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姉に譲らないもの

作者: 宇佐美レイ


莉緒の姉、佳子は人を惹きつける存在である。


すらりと伸びた白い手足、顔も小さく、パーツも適切な場所に配置されている。佳子を見ていると一見、何でも持っている人間であるように感じてしまう。莉緒は昔、佳子に対して複雑な感情を抱くことがあったが、最近では違う人間だという認識の方が先にきており、佳子に対して負の感情を抱くことはなくなった。

佳子と同じように見てほしい、対応してほしいと人に求めてはいけない。莉緒の心にはそういった信条がある。


佳子は現在、噂によると彼氏に近い存在の人間が2人いるようだ。莉緒はなぜ佳子が曖味な状態にしているのか少し気になった。噂に対して違うのであればはっきりと言うこともできるはずだ。


佳子は幼少期の頃から欲しい物は欲しいと強く主張するタイプで、自分の物にすると人と共有することを嫌がっていた。莉緒は佳子が本当にほしいと思っている物には興味がなかったため、佳子と大きくトラブルになったことはなかったのはよいことだと感じている。


玄関のドアが開く音がして、佳子の足音が聞こえた。

「莉緒、アイス買ってきたから一緒に食べよ」

佳子は手に持っていたビニール袋を利緒に見せると優しい笑みを浮かべていた。

「莉緒の好きなチョコアイスもあるから」

「ありがとう」

佳子から受け取ったチョコアイスを食べながら、佳子の彼氏はどちらの人間になるのかと思いをはせた。莉緒にとって佳子は大切な存在。そんな佳子を大切にしてくれるのであれば、結局どちらでもよいのだが。


彼氏候補その1は隅田という名前で、佳子と同じ高校、同学年の生徒である。学校内で人気の高い人間だ。爽やかで嫌味のない人柄は年上年下関係なく好かれる。サッカー部に所属しており、誰から見ても陽の当たる側の人間だ。校内で佳子と一緒にいる姿も度々見ており、佳子と隅田は内緒で付き合っているという噂もある。隅田の綺麗な顔、二重で見つめられると誰でも惚れるという噂を緒の友人が言っていたのを聞いたことがあった。


彼氏候補その2は穂積という名前で、佳子の1学年上の先輩で3年生。大人の色気があり、頭もよく人への気遣いもできる超人である。コミュニケーション能力がずば抜けて高く、将来性の見込みあるとのこと。


穂積はおそらく、自分が信頼できると思う相手には自分の弱みを見せて、相手をより惹きつける手腕があると莉緒は感じている。佳子とは学年対抗の行事の委員の関連で知り合ったのか、佳子の友人を含めて談笑することが多いよう。穂積の佳子に対する気持ちは不明だが、彼の目の温度を見ていると住子に対する何らかの感情があるのはわかる。


一番わからないのは佳子の気持ちだ。佳子が好きだと告げればどちらも応じるに違いないだろう。ぼんやりと佳子の顔を見ながら莉緒はそう考える。莉緒は今後、佳子の彼氏候補と接することはないと思うが、佳子の選択は少し気になる。


ちらりと横目で見ると、チョコレートアイスを美味しそうに食べている佳子の幸せそうな顔が目に入った。

莉緒自身は学校では特に目立つ存在ではない。佳子の妹だということを知らない生徒もいるのかもしれない。莉緒にとってその方が都合がよく過ごしやすかった。学校で佳子と話さないというわけでもなく、ほどよい距離感で接してくる佳子はやはり人間関係の構築がうまい。


「莉緒、おはよ」

登校中に後方から相馬が声をかけてくる。相馬一颯は幼馴染で莉緒と同学年である。相馬は昔から人に対して怒ることがなく、常に穏やかな性格で莉緒のお気に入りの人間だ。


「おはよ。相馬、今日も会えて嬉しいよ」

「何急に。いつも嬉しいってこと?」

「そうそう」


相馬は「嘘っぽいな」と小さく笑いながら、莉緒の隣に並ぶ。小学生の頃から基本的に登校は相馬としている。時々佳子も同じ時間に登校することはあるが、佳子は忙しいのか先に学校に行っていることが多い。相馬は誰かに冷やかされても気にせず、莉緒の隣にずっといてくれる稀有な存在である。


相馬とはクラスが異なるため、自身のクラスに入ると何やらざわついた様子であった。莉緒は近くにいた杏子に何があったのかと聞く。


「佳子さん、好きな相手がいるんだって」

「え?」

「莉緒知らないの?知ってると思ってた。佳子さん、好きな人がいるからって違う人の告白を断ったって噂になってるよ」


クラスでは妹である莉緒が知らないということもあり、噂はデマだとなったようで次第に落ち着いていた。

莉緒は佳子が隅田か穂積のどちらかに気持ちが傾いたのかと気になった。


昼休みになり、名前が呼ばれ振り向くと「隅田」と思わしき人物がいた。顔を見ると噂通り一般的に好かれそうな風貌といった印象だ。

「野上の妹に聞きたいことがあって」

隅田の言葉で友人に莉緒は押し出され、隅田の前まで連れて来られた。

「急にごめん。少しだけいいか」

「はい」

隅田に連れられて人気のない場所まで行く。

「野上のことだけど、好きな人って誰とか言ってたか」

隅田はやはり佳子のことが気になっているようだ。しかし、莉緒も今朝その話を聞いたばかりで何も知らない。佳子の様子を見ていても誰が好きなのかはわからない。

「姉は特に何も言ってなかったです」


隅田は莉緒の言葉を聞いて大きくため息をつくと、膝に手を当ててしゃがみこんだ。

「俺って恥ずかしいよな。野上の相手が誰か気になって焦ってさ」

「そんなことはないと思いますけど」

莉緒の返答に慰められたと思ったのか隅田は自分の気持ちを吐露し始める。

「野上は俺の憧れなんだ。俺は基本的にそこまで明るい性格でもなく、小さなことでうじうじすることも多い。でも野上はいつでも前向きになろうと努力している。その姿を見てると気持ちがあったかくなるんだ」



隅田の言葉に内心額きながら、隅田はなかなか見どころがあると莉緒は感じていた。また、一見爽やかそうに見えるが、内心では様々なことを考える性格なのだろう。

「妹に語って気持ち悪いよな。悪い」

「妹としては純粋に姉を想ってくれている隅田さんは素敵だと思います」

莉緒の言葉に隅田は顔を上げ、わずかな笑みを浮かべた。

「隅田、何してるの。かわいい子連れてさ」

利緒は近づいてくる人の顔を見てピンときた。おそらくこの人が穂積だ。大人にに近づいた体つき、表情等から色気は隠せない。

「なんもしてないですよ。穂積さんこそ、俺に話しかけてくるの珍しいですね」

穂積は隅田の言葉に微笑みながら莉緒の近くに寄ってくる。

「莉緒ちゃんだよね。初めまして」

莉緒は佳子の知り合いから、佳子抜きの一人の人間だと認識されたうえで挨拶されたことに驚いた。

「こちらこそ初めまして。姉がお世話になってます」

「うーん、どうだろ。野上さんをお世話したことはないかな」

「いや、言葉のあやだろ」

隅田のつぶやきに穂積は目を細めながら、顔を少し傾げて莉緒を見つめた。

「莉緒ちゃんのことはお世話したいかな」

「野上の妹、穂積さんの言葉を真に受けるなよ。この人、女たらしだから」

「そんなことないのに。酷いな」


二人の言葉を聞きながら、二人は案外仲がよいのかと思った。特に険悪な様子もない。

このまま待っていても無駄に時間が過ぎそうである。

「あの、姉が誰を好きなのか、姉の気持ちは姉にしかわからないので、私にはわかりません。すみませんが協力はできないです」


こういった場合は変に安請け合いをせずに、はっきりと返答した方が後になって困らなくてすむ。経験上、莉緒は知っていた。


莉緒の言葉に隅田は少しだけがっかりとしたようだが、気持ちを引き締めたようで「俺自身が頑張る」とつぶやいていた。

「負けませんから」

隅田は真剣な表情で穂積に告げた。


「そんなこと言われても困るなぁ。野上さんには興味ないんだけど」と穂積は莉緒の顔をチラリと見た。

「妹から懐柔しても意味ないですからね」

隅田の挑戦的な言葉に穂積は困ったような表情を浮かべていた。


莉緒から見ても穂積の内心はわかりにくかったが、穂積が莉緒の名を知っていたことに関しては隅田の言っている言葉もあながち間違いではないのかもしれないと感じていた。

「野上の妹、元気もらえた。ありがとう」

隅田はそう言葉を残し、颯爽と戻っていった。

「隅田は勝手だなぁ。ね、莉緒ちゃん」

「ですね。でも姉のことを隅田さんなりに真剣に思ってくれているようでよかったです」

「ふーん。莉緒ちゃんはあんな感じの男がタイプなんだ」

「いや、違いますけどね」

穂積は莉緒の顔をしばらく見つめてから、何に納得したのか頷いて微笑んでいた。

「莉緒ちゃんはさ、野上さんのことをどう思ってるの」

「姉のこと、どうって…」

「何でもいいよ」

普段なら返答しないが、穂積が真面目な表情をしていたため、莉緒は姉について考えた。

莉緒はふと感じていたことを言葉に出した。


「姉は姉です。私とは別の人間。強さもあれば弱いところもある。私はそんな姉が好きです」

「やっぱりね。どんなところが好きなの」

穂積は莉緒の言葉をゆっくり目をつぶりながら聞いていた。莉緒は穂積の様子を不思議に思いながらも言葉を続ける。


「姉の好きなところは私だけの秘密です」

「そっか。利緒ちゃんは……。いや、何でもない」穂積は何かをいいかけてやめた。

「お昼食べる時間なくなっちゃうね。もどろっか。」

穂積は機嫌がよさそうに莉緒を教室の途中まで送ってくれた。おそらく、教室まで送るとなると莉緒がやっかみを受ける可能性があるため、途中で別れたのだと莉緒は感じていた。


穂積は道中、佳子のことを莉緒に聞かず、莉緒の好きな物は何かといった簡単な質問をしていた。穂積は莉緒の他人行儀な対応でも丁寧に会話を続けてくれた。莉緒はそういった穂積の対応を見ていると、穂積は同学年とは違った大人な雰囲気があり、人気の理由がわかった。

わずかだが相馬に似ているところがあるとも感じていた。



教室に戻るとザワザワとしていた状況が一瞬静かになる。莉緒の友人が「なんだったの」と好奇心旺盛に利緒に尋ね、莉緒が「姉の噂について何か知ってるかって」と返答すると、クラスの女子に落胆ムードが漂う。

「あー。やっぱり、隅田先輩は野上先輩が好きなんだなぁ」

「残念」

女子の口々に合わせて、数名の男子も「野上先輩も付き合うかもな」と落ち込んでいる様子がうかがえた。やはり、姉も人気があるようだ。


確かに隅田の様子から、姉を好きなことは間違いないだろう。穂積も確実ではないが、姉に対して何かしらの感情を抱いているはず。莉緒は巻き込まれないようにしようと心に誓いながら、できれば第三者視点で見守りたいと考えていた。


しかし、莉緒の思惑は外れ、隅田と穂積はその後、学校で新緒とすれ違った時に挨拶をしてくるようになった。内心ヒヤリとしたが、佳子の妹であるということからか特に問題なく日々は過ぎていった。穂積に関しては人がいない時には立ち止まって話しをすることもあった。


ある日、学校の帰りに本屋に寄り、帰宅が遅くなった。莉緒が自宅に戻るとリビングで話し声が聞こえてきた。声からすると佳子と相馬のようだ


「相馬くん、これ見て!かわいいでしょ」

佳子の楽しそうな声が聞こえる。

「かわいいですね。もっと見せてください」相馬のいつにもまして熱のこもった声も。

「いや、これ以上はちょっと…。あ、そうだ。美味しいケーキがあってさ。一緒に食べよ」

「あからさまに話をすり替えましたね…ケーキよりそっちが見たいです」


莉緒は姉が家族以外の人間に年齢相応の楽しそうな様子で接している様子を久しぶりに聞いた。

確かに相馬は姉にとっても幼馴染であり、昔から二人だけの空気感はあった。しかし、年齢を重ねるにつれて、相馬は莉緒といることが増え、相馬と姉が接する時間はほとんどなかったように思う。

姉の好きな人はもしかして…。


莉緒はその可能性に至り、わずかに心に違和感を抱いた。喉が詰まるような感覚。しかし、和やかな様子の二人を応援したほうがよいのかと思っていた。心の違和感に目をつぶって。


二人の邪魔をしないようにそっと自室へ入る。莉緒が自室の壁に目を向けると小さな頃の莉緒、相馬、佳子の3人が写った写真が目に入った。写真の中の相馬と姉はとても楽しそうに笑っていた。



小さな頃から佳子は莉緒に優しかった。莉緒ができないことも自然とフォローしてくれ、自慢の姉であった。佳子は時々、莉緒にいたずらをして楽しんでいるところはあったが、莉緒にとってはよい思い出だ。

そんな佳子に莉緒が初めて淡く複雑な感情を覚えたのは幼稚園の頃である。当時なぜか、誰と一緒にいても必ずと言っていいほど姉の話が出たのだ。今ではその理由はわかるのだが。


幼稚園の頃は「遊んで食べて寝る」という単純なことの繰り返しではあったが、毎日が楽しかった。目新しいことばかりで、様々な経験をした。相馬はその頃から莉緒の傍にいて一緒に楽しい日々を過ごしていた。


莉緒が突拍子のないことをしても寛大な心で受け入れてくれ、基本的に何事にも動じない。一時期は相馬をいかに驚かせるかという遊びもしていたが、そんなことをするより一緒に遊ぶ方が楽しく、驚かせることも次第になくなった。

佳子と相馬は莉緒のありのままを受け入れてくれるという、似ているところがあり、莉緒は二人が好きだった。


相馬は幼馴楽ということもあり、自宅のリビングで一緒に過ごすことも多かった。昔は莉緒がいない時に佳子と相馬が二人きりになっていることもあり、当時も二人は独特の空気感があったのだ。


その二人だけの空気感に莉緒はいつしか言葉にできない感情を知った。佳子、相馬のどちらに何の思いを抱いたのかはわからない。しかし、深く考えると自身が傷つきそうな気がしてその気持ちに蓋をした。そのためか、様々な感情に鈍くなり、佳子への羨ましさ等は感じなくなったのである。怪我の功名とまではいかないが、今を楽しく生きるためには莉緒にはそうするしかなかった。

「莉緒一。ご飯だよ」

佳子の声が聞こえた。いつの間にか莉緒は寝てしまっていたようだ。

「うん、今行くね」


佳子には隅田、穂積と候補はいるが、莉緒にとって一番応援したいと思うのは相馬である。

いくら隅田と穂積がよい男だとしても。相馬は将来性、人間性も我が家では評価が高い。莉緒が贔屓しても仕方がない。


佳子と相馬の時間を増やせば、何かがはっきりするかもしれない。莉緒は考えた。朝は相馬と登校するという自然な流れができている。そこに時間が合えば佳子も加わる…。


「お姉ちゃん、明日一緒に登校しない」

「え」

佳子はかわいらしい目を丸くして緒を見つめる。

「イヤだったらいいんだけど」

「行く」

すばやい返答。やはり、相馬と過ごせる時間が少しでも増えると嬉しいのだろうか。

「急にどうしたの」

「お姉ちゃんと一緒に登校したくて」

「よし、今から一緒に散歩しよう」

「今、夜だよ」

姉はいそいそと散歩に出る用意をしている。莉緒は食後であるし、姉の機嫌がよいこともあり、姉と散歩に出かける用意をした。父母には危険のないようにコンビニに行ってすぐ戻ると伝えた。


「お姉ちゃん、昔はよく2人で色んなところ遊びに行ったよね」

「いつの間にか3人になってたけど」

佳子はボソッとつぶやいた。

「莉緒、お姉ちゃんと手をつなごう」

「えー、もういい年なんだけど」

そっと手を出されて、莉緒は文句を言いながらもそっと手を重ねた。佳子は莉緒の手ごと手を振り歩き出す。

「あと何年莉緒とこうしてられるのかな」

「お姉ちゃんが嫌じゃなかったら、いつでもいいよ」

莉緒の言葉を聞いて佳子はニコッと明るい笑顔を浮かべていた。

「莉緒はさ、自分の気持ちに正直でいるんだよ?」

佳子が真面目な顔で緒を見つめた。

「お姉ちゃんもだよ。どんな選択をしても私はお姉ちゃんの味方だから」

佳子は立ち止まると莉緒をぎゅっと抱きしめた。莉緒は佳子が何か決断を下そうとしているのかもしれないと感じ、それが相馬のことなのか、別のことなのかは判断ができなかった。

しかし、莉緒は佳子がどんな選択をしようとも味方でいようと思っていた。



コンビニで佳子は莉緒の大好きなチョコレートアイスを買ってくれ、学校生活のこと等を話しながら帰った。

翌朝から佳子は一緒に登校してくれるようになった。相馬は佳子がいても特に何も言わず、3人で話しながら登校する。2人の様子もそれほど変わらずに日常は過ぎていく。姉には好きな人がいるという噂も少しずつ収まっていった。



放課後になり莉緒が帰宅の準備をしていると後ろの席の山城がぶっきらぼうに四つ折りになった紙を渡してきた。

「これ、落としたよ」

莉緒は何も落としていなかったが、何となく山城が莉緒に渡したいものだと感じ受け取った。

「あ、ありがとう」

山城は莉緒が受け取ったことにホッとしたようで、目じりを和らげた。見た目はいかつい様子だが、笑うとかわいらしい。

山城は他の男子に呼ばれたようで、すぐに去って行った。

受け取った紙を開くとかわいらしいクローバー、てんとう虫のイラストが描かれた便箋だった。

「今日の放課後、中庭で待ってる」と綺麗な字で書かれてあった。一瞬、山城の字かと思ったが、山城の字はもっと粗い字であるため、誰なのかと疑問に思った。


知らない人であった場合リスクが高いため、行かないという選択肢もあったが、文字の様子からどんな人か興味を湧かせるものがあった。それに山城が渡してきたということも気になる。


放課後、莉緒は何かあった時のために携帯をすぐにかけられる状態にして中庭に行った。

中庭は草が惜しげっており、整えられていないことからあまり人気がない。雑草か、植えられた花かはわからないが、ほんのりとよい匂いがする。その方向を見ると、壁にもたれかかるようにして穂積がいた。よい匂いの正体は花ではなく、穂積だったようだ。



「久しぶり。来てくれてよかった」穂積は莉緒を見つけると微笑んだ。

「この手紙、穂積さんだったんですね」

「うん。豊がちゃんと渡してくれたみたいでよかった」豊とは…山城のことか。

「宛名が書いていなかったので少しドキドキしました」

「豊め、適当に渡したな。じゃあ俺がいてドキドキした?」

「ホッとしたのかもしれません」

穂積は「告白かもしれないよ」と悪戯っ子のような表情をしていた。

「山城くんとは知り合いなんですか」

「俺の要件より豊のことか…。豊は俺の友人の弟。昔からの知り合いでいい子だよ」一見怖そうな山城は穂積にとってはいい子になるのか。

穂積は近くにある蔦に咲いている花を触っている。

「莉緒ちゃん、今度俺と遊びに行かない?」

「私ですか…」

莉緒は自然と不思議そうな顔を向けてしまう。


「不思議な目を向けられたのは初めて。楽しいね」

莉緒は少し考えた。莉緒も自分の世界を広げた方がよいのではないかと。今までは狭い世界でも別によいと感じていたが、今後、もし佳子と相馬が付き合った場合、自分の世界の狭さに後悔する日がくるのかもしれない。


そう思うと佳子に近い存在の穂積だが、自分の世界を広げるためにも今回の誘いを受けてみるのもありか。相馬を応援している莉緒としては穂積のことを知る手がかりにもなる。だが、穂積と出かけることによるデメリットは大きい。


「行きます?」

悩んだ末に誘いを断ろうとしていたが、穂積の顔を見て肯定の言葉がでてしまった。

「まさかの疑問形…」

「行きましょう」

莉緒の返事に穂積はフッと笑った。

「後悔させないようにしなくちゃね。土曜日の14時、喫茶店リオンで集合しよ。地図はSNSで知らせるね。連絡先教えて」

流れるように連絡先を聞かれ、素直に応じてしまう。穂積の様子を見ていると慣れているという感情を頂いてしまう。穂積の手腕は相手に違和感を抱かせないところが怖い。


「じゃあ土曜日、楽しみにしてる」

「こちらこそです」


穂積の意図はわからないが、楽しそうにしている姿を見て莉緒はこれでよかったのかと少し後悔していた。


土曜日の朝、無難な服装を着てリビングに行くと佳子がコーヒーを飲んでいた。

「莉緒もコーヒーいる?」

「ううん、大丈夫。ちょっと出かけてくるね」

「ふーん。誰と?」

佳子の目が少しとがったような気がした。

「相馬じゃないよ」

「誰と?」

「友達と」

佳子は普段、莉緒に対して誰と遊びに行くか等と聞かないが、今日に限ってしっこく聞いてくる。佳子は莉緒の何らかの変化を感じ取っているのかもしれない。

「今、コーヒーに牛乳入れてなくなりそうだから、帰りに牛乳買ってきてほしいの。ごめん、いいかな」

「いいよ。メーカーは何でもいい?」

「いつもの。近くのスーパーのがいいなぁ。ありがとう利緒」


牛乳か…莉緒は佳子の鋭さが自分の思い過ごしだったと感じて自宅を出た。


喫茶店リオンは落ち着いた雰囲気のある喫茶店であり、学生はいない。流行りの店というよりは、昔ながらの味のある店といった感じである。正直、1人では入りにくい。待ち合わせは14時からであったが、念のため 15分前頃に着くようにしていた。

リオンに着くと穂積は既に待っていた。

「あれ早かったね」

「こっちのセリフです」

穂積は喫茶店の前でぼんやりと空を見上げながら莉緒を待っていたようだった。

「来てくれて嬉しい。じゃあ中に入ろっか」

穂積は基本的に自分の気持ちを素直に相手に伝える性格なのかもしれない。そういったところも大人びている証拠なのだろう。

喫茶店のメニューはコーヒーの種類が豊富であった。デザート系は少ないが、パンケーキ等はある。

「莉緒ちゃんはどれにするの」

「アイスカフェオレにします」

「俺もそうしよ」

穂積はスムーズに店員にアイスカフェオレとパンケーキを注文していた。

「莉緒ちゃんに聞きたいことがあって今日誘ったんだ。莉緒ちゃんが時々一緒にいる人がいるよね。実はこれから始まる行事の実行委員にその人が入ってくれると助かると思ってね」

「相馬のことですか」

「うん、そう」

穂積は相馬を知っているようだ。確かに相馬は賢く、実行委員等に向いているだろう。しかしなぜ、莉緒に聞くのだろうか。


「確かに相馬は奥行委員に向いていると思います。ですが、私の勝手な考えですが、相馬は人前で何かをするのはそこまで好きではないかと」

「そっか。莉緒ちゃんは相馬くんのことをよく知っているんだね」

「まぁ、一般的に言うと幼馴染という関係です」

「ふーん、うらやましいなあ。だから莉緒ちゃんは相馬くんと登校してるんだ?」


穂積は莉緒のまわり、いや、姉の周りの状況をよく知っているようだ。その後も莉緒に対して学校が楽しいかどうか等、様々な質問をしてきた。適当に質問しているようで、穂積の頭の中では点と点がつながるように姉の情報が収集されているのかもしれない。莉緒にとっては特に不快なことはなく、楽しい時間であった。


カフェオレ、パンケーキがくると穂積はパンケーキを莉緒に渡してくれた。穂積が食べると思ったのだが、莉緒のために注文してくれたようだ。


「ここの美味しいよ」とさっとナイフとフォークも差し出され、断る間もなかった。莉緒がお礼を言い、美味しそうに食べている様子を楽しそうに穂積は見ていた。


店内に来る人はまばらであり、穏やかな時間が流れる。カランと音を立てて、新たな人が来たようだ。その人は莉緒の近くにくると立ち止まる。よく見ると顔立ちは整っており、誰かを彷彿とさせる風貌だ。


「啓介。こんなところで何してるんだ」

冷たい声。その声の主は穂積に対して何かを問いかけているようだった。

「お前は遊んで過ごして気楽だな」

その男は穂積に言葉をはさませず、一方的に話してその場を通り過ぎ、奥の見えないところに座ったようだ。なかなか個性的な性格の人物のように思える。


「今の俺の兄。迫力あるでしょ。空気を悪くしてごめんね」

穂積は苦笑いしていた。

「こんな格好の悪いところ、見せる予定はなかったんだけど」

穂積が学校では見せない気弱な様子であり、莉緒は少し心配になった。

「気にしないでください」


「きょうだいで仲よくするにはどうしたらいいんだろ。俺にはさっきの大学生の兄が一人いるんだけど昔から仲が悪くてさ。莉緒ちゃんと野上さんはいつも仲がよいのを見て微笑ましくて」

「穂積さんはお兄さんと仲よくしたいんでしょうか」

穂積は利緒の言葉に少し驚いた表所を浮かべた。


「うん…どうなんだろ。兄が一方的に俺を敵視するようになって、どう接しても状況が緩和しなかった。父母も我関与せずといった感じ。俺は仲よくしたいのかな?」

穂積が年相応のあどけない表情をしており、莉緒は少しばかり見惚れた。


「無理して仲よくなる必要はないと思います。きょうだいだって一人ひとり違う人間ですし。相手が酷い態度を取っていて傷つくのは当然です。穂積さんには家族でなくても穂積さん自身を見てくれる人はいっぱいいます。私も知り合って間もないですが、穂積さんの魅力は伝わってます」

何となく穂積を勇気づけないといけない気がして、口から言葉が滑っていく。


「ありがと。照れるからもういいよ」

穂積は自身の顔を顔で隠した。耳が赤くなっており、穂積は本当に照れているようだった。

穂積と接するようになり、穂積が噂で聞くようなミステリアスな人物ではなく、高校生で皆と同様に悩む人間だと知れて莉緒は嬉しかった。

穂積はその後も少しずつ話を続けた。


穂積の兄は勉強もよくでき、何でもできる。そんな兄から嫌われる理由がわからず穂積は一時期しんどい思いをしていたようだ。穂積から仲よくしようとしたことはあったがうまくいかず、現在は平行線となっているよう。ポツポツと穂積と話をする中で、穂積は少しだけ吹っ切れた顔をしていた。

「俺は俺でしかないね」

「私も私です」

傍から聞くとよくわからない言葉を言いあいながら、莉緒は今日来てよかったと感じていた。

「よかったら、また遊ぼうね」

「はい」


莉緒の返事を聞いて穂積は見たことのない爽やかな笑顔を見せた。学校でもあの表情をしたら大変なことになるなと莉緒は感じていた。破壊力が凄まじい。今回、意図せず穂積のことをよく知る機会となった。


その後、穂積とは喫茶店で別れ、姉に頼まれていた牛乳を購入した。姉に頼まれた牛乳は早くに閉まるスーパーでしか売っていないものであり急いだ。


自宅に戻り冷蔵庫に牛乳をしまおうとすると、既に開封済みの牛乳が見えた。朝、姉は牛乳が無くなったと言っていたような…と莉緒は不思議に思いながらも新しく購入した牛乳をしまった。


「一颯くんがさっき莉緒のこと誘いに来てたよ」

料理を作っていた母が莉緒に告げた。

「うん?相馬が何。遊びたいって?」

「そうみたい。珍しいね。後で遊びに行っておいで」

「わかった」

相馬からの遊びの誘いは珍しい。高校生になり一緒に登校するが部活等の関係で下校は別になり、どこかに寄り道するということもなくなった。時々どちらかの家で話すことはあるが、遊ぶということはわずか。久しぶりの遊びの誘いに莉緒は少し喜んだ。

相馬の自宅に行くと相馬の母に一颯は自室にいると言われ、ついでにとお茶と多くのお菓子を渡された。相馬の自室にノックすると「はい」と穏やかな声が聞こえる。

「莉緒です」

室内からガタッと音がして、しばらくして扉が開かれる。

「どうぞ」

相馬は笑顔で莉緒を受け入れ、莉緒が持っていたお茶とお菓子を近くの机に置いた。



莉緒は相馬のお気に入りの星型のクッションの上に座る。

「こうやって二人きりになるの久しぶりな気がする」

確かに相馬の言うとおりだ。緒は佳子と相馬の時間を作るために、3人で過ごすことが増えていた。相馬はそれに気づいていたのだ。

「うん。あ、そういえばさっきいなくてごめんね。」

「気にしないで。今会えてるし」

「遊びって何するの」

莉緒がワクワクとした表情をしていたのか、相馬はクスっと笑うと莉緒に何かを差し出した。利緒は何を渡されたのか見ると3cmぐらいの小さなハムスターのマスコットであった。

莉緒が集めているわけではないが、自宅の玄関には小さな動物たちが数体飾られている。

「最近、元気がなさそうに見えてさ」

相馬の気持ち、かわいらしいマスコットに莉緒は胸がいっぱいになった。莉緒はいつも支えてくれる相馬に感謝している。穂積もこうやって誰かが見てくれているという感情があれば、あんな寂しそうな顔はしないはずだ。


「相馬がいるから大丈夫だよ」

「そっか」

相馬は顔を傾げながら莉緒の表情を見ていた。莉緒はじっと見つめられて戸惑ってしまいよくわからないまま話してしまう。

「相馬は実行委員に立候補したい?」

「どうしたの。莉緒は実行委員会とか興味あるの?」

「ううん。ないけど。穂積さんが相馬に合ってるんじゃないかって」

「実行委員には興味ないよ」

相馬はハッキリと告げた。

「それより、穂積さんって誰かな?」

「え?」

莉緒は驚いた。相馬は穂積さんを知らないらしい。穂積の様子からして相馬に何らかの接触をしていると感じたのだが。では、佳子と穂積の関係も知らないのではないか。

「穂積さんはお姉ちゃんとと実行員会で知り合ったみたい。相馬のことも実行委員会で活躍できるようなすごい人だって」

「莉緒はどこで知り合ったの?」

「隅田さんに姉の好きな人を聞かれた時からだから…」

「あの時からか。だいぶ経つね。ふーん、仲よさそうだね」

莉緒はしばらく考え「仲よくはないかな」と返答した。穂積とは同志のようなものだ。


驚いたのは相馬が莉緒が隅田に呼び出された件を知っていることだ。

「莉緒さ、困ったことがあったら俺に言ってね。莉緒は一人で抱え込む性格だから心配なんだ」

「お姉ちゃんと相馬にはすぐに相談してる気がするけどな」

「莉緒は頼りすぎるぐらいでいいんだよ」

相馬は甘やかしすぎな気がしなくもない。でも甘やかしてくれるうちは甘えておこうと莉緒は思った。

その後、莉緒が苦手な課題が出たと相馬に話すと、一緒に勉強しようということになり、莉緒は相馬の自宅で一緒に勉強した。相馬の教え方はわかりやすく、莉緒は苦手な課題も解くことができた。遊びに誘われたと思いきや勉強することになったが、莉緒としては相馬と話せて満足感を得ていた。



秋も深まり、文化祭の準備が始まった。行事の実行委員である佳子は忙しくなってきており、朝一緒に登校する機会は減ってきている。


一方、穂積と佳子は同じ委員会からか一緒にいる場面が増えたようで、隅田がこの前「うらやましい」とぼやいているのを聞いた。隅田は姉の妹であるということから、莉緒に気軽に接するようになり、莉緒は隅田の情報を知りたくなくても少しずつ知っていくことになった。隅田は自分で言っていたように明るいというよりはどちらかと悩み多きタイプのようだ。割り切った性格ではなく、気にしがちな性格である。


穂積とも喫茶店でお茶をしてからか、呼び止められて立ち話をすることが増えている。穂積は佳子の話をわずかしかしないため、莉緒の話をすることになる。いつの間にか、佳子の知り合い、かつては恋人候補と言われていた2人と仲よくなっていることに莉緒は驚きを感じていた。


昼休みに相馬が莉緒の教室を尋ねてきた。相馬が入室すると他の女子生徒の視線が相馬に向くのがわかる。莉緒から見て相馬は素敵な人間であるということは、他者から見ても同様のことだと改めて感じていた。莉緒の姉ではなく、相馬が他の誰かと付き合う可能性もある。

「莉緒、今日お昼一緒に食べない?」

「うん…」


相馬は利緒の返答にわずかに不思議そうな顔をしていた。

「相馬、弁当は持ってきてないみたいだね。食堂に行くの?」

「うん、行こ」

「あ、片付けてから行くから先に行ってて」

「了解。じゃ急いできてね」

相馬は笑いながら莉緒の机に可愛く包装されたチョコを一つ置いて行った。

「莉緒もやるね」

後ろから視線を感じ、後ろを振り返るとニヤニヤとした表情で杏子が新を見ていた。

「相馬はいい男でしょ」

ふざけて返していると山城が莉緒の前に来た。山城は莉緒に対して日誌を差し出すと

「今のって野上の彼氏?」と聞いてきた。

「ううん、違うよ。幼馴染かな」

「そっか」

山城は納得したようで自席へ戻っていった。山城の友人は山城の肩を手で叩いており、「よかったな」という声が聞こえた。

「罪な女だね」

杏子の言葉は聞こえないフリをして急いで片付けた。莉緒は察しは悪くなく、山城が莉緒に対して好意があることは気づいている。しかし、相手から何もいってこない以上、ふることはできないため現状を維持するしかない。そのため、莉緒としては気付かないフリとなるのだ。


食堂に行くと学生でにぎわっており、莉緒は相馬を探した。近くで莉緒を呼ぶ声がして振り向くと穂積がいた。

「あれ、莉緒ちゃん。今からご飯?」

「そうです」

「じゃあさ、一緒に食べない?」

穂積の雰囲気に飲まれて頷きそうになるが耐えた。

「先約があって…またの機会に」

「先約ね。もしかして相馬くん?」

穂積の察しのよさに驚いた顔をしたのか穂積は「当たったみたいだね」とほほ笑んだ。


「俺さやっぱり困ってて、相馬くんを年度途中だけど実行委員会に招待したいんだよね。莉緒ちゃん相馬くんどこかな?」

「ええっと。今日のランチの相手は一颯さんなので、相馬ではないです」

莉緒は相馬が巻き込まれそうな予感がし、とっさの判断で相馬を一颯と呼ぶことにした。


「莉緒」

手を引っ張られ、穂積から距離を離される。後ろのぬくもりから相馬が来たのだと気づいた。

相馬と呼ぼうとして、穂積がいることを思い出した。相馬の下の名前は苗字にもとれる。

「一颯、穂積さんとの話は終わったから、ご飯食べよう」

「そ、そだね」

莉緒はこの状況を切り上げようとしたが、相馬が固まった。なんとはなしに動きもぎこちなくなっている。莉緒は相馬の驚く姿を久しぶりに見ることができ、幼少期の頃を思い出し、楽しく感じていた。


穂積は相馬と莉緒のやり取りをじっと見た後、相馬に向き直った。

「相馬くん久しぶりだね」

「ですね」

莉緒は驚いた。相馬と穂積は既に知り合いだったようだ。莉緒の相馬を下の名前で呼ぶという小細工も通用しないわけだ。穂積は顎に手を当てて困った表情を浮かべていた。

「相馬くん、俺今困ってるんだよね。なんでかわかる?」

「お腹が空いているんですか」

相馬がかわそうとしても、穂積は上手だった。


「確かにそうかも。でも、もう一つあって、相馬くんと一緒に楽しく委員会の仕事したいんだよね」

相馬は沈黙していた。

穂積はさっと莉緒の顔を見て「莉緒ちゃんも入ってくれるよね」とつぶやいた。莉緒は巻き込まれないようにしようと思ったのに、とこの場に来たことを後悔していた。


「俺も莉緒も入りません」

莉緒は相馬の姿を頼もしく感じていた。莉緒としても面倒事を自分から背負い込む気持ちにはならかった。


「入ることでメリットがあるよ。知ってるかな?最近、莉緒ちゃんが野上さんのコネを利用して隅田や俺とかかわろうとしてるって批判があるの。それに相馬くんも人気があるよね。

莉緒ちゃんの立場は君たちが思っているより悪いと思うんだけどなぁ。委員会に入ることで莉緒ちゃんが俺らと接していても違和感がなくなるんじゃないかな」

穂積がミステリアスと言われる所以はこういうところなのかもしれない。穂積の性格はつかみどころがない。自分の実行すべきことを叶えるためには、相手から嫌われてもいとわない側面がある。


相馬は一瞬考えるそぶりをした。

「莉緒はどうしたい?」

相馬のよいところはこういうところ。相手が嫌なところを見せても自分なりに整理をしたうえで返答する。そして相馬は莉緒の意見も必ず聞いてくれる。今回は莉緒が相馬を巻き込んだ形になっているのに嫌な顔一つしない。


莉緒は自分が巻き込まれ、周りに迷惑をかけることが嫌だった。それに加え、過去と同様に相馬と一緒に何かしたかったのかもしれない。


「相馬がよければ、相馬と一緒に委員会に入りたい」

莉緒の言葉に相馬は頷いた。

「では俺は先輩の希望通りに入ります」

「じゃあ決まりだね。今日の放課後に委員会があるから南館3階の会議室集合で」


相馬、莉緒が了承したのだが、穂積はあまり嬉しそうではなかった。


二人で学食の人気メニューであるミックスフライ定食を食べながら先ほどのことについて話す。

「莉緒が少しでも委員会に入りたくないという気持ちがあるなら、無理に入らなくてもいいんだよ。穂積さんや隅田さんとのことはどうにでもなるし。俺のことだって…」


相馬が言うと本当に大丈夫な気がしてくるが、相馬を巻き込んでしまった以上、莉緒が嫌だというのは自分勝手な気がしている。それに加え、穂積が困っているとすれば、同じ委員である佳子も困ることになりかねないため、莉緒としては手伝いたいという気持ちも少なからずある。


「ま、相馬と一緒だし何とかなるよ。私のせいで相馬まで巻き込んでごめんね」

「いや、莉緒と一緒に何かをするのって久しぶりだし、楽しもうと思ってる。部活も公的な理由でさぼれるし」

「うん、ポジティブに頑張るかな。考えてみると楽しみになってきた」

相馬の言葉は莉緒の気持ちを軽くしてくれる。


放課後、約束通りに3階の会議室に着くと穂積だけが席に座って書類を理していた。

「来てくれたんだね」

「今日の穂積さん、少し様子が違いました」

「幻滅した?」

「というよりは、私の勝手なイメージかもしれませんが、何か事件が起こる前に穂積さんはあらかじめ処理するタイプかと思います。なのにあの段階で、私を理由に相馬を勧誘した。それに、相馬に対して穂積さんの言葉はすこし意地悪だったような気がします」

「確かに意地悪だった。でもどうしても委員会に入ってほしかったんだ」

穂積が真剣な表情をしていたので莉緒は何かを言おうとしたが、他の人が入ってきたためやめた。


恐らく穂積はこの文化祭になにかをかけている。それは穂積が真剣にならないと叶わないことなのかもしれない。莉緒としては一後輩として、穂積に協力したいという気持ちが芽生えていることに驚いた。


徐々に人が集まってきた。相馬は入室すると当然のように莉緒の隣に座り、佳子は莉緒にウインクすると自身の友人の近くに座っている。遅れて隅田が入室し、莉緒に向かって小さくガッツポーズを見せた。隅田は何らかの努力でこの委員会に入れたようで、嬉しそうに佳子の近くの席に座っていた。穂積は既に委員会のメンバーに新たな加入者を伝えていたようで、相馬と莉緒がいることに戸惑うメンバーは誰一人いなかった。

「人が揃っているので、早いですが始めます」

穂積の隣にいる有能そうな男子生徒が、眼鏡を直しながら話し始める。


「我々の学校は一般参加は不可と代々なっていましたが、今年度の文化祭は一般参加を可能としたいと考えています。そのため、今までとは大きく異なる点、問題点が多く発生すと思われます。今回、人を増やしたのもそのため。皆には協力してほしいのです」

その言葉に一部で嬉しそうな声があがる。


莉緒の通う高校は進学校であり「生徒会」という存在はない。それは勉学に重きを置くためであり、学生は勉強が第一ということが示されている。そのため、生徒会ではなくここでは「実行委員会」というものが存在する。特に誰が主となるとは決まっていないが、行事の前に集まり、企画、検討をしていく。実行委員はこの学校では人気のある生徒が入る委員会と言われており、穂積、佳子はその一員である。佳子に聞いたことがあるが、穂積は初め入る予定はなかったようだが、3年生になり急に入り始めたようだ。途中から参加したにも関わらず、穂積は周りにすぐに受け入れられ、中心となって動いているとのこと。


今回の一般参加を可能とするということは当たり前のように聞こえるが、当学校では初なる試みである。文化祭は家族が参加することもなく、学校内だけの楽しみでありそこまでカを入れていなかった。近年は家族、他学校の恋人を参加させたいという生徒からの希望もあったが、勉強重視の先生の頭の固さを変えることは難しかった。


今回の話を聞くと先生方の考え方をどうにかして変えられたようだ。

「そうだね。今回急に参加してほしいとお願いした人もいる。皆で協力して、一人だけに負荷がかかりすぎないようにしたい。お願いできるかな」

穂積の言葉に参加者はすぐに頷いている。ここにいる人員は穂積の人徳に少なからず魅了された人物がそろっているのかもしれない。

「一般開放するということで、文化祭の在り方も変わってくる。恐らく飲食できる店を増やすことになるだろうし、警備体制を整える必要もある。物珍しさで人が増える場合もあるため、金銭面はチケット制にしてあらかじめ購入してもらえるといいかな」穂積を中心として次々とアイデアが生まれてくる。


莉緒にとっては初めての文化祭で特に何の感情も抱いていなかったが、周りの人が一生懸命に何かをしようとしているのであれば協力したいという気持ちは増してきた。


その後、会議は長引かずにスムーズに意見がまとまり終了となった。莉緒が書いたメモ等を片付けていると佳子が嬉しそうに近づいてきた。佳子が学校で莉緒に話しかけてくることは珍しい。

「莉緒も委員会のメンバーになったんだね」

「うん…いつのまにか流れで」

「正直、委員会に対する意欲なかったけど、莉緒も一緒だと楽しみになってきたな。ついでに相馬くんもいるしね」

「俺はついでですか」

「んーそう!」

普段、相馬と佳子が話す様子を見ない佳子の友人は佳子の態度に驚いているようであった。

「ねー佳子、その子誰?カッコいいじゃん」

「きょうだいみたいなもんだよ」

「あなたの弟になったつもりはないんですけど」

「やっぱ、こんな生意気な弟、私もいらないわ」

「でも、佳子がそこまでくだけて接してるの初めて見たかも」


友人の言葉に莉緒も内心領く。佳子は男性に対して一定の距離をとるタイプだ。そのため、佳子の今の姿を見て驚くのも無理はない。

「莉緒どうかした?しんどい?」相馬が莉緒に話しかけてくる。

「ううん、大丈夫だよ」

莉緒は自身の表情が曇っていたことに気づいていなかった。

「莉緒、無理しちゃダメだからね」

佳子の言葉にも頷く。


相馬の後ろから隅田が近づいてきた。

「野上、俺もさ委員会に入ることになったんだよ」

隅田は嬉しそうに佳子に話しかけた。

「そうなんだ。隅田、これから忙しくなるね。頼りにしてるよ」

「おう」

佳子と隅田が一緒にいるところを始めてみたが、隅田が佳子を好きだということは周りの目から見てもわかりやすい。莉緒は相馬はどう思っているのかと相馬を見ると、相馬は莉緒を見ていたようで目が合い微笑まれた。

「野上の妹もよろしくな」

隅田から急に話しかけられ莉緒はとっさに頷く。

「隅田、私の妹は莉緒っていう素晴らしい名前があるのよ。妹呼びはやめてほしいな。野上さんと呼んで」

「ごめん、失礼だったよな。これからは莉緒って呼ぶわ」

隅田の言葉に相馬や佳子は目を見開く。こういう考えない思考、単純なところが怖いのよね、と佳子は小さくつぶやいている。莉緒は急に名前を呼び捨てにされたが特に何も思わなかった。

ただ、隅田は佳子の下の名前を呼び、莉緒を苗字びするということもできるはずだったのでは…と思っていた。

「野上、なんか言った?」

「ううん。ま、仕方がないか。いいでしょう。莉緒も嫌がってないようだし。もう1人の誰かさんは嫌だろうけど」

佳子は微妙な顔で頷いている。

「じゃあ、野上、莉緒またな」

隅田は挨拶し終えると部活があるのか急いで教室から出ていった。相馬のことは目に入らなかったようである。


「あんな感じのバタバタした男だけどイイ奴だから」

佳子は遠い目をしながら隅田の出ていった扉を見ていた。佳子の様子を見ていると佳子にとって隅田の存在は曖味なようだ。今回の委員会で、意図せず佳子の噂の人物はすべてそろった。今後は何かしらの動きがありそうだと莉緒は感じていた。


「莉緒、今日一緒に帰ろ」

「相馬くん、莉緒のこと頼んだからね」

佳子は相馬の肩を強めに叩くと友人と教室を出ていった。

相馬は叩かれた肩を撫でながら「強すぎだけどね」と。

莉緒は帰り際に遠くにいる穂積をチラッと見ると穂積は莉緒を見てフッと笑い「またね」と声には出さず莉緒に伝えていた。

急にふわりと腕を相馬につかまれた。

「行こ」

相馬は微笑みながら、莉緒を連れて教室を出る。



帰り道にドーナツ店の秋の期間限定の文字が見え莉緒の歩きがゆっくりになった。相馬はそれに気づいたようだった。

「莉緒、寄って行く?」

「うん、久しぶりに寄り道しよっか」

相馬は莉緒にメニューは何がいいか聞くと注文に行き、莉緒には席を探して座っているように告げた。莉緒は隅のソファ席に座って待っていると、相馬はマロンホイップクリームドーナツとさつまいもスティック、ドリンクを持ってきていた。

「半分こしようと思ってさつまいもスティックも買ってしまった…」

「さすが相馬!」

莉緒がうきうきとドーナツを切っていると相馬が笑い出した。

「ほんと莉緒ってかわいいよね」

「相馬のほうがかわいいよ」

「ありがと。できたらカッコいいでお願いします」

相馬は莉緒の言葉を軽くかわすと自身のコーヒーを飲んでいた。結局、ドーナツは莉緒の方が多く食べていたが、相馬は満足そうにしていた。

「文化祭ってこんな感じで準備していくんだね」

「んー、俺の友人のとこの文化祭はもっと騒がしく準備してるって聞いた。学校の特徴とかでてるのかもね。当日、家族とか呼べるみたいだし、莉緒も呼ぶ?」

「ちょっと恥ずかしいかな。相馬はどうするの?」

「おそらく来たがるだろうから、呼ぶと思う」

「じゃあ私の親も相馬のお母さんと一緒にくる可能性が高そう…」

「親も仲よくて嬉しいね」

「確かにそうかも」

「俺らも仲いいし…一緒にまわろっか」

「うん?そうだね」


相馬の母と自身の母が来た際のイメージをしながら相馬の言葉を聞いており、気づかぬうちに了承してしまった。特に誰と回る等と決めていたわけではないが、相馬は本当に莉緒と回るのでよいのだろうか。

莉緒は佳子の気持ちが相馬にあるのであれば断る必要があるのではないかと考えていた。


実際今までも何気なく過ごしていたが、もし佳子が相馬のことを好きであるのであれば、莉緒と相馬の距離感が近いことに嫌な思いをしていることもあるだろう。

今までも気づいていたはずなのに…と。緒莉は鈍磨な自分の心を感じていた。


莉緒は結局、佳子、家族にお土産としてドーナツを買って帰宅した。

「うわーやった。利緒ありがと」

佳子は嬉しそうにドーナツを手に取っている。

「ね、お姉ちゃん。お姉ちゃんは好きな人はいるの?」莉緒は言葉をもらした。

「え?急にどうしたの。私の好きな人?莉緒だよ」

「私も好きだけど異性の人だとどうかな?相馬とか?」

「相馬くんかぁ。んー、まあまあ好きだよ」

「まあまあ…?」


「ま、見どころがある男だよね。悔しいけど。でも莉緒がそういったこと聞くの珍しいね。莉緒のほうこそ好きな人できたんじゃない?」

「ううん、違うよ!お姉ちゃんの噂を聞いて気になって」

「あーあの噂か。だいぶ収まってよかったよ。告白を断っても粘る相手でさ。どうしようもなくて言ったんだよね。もしかして、それでどうかって思ったの?」

「うん…」

「かわいいなあ。お姉ちゃんはまだまだ人と付き合うってことはないと思うよ」


佳子は莉緒の頭を軽くなでながらつぶやいている。

「穂積さん、隅田さんは?」

「穂積さんは食えない男。隅田はいい奴」

莉緒は佳子の言葉を聞いて気持ちが晴れたような気がした。佳子は残っていたドーナツをフォークでさして利緒の口に持ってきた。

「あーん」

「私がぷくぷくになったら、お姉ちゃんのせいだからね」

「はいはい、責任もちますよ」

ぱくりとドーナツを食べ、相馬と食べた時とまた違った幸せを莉緒は感じていた。



「莉緒、調子が戻ったみたいでよかった」

翌朝、登校時の相馬の言葉に驚いた。莉緒はそんなにわかりやすかったのだろうか。

「相馬!今日も相馬に会えたから元気だよ」

「俺も莉緒に会えて幸せだから」

「あのね、相馬くん…私もいるんだよね」

佳子は自身の鞄を相馬に軽くぶつけた。

「ああ、おはようございます」

「おいおい」

その後委員会は何度も開かれ、少しずつ文化祭の全体像が見えてくるようになった。委員会のメンバー同士も顔を見合わせることが増え、莉緒にとって先輩の知り合いが増えた。そうなることで見えてくることも多い。


メンバー内では佳子、穂積、隅田のそれぞれのことを真剣に好きな人もいれば、憧れているといった人もいる。佳子、穂積は気づいたうえで、適切な距離で相手に接しているが、隅田は気づいてはいないようだ。

実行委員内で買う物があり、リストを見てそれぞれが買い出しに行くことになった。莉緒が立って壁にもたれてリストを見ていると隅田が隣にきた。

「莉緒、俺さ気になることがあって…」隅田の声が落ち込んでいるように感じ、隅田の方を見た。

「野上はさ、相馬のことが好きな気がする。俺は野上のことをよく見るからわかるんだ。野上はいつも相馬のことを見てる」

隅田の表情が暗いため、莉緒は隅田の肩に軽くパンチした。

「何、弱気になってるんですか」

隅田は莉緒の行動に一瞬驚いたようがだが、ニコッと笑った。

「ん。そうだよな。俺はまだまだできることがある!」

「ちょっとうるさいですね」

「そう?俺はちょっとうるさいぐらいがよくない?」

「そうかもしれないですね」

隅田が少し元気を取り戻したようだった。隅田の笑顔を見て、隅田は笑っている表情が似合うと莉緒は感じていた。

隅田の言っていた「佳子が相馬を見ている」ということは莉緒も感じていたことである。でも、莉緒は佳子の言葉を言じている。


莉緒のクラスはパンケーキを販売することに決まった。低コストで美味しく作れる可能性が高いからだ。莉緒は販売係をしようと思っていたが、料理がある程度できるということで料理担当となった。相馬のクラスはクリスマスに向けたリース製作ができるようにするとのこと。



更に秋は深まり、文化祭の準備は進んでいく。

休みの日に莉緒は練習でパンケーキを何個か作っていたが、疲れてきたため気分転換をしようと出かけることにした。ふと、穂積と行った喫茶店のパンケーキを思い出し、今後の参考のためにもと「リオン」に向かう。


人はまばらに入っており、莉緒は微かに日が差した席を案内された。パンケーキとコーヒーを頼み、持ってきていたパンケーキの作り方の本を眺める。

「あれ、莉緒ちゃん?」

ふと声の方向に顔を向けると穂積がいた。穂積は莉緒に「相席してもいいかな」と問いかけ、莉緒が頷くとそのまま座った。

「穂積さんも休憩ですか?」

「うん、勉強の息抜きにきたんだ。そしたら、莉緒ちゃんがいてラッキーだった」

「文化祭の準備、勉強と忙しいですよね」

「そんなことないよ。自分で選んだことだから」

穂積の言い切った言葉にカッコいいなと莉緒は感じていた。実際のところ穂積は忙しい。誰もが穂積に聞けば何でも解決できると思っているのか聞きにくる。自分でよく考えずに穂積に頼ろうとしている人間もおり、莉緒はそれが嫌だった。


「莉緒ちゃん、以前俺の兄に会ったよね。あれから考えていたことがあって…俺はすくなからず兄に遠慮していたみたい。それが兄をいらだたせる原因だったのかもしれない。だから俺は俺のできることをするんだ。ほしいものはほしいと言いたい」

穂積はひたむきに前へと進み始めたようだ。


「穂積さんは誰にも遠慮なんかしなくていいです。今から時間はたっぷりあるので、わがままになってもいいと思います。私が言えることではないですが、ご両親に迷惑かけてもいいじゃないですか」

「うん。そうだね」

穂積は何かを決めた表情をしていた。


「莉緒ちゃんのクラスはパンケーキを販売するって聞いたけど」

穂積は莉緒が持っていたパンケーキの作り方の冊子を見た。

「そうなんです。実は料理を担当することになって。ホットケーキは焼けるんですが、よく見るようなふっくらとはしなくて…苦戦しているんです」

「うーん。コストパフォーマンスを考えると素材はあえて加えないほうがいいし。卵、牛乳は作る時に常温にしてる?」

「冷たいままです」

「じゃあ、二つとも常温にして卵をよく泡立ててから牛乳、ホットケーキミックスを入れてみて。入れた後は混ぜすぎないこと。パッケージに書いてある作り方通りに作れば上手に作れるはず」

穂積の言葉を半言半疑で聞きながら、やってみようと思っていた。

「あ、信じてないね。料理するところを実際に見てもらった方がはやいかも。この後時間あったら学校に行って作ってみる?」

「勉強の途中だったんじゃ…」

「俺はサボっても大丈夫」

自がありそうな穂積に緒はクスリと笑った。

「穂積さんがよければ、私の家はどうですか?さっきまで作っていて、材料はたくさんあるんです」

穂積は少し驚いて「いいの?」と嬉しそうにしていた。

「パンケーキたくさんあるんで、ノルマとして3枚は食べてもらいますよ」

「大歓迎だよ」

その後、運ばれてきたパンケーキを二人でわけて食べて、隠し味は何がいいか言いあいながら穏やかな時間を過ごした。


穂積を連れて自宅に戻った。穂積には両親が仕事でいないことを伝え、自由にして大丈夫だということを伝えた。

「俺だからいいけど、他の人をほいほい自宅に入れない方がいいからね」

穂積は小言のように呟きながら「おじゃまします」と礼儀正しかった。



リビングで穂積が言っていたようにパンケーキを作ってみると、フライパンに入れる前の生地がボテッとしていてボリュームがでた。その後、弱火で焼いていくと莉緒が思っていた以上に生地が膨らみ、おいしそうなパンケーキがいくつもできあがった。

「できた!」

莉緒は嬉しくなって穂積が手を出していたこともありハイタッチした。

「穂積さん、ありがとうございます」

「いえいえ、久しぶりに作れて楽しかったよ」

「穂積さんパンケーキ普段から作るんですか?」


莉緒の驚いた顔が面白かったのか、穂積はクスリと笑った。

「いや、昔さ、兄にパンケーキを作ってもらったことを思い出したんだ。兄は俺に喜んでもらいたいと試行錯誤して、ふっくらしたパンケーキを焼くことができるようになったんだ」


莉緒は穂積の優しい一面が好ましかった。


玄関から物音が聞こえ始めた。

「ただいまー。おいしそうなにおいがする。莉緒~何作ってるの」しばらくすると佳子の声が聞こえてくる。佳子は本屋に寄っていたようで、本屋の袋を持っていた。

佳子はリビングに入って穂積を見つけると露骨に嫌な顔をした。

「げっ、穂積先輩…なんで莉緒といるんですか」

「招待されたからいるんだよ」

佳子は急いで莉緒に近づき、莉緒の両肩をつかんでゆさぶる。


「莉緒大丈夫?惑わされてない!?」

「心外だなぁ…俺は紳士なのに。でも莉緒ちゃんには男の人を誰もいない家に入れちゃダメだとは強く言ったほうがいいと思うよ」

佳子は穂積の言葉に頷く。

「莉緒!穂積先輩は男だから、家に入れちゃダメだよ」

「いやいや。俺はいいでしょ」

「穂積先輩の毒牙にかかった女の子は、振られてもなかなか穂積先輩を諦められないって噂が本当だって知ってるんですよ」

いつにも増して佳子は戒心が強い。穂積と何かあったのかと思うほど。


「お姉ちゃんの断りなしに勝手に自宅に入れたのはごめんね。私がパンケーキを上手に作れないことを穂積さんは心配して、教えてくれてたんだよ」

「私がいるじゃん」

「お姉ちゃんは料理どっちかといえば苦手でしょ」

「う、確かに」

佳子は莉緒の言葉に恨めしそうな顔を穂積に向けていた。穂積は「ね。紳士でしょう」と言い、珍しく佳子に勝ち誇った顔をしていた。佳子は小さな声で「莉緒と仲よくなってほしくなかったのに」とつぶやいていた。


「そうだ、お姉ちゃん見てこれ。これだったら、おいしそうに見えるかな?」

莉緒は気まずい空気を変えようと佳子に今作ったばかりの切ったパンケーキを差し出した。フォークも渡し、食べるように勧めると佳子は一口食べる。

「確かに味は一緒でも、ふっくらとした視覚的な効果でなぜかおいしく感じる。満足感もあるね…」

味の評価は厳しかったが、姉の言葉を聞き安心した。後はデコレーションでどうとでもなる。

ホイップクリーム、カスタードクリームとは想像を膨らました。

「莉緒ちゃん後はデコレーションだけだね。当日頑張って。俺も食べに行くから」

「来ないでください」

「安心して、野上さんの様子もしっかり見に行くからね」

佳子は穂積の言葉を聞いて顔を歪め、穂積から莉緒が見えなくなるように手でガードしていた。

二人の様子を見ていると穂積は気になる人に対して意地悪をしたい性格なのかもしれないと、ふと莉緒は感じた。佳子は基本的に誰に対しても自然体で接しているからか、相手からも自然な言葉を引き出す力がある。穂積は莉緒といると大人びているが、佳子といると等身大の男の子といった感じがする。


知ってはいたが佳子は魅力的だから相手を惹きつける。

「あ、穂積さん。さっき話していた一人当たりのノルマとして3枚は食べてくださいね。味を変えるためにチーズ、ケチャップもかけてみます?」

莉緒は穂積の分のパンケーキを渡した。

「ありだね。甘めのピザになるかな」

莉緒は冷蔵庫から出したチーズ、ケチャップをかけてレンジでチンしてみた。ソーセージも添えて。思っていたより、甘すぎずちょうどよい味だった。3人でホットケーキを食べ、何のアレンジが正解か探した。



文化祭当日、莉緒は相馬と自由時間が少ししか重なっておらず、午後に1時間ほど一緒に回ることになった。

莉緒は穂積に教えてもらったように美味しそうなパンケーキを焼くことができ、人気も上々であった。穂積は結局忙しかったようで顔を見せなかったが、隅田は莉緒の作ったパンケーキを「店で食べるみたいなクオリティ」と大いに喜んで食べていた。


莉緒は自由時間になり、相馬のクラスがやっているリース作りに参加しようとした。空き教室を通り過ぎた時に聞き覚えのある声がして立ち止まる。

相馬と佳子だ。莉緒は二人がいるとわかり、教室に入ろうとしたが、話している内容が少し聞こえて立ち止まった。

「相馬くん、私と付き合ってみる?」

「俺にメリットがないのでやめときます」

扉のガラス越しに相馬が佳子の言葉に首を横に振り、きっぱりと佳子に告げている様子が目に入った。


莉緒は佳子が相馬を好きであったことに驚いた。隅田の言っていた佳子が相馬をよく見ているというのは本当だったのかもしれない。


以前、莉緒が相馬のことをどう思っているのか確認した時になぜ本当の気持ちを言ってくれなかったのかと思ったが、莉緒が言えなくしていたということもあると感じ、佳子を責める気持ちにはなれなかった。

佳子は相馬の言葉に「わかってたけどね」と呟く。佳子の声に寂しさを感じて莉緒は自身の心が痛むのを感じた。


何となくこの場にはいられないと思い、莉緒は二人に気づかれないようにその場を離れた。今後どうしたらよいのか悩んだ。


「莉緒!ちょうどいいところにいた」

自分の名前を呼ぶ声がして振り向く。そこには隅田がいた。隅田は莉緒を見つけると莉緒の腕をつかんで引っ張っていく。

「さっき、パンケーキ食べさせてもらったし、俺のクラスのたこ焼きができたばっかりだから食べていってよ」

隅田は莉緒の返事を聞かずに連れて行く。隅田と一緒にいると周りからの視線が一瞬強くなったが、莉緒が佳子の妹だと知っているのかすぐに視線は散った。

「隅田さん強引ですよ」

「いやだってさ、食べてほしくて」

莉緒は何も知らない隅田の笑顔を見て心が少し慰められるのを感じた。隅田からできたてのたこ焼きをもらい、爪楊枝で刺す。ホカホカと湯気がたっていておいしそうだ。隅田は莉緒にたこ焼きを渡した後も莉緒の隣で座っている。


「隅田さんは好きな人のためだったら頑張って行動しますか」

「んー、俺の話?」

「例えばでいいです」

「好きな人のためになって、それがいい選択だと感じたら動くかもしれない」

隅田は莉緒の表情を見たのかふんわりと笑った。

「でも無理はするなよ。莉緒は無理しそうだからな」

「隅田さんは私のことそんなに知らないと思いますよ」

「後輩の女子の中では一番話してて、仲いいと思ってんだけどな…」

隅田は肩をすくめ、しょんぼりとした表情をした。隅田の表情が案外かわいらしかった。

「私も隅田さんは姉と同じ学年の先輩の中で話しやすくて好感がもてます」

「距離のある言い方だな!」

隅田は莉緒の頭をクシャクシャとかき混ぜると「妹ってこんな感じなのか?」と呟いていた。莉緒は隅田のような兄はいらないと内心思いながら、前向きな気持ちになれたことに感謝していた。


莉緒が隅田と話しているとざわめきが段々近づいてきた。莉緒はその方向を見ると周りの女生徒の視線をくぎ付けにしていた穂積がこちらに向かって歩いていた。


穂積は普段と異なり落ち着いた色の着物を着ており、羽織がついた着物は穂積の上品さと色気を倍増させていた。

穂積は莉緒の前に来ると扇子をパサッと開き自身の口元を隠した。穂積のたおやかな動きが滑らかで目が奪われる。


「莉緒ちゃん、俺と回らない?」

莉緒がぼんやりとしていると隅田が莉緒を庇うように前に出た。

「穂積さん、俺のこと見えてますか?莉緒は今、俺と一緒にいるんで回れないです」

「おや、隅田いたんだね」

「いや絶対見えてただろ」

穂積は隅田の言葉を聞き流して莉緒の表情を見た。

「莉緒ちゃん何かあった?」

穂積は莉緒に何かがあったと気づいたようだ。やはり、コミュニケーション面での鋭さは侮れない。


「大丈夫です」

「ほんとかな?」

穂積は莉緒の返答に軽く目を和らげた。

「おーい隅田サボんなよ」

隅田のクラスの男子生徒が隅田を呼ぶ。

「タイミング悪い…莉緒、俺はクラスに戻るけど、何かあったら連絡しろよ」

隅田は持っていたメモ帳にすばやくボールペンで携帯番号を書いてちぎり、莉緒に渡した。

莉緒はとっさに受け取りメモを見ると、思っていた以上に綺麗な字で番号が書かれてあった。


「穂積さん、莉緒に手出さないでくださいね」

「はやくいっておいで」

穂積は持っていた扇子をパタパタとはためかせ、隅田をあしらっていた。隅田は悔しそうな顔をしながらも自身のクラスへ戻って行った。

「いつもながらに勢いがあるよね」

「確かにそうですね」

隅田の動きを思い出して緒はクスっと笑う。

「あー、莉緒ちゃんを笑わせたのは隅田が先か」

「え?」

「莉緒ちゃんさっきしんどそうな顔をしてたから」

穂積は驚いている莉緒の顔を見守るように見ていた。莉緒は話すかどうか迷ったが、穂積の顔を見て言葉が少しずつでてきた。

「実は姉の好きな人が誰かわかってしまって…」

「野上さんの好きな人か」

「さっき告白しているのを見て…」

「もしかして相手は莉緒ちゃんの知ってた人?もしかして相馬くん?」

莉緒は穂積の言葉に驚いた。

「なんでわかったんですか…穂積さんから見ても姉は相馬のことが好きに見えました?」

「野上さんの気持ちはわからないけど莉緒ちゃんが悲しそうな顔をしているから。きっと、言いにくい相手なんだろうなって」


莉緒と穂積が話しているところを周りの生徒たちは遠巻きに見ながら通り過ぎる。女子生徒に関しては莉緒に対して羨ましいといった表情を浮かべている者もいる。莉緒はそんな生徒たちの様子を眺めた。


穂積はその後、特に何も言わずに莉緒の傍にいてくれた。しばらくすると莉緒の携帯が鳴った。相手は「相馬」からであり、一瞬出るか悩んだが出ることにした。

「穂積さんすみません、少しだけ電話してもいいですか」

「ん、どうぞ」

莉緒が電話に出ると相馬の場所がザワザワしていたようで少し電波が遠かった。

「今大丈夫?莉緒を迎えに行ったら、もう出たって聞いて…」相馬の少し焦った声が聞こえる。

「うん、今たこ焼き食べてた。相馬も終わったの?」隣で穂積が「相馬くんか」と呟いた。


「…そう。今終わったところ。すぐに行くね」

相馬は話し終えるとすぐに電話を切った。莉緒は自分がどこにいるのかも伝えていないのに相馬はどうするのだろうかと感じていた。

「相馬くんも来るみたいだし、俺は行くね」

穂積は莉緒の頭を撫でて「悩み過ぎないように」と言い去って行った。


しばらくすると相馬が走って莉緒の傍に来た。


「急いできたの?ゆっくりでよかったのに。それに、よくここがわかったね」

「あれ、穂積先輩は?」

「さっきまで穂積さんいたんだけど、どっかに行っちゃった」

「動きが早いな…莉緒、先に一人で回らせてごめん。今からどこ行く?」相馬は莉緒の腕をとって歩き出そうとする。莉緒は立ち止まったまま。


「ごめん、相馬。少しだけ話したい」

相馬は莉緒が真剣な表情をしているのを見たのか、相馬も立ち止まった。

「うん、わかった。じゃあ、あまり人が来なさそうなところに行こう」

莉緒と相馬は旧校舎の人がいなさそうな中庭に行った。

「ねぇ相馬。相馬はお姉ちゃんが好き?」


相馬は莉緒の言葉に少し時間をおいて答える。

「好きの種類?恋愛感情としての意味なら好きじゃない。でも莉緒の姉としては大切に思ってるよ」


「そっか。でも、お姉ちゃんは相馬のことが好きだと思うんだけど」

相馬は莉緒の言葉に何かを言いかけてやめた。

「私はお姉ちゃんを応援したい気持ちがある…」けど、と続けようとしたが、莉緒が相馬を見ると相馬はさみしそうな表情をしていた。

「俺のことも佳子さんに譲るって?」

相馬の言葉にハッとした。相馬は莉緒が今まで佳子に遠慮して様々な物を譲ってきたことを知っていたのだ。


「俺の気持ちは?莉緒は俺のことはどうでもいいの…」

「いや、違う」

「……違わないよ」

莉緒は自身でも相馬を佳子に譲る気持ちだったのかわからなくなった。まず、相馬が莉緒のものだと思っていたのかどうかもわからない。

「ごめん、少し冷静になりたい」相馬はそう莉緒に言って、莉緒のもとを離れた。



莉緒は文化祭を回る気持ちもなくなり、しばらくその場で過ごした。気づくと莉緒の携帯が鳴っている。「佳子」からだ。莉緒は住子の電話に出る気持ちにならず、そのまま画面を見ていた。何度か鳴ったが、途中で着言はやんだ。

「莉緒ちゃん」

2階の窓から莉緒を呼ぶ声がする。2階を見ると穂積が莉緒に手を振っていた。

「そのまま、そこにいてね」

莉緒はその言葉に頷く。

穂積は急いできたのか額に少しだけ汗をにじませていた。

「まだ近くにいてよかった」

穂積は莉緒の隣に座った。

「莉緒ちゃん、野上さんが心配してたよ。電話も莉緒ちゃんに何度もかけてたみたいだよ」

「心配かけてすみません」

穂積は自身の携帯を取り出して、佳子に莉緒が無事だったと伝えたようだった。莉緒がどこにいるのかは伝えず、はぐらかしてくれていた。

「莉緒ちゃん、相馬くんはどうしたの?」

「さっき、別行動になりました」

穂積は「そっか」と優しく莉緒に言葉をかけてくれた。

「俺でよければ莉緒ちゃんの話聞くけど」

「…久しぶりに相馬と喧嘩しました。私が悪いんですけど、どうしたらよいのかわからなくなって」

「莉緒ちゃんに非があって、仲直りがしたいと思っているのなら早めに謝ったほうがいいよ。後になるとどんどんしんどくなるから」



「以前、穂積さんには姉に対してどう思っているのか聞かれたことがありますが、一つだけ嘘をついていました。」

「嘘?」

「はい。私は姉が大好きなことには変わりがないのですが、姉がほしいと思った物には手を出さないという信条があります」

穂積は莉緒の話を急かさずに聞いてくれている。

「姉がほしいと思った時点で私の物は姉の物になるんです。幼稚園の頃から人も物もそうでした。私は途中から諦めていたので今では何の感情もないと思っていたんですが、今日は久しぶりに気持ちが乱れたんです」


穂積は莉緒の膝元にしゃがみ込み、下から莉緒の顔を覗き込みながら話し出した。

「莉緒ちゃんは我慢なんかしなくていいんだよ。理不尽なことがあれば口に出してわめいたっていい。だって莉緒ちゃんは大人じゃなくて、高校生なんだよ。もし誰かが莉緒ちゃんに我慢を強いるなら俺が代わりに怒るよ」

穂積が真摯に緒に言葉をかけてくれるのを聞いて、莉緒は心が温かくなった。


穂積の言葉はいつも、莉緒が自分の気持ちと向き合うことの後押しをしてくれる。


佳子のことは考えない状況で莉緒自身が相馬をどう思っているのか。自分の気持ちを探ってみた。

考えると思いはすごくシンプルだ。

莉緒は相馬が好きだ。佳子にも誰にも譲りたくなく。渡したくもない。

莉緒は自分の気持ちに気づいて穂積の顔を見た。 


「気づいたみたいだね」

穂積は一瞬、わずかに悲しそうな表情を浮かべていたが、すぐに優しい笑みを作った。

「莉緒ちゃん、自分の気持ちに素直になっておいで。ダメだったら俺の胸を貸すから」


莉緒は穂積の言葉に後押しされ、穂積にお礼を言ってから走り出した。


相馬のクラスに行っても相馬はおらず、利緒は相馬がいそうな場所を探した。

廊下には相馬の友人がおり、相馬の居場所を尋ねた。

「一颯?そういえば、珍しく落ち込んだ様子だったな。少し前に会ったけど、どこにいるのかはわからないな」

利緒は何となく相馬が近くにいるような気がした。

近くの空き教室をいくつか覗くと、部屋の片隅にしゃがみ込んでいる人物を見つけた。相馬だ。

莉緒はゆっくり扉を開いて、相馬の横に座った。


相馬は隣に座ったのが莉緒だとわかったようだった。

「急に離れた俺にがっかりした?」

「ううん。相馬のことが余計に好きになった」

「莉緒の嘘つき。俺のことなんか好きじゃないくせに」

莉緒は相馬が拗ねている様子を見て、かわいいと感じていた。

「私は相馬のことが好き」

「俺はもう期待しない」

「うん。相馬が私のことを言じてくれるまで今度は私が相馬の傍にいる」

相馬は莉緒の言葉に顔をあげた。

「俺は莉緒の幼馴染じゃなくて、彼氏になりたいの。わかってる?」

「うん」

莉緒は相馬の頬に口づけた。相馬は類を手で押さえると頬を赤らめた。


「たぶん、莉緒が思っている以上に色んなことをしたいよ」

「じゃあ、少しずつ色んなことをしていこ?」

「俺、夢見てないよな」

莉緒は相馬の頬をつねった。

「痛っ。せっかく莉緒にキスしてもらえたのに…同じ場所をつねるなんて…。でも夢じゃない」

相馬は覚悟を決めた顔をした。莉緒の手を優しく握り、莉緒の目を見つめた。

「俺は莉緒が好き。付き合ってほしい」

「はい」

相馬は莉緒の身体をぎゅっと抱きしめ「やった」と嬉しそうに呟いた。莉緒も相馬を抱きしめ返した。


莉緒は相馬と今後、関係性を深めることに関して拒否感は全くなかった。おそらくそれが莉緒の答えだ。


「私は自分の気持ちに気づけなかっただけで、相馬のことがずっと好きだったんだと思う。相馬はお姉ちゃんの妹じゃなく、私自身を見てくれる。相馬がいなくなるって考えたら、耐えられなかった。さっきの相馬の態度で私のことを想ってくれていると感じて内心すごく嬉しかった…お姉ちゃんには悪いけど相馬は譲らない」

相馬はにこにこと莉緒を見つめる。莉緒は恥ずかしくなって、顔をそらした。

「莉緒」

呼ばれて振り向くと相馬は莉緒に優しく口づけた。


「やっぱり照れるね」

相馬と莉緒は微笑みあった。

「相馬、私はお姉ちゃんに正直に自分の気持ちを言おうと思う」

「ん。佳子さんも莉緒の気持ちを聞きたいと思う」

二人でゆっくり話しているうちに廊下が騒がしくなってきた。

急に扉が開かれてそこには佳子がいた。

佳子はギャラリーの目を遮るように扉を閉めると二人の前に来た。


「莉緒が無事でよかった。さっき、穂積先輩から連絡があったけど正直心配でさ」

おそらく佳子は莉緒が穂積や隅田のファンの人に何かされていないのか、心配してくれていたのかもしれない。

「お姉ちゃん、ごめんね。探してくれてありがとう」

「いいのよ」

佳子は莉緒に微笑み、莉緒と相馬の二人を見てニヤリと笑った。

「もしかして、うまくいった感じ?」

莉緒が驚いていると相馬は「佳子さんのせいでややこしいことにはなったんですからね」と言い放った。

「うまくいったんだったら、よかったじゃない」

佳子は相馬の肩をバンっと叩いた。

「痛い…悪意が込められている…」

「確かに積年の恨みがこもったかも」

莉緒は佳子に話すことに対して緊張していたが、二人の様子を見て拍子抜けした。


「莉緒は自分の気持ちに素直になれたんだね」

「お姉ちゃん、遅くなってごめん…。私は相馬が好き。お姉ちゃんが相馬を好きでも遠慮しないことにした」

佳子は莉緒の言葉に嬉しいのか、悲しいのか微妙な表情をしていた。

「莉緒、大前提として…私は相馬くんのことを好きじゃないよ」

「だって…さっき二人が話しているのを聞いて」

「え!?どこから…どこまで?」

佳子は焦って莉緒の肩をつかんだ。

「えっと…お姉ちゃんが相馬に告白して、相馬が断ったとこまで」

「よかった…。じゃなくて、確かに断片的に聞くとややこしいけど、私は相馬くんのことは好きじゃない。莉緒にふさわしいか最終判断したかっただけ。言じてもらえないかもしれないけど…」


「莉緒、俺からも保証する。佳子さんは俺のことを好きじゃない。だって…」

佳子は相馬の口元を急に塞ぎ、その先の言葉は聞こえなかったが、莉緒はひとまず二人を信じることにした。


「莉緒は自分の好きに生きたらいいよ。私は莉緒の家族として傍にいるから」

莉緒は佳子の言葉に泣きそうになった。

「お姉ちゃん…大好き」

「大好きって…羨ましい。俺まだ言われてないのに…」佳子は相馬に対して「羨ましいでしょ」と勝ち誇った表情をしていた。


「あ、莉緒。穂積先輩が莉緒の心配してたから、元気になったって言っときなね」

「そうだった…。うん。言っとく」

佳子は相馬を肘でつつき「嫉妬するなよ」とボソッと言っていた。

「しませんよ。俺は莉緒を言じてますから」

「ふーん、油断は禁物だと思うけどね」

「油断はしてませんので」

「莉緒、付いていきたいところだけど、俺そろそろクラスの手伝いに戻るから、何かあったら携帯にすぐに電話して。ちょっとでも不安になったらかけて」

相馬は莉緒にそう告げで、弾んだ足取りでクラスに戻って行った。

「あいつ、穂積先輩のことを警戒しているな…」

「お姉ちゃん、穂積さんは私のことを勇気づけてくれたんだよ。今日、相馬に自分の気持ちを素直に言えたのも穂積さんのおかげ」

「穂積先輩は莉緒のことが大切なんだね。人たらしだけど、誠実なところがあるのは認める」


莉緒は佳子の言葉に嬉しくなった。

「莉緒、これからも一緒に遊びに行こうね。相馬ばっかりだと寂しいから」

「私の方こそ、これからも仲よくしてほしい」



莉緒は佳子とその場で離れ、穂積のクラスに行った。穂積のクラスは和風な茶道部と共同で抹茶、和菓子を提供しているようだった。

莉緒が入室すると穂積はすぐに気づいた。


莉緒に「委員会の時に使った部屋で待ってて」と小さく告げた。

穂積が忙しそうなこともあり、莉緒は先に部屋で待つことにした。しばらくすると穂積がお茶のペットボトルを2本持って部屋に入ってきた。1本を莉緒に渡し、穂積は自分のお茶を飲む。

「うまくいったみたいだね」

「お見通しですね」

「ま、よく見てるからね」

穂積は優しく「よかったね」と莉緒に語りかける。

「ありがとうございます。穂積さんには迷惑かけたので伝えたくて、忙しいのにすみません」

「ううん、大丈夫だよ。莉緒ちゃんとはこれからも仲よくしたいから、俺でよければ頼ってね」

穂積はペットボトルのラベルを撫でながら莉緒の方向を見る。


「相馬に悪いので我慢します」

「ふ、気にしなくていいんじゃない。相馬くんは心が広いと思うけどな」

「うーん、どうなんでしょう。自分に置き換えるとやっぱり嫌だと思うんで」

「そういう真面目なところもいいところだね」

穂積は窓の外で賑わっている生徒たちを眺めている。

「俺さ、来年から海外の大学に進学するから、実際に莉緒ちゃんに気軽に頼ってもらえる場所にいないからよかったかもね」


莉緒は穂積の言葉に驚いた。莉緒としては3年生の先輩の中で一番尊敬しており、頼りになる穂積が遠くに行くことに寂しさを感じていた。

「私が頼るって言ってたらどうしたんですか」

「何とかしたと思うよ」

莉緒は穂積の返答に穂積なら確かにどうにかできそうだと感じていた。

「初めは兄の目を気にして大学は国内にしようと考えていたけど、どうしても学びたいことがあって、海外の大学にも目を向けることにしたんだ。俺は俺のことをするってね。両親にも話して納得も得られた。だから、きっかけをくれた莉緒ちゃんには俺の方こそ感謝してる」

「私は何もしてませんよ」

「ううん、ありがとう。だから、俺が大学を卒業して日本に戻って来た時に成長した俺を見てほしい」

「じゃあ、私も成長しなくちゃですね」

「そうだね。…だから今は俺も耐える時期なんだろうね」

穂積が小さく呟いた言葉は聞こえなかったが、莉緒は穂積の背中を押せたことを嬉しく感じていた。


「手を出して」

穂積にそう言われ、莉緒は手を出した。穂積はポケットから小さな透明の箱に入った和菓子を出すと莉緒の手の上に置いた。和菓子は可愛らしい花で、巧みな技術で作られたのがわかり美しかった。

「美味しいから後で食べて」

「美味しそう…ありがとうございます」


穂積は莉緒が受け取ったことに嬉しそうにして、自身のクラスへ戻っていった。

莉緒はしばらく可愛らしい白いツツジの花のような和菓子を見つめていたが、箱を開けて付いていた木のフォークで一口食べた。甘さも絶妙で口の中でホロホロと溶けていく、食べたことのない美味しさだった。


穂積のクラスのクオリティに驚き、穂積が莉緒のために持ってきてくれたことも嬉しかった。穂積が遠くに行ってしまうという悲しみは、甘い記憶と共にザラザラと残った。



莉緒は少しだけゆっくりしてから自身のクラスに戻った。クラス内はかなり混み合っており、人気も上々のようである。莉緒は再度作るのを協力し、慌ただしいなかでも何とかやりくりできた。莉緒の初めての文化祭は強く記憶に残るものとなった。



文化祭が終わると、急に寒さが強くなってくる。

相馬と付き合いだして変わったことは、相馬と一緒に過ごす時間が増えたことだ。以前に比べ、学校や休みの日に会う機会は増えている。しかし、周りから何かを言われることはなく、穏やかに二人の時間を過ごせていた。初めは照れくささがあったが、慣れてくると近い距離で一緒にいることに安心感も覚えるようになっていた。

「相馬、このDVD見る?」

相馬は莉緒の言葉に返事をしなかった。莉緒は気になって相馬の表情を見ると少し渋い表情をしていた。

「ねえ、そろそろ相馬じゃなくて、一颯って呼んでもいいんじゃないかな…」相馬がポツリと呟いた。


「ん、確かに…。習慣でそのままの呼び方になってたね。今後は一颯って呼ぶよ。私も呼びたいし」

「うん、嬉しい」

相馬が笑顔になると莉緒まで嬉しくなる。莉緒はこの幸せな時間を積み重ねていけるよう、これからも、相馬を大切にしたいと感じていた。

「今日ね、すき焼きだって。お母さん張り切って一颯の分たくさん買ったみたいだから、お腹いっぱいにして帰ってね」

「ふ、じゃあ頑張ろ。難しい時は莉緒に手伝ってもらおうっと」

「相馬も私を太らせるの!?食べるけど」

「俺的には莉緒そのものに興奮するから体型とか気にしないから」

「なんかツッコめない。変態ぎみだなぁ」


一颯は莉緒の身体をさらっと触りながらどこも可愛いと言い、爽やかな笑顔で莉緒の言葉を受けながしていた。莉緒も仕返しをしようと相馬の身体を触ろうとすると、すぐに相馬に手を止められた。

「触ると大変なことになるよ」とにっこりとそう言われ、莉緒はそっと手を下げた。



END





小話|文化祭の二人の会話

*莉緒が聞いていない本当の真相。


「莉緒は賢いよ。山城の気持ちに気づいて、相手に思わせぶりな態度を取らない察しのよさもある。じゃあ、何で相馬くんの気持ちに気づかなかったのかって?」


佳子は相馬の顔を見て、相馬の言いたいことを悟ったようだった。


「莉緒は相馬くんのことをよく知っている。相馬くんは莉緒のためなら自分の気持ちを変えかねないと感じてるのよ。だから相馬くんが私を好きだけど、莉緒が相馬くんが好きだから相馬くんは莉緒を気遣ってその気持ちを隠してると思っているのかも。でも実際、相馬くんは莉緒しか見てないけどね」

「山城か…俺も気になってました。やっぱり、莉緒のこと好きなんですね。でもなぜ今更、佳子さんは俺と付き合おうなんて、思ってもみないことを言いだしたんですか?」


佳子は目元を和らげたが、相馬を見る目は真剣であった。


「私は莉緒のことは大好きだけど、相馬くんのことは特に好きでもないのに何でってこと?一か八か相馬くんがどういう対応するか見たかった。私と付き合うような愚行を犯すようなら、莉緒を渡さないでおこうとも思った。確かに、一時期は相馬くんみたいな人と結婚したら、ずっと莉緒のことを一番大切にしながら生きていけるかもしれないと思ったことはあるけど。それは私の相手が莉緒を好きだけど、好きすぎないという前提だから難しいんだよね。相馬くんだと莉緒を好きすぎる」


「前に隅田さんが友人に話しているのを聞いたことがあるんですが、佳子さんが俺をよく見ているって噂もあるみたいですね」

「私が相馬くんを見てたって?ふふ。私は莉緒を見てた」

「知ってますよ。莉緒を見てたのは」


「一時期は莉緒のことを恋愛対象として好きなのかと自問自答したことはあったけど。性的興奮はしないし、私はそのことが泣くほど嬉しかった。だって、姉としてずっと傍にいることができる。もし性的興奮を覚えていたら、私は莉緒をどうするのか自分でもわからない」

佳子はうーんと悩みながら「ま、結婚願望もないし、私は莉緒を大切にしたいという気持ちだけで今後も生きていけそうだけど」とサラッと話す。


佳子は相馬に対してニヤニヤと笑いかける。

「相馬くんは莉緒と付き合える可能性はあるけど、別れる可能性も高い。だって高校生の恋愛ってそんなもんでしょ。でも家族は違う。一生もの。年老いても一緒に旅行できるし、私が頑張れば同じ高齢者施設に入ることも夢じゃない」

「わからないですよ。高校生で付き合って結婚することもあります。幼馴染のメリットとして、莉緒の家族とも仲よくできます。既に仲がいい。俺の親も莉緒のことを気に入っているし」

「もう結婚の話?怖いなぁ…。まだまだ莉緒は嫁にはやらんぞ。でも相馬くんでよかったのかも。これが穂積先輩なら油断できないからね。莉緒が連れ去られちゃうかも」


「穂積先輩か…。あの人はかなり厄介ですね。彼の様子を見ていると、莉緒への想いが一時的なものには感じられないんですよ。長期戦を考えているのかもしれない」


「確かに…。相馬くん、頑張んなよ。莉緒はけっこう穂積先輩に懐いてるからさ」

相馬は佳子の言葉に強く頷いた。相馬から見ても穂積は魅力的な人間であり、相馬は油断できないと感じていた。


2人が思っている以上に穂積の莉緒に対する想いが重いことを誰も知らない。穂積が莉緒に渡した和菓子は莉緒が特別な存在であるという証拠であった。特注の白いツツジの和菓子の花言葉は「初恋」である。穂積がそもそも委員会に途中から入ったのも、姉である佳子を通じて莉緒と親しくなろうとしたからである。



END


登場人物

▽野上佳子。高2。

・佳子は莉緒が好き。

・姉妹は好きな物が一緒。妹を大切にしてくれる人と付き合うのならよいと感じている。莉緒は昔から佳子を何でもできる人間だと決めつけず、ありのままの佳子を受け入れてくれるため、そこが好き。

・穂積が莉緒を気に入っていることは知っているが、穂積だと莉緒を佳子の元から取られてしまうと思っているため、穂積は嫌い。

・正直なところ、莉緒を誰にもとられたくない気持ちはある。相馬が莉緒と付き合うのなら悔しいが、仕方がないと感じている


相馬一颯いぶき。 高1。

・莉緒が好き。相馬と穂積の違いは、莉緒の周りの人間ごと愛せるかどうか。穂積は莉緒を独占したいタイプだが、相馬は莉緒、莉緒が大事にしている人ごと愛すことができる。

・でも実は相馬が一番莉緒を独占したい。相馬が何でもできるように見えるのは全て莉緒のため。相馬は温かい環境で育つも、愛に飢えており、莉緒しか受け付けない。莉緒の幸せのために生きている、一種の危険人物。

・莉緒が一颯のことを最後に選んでくれたらよいという思いが強く、学校生活では莉緒のことを束縛しない。そもそも、他の人間を選ばせない。


▽隅田互。高2。

・淡い感情を佳子に抱く。サッカー部。

・莉緒のことはシンプルにかわいくて好き。


▽穂積啓介。高3。

・自身と似た境遇の莉緒と佳子の様子を見て、莉緒のことが少しずつ気になり始める。学年対抗の委員会で佳子と意図的に知り合い、莉緒と接触する。

・穂積にはよくできる兄がおり、劣等感が少なからずある。啓介は決して手を抜くということをしているつもりはないが、実際は陵(兄)に気遣って本量が発揮できていない。莉緒が佳子という存在がいても自然体で過ごしていること、佳子と仲がよいということで莉緒のことを観察するようになった。そうするうちに莉緒のよさに気づき、気になるようになっていく。


▽穂積陵 。大2。

・穂積啓介の兄。啓介のことをかわいがっていたが、自分よりできる弟だと思い苦しむ。

・啓介は兄を立てるためか、いつも力をぬく、そのことが兄のいらだちにつながっている。


▽山城豊。高1。

・莉緒と同じクラス。実は莉緒のことが好き。山城の兄が穂積の友人。昔から穂積に可愛がってもらっている。山城は穂積が佳子を好きだと勘違いしており、穂積と佳子をくっつけようと協力しているつもりが、実は穂積が莉緒と近づきたいということで、知らぬうちに自分の好きな莉緒へのアプローチで利用されている。



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