第65話 街
大した違和感も感じず、時を超えて俺達が降り立ったのは白い街だった。俺が時間移動したのは数回目なんだけど、我ながらだんだん上手くなるなぁ。家族達が時空酔いを起こさずに、移転先の景色を興味深そうに眺めてる。
俺たちか降り立った道に広がる街は、スペインのアルコスデラフロンテーラみたいな大理石で作られた白い街だ。
「ああ、水曜どうでしょうで…。」
乗らないよ。一応、物語の根幹に関わる部分が始まる場面だから。
「しょんぼり。」
「慎吾様!ジェニーがしょんぼりしています。家族を雑に扱うと、今晩容赦しませんよ!」
しょんぼりって口に出しているから、そんなに凹んで無かろう。
それに今晩容赦しないって、夕べとどう違うんだろ。
「さすがは旦那様です。迂闊にしょんぼりの真似も出来ませんね。」
だから、君らね。空気を読みなさい。
「それにしても、誰もいないね。」
ユカリさんが周囲を見渡すだけで無く羽根だけ顕現させて垂直偵察飛行をした後、ポツリと独り言の様な小声を溢した。
その通り、白い街には人影が人っ子ひとり見当たらない。
だけど。だけど、だ。
多岐都姫さんは、わかるだろ。これ。
「そうじゃな。生物の気配はプンプンするぞ。…断層かのう?」
多分ね。次元をずらしている様だけど、決して完璧ではない。次元断層のキレハシがあちこちに見える。というよりも、断層の綻びが千切れ様としているみたいだけど。
「これが最後の手段だったのです。そして貴方様の仰る通り、間もなく封印は崩壊し、ムーの隠盾は“敵“に発見され、滅びへの道が始まります。」
白いトーガを来た女性が、俺達の背後から話しかけて来た。
「どちら様ですか?」
ああコラコラ。お嫁さんは目を細めて、無闇に鯉口を切るんじゃないの。お嫁さんの背中に素早く隠れたジェニーは讃美歌を歌い出そうとしてるし。
ていうか、君達いつの間にそんなコンビネーションを身につけた?
「妹の身は私が護りますから。」
「姉様の援護はわたくしの役目です。」
…無駄に仲良くなっているじゃないの。
「竿しま…。」
ストーップ。だからこれからクライマックスに入っていくから、いつものノリは封印してくれ。
「ブーブー。」
はいはい、ブーイングも禁止な。
お前さん、正体は白鯨だろ。
「はい、あの巨体ではこの街に入って来れませんですから。」
「えぇと。旦那様?どういう事ですか?」
そのまんまだよ。うちのユカリさんも、ピヨちゃんも八咫烏も変身出来るんだから、鯨の一頭や二頭、女性に変化してもおかしく無かろう。
「あなたは先程の白鯨様なんですね。」
「その通りでございます。英国女王陛下。」
白鯨は優雅で完璧な英国式カーテシーを見せた。
「私は、大切な役割を帯びております。が、どうやら果たすべき、果たせる時が来た様です。皆様、私について来て下さい。」
俺たちは彼女の案内で一つの建物に入って行った。
沢山の太い柱に支えられた広大な空間があった。天井にはおそらく神話を描いたのであろう、彩色された鏝絵が全面に貼られ、外からはシンプルなエンタシスに見える柱には、神々の姿が彫刻されている
そして、この建物の目的は。
神殿、か。
「その通りでございます。」
白鯨の案内に導かれ、空間の真ん中を静々と進んでいく。
姿こそ見えないが、驚くほど沢山の気配がある。
サユリもそれを感じとったか、ジェニーとユカリをそそくさと背後に隠し、視線を静かに動かしていた。
修行が足りないぞ。そんな時は、顔も視線も正面に固定して、むしろ視野を狭めるんだ。視覚情報を制限して、五感で気配を探ることが鍛え抜かれた剣士が採るべき正解だ。お前なら、ぶっちゃけ目を閉じて歩いても問題は無かろう。
其方の方が気配を感知しやすくなって、誰かや何かにぶつかる事も無い筈だ。
命の無い静物だって、気配は常に発散しているんだぞ。
50メートル位歩いただろうか。
ったく。ドーム球場じゃ無いんだぞ。石造りの屋内にしては、内部に壁一つ柱一つなく、どうやって強度を出しているんだか。
参道?の終点には長い階段が置かれ、その先はステージ。祭壇になっていた。
行き止まりの壁には、旭日を背にした女性の姿が一面に描かれている。
コイツは…。
多岐都姫に目線を送ると、彼女は俺にだけ通じる様に僅かにコクンと顎を引いた。
次元移動をするから、八咫烏も人化しとけ。
その後の始末は、其方の方が楽だから。
「くわ」
多岐都姫の肩に止まっていた仔烏が飛び降りると、そのまま1人の若者が顕現する。
「多岐都姫様ほどでは無いにしても、オイラも神位を受けている神族なんだがなぁ。なんだろう、この軽さ。」
だったら神様らしく、烏帽子を被って白の装束くらい着ろよ。日本書紀にはそんな風な記述があったぞ。紋付羽織袴なんか、どこの噺家だよ。三遊亭か林家か古今亭か?
「ありゃあ、天武天皇の頃に、みんなが着ていた衣装だからな。オイラ達は大抵もっと質素なのさ。麻の貫頭衣に藍色に染めた帯、なんて辺りを着てるか、もしくは全裸だ。」
確かに古事記の国産み場面を解釈すると、伊弉諾は服全部脱いでるとしか思えないけどさ。
「それにオイラは、普段は烏だぜ。人間に頼まれなきゃ烏のまんまだよ。人間なんか空飛べねえし、二本足で歩くの面倒じゃん。」
お前、足3本あったろ。よく絡まんないな。
大体、何で口癖がヤンス的な下っ端キャラなんだよ。
「ん?オイラは生まれから何から、最初から下っ端だぞ。後になって人間の都合で神様に祀り上げられたけど、いうならばただのメッセンジャーだからな。」
ああ、そういやそうか。
「あれ奥様?額を押さえてどうなさいましたか?」
「ちょっと知恵熱が出ただけよ。うちの国の神様の腰が軽い事に呆れただけ。」
「違うぞ、小娘。」
お。多岐都姫が怒りそう。
「我らは最初からこうだ。人間が勝手に神格化して尊い存在と決め付けているだけで、儂らとお主らとは住む次元が擦れているだけじゃ。生物としての能力は別として、感情に大差は無いわい。」
怒るどころか、開き直りました。
「日本人として、ガッカリしました。いずれ道場を開いて、床の間には天照皇大神の掛け軸を飾る将来を夢想していたのに。」
「ああ、母上の軸は大切なものじゃぞ。なんなら、本人に揮毫を頼んでくるが?」
「…!本当ですか?是非是非お願いします!」
お前の母ちゃん、北極で天の岩戸ごっこしてるけど。
無駄話はそのくらいにしとこうか。
次元を合わせるぞ。白鯨、そうすれば良いんだな。
「お願い出来ますか?私にも出来るは出来ますが、何しろ“力“の消耗が激しいのです。」
わかった。…そういや、俺たちの中には神様がもう1人居たな。アイツにも一言言っておかにゃならんか。
おい、アイツを呼び出せるか?
「はい。随分ほったらかしになっているけど、ちゃんと私が管理していますよう。」
うちのお嫁さんとは、最近おい、はいで呼び合う事が増えて来た。(お位牌じゃないよ)そのくらいお互いの距離感が縮まって来たのと、俺はジェニーやユカリにはこんな乱暴な口は効かない。
幼い頃から女性剣士として生きてきたサユリにとって、全ての面で敵わない“俺“という亭主にかしづく事に、女の悦びを覚える様になった、との事でお互いの理解の元でこうなった。色々喧しい御時世だけど、こんななろうラノベにすら噛み付く奴いるからな。
「随分とお久しぶりですなぁ。すっかり忘れられていたかと思っていました。」
「…。」
「…。」
「あら、皆さんどうしましたか?」
蛇神と直接接した事のあるお嫁さんとサユリが固まっている。まぁ無理もないか。
俺もちょっと驚いた。
おい蛇神?蛇のお前に、何故手足の羽根が生えた?
そう、化け猫みたいに長年生きた末に神性を帯びた大蛇がコイツの正体だった筈だけど。
これじゃ、何回か前に話題に出した、海底軍艦に出てきた怪獣だよ。
「ヌシ様のせいですな。」
「私の?」
「貴女、剣士としての腕を上げ過ぎです。本来ならは、私の神性が貴女の身体能力を底上げするって契約なんですが、貴女の力がフィードバックして、末席の神である私が進化してしまった様です。」
あー、ユカリさん。コイツってさ。
「多分パパの推測で合ってる。この蛇、竜になってるよ。私達エンシェントドラゴンとは比べ物にはならないけど、竜は竜。それに元々神性を帯びていたから、本来ならこのクラスの竜にはあり得ない“竜神“になってる。」
あれまぁ。
「…旦那様は蛇すら竜にしてしまうのね。」
まぁさ。毎晩君らと契っている訳だけど、それは生命体の霊的にいうならば、俺の遣いというか、言葉は悪いが式神と化している様なもんなんだ。
つまり、俺の精を胎内に受けるって事は、俺の“生“を生命の源たる子宮に受けるって事でもある。
だから、今までの俺の子供は健康優良児ばかりだし、今後サユリやジェニーが身籠る稚児も健康面には問題ないだろ。
問題だったのは、サユリは俺の弟子として修行したから人間離れしちゃっただけで。
「ならば良し!」
「いーんだ。」
「ユカリさん?私は慎吾様の夫として、弟子として、慎吾様に離されなければ良いのです。ついでに言うなら、親娘の契りを結んだユカリと、姉妹の契りを結んだジェニーを慎吾様が居なくても護れる様になりたい。それだけですよ。」
「まぁ奥様、お姉様!」
はいはい、姉妹でハグもいいけど、少し待っててな。
おいサユリ。
「はい。」
そっとジェニーの身体を押し返すと、摺り足でお嫁さんが俺の元にやって来た。
今後、何か始まった時に、お前と蛇神の繋がりを一時的にせよ切っておかないと、サユリを介して蛇神が参戦してしまう可能性があるからな。
よっこらせっと。
蛇神の顎を握ると背負い投げの要領でサユリから引き剥がす。
スポン!と間抜けな音がして、蛇神は綺麗な前回り受身を決めた。…意味があるとは思えんが。
どうだサユリ。身体に変調はないか。
「大丈夫です。特におかしいところも、弱体化したところもありません。」
「むしろ、私の方に違和感がありますな。ヌシ様の身体を循環していた霊力は清冽で心地良いものでしたから。」
「私も、ずっと一緒にいた人が突然いなくなった感じで、なんか寂しいです。」
それは大丈夫だ。既にお前たちには「縁」と言うパイプが繋がっている。
お互いがお互いを必要とした時には、いつでも一心同体少女隊に戻れる。
ユカリも聞いとけ。
これから起こる戦いには、お前らの手出し禁止。
お前らと言うのは、ユカリ・多岐都姫・八咫烏・蛇神の事だ。
お前ら神性が高すぎるし、1人は本物の神様だ。敵が奉じる神様連中にバレるとやばい。
さっきも言った通り、神対神の本物のラグナロクが始まっちまう。
戦闘に参加するのは、俺・サユリ・ジェニーだけだ。あーあと、ムー民がいるけど、白鯨の言い草だと戦力として見るのは厳しそうだ。
白鯨が申し訳無さそうに頭を下げる。
「旦那様。だとしたら、わたくしの讃美歌も不味くは無いですか?」
ああ。でもジェニーの歌が讃美歌である必要なんか無いだろ。ジェニーの歌声は俺たちに明確に力を与えてくれる。
だったら、讃美歌以外の好きな曲を歌え。
それが俺とサユリには、最大の援護だ。
「分かりました。」
ユカリも龍化しとけ。
その方が身体が楽だろう。
「はーい。」
その場でグルンと縦回転すると、ユカリは抱っこ龍になって俺の頭に止まる。
では、いくぞ。全員俺に捕まっとけ。
7人分の返事を確認すると、草薙の剣で目の前の空間を切り裂いた。
空間の切れ目は、ジリジリと言う電気音を立てて、切れ目から俺たちを吸い取っていく。
その先に、俺たちが見たものは。
神殿の床にはいつくばる、大量の蜥蜴だった。




