじっと見てエミーリエに出来るだけ気楽にと言う。
そんなふうに言われずともエミーリエは突然いなくなって仕事を放棄したりはしないと思った。しかし、突然飛んだことはすでに一度ある。
それについては一切の弁明もできないほどに本当に突然のことで無責任であったので、一度やったことを無いとは言い切れない。
「わ、わかりました。気楽にやります」
「そうですー。それが一番! それで、高級な鏡台の話でしたか?」
エミーリエが肯定すると、彼は書類の確認を終えたのと同時に話を元に戻した。
「あ、はい」
「そうですねー。僕は屋敷の中の事についてはあまり詳しくないですが、鏡台となると……グレータに聞くのがいいと思いますよ」
「グレータですか」
「ああ、わかりますよ。彼女すこしピリピリしてますからねー」
「そうなんです。すこし距離を置きたいと思われているみたいで」
「ふむ。そうだ。彼女は後輩にはとてもやさしいですから、若い侍女から話を通してもらうといいのではないでしょうか」
そう提案して、彼は眼鏡を少しかけ直し、トントンと書類を纏めて席を立つ。
「わかりました。そうしてみます」
「もし、それでもグレータにぞんざいに扱われるようでしたら言ってください、ベーメンブルク公爵家期待の新人事務官にストレスをかけるな! と私が一喝しますからー」
軽くそんなふうに言って執務室を出ていく彼に、エミーリエはそれは流石に、と思いながらもぎこちなく笑った。
こうして仕事をしていて思う事なのだが、やはり屋敷全体の雰囲気にもフォルスト伯爵家とは差が出る。
このベーメンブルク公爵家は、多くの人がのびのびと働いている印象が強く、仕事中の会話も私的なことが多い。
フォルスト伯爵家では何と言い表したらいいのか……例えるなら気難しい親方のいる工房のような雰囲気で、ロッテだけが自由に振る舞う事を許される。
完全に確立したヒエラルキーが存在していた。
どちらがいいとはいわないが、エミーリエは出来るだけ多くの人が嘘偽りなく伸び伸びと働いている方が、性に合っているとここ最近思っているのだった。




