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第2話:「2018年7月11日」

 鳥籠の中の平和。それを守るために作られたのがインターポール――IJCPOの前身となる組織だった。公然の秘密組織と呼ばれるだけあって、他にはない国際捜査機関として各国に畏れられ、各国に嫌煙されるこの組織が私の居場所である。

 午前六時三〇分。

 目覚まし同時にベッドから起き上がり、身支度を始める。インタポールの刑事になってから早いもので三年も経ってしまえば、仕事が嫌だ――なんて思わなくなるけれど、昨日の夜は寝るのが遅かったので少しだけしんどい。

 刑事――霞未奈かすみな春日かすがは、姿見で簡単に寝癖を直すと、玄関先に置いてある車の鍵を取ると、家を後にした。オートロックでもないのに鍵を閉めないのは彼女の日頃の不注意によるものだが、いつも春日は帰宅時に初めて気付くのだ。

 車になると時間は七時を過ぎていた。この時間帯に流れている地方の朝のラジオを耳にしながら、職場まで向かう。途中でキャラメルラテを注文したり、赤信号に捕まってたまたま見かけた花屋の軒先に目を剥けたりして時間は過ぎていく。

 午前七時三四分。

 春日の職場に到着した。伊坂ビルと看板を掲げているこの雑居ビルが彼女の職場である。

「おはようございます。今日は好い天気ですね」

「五分三秒遅刻だ。監察室の室長に連絡を入れておこう」

「や、やめてくださいよ! 私が仕事に遅れてしまうのは、いつも先生のための残業をしているからに決まっているじゃありませんか! なのにそんな仕打ちは非道ですよ」

「何と謗られようがこの神体にはヒビキはしない」

「今度は何ですか、神になったんですか」

 春日は鞄を机に起きながら、部屋の中をざっと検める。

 昨日と特に変わっているところはないけれど、テレビにバッドが刺さっているな。庭の小人ちゃんがうごいているし、先生、また脱走したな……

 春日が先生と呼ぶこの男は殺人教授――――殺生寺せっしょうじ凪人なぎひと。春日の仕事相手である。

「それでは私が遅刻したことを監察室に報告するかどうかは置いておいて、先生の昨夜の脱走話を伺っても構いませんか?」

「…………………いやだ」

 妙に子供っぽいところがあるのが殺生寺の特徴だ。

 春日はこんなの慣れっこである。

「狙撃班からの連絡はありませんでしたし、昨晩の追跡装置は……」電子端末で確認するけれど問題ない。「となると、教授、何をしたら目を晦ますことができるんですか?」

「言ってしまったら、折角の苦労が無駄になってしまうだろうが。君は馬鹿か?」

 ぐぬぬ。その通りです――とは絶対に春日は言えない。

 どんなに彼の言うことが合っていたとしても、監視対象である彼とそれを監視する春日という対立構造が揺るいでしまうような言動は慎まなければならない。

 ――ただでさえ、舐められているのだから。

「先生が天才ということは認めます。けれど、私が馬鹿かどうかは問題ではないじゃないですか」

 ふん、これでどうだ。

「したり顔になっているところ申し訳ないが、君が馬鹿である場合、私が不快だ」

「なっ……人のことを虚仮にしてっ、申し訳ないなんて微塵も思っていないですよね?」

 かわのソファに敷き詰められているクッションを取って、先生に投げつける。

 口論に持ち込んだところで、私が勝てる見込みはない。――私が勝ったと思っても、後々、先生の利益になるように誘導されていた、なんてことは何十回とあった。

 だから、私は口で勝つことができないと思ったら、暴力で解決してしまうのだ。

「野蛮なサルが監視者とは、私もこまったものだ」

「もう、うるさいです。私の評価がこれ以上下がってしまったらどうするんですか? 次の監視員が先生を拘束して、自由に息をすることも許さないような厳しい人になって困るのは先生ですよ?」

「お。それは困る。君のように扱いやすい人材を期待するしかないな」

 また扱いやすいとか……本当に、なんでこの先生の監視員になんてならないといけないのか。

 不満があるものの、春日はこの仕事に不満はない。

 念願の手に職があると言えるこの状態なのだ。内容がどんなものでも御給料が発生するのならば、仕事だと割り切る。

「それで、本日のご予定は確認済みですか?」

「ああ、あの落書き朝のことを言っているのならば一通り目を通した」

「落書き朝!? 私が一時間以上時間を書けて書き上げた渾身の作品ですよ? まさか、あれのことを落書きと呼ぶだなんて……」

「私はいい都市大人で、君もいい年下大人だと思っていたが、そうではないようだ」

 殺生寺に渡したスケジュール帳には、春日の可愛らしい――まだ用事の方が上手いと言えるデキの絵で、今日の日程が書かれている。

「私だって、いい年した大人ですよ」

「いい年した大人は、いい年した大人に日程を説明するときに、絵を描いて説明しようとはしない。概要を文章で説明するのだ。ぶ・ん・しょ・う・で」

「もー、うるさいですね。言葉で説明してほしかったのなら、そう言ってくださいよ」

 先生にも分からないことがあるのですね、と春日は笑うが、そういうことじゃない。

 呆れて殺生寺は弁解するきも起きない。

 春日は殺生寺からスケジュール帳を奪い取ると、一つ一つの絵に沿って説明する。

「インターポールは、昨夜、先生に対する召喚状を送付してきました。封印指定されている先生が自由に外を出られる機会なんですから、アイスクリームを食べたり、ポップコーンを食べたり、ジュースを飲んだりしましょうと書いているんです」

「なぜ、全部黄色で書いているんだ?」

「そりゃあ、私の好きなものがキャラメルラテだからです。あれ、キャラメルラテって黄色じゃなくて茶色ですよね……?」

「知らない」

 あきれてものを言う気も起きなくなってくる。

 一応、理由があったことに納得するもののそれ以上を追及する気は起きてこず、殺生寺は春日から視線を外した。

 見ているだけで疲れる存在。それが殺生寺から彼女への評価だった。

 殺人教授と殺生寺が呼ばれる所以はその名前から来る――わけではなく、彼が数多の人間を『死』へと追いやって来たことだ。それも、彼が『死』に関与したという証拠は一切、遺さずに。

 インタポールは彼に目星をつけているものの、証拠はなく、令嬢をとることも出来ない。

 彼を罰することは日本の警察にも不可能であり、現代に生きる完全犯罪を成し遂げた人物である。犯罪者の社会では英雄であり、善人の社会では反逆者である。

 つまり、彼がインターポールによって『封印』される理由は存在しないことになる。

 しかし、インターポールは越権だと非難されようとも、彼に接触し、彼に対して勧告した。

「我々の監視下に入らないようであれば、インターポールの戦闘部隊が君を殺す」と。

 殺生寺はあくまでも人を死に追いやるだけであり、個人として武力を持つわけではない。

 時速一〇〇キロで走っているような自動車が目の前に飛び込んで来たら彼も死んでしまう、ということである。――最も、彼にはそんな自動車がやってこないようにするための手段すらあるのだけれど。

 殺生寺は自分が呼ばれた理由を考えていた。

「私に解決してほしい事件――であるのならば、書類を送ってくるだけで済むしな……」

「ええ、そうじゃないようです」

「となると、私を捕まえる証拠でも見つけたか?」

「そんなの、一瞬で情報が回ってくるに決まっているでしょう。私が一瞬で先生をお縄にかけて見せますよ」

「そうなるなあ」

 春日に課せられた仕事は、殺生寺の監視であり、インターポールの刑事全員が待望しているいつかその日――証拠が見つかり令状が出されたその日に、逮捕することである。

「君は何か情報を掴んでいるのか?」

「はい」

「ならば……」

「しかし、情報が欲しいのなら取引です。私の評価を今後一切下げない、とお約束ください。昇進はできなくてもいいですけれど、できたことに越したことはありませんから」

 まだ言っていたのか。

 全く考えの外にあった話を戻されて、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。

「――いいだろう。君と話をして落すこともできるだろうけれど、そんな不毛な選択はしない」

「不毛って、まあいいですよ。インターポールに少年刑事が生まれるとか。先生には少年刑事を選抜するうえで必要な試験を考えていただきたい、とのことです」

「考えるだけなら、ここでもできるだろう。私を態々本部に呼ぶ理由は?」

「サプライズにしておきたいのですが、聞きたいですか?」

 サプライズ。

 自分とは無縁だった五文字を差し出されて、言葉に詰まる。人間関係が昔から希薄だった――恐ろしいぐらいに人を洗脳させてしまう殺生寺には、彼のことを喜ばせようとするような人間は周りにいなかった。

 嬉しい――とはまた違うあたたかな気持ちが湧き出ることに戸惑いつつも、殺生寺は首を降った。

「それなら、あちらで聞くとしよう」






「先生、空ですよ空。まさか、先生専用の飛行機で旅が出来るだなんて微塵も思っていませんでしたよ。最高過ぎますね。空港でお土産もちゃんと買いました? 私は……」

「なぜ、君が舞い上がっているんだ?」

「え、だめですか?」

 だめな理由があげられる訳ではないので、口を噤む。

 殺生寺と春日はインターポールの本部――つまり、日本から遠く離れたフランスはリヨンの地へ向かうために空港にやってきていた。

 殺生寺を監視する目は春日の双眸から大きく増え、二〇人以上が二人の周りを囲っている。

 周りから見れば殺生寺を守っているようにしか見えないが、その実は逆である。

「これが噂のVIP待遇という奴ですよね。先生が旅行するときはこんなふうになっているなんて、私なんだか、先生がうらやましくなってきました」

「こほんこほん。忘れないでほしいのだが、私がこの二年間、家から出ることを許されていなかったということを。君たちが私を拘束するのだ。自由にさせてもらえるときはこれぐらいされるべきだろう」

「先生こそ、忘れていませんか? 八七一回も脱走しているということを」

「………………ふむ。それもそうだな」

「全てを不問にしているのはこの私、かす春日かすがなんですからね」

「……ああ、分かっているとも」

 バレたその瞬間に射殺されることもある――というか、そうしろと手引書には書いてある。のだが、それをしていないのは春日の温情によるものだった。もちろん、殺生寺はそれが温情ではなく、単に職を失いたくないだけだということにも気付いていた。

「やっと外に出ることができた先生に、記念日ではないですけど、ささやかなお祝いを準備しています。さ、ささ。早く飛行機に乗り込んでください」

 先程、殺生寺の側に春日がいなかったのは空港でお土産選びに苦戦していただけではなく、機内で準備をしていたようだ。

 機内へやってきても、他の旅客機と同じようにCAのお出迎えも機長による挨拶もない。

 というか、CAも機長も、乗っていない。

「先生が人を殺すことがないように、この飛行機には私たちインターポールの刑事以外、誰も乗り合わせていませんから心配ありませんよ」

「それは結構なことだ。しかし、人間がいないわけではあるまい。君たちがいる」

「ええ、私たちは先生に殺されるかもしれませんね。けれど、それが仕事ですから。御給料が発生する以上、私は命だって差し出しますよ」

「見上げた職人魂だ」

「お褒めの言葉にあずかり光栄です」

 機内の中央には大きなソファとスクリーンが置かれ、側に小さな冷蔵庫があるぐらい。窓際には刑事たち用の人数分の椅子がある。小さな飛行機だが、それだけしか物が置かれていないので広く感じられる。

「機長はいませんから、私が運転しますよ」

「冗談を寄せ。離陸する前に死ぬだろうが」

「ぬ。失礼な。というか、そもそもこの飛行機に操縦室はありませんし。インターポールの化学班が開発した人工知能が運転してくれるんですよ」

「実は私は人工知能を殺すことができるんだが?」

「先生が何を殺せても驚きませんよ。仮に人工知能を殺してしまったら器物損壊罪で捕まえて見せますね。これで日本の刑事たちも報われますよ。たった一回でも先生にブタ箱にぶち込めれば、最高ですよ」

「君は冗談がキツいな」

 搭乗が完了し、三〇分もしないうちに飛行機は空へと飛び立った。

 安全ベルトの着脱許可のランプが灯ると、春日は立ち上がって飛行機の後ろの方――他の旅客機ならばCAたちがいるところまで向かう。

「これがお祝いか?」

 春日持ってきたのはピンクのケーキだった。

「昨日の夜遅くまで先生のために作ったんですからね。やっとあの家から出ることができましたね。おめでとうございます。先生が犯罪者かどうかは推定無罪の原則にのっとって、私は一市民と見ています。これからも犯罪なんてしないでくださいね」

「一市民では少し、格が劣っているような気がするのだが?」

「元々、そこまで高くなかったというだけです。さあ、ケーキですよ。皆が嬉しい」


 スクリーンにはニュースが映し出されている。『速報』の二文字がけたたましい音ともに画面を覆う。

「先生、これは……」

「ああ、君たちが私がやったと言っている『オーキ堂事件』に酷似しているな。模倣犯というよりかは、同一犯というべきだろうが……」

「先生がやっているわけじゃないんですね?」

「私はここにいるだろうが。幽体離脱なんて非現実的なことは起こりえない」

「それじゃあ、先生がやらせているわけではないんですね?」

「小心者の私にこんな恐ろしいことができるわけがないだろう」

「煙に巻くような発言はやめてください。はっきりと明言してほしいんです。やっていない、と」

「全く言葉にすることにどれほどの価値があると思っているんだ君は。私は心の底から思ったことでなければ口にする気はない」

「それでは」

 リボルバーに手を伸ばす。

 銃口を殺生寺に向けた。

「撃ちます」

「な、何をやっているんですか霞未奈さん。銃を降ろしてください」


「目的地に到着します。機内にいる皆さまは着席し、シートベルトを着用の上――」

 無慈悲に無機質な声がひびく。

 二〇一八年七月一一日、死傷者数八九〇人、負傷者数五四七七人という形で事件は幕を閉じた。

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