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変化 3

 今日もバイトでクタクタだった。

 それでも最近お気に入りの池へと、軽やかな足取りで向かう。

「うわあ〜!」

 この童心に戻る瞬間がたまらない。

 池の水面みなもに反射する夜空の星たちと、夜空に浮かぶ実物の星たちとのコラボレーションが劇的に美しく、あの日この存在を教えてくれた碧に感謝する。

 あの日碧が身を預け、夜空を見上げていた大きな木に、碧の姿はなかった。

 池の水面に映る星たちと、夜空の星たちに挨拶をする。

「また明日ね」


 次の日、バイトの日ではないのに、私は取りかれたように魅了されたあの池へと向かう。

「あ…」

 今日はいた。あの木に身を預けて夜空を見上げている碧の姿が、そこにはあった。

 私がバイトの日にはいないのに、バイトじゃない日にはいる。きっと偶然だと思うけど…。

 一瞬、碧がいるからもう来たくないと思ったが、碧を含めた幻想的な美しい風景に見惚れてしまっている自分に戸惑った。

 今日の碧は私に気付いていないのか、いつか教室の窓際の席に座った時みたく、風を感じているように清々《すがすが》しい表情をしている。

 池を中心とし、碧がいる場所から池を挟んで対角線上に位置する小さな小屋を発見。そこを目指し、碧の視界に入らぬようコソ泥のように抜き足差し足で歩みを進める。

 無事に小屋へと到着。ほこりっぽい室内には一つのソファー以外何もない。小さな窓を開け、この場所から数十メートル離れた斜め正面にいる碧を確認。

 私はあっと思いつき、椅子を窓際に移動させた。そこに座れば、即席特定席の出来上がり。

 窓枠まどわくに頬杖をつき、視界一面に広がる月明かりに照らされた幻想的な夜景を鑑賞する。

 その上空をいろどる星たちは、言わずもがな素敵な空間でため息が漏れる。

 池を取り囲む背の高い木々の葉は、夜露よつゆを浴び、月明かりによって神秘的にライトアップされている。

 その世界には、まるで物語の主人公のような美しい少年が存在し、一瞬で目を奪われた。

 ここから見える天然プラネタリウムや、極上の風景に酔いしれた私は、そっと瞳を閉じる。

 ああ。私はどうしてしまったのだろうーー。

 碧単体に特別な愛情はない。それどころか、嫌いな友達と言えるほど嫌悪感がまさっている。

 なのに、彼と池と星たちのコラボレーションに魅了され、目が離せないでいる。


 それからも毎日この池に通う日々が続いた。

 碧がいたりいなかったり。私の抜き足差し足も板についてきた。

 傾向から言うと、やはり私のバイトがある日はいなくて、バイトがない日にはいる。

 これは偶然か避けられているのか。まあどちらでもいい。

 私は幻想的で芸術的な美しいコラボレーションをおがめればそれで良しとした。

 何を思って、誰を想って碧はそんなにも幸福感に満ちた表情をするのか。

 私はその謎解きに興味を抱いた。

 なかなか会えない織姫に恋焦がれ、会える日を待ちび、毎晩星たちとたわむれる彦星の姿が、この碧の姿なのかもしれないと思えてならなかった。

 碧に対する不可解な現状もさることながら、私の周囲ではお兄さんの件も含め、すっきりとした実情にたどり着けていない。

 思えば日々”なぜだろう”と疑問に思うことばかりで、私が存在しているこの世界の登場人物に奇妙さすら感じてしまう。


 数日後ーー。

 今日はバイトがない。池に訪れた私は案の定、木の下にいる碧を見つけた。

 今日はあの木を後ろに身を預けているのではなく、木の横に座り、頭部を預けている状態で維持している。

 碧は星を見ることが好きなのに、その行為を放棄し、重心を木に預けて眠っていたのだ。

 そんな姿はめずらしく、ひどく疲れているのだと感じた。

 今日は碧の睡眠の妨げならないように配慮し、少しだけ星たちに挨拶をしたのち、小屋へは立ち寄らずにきびすを返した。


 私が立ち去ったあと、眠っている碧の片手が、力なく地へ落ちたーー。



 次の日。

 ミコトと碧が、同時に姿を消したことを知った。


 ミコトとは昨日、METEORが出演した音楽番組の感想を楽しく語り合ったが、何も変わったことは見受けられなかった。

 碧のことは昨日、池で眠っている姿を見ただけだった。

 二人が消える理由に思い当たる節は皆無で、青天の霹靂へきれきだった。

 二人同時に消息を絶つ理由はなんなのか…。 

 来夢に二人の消息不明について、思い当たる理由はないか尋ねたが、神妙な面持ちで『わからない』と繰り返した。

 今日学校内では大問題とばかりに一日中、二人の消息不明話で持ち切りだった。事件に巻き込まれたのなら、ニュースで報じられていてもおかしくないのだが、その後も一切報じられなかった。


 午後から雨が降り始め、夜まで降り続いた。

 今日もバイトは休みだが、池へと足を運ぶ気にはならなかった。

 理由は明白。まず雨が降っては行き帰りに濡れて億劫おっくうだし、何より星が見えない。あと、幻想的な景色に上質な花()がいないとなると、なんだか寂しい。

 碧の内面は大嫌いでも、外見のうるわしさに罪はないからか、池でこっそり盗み見る碧のことを、いつしか別物だととらえれるようになっていた。

 部屋から暗黒な夜空を見上げ、物思いにふける。

 私はミコトと時を過ごしていても、心の中には常にお兄さんがいることを《《心の浮気》》と認識し、ミコトには申し訳ないと思っていた。

 だからミコトが私ではない女の子と時を過ごしたことを《《浮気》》だと認識しても、仕方がないと心の中では納得してしまった。

 だけど、くすぶっている感情もちゃんと存在し、その感情をずっと無視していたのだ。

 碧に対しては初対面から印象が悪く、その後の言動からも嫌悪感がほとんどだった。

 二人への感情が、うらみという感情で合っているのかはわからないけれど、私の胸に悪い感情が渦巻いたのは事実だ。

 私はスピリチュアルな力を持っているわけでもないが、示し合わせたように同時にいなくなった二人への怨念っぽい感情が、二人を消し去ったのでは…?

 なんて、あり得ない物語が頭に浮かんだ。

 これはきっと、雨が降り注ぐ星一つすら見えない暗黒な夜空を見てしまったせいだ。

 この日私は、久しぶりにお兄さんの夢を見た。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「依様、おはようございます」

「……え、どうしたの?なぜそんなに顔を隠すの?」

 私のボディーガードさんは背中を丸め、顔を伏せている。そんないつもと違う態度に違和感を抱いた。

「溝に落ちて傷だらけになった顔を依様に見せるのは、朝から少々刺激が強いかと…」

 私の胸に、いろいろな思いが去来した。

 あなたは何かを隠そうとしている。強引に問いただそうか。いや、きっと強引すぎて嫌われるかもしれないからよそう。

「あなたが、私の知らないところで傷つくのは嫌なの。誰にやられたの?」

「依様…」

 気弱になった私の口から本心が飛び出てしまった。

 あなたは顔をゆっくりと上げた。腫れ上がった顔全体に満遍まんべんなく傷があり、傷の様子から少し前にできた傷だとわかる。

「早朝のランニング中、溝に…豪快に落ちて擦りむいただけです。本当に」

 いつもになく悲愴感ひそうかんただようあなたはとても痛々しくて、自分が痛いわけでもないのに泣きたくなってしまった。

 だけど、今にも泣きそうな表情をなんとか笑顔に変えて見せた。

「へへ。お、女の武器っていうのを使ってみたかったのに、泣けなかったなあ…」

 棒読み大根役者はこれだから困る。

「依様」

「何?」

 あなたは感情をどこかに置いてきたような無の表情で、私に何を言うつもりなの?

「僕が危険な仕事にいているからといって、必ず人的危害を加えられて傷を作るわけではありません。お恥ずかしながらこの傷は、ネズミを見つけて逃げる最中に溝に誤って転落してできてしまった傷でして…」

 思い出した。彼はこの世で一番ネズミが苦手なのだ。本来守られるべき私をたてにしてしまうほどに…。

「ごめんなさい。余計な心配をしてしまったようね…」

 あなたが強くてたくましい人なのは承知しているのだけれど、職業柄、いつどんな危険なことに巻き込まれるかわからない。

「いいえ。とんでもないです。こちらこそ依様に多大なるご心配をおかけして、申し訳ございません」

 もしかしたらあなたは、私を護衛中に命の危険にさらされるかもしれない。危険と隣り合わせで日々私を守ってくれているからこそ、心配でたまらない。

「依様。今さらながらお伝えさせていただきます」

「うん、何?」

「僕はあなたを大切に思っています。あなたをお守りするためならば、いかなる危険にも立ち向かってみせます」

 私の危惧きぐは見えいているらしく、”愛情”と”果敢かかんいどむ強さ”を表す言葉をくれた。

 危惧きぐする私の心を守ることも、護衛の一環いっかんとばかりに。

「それは、任務として守るべき対象だから私を大切だと思い、警護しなければならない対象としての使命感からくる言葉だったりする?」

 あなたの”命懸いのちがけで守ります(意訳)宣言”にときめいたというのに、私の口から可愛くない言葉が飛び出てしまった。

「それは…」

 わかってる。それ以上問いただしてはいけないことぐらい。

 なのに、聞きたがるのは私の悪い癖というか、1ミリでも期待してしまったから。

 そんなことよりも、今は一刻も早く傷の手当てを急ぐ必要があり、救急手当箱を持って来て不器用ながらも傷の手当てをした。

 目をつぶるあなたはまるで、無垢むくで傷だらけの少年のような顔をしていて、母性本能をくすぐられた。

「目を開けてみて」

 真っ直ぐに私を射抜くあなたの純真な瞳に魅了され、胸が早鐘はやがねを打つ。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 そこで目が覚めた。

 いつも夢ではお兄さんの顔がぎりぎりのところで見えなかったり、正面から顔を見ていたはずなのに目覚めたら記憶していなかったりした。

 けれど今日は、私を射抜くお兄さんの目だけが鮮明に見えた。

 そして、その目に見覚えがあった。


 夢の中の私と同様、胸が早鐘を打っているーー。

 

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