第58話 海戦
ー 視界良好。0-1-5に鯨が見えます。
「敵艦の動きはどうか。」
ー 微速前進。距離7000。接近中です。
会敵予定は4分35秒後と推定。
今、私達が居る所は、スペイン沖22海里の海中。コクピットの水深計は20mを表示している。
大西洋は太平洋に比べ火山火活動が少なかったせいもあり、それほど海山が発達していない。
海流はあるものの視認性は頗る宜しい。
米欧からのほぼ中央部に巨大な海嶺がある事を除くと、平坦な海底な大洋といえる。
ー 艇長、進言があります。
「セクサ、進言を許す。」
セクサとは我々が搭乗している特別起動型移動装置【セクサロイド】の特殊AIである。
本来、セクサは女性型アンドロイドとして開発された躯体であるが、その高い情報処理能力を買い、私がそのコピーをこの艇の頭脳として移植した。
ー 鯨を殺したくはありません。
「…君からそんな提言をされるとはな。あれ程暴れた君が丸くなる程時が経ったという事か…。」
ー 私は誕生から常に、“愛情“を燃料とする機器です。
「…ふむ。随分と綺麗な語句を使う。でも間違いでは無いのだろう。」
ならばどうする。前方に展開する原子力潜水艦3隻。はっきり言うならば、私は別にこの海に責任は無いから、放射能塗れになっても構いやしないんだが。
「艇長。」
後部席で“楽譜“を読んでいた少女が顔を上げて話しかけて来た。
「破壊せずに撃沈させる方法はないものでしょうか。わたくしには大西洋は母なる海ですから、出来れば穏便に済ませたいのです。」
ふむ。彼女の出身は英国である。英国人にとって母なる海が大西洋だとは。私の想像の範疇を少しだけ超えていた。いや、大西洋に接する島国であるのだから、当たり前過ぎる事なのだけれども。どちらかと言うと、イギリスには北海の方に親しみを感じているのではないかと思い込んでいたのだ。特に我々日本人夫婦には、ドーバー海峡の印象が深いからだ。
その私の妻は静かに目を閉じている。
彼女は敵意や雰囲気を読む能力に長けている。それは彼女が体内に宿す異形の神の仕業か、それとも剣士として修行を積ん出来た成果か。愛刀を懐に引き寄せ、艇外に意識のみを集中させている。
「解った。」
どうやら私の家族達は、私に言いたい事がある様だ。
即ち、原子力潜水艦3隻を放射能を1μSvと漏らさずに迎撃しろと。
だが、困った事に、この船には細かい攻撃手段がない。周囲半径1,000mを沸騰させる魚雷が“最弱“の攻撃だろう。もとより力尽くで全てを''解決“させる事しか戦術が取れない、搦手を一切必要としない船だからだ。
それは私も同じだ。私の陸上攻撃は大型炸裂弾を更に攻撃範囲を拡大した悪質な物で、我ながら呆れ返る破壊力を持っている。
それは私が「ワタリ」と言われる特別な存在だからである。
逆に繊細な迎撃と切り込みが可能なのが、我が妻サユリだ。
彼女は、身に宿した神の力を持っての一対多の戦いも可能であるが、しかし彼女の本分はあくまでも剣士として一対一の接近格闘戦にある。
彼女の剣士としての腕は並大抵のものではない。師である“私''以外には勝てる戦士は、最早この世には居ないだろう。
しかし、それはあくまでも陸上での話。
海中にて船に揺られる彼女は、自らの役割の無い事に内心怒りを覚えながら、静かに時を待っている。
我々に戦力はまだある。我々夫婦の元で義理の娘を名乗り、旅に同行する幼女。私は彼女をユカリと名付けた。彼女も人間ではない。
いにしえよりこの世に君臨する竜。エンシェントドラゴンが人化した姿である。
彼女は大空の王として宙を翔け、その鋭い爪はありとあらゆる敵を葬る。
口からは炎を吐き、全てを燃やし尽くす伝説の竜。それが彼女。
義母のサユリとは、高速かつ光速の刃と一体化し、認識すら出来ず戸惑う敵を一瞬で屠り続ける最強のコンビネーションを発揮出来る親娘でもある。
今、彼女は義母と同じ様に目を閉じている。
ただ、いにしえの竜たる彼女は、艇内で悔しみに震える母とは違い海中を進む事が可能だ。
水圧すら関係なく、地上で、空中で、或いは地中で。己のポテンシャルを十全に発揮する。彼女はそんな存在だ。
彼女が大人しくしている理由はただ一つ。父たる私の許可が降りてないからである。
彼女の両肩を止まり木とする2羽の小鳥。
白く優しげな視線を艇外の海底に向ける鳥は、はるか東方・瑞穂の国の原初神の化身。
黒く屹立する子烏は、瑞穂の国に伝わる世界最古のメッセンジャーである。
ー 魚雷、来ます。各艇2発ずつ。18秒後に命中
と予測されます
「艇長、私が行きます。」
我慢し切れなくなったのだろう。ユカリの口から志願の声が出た。しかし。
「待ちなさいユカリ。セクサ、圧縮空気を全面に射出。魚雷周辺に3秒回転後空気圧解散。」
ー ラジャー
フロントグリルから発射された白い塊は、接近する魚雷に近づくと弾頭を起点に激しく渦を巻く。
正確に3秒後、空気は魚雷周辺から拡散し、ジャイロスコープを狂わされた6発の魚雷は我が船から離れていく。
「グラビティ。」
私が一言。それだけで魚雷は重力の内側に落ちていく。折り紙をくしゃくしゃに握り潰し、「一つの点」にしたとでも表現するか。
「爆発させない戦いか。瞬時の判断が必要になるのは少し面倒だな。」
「私の出番は無いのですか?艇長。」
「そのつもりだよユカリ。我々は船から一歩も出るつもりは無い。この戦いはジェーン・グレイに任せる。」
「わたくし、にですか?神々に祝福された仲間たちや、神々自身がいるわたくし達の中で、わたくしは、ただのか弱き女ですわよ。」
「今、君の手にあるスコアは何かな?」
「かつてわたくし達とも縁があった、偉大なる音楽家、ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェンの3大ピアノソナタより、8番“悲壮“です。」
「そうだ。その世界一有名なピアノソナタを歌って貰う。」
「この曲は讃美歌の様に歌詞がある曲では有りませんよ。」
「大丈夫だ。その哀切さな曲調ゆえ世界中で愛されているこの曲には、世界中の歌手が詩を付けて歌っている。その中で…。」
私は一枚のスコアを彼女に渡し、船に積まれた音楽データからある一人の曲を選ぶ。
ビリー・ジョエル、THIS TIME
「この曲を歌いなさい。」
勿論、一曲丸ごとカバーしている訳では無く、サビ部分を中心に編曲しているのだが、ピアノを中心とした編曲は、あまりにも分かり易く、覚え易く、強烈な感傷を大西洋に響き渡らせる事となる。
一度、艇内に設置している音楽再生装置で聴くだけで、彼女には充分だった。
「行きます。」
♪僕はもう恋なんかしたくない
だから君とは友達でいたいんだ
大西洋に、あのピアノロックの優しい歌声と、若干12歳の少女の軽やかな歌声。
そして、データをはみ出したピアノの音色が鳴り渡り、響き渡る。
その合唱にのり、周囲からさまざまな生き物が集まってくる。
小魚達。
鯖、鱸などの中型魚。
鯱、鮫、鯆などの大型魚。
セクサが殺したく無いと訴えた鯨。
そして、かつて私達と敵対し、私達に破れ玉砕していったセイレーン。
セイレーンは、共に歌っていた。
歌は彼女達の武器であるとともに、彼女達にとって一番敬愛する対象でもあるのだ。
ここに集う大西洋の住人達は、一人の少女の意志に従い、セイレーンの指示の元、我々を中心とする半径1,000mの水中を半球を描いて泳ぎ始める。
♪明日なんかどうでも良いのさ
今夜が、僕らには永遠の今夜が続くから
大西洋の住人達が引き起こす巨大な渦に、3隻の原子力潜水艦はなす術もなく巻き込まれていく。
「グラビティ。」
私の一言で、原潜は重力の内側に落ちて行く。紙の様にヒトが作った海中の最強兵器が潰れて行く。
禿頭の男と、金髪の少女と、セイレーンと、鯨達が歌う中で、原子力潜水艦は大西洋から姿を消した。
「何これ?」
んーと。いくつか溜まってた懸案をまとめて処理したらこうなった。
本当は剣豪小説のパロディにするつもりだったけど、前回何も考えず原潜出したから、こうなったそうだ。だから本当はサユリさん主役回の筈が、「そう言えばジェニーを放ったらかしてたなぁ」と。
「わたくしは久しぶりに歌えたから、大満足です。ついでにイノセント・マンとかを歌う回を希望したいなぁ。」
「海の中じゃ、私の出番無いし。」
グラビティ一つで済んじゃう戦いを無理矢理盛り上げ様としたら、そりゃお嫁さんより鯨でしょ。
「おかーさんはまだ良いよ。私なんかパパに主張を拒否されました。ちょっとショックです。」
だから褒めといたろ。閃光親娘って。
「「それはそれ」」
我儘親娘だぁ。
「それにしても、割とあっさり終わりましたね。」
最初から構想に入ってない、昔の怪獣映画でなんの脈絡もない大タコと戦う場面みたいな回だし。
「あ、あれ。本物のタコも使ってたんだってね。」
お前らは、ちょっとした振り返りですら、隙あらば脱線しようとすんのな。
「でもパパ。コッチの方がウチらしいなぁと思ってしまったのは、危険なのかなあ。」
…残念ながら、多分事実だ。
今回ほんのちょっと回りくどい表現をしたり、漢字の量を増やしなら、まぁ背中が痒くて痒くて。他の作品じゃ別になんとも無いのに。
「それは用心棒の三船敏郎ですね。」
「あれは、お風呂に入っていない浪人だから、虱がたかっている裏設定の勝ちよね。」
「パパ、早く閉めよう。このままじゃ本文より無駄話が長くなりそうだ。」
そうは言うけどさ。下調べ大変だったんだぜ。
冒頭にほんのちょっとだけ潜水艦小説っぽい表現があるけど、そこら辺の用語を全部調べて、ついでに海底2万里やらサブマリンなんとかやら調べまくったんだぜ。
直ぐ飽きてやめたけど。
「次くらいはネタ抜きの、マトモなラノベしようね。異世界物だった設定もすっかりどっか行っちゃったし。」
……努力します。
「「します。」」
「ピヨ」「カー」
あ、鳥コンビが久しぶりに喋った。




