星と推し活とそれから… 1
初夏の夜。
今日も癒しを求め、我が家のそこそこ広いベランダに飛び出す。
それから柵に軽く手を添えて目を閉じ、湿った空気を思いっきり鼻から吸い込む。鼻を通り抜けるその湿りがとても心地よかった。
それは私が6月生まれだからだ!…という根拠のない決めつけが、毎年この時期、私の頭を洗脳する。
そっと目を開いてみる。見上げた空には、数え切れないほどの輝く星たち。君たちは私の応援団。明日に希望を抱き、今日もいろんな気持ちをリセットさせてくれる。
蒼井依。佐里高校の女子高生。17歳。この時点で、私はまだ誰とも恋愛をしていない。恋愛経験一切なし。ごく普通なJK、いや、それには少し訂正が必要なのかもしれない。
意外にもこの顔、友達曰く、かなりイケてるのだそう。
自分自身は17年間この顔と付き合っているからか、普通の基準がこの顔だった。だから、上がいることも、下がいることも当然知っている。
こんなことを言ってもいいのだろうか。心の中でさえ戸惑う本心吐露。
生まれて17年。いまいち生きている意味がわからない。
誤解を招きそうな発言だけど、決して死にたいわけではない。むしろ生きてはいたい。なのに、ほぼ学校で過ごす時間が多い中、これと言って心弾むことがなさすぎて萎える日々が、当分の間続いている。
だけど、どういうわけか心落ち着く瞬間はある。(学校でのことではないが…。)
それは、一日の終わりに晴れた夜空に煌く星たちを眺めること。その瞬間のために生きていると言っても過言ではないはず。
美味しいご飯やスイーツに夢中になりがちなティーンエイジャー。私もそこに該当するものの、まったく興味がなさ過ぎて可愛くない。むしろ激辛派なのだ。
本当可愛らしいなんてほど遠い人間だよね。私って…。つくづく残念でならない。
それともう一つ心落ち着くひとときがある。
だけどこれは、誰にも言ったことがない秘密にしておきたい”宝物”のようなひとときで…。まあ、おいおいということで。
私がこの萎えに苦しんでいた日からおよそ一ヶ月後。
ある瞬間から、私は生きる意味を見出だし、萎えから解放された。
「ヨリリン、今週の土曜日って予定入ってる?」
今日は月曜日。日々憂鬱と戦っている感じを醸し出してると思っていた私に、なぜそんなことを言ってくるのか、一瞬理解に苦しんだ。
5日後の土曜日は特に予定は入っていないけれど、なんとなくこのあと彼女から紡がれる言葉が遊びの誘いだと予想できるだけに、息を飲んだままフリーズする私。
一応友達だからと言って意気込む彼女・同じクラスの遊井来夢は私の感情などお構いなしに私をロックオン。
「ねぇ依?このままずっと退屈で、感情を手放したままでいいと思ってる?」
「え…。どうしたの? 来夢」
予想外の言葉に驚く。
「私はいい加減、依の人生に物申す! こっちの世界に強制的に招き入れるからね」
目力の強いウインクが、さらに私を混乱の渦へと誘った。
私の意とは逆の意を持ち合わせた来夢は、気色が悪いほどに満面の笑みを見せつけるから厄介だ。
「い、いや〜こっちの世界って、どんな世界なわけ〜?私は今の落ち着いた生活を乱したくないんだけどなぁ〜」
おかげで、普段の私からすればこんなにもありえないほど間延びしている言葉を発するしか術がないのだから…絶望する。
来夢はいつも愛嬌抜群の”THE可愛らしい女の子”の象徴みたいな子だ。今日はいつもに増して目力が強すぎると感じた。
『来夢は推しが絡むと若干人が変わるからなぁ〜』と、クラスの子が言ってるのを聞いたことがある。
そう。推しが絡んでいて、尚且つ友達としてあまりにもまだ先が長いくせに、枯れ果てて見えたであろう私を哀れんだ末のことだったのだ。(多分。)
「問答無用。さあ、ようこそ!夢の推し活地獄へ」
地獄…か。そこはパラダイスじゃないんだ。まあそうか。人格が変わるほど彼女の中でクレイジーなことが起きいてるのはわかる。
もちろんそのクレイジーは彼女にとって肯定的な意味だろう。
パラダイスな世界に入り込んだら沼から抜け出せないという意味で、地獄が妥当な表現だったのだろうと冷静に推測する。
来夢が推し活をしていることは、日々の学校生活から垣間見えていた。
だから、こんなことに巻き込まれることを一瞬だけど懸念していた。にも関わらず、いざその時が訪れると、あまりにも幼稚で対応不能になるとは…。
だけど正直に言うと、きっかけをくれている来夢にこのまま流されてもいいと初っ端から思っている自分に驚愕した。
今、私と接している来夢というパーソナルのクレイジーさがとても新鮮で、刺激を与えてくれるのかもしれないという劇的な変化を期待していたからだ。
「問答無用か。じゃあ…やっぱり付き合おうかな」
自分の不器用な”満更でもない感”に、羞恥心を増強させる始末。
だけどそれは、取越し苦労で終わった。
来夢は見たことがないような物柔らかな表情を浮かべ。
「意外と人付き合いに長けてるって設定、ギャップにやられちゃうからぁ〜。もう!」
いや、そりゃ大袈裟だって。でも、やっぱり推し活をOKするには時期尚早だったと後悔先に立たず。
「やっぱりごめん。意に反して勝手に口が動きました」
こんなことを言ったところで、来夢は器用に受け流すんだろうな。
「それはダーメ。もう断るチャンスタイムは過ぎてますよ〜だ!」
ほらね。終始ニコニコ笑顔の来夢にしてやられている気分。
「ごめん。だよね…。行きます! ハハ」
乾いた笑みが余計だったと反省する。
「OKして断ったあげく再びOK。このアゲて落とすっていう神手法! まあ、そこも逃れられない沼地獄ってことで許す!」
沼地獄? じゃあ、私もこの時点で推し的存在に昇格したってことでOK? この都合のいい解釈は、意外と合っていたらしい。
「さっきなんだかんだ誘い文句? みたいなことを言っちゃったけど…。いや、あれも本心なんだけどさ、実は私ね、ずっと前からダントツで女子の推しだったからさ、依が」
狙いを定めたまま様子を伺い、今日という日を誘いの決行日にしようと決めたのだと言う可愛いスナイパー。
光栄なことだけど、そんな企みなどつゆ知らずな私にとっては寝耳に水だった。
ところで、来夢と私がお互いに言及していないことがある。
”推し活”という来夢の言葉から、私は来夢の愛して止まない男性アイドルグループのライブ観戦のお誘いを受けたのだと、勝手に思っているのだから驚きだ。
来夢からも『推しのライブに参戦』と、はっきり告げられていないのにどういうわけか、今回の突然の勧誘に乗っている私って、意外と単純簡単女なのでは!?
危ぶむ私のアイデンティティ…。