不老婦人
グロリアを迎え撃つためにセーラが取った手段。
それは至極単純な一手。
何を恐れることがある。自分は最強の吸血鬼、そのレプリカなのだ――小細工は不要。真っ向から迎え撃つのみ。
隙だらけなグロリアのボディ目がけて吸血鬼の拳が繰り出される。
「…………それは、一番つまらないですわ」
拳がおのれ目がけて飛んできているのを見た瞬間、不老婦人は失望したとばかりに顔を歪ませた。
同時に不老婦人の足元にゴトリと重いものが落ちた。
落ちたものは筒だった。
「お忘れ? 不死狩りをけしかけたのは私ですわよ」
セーラはその筒に見覚えがあった――。
「脱獄したばかりの男が聖水噴射機なんて持っているわけないじゃありませんの。じゃあ誰が渡したのか。もちろん私ですわ」
聖水噴射機と呼ばれた筒。
それはつい昨夜、名前の通りセーラへと聖水を浴びせかけた……。
その筒はひとりでにカシュっと音を立て上下の面を飛ばすと。そこからタイヤが生えてきた。
「悪いですけれど、これで詰みですわ」
「…………」
それを見たセーラは――
「それが――どうしたッ!!」
「――うっそ――! ぐふぁッ……!」
狙いはそのままに不老婦人へ拳をブチ当てた。
吹き飛ぶグロリア。まるで馬に跳ねられたかのような勢いで壁に衝突する。
「――そら、よっ!!」
ついでセーラは足元に転がっている筒を蹴り上げた。
「ぐえっ――――!」
ガコンと打ち出されたそれが不老婦人の腹に突き刺さり、婦人はカエルが潰れたような声を上げた。
「まだだ――っ!」
吸血鬼の猛攻は止まらない! 不老婦人に向かって指先を指し向ける。
その指先に赤い光が灯った。
否、それは光ではなく血――。
自身の中にある血を体外へと高圧力高威力で打ち出す大技――言うなれば血の弾丸。
セーラはなんの躊躇もなくそれを撃ち放った。
血の弾丸は聖水の入った筒ごとグロリアの腹部を貫いた。
「――――」
弾丸は見事命中。筒は二つに砕け散った。
セーラとグロリアの二人は身じろぎ一つしない。
辺りを静寂が包む中、チロチロと壊れた筒の残骸から流れる水の音だけがやけに大きく響いた。
セーラが一方的にグロリアを制圧した様子を見ていたナズナも戦闘の凄まじさに圧倒され何も言うことができずただ固唾を呑む。
「流石……と言ったところですわね」
沈黙を破ったのは腹部から血を流し瀕死の重体となったグロリアだった。
「勝負ありってことでいいよな。不老婦人」
「あら。随分とお優しいですのね。あの人だったら降りかかった火の粉は二度と燃えがらせないよう徹底的に潰していましたのに」
「何が言いたい?」
「私を殺さないんですの? と聞いているんですわ」
「殺さない。――どうせすぐ死ぬだろ」
「……バレておりましたの」
二人の会話を聞いたナズナは意味が理解できずにキョトンとした顔を浮かべた。
「どういうことですか……」
「簡単なことだよ。不老婦人は……まあ今の私にそんな気はないが、私がすぐに……長くても数年で君を手放すと予想していた。なのにわざわざ攫いに来た。それも、不死狩りの脱獄を手引きしたことを踏まえれば私が君のことを買った昨日の今日にだ。
それに私と戦うことにも消極的だった。力の差を理解していたからかと言われれば違う。もし分かっていたなら戦わずに逃げに徹した方が利口だ。外は昼だからね。吸血鬼の私は太陽が降り注いでいる外に逃げられたらそれ以上追えない。戦えば勝てるって算段だったんだろ。最初から力に任せてナズナを奪い取ろうとしなかった理由は体力を消耗したくなかったからか。
グロリア――お前に残されている時間少ないだろ。毒だか病気だか知らないが、ナズナを狙っているのも延命のため」
「……話が長いですわよ。仰る通り私に残されている時間は短いと言いますのに……」
グロリアはごふっと音を立てながら吐血し、それを見たナズナはギョッとした顔をした。
そんなナズナに向けて力なく笑みを浮かべた。
「お見苦しいものをお見せして申し訳ありませんわね……」
「見苦しいなんて……」
「ふふっ、十分見苦しいですわよ。生にしがみついて、あがいてあがいて……その結果が返り討ちにあい死に体。生を受け四百余年の幕引きが無様ったらありはしませんわ」
「おしゃべりはもういいか。こっちとしてもお前を助ける義理はない」
「セーラさん! そんな言い方――」
「いいんですの。それが普通ですわ。むしろとどめを刺されないだけ温情ですの。
……ただ一つ我儘を言うのであれば、セーラさん――オリジナルのセーラさんにまた会いたいですわね……いるんでしょう……今ものうのうと生きて不死の研究をしているんでしょう」
それを聞いてセーラは思い出した。
あの日、あの夜――手からこぼれ落ちて空を舞った灰の感触を――。
「……死んだよ」
セーラの脳裏に浮かんだのは太陽に憧れ、陽の光を浴びて灰となって崩れた吸血鬼の姿。
セーラの言葉を聞いてグロリアは一瞬にして信じられないと血相を変えた。
「――嘘でしょ」
「本当だよ。あの人は――お母さんは太陽の光を浴びて死んだんだ」
「嘘――嘘だわ! セーラはっ――セーラは死ぬ訳ありません!」
グロリアはこれ以上ないほどに取り乱し、今にもセーラに飛びかかりそうだったが、戦闘により蓄積した疲労がそれを許さなかった。
ガクリと地面に膝をつき、それでもなおセーラのことを睨みつける。
「今すぐセーラを出しなさい! 本当は裏で私達のことを見ていて面白がっているのでしょう! 分かっていますっ! 早く――」
「だから……」
「嘘だ! 嘘っ! でないと私はどうして……っ……ぅう……」
「…………」
うずくまるグロリア。
次第にセーラを責める勢いは弱まっていき、代わりに言葉に嗚咽が混ざり始めた。
セーラはその姿を見て何も言うべきではないと思い、口をつぐんだ。
だが、ナズナは違った。何を思ったのか彼女はうずくまるグロリアへと近づいた。
「あの……グロリア、さん……」
「ナズナちゃん!? 駄目だよ、そいつに近づいちゃ――」
「すみません、セーラさん。――私が今からすることに何も言わず見ていてください」
主人の静止を振り切ってナズナは、うずくまり身体を震わせているグロリアの背を撫でる。
「えっと……」
「なんですの……? 私を笑いにきたんですの……」
「違います。しませんよそんなこと」
地面に落ちていた筒の破片を手に取ったナズナは――
「――――っ!」
「ナズナちゃん――!」
「あなた――! 何をしていますのっ!」
ナズナは鋭利な破片で自身の手首を切った。
鮮血が噴き出し腕を紅に染め上げる。
血にまみれた腕をナズナはグロリアへと差し出した。
「私の血を飲んでください」
「正気ですの……」
「正気です。大マジです。あなたの患っている病気に私が昔かかっていれば完治して二度とかかりませんし、そうじゃなくても一時的な不死になって今あなたの体を蝕んでいる怪我も病気も治ります」
「……何が目的ですの」
「私と同じだと思ったんです。だから助けるんです」
そう言うとナズナは優しく微笑んだ。
「私もセーラさんのことが好きですから」
「私はセーラのことなんか好きじゃありませんわ! そもそもあなたの言うセーラと私のセーラは別人です! あなたがシンパシーを覚えるいわれはありませんわ!」
「いいえ。同じです。同じなんですよ。だってそうじゃなくちゃ死んだと聞いたときそんなに取り乱したりしません。泣いたりしません」
「ありえません……! この感情は……この涙は、ただ魅了されていた時の名残で、本心では……」
「……私、体の中で無効化した毒や病気の情報を理解することができるんです。この病気はどこそこの炎症によって引き起こされた、この毒は呼吸器の活動を麻痺させて死に至らしめるって具合に」
「それがどうしたといいますの」
「どうやら吸血鬼の魅了は病気か毒かと判断されたらしいです。魅了を受けたと意識してみると、すぐに治すことができました」
「でしたらもう吸血鬼のことは……」
「いえ。セーラさんのことは好きなままです。そもそも人の感情を制御することなんて他人にはできないんですよ。方向付けることはあっても好きとか嫌いとか他人が決めるんじゃありません。自分が好きになったり嫌いになったりするんです」
依然差し出された血に濡れた腕。
傷口はもう塞がっており、溢れ出た血がぽたりぽたりと滴り落ちる。
「私の血は、吸血鬼の魅了を無効化します。飲んでください。そうすればあなたの本当の気持ちが分かります」
「……病気が治ったらすぐに貴方を襲うかもしれませんわよ」
「しませんよ。そんなこと。だって私と貴方は同じですから」
まだそんなことをいいますのね。
そう呟いた不老婦人はソロソロとナズナの腕へと顔を近づける。
傷のふさがったばかりの皮膚に吐息があたりナズナはこそばゆさに身を捩らせた。
そんなナズナの様子を受けてグロリアは恐る恐ると舌を伸ばした。
チロリと不老婦人の舌先がナズナの血に濡れた手首を滑る。
「――――!」
効果はてきめん。変化はすぐ体に現れた。
「これほど……ですのね……」
自身の体を見下ろしてグロリアは驚嘆して目を見開いた。
グロリアの視界に写っていたのは傷一つない己の体。
不死の少女の力に唖然とし、ついで自身を蝕んでいた病気による鈍重感もなくなっているのに気がついた。
「信じられませんわ。……数年間の付き合いだった病気も一瞬で完璧に治っています」
「わかるでしょ」
「ええ……何というのでしょうか、感覚で分かりましたわ」
その様子を見た吸血鬼セーラは全快したばかりのグロリアに問いかけた。
「――で、やるのか? 第三ラウンド」
「よしておきますわ。今ならあなたを沈めるのも簡単でしょうけれど……ナズナ、どうやらあなたの言った通りらしいですわ。私と貴方は同じらしいですわね」
「それ、どういうことだよ。お前みたいな若作りとナズナちゃんが同じって……」
「喧嘩売ってますの?! ……はぁ、簡単なことですわよ」
そう言ってグロリアはセーラの顔を見つめた。
セーラの顔に誰の面影を見たのか。グロリアは僅かに相好を崩して答えた。
「私はセーラのことが好きだったんですわ」
「……悪いけど、これからは私ナズナちゃん一筋でいくから」
「あなたのことじゃありませんわっ!」
「どうだか。思えば私の個人情報調べてたよな。名前と素性。それに私が今まで何やってたかも調べてた……ストーカー……?」
「いい加減にしなさいまし! 人が下手に出ていましたら言いたいこと言いくさり遊ばしやがりまして!」
「……そんな怒るなよ。口調乱れてるぞ」
「……失敬しましたわ。私が言いたいのは――」
「お母さんの方。だろ?」
「……分かっているんじゃありませんの」
グロリアはため息を一つつくと、大切なものを慈しむような優しい声音で語りだした。
「私は最初から不老だったわけではありませんの。あれは、私がまだ十の齢にも満たしていなかった頃。育ての親から捨てられましたの。口減らしと言ってお分かりかしら? ようは貧乏だから益にならない子どもは売るか捨てるかで処分することなのですけれど。ともかく私は親から捨てられましたの。
そのとき私を拾ったのが不死の研究をしていたセーラ……セーラ・グランドールでしたの」
「てことは、その不老の異常性はお母さんと不死の研究をして……」
「ええそうですわ。その通りですわ。幼かった私は吸血鬼の不死の研究を手伝い、その過程として不老となりましたの。……今でも思い出せますわ。何年立っても年を取らないと……私が不老と気づいたあの日、不死へと一歩近づいた日のことを。
とても喜んでくれました。それはそうですわね。不死はあの人の悲願だったのですから。研究が進んで嬉しくないはずがありませんわ。……私も嬉しかった。不老になれたのではなくて、セーラが喜んでくれたから嬉しかったんですの……。
……そのとき好きになったのでしょうね。魅了なしにあの時の笑顔に見惚れたんですの……。
それからはより一層、セーラに尽くしましたわ。人体実験が必要だと言われれば身を刻むような苦行にも耐え、貴重な素材が要ると言われればどんな犯罪に手を染めてでも絶対にそれを手に入れてセーラに捧げましたわ」
そこまで聞いてセーラは首を傾げた。
「……ちょっと待て。そこまでやってたのに捨てられたのか? だいたいお母さんの口からグロリアの名前は聞いたことないぞ」
思い出を慈しむように語っていた姿から一変、セーラの言葉にグロリアは影を落とした。
その影は暗鬱として果てしなく黒く……。
グロリアはセーラに向けて嘲笑とも諦念とも取れる曖昧な笑みを浮かべた。
「――あなたが産まれましたの」
「私……?」
「貴方が産まれるともうセーラは私に興味を示さなくなりましたわ。理論上は完璧に作り上げた完璧な吸血鬼ですもの。
ずっと求めていたものが手に入ったセーラにとって出来損ないの私などゴミと同じ。最後にはもう要らないと言われ一方的に捨てられましたわ」
「それは酷いんじゃないか。今まで慕ってくれていた子を放り出すなんて――あっ」
それに気づいたセーラは口を抑えて冷や汗を垂らす。
一方的に慕ってきた子を捨てる。それは――
「……やっぱり貴方はセーラのクローン……いえ、親子ですわね。私がセーラに受けた仕打ちは、貴方が育ててきた子どもにしてきたことですわよ」
セーラの世界がくらりと歪む。立ちくらみにも似た目眩を覚え眉間抑えた。
それを見たグロリアは力なく頷いた。
「私はセーラのことが好きでしたわ。ですから私からセーラを奪ったあなたの事が嫌いでしたし、あまつさえあの日のセーラと同じことを何度も繰り返していると知って怒りを覚えましたの」
「それは……」
「何も言わないでくださいまし。こっちにだって言いたいことはまだまだたくさんありますわ。でも、言葉にはしませんわ。言ってもしょうがないことですもの。
――ですが一つだけ誓いなさい! この子を――ナズナを幸せにすると!」
「わ、私ですか……?」
ナズナは突然自分の名前が出たことに目を丸くし驚いた。
「何を驚いておりますの。貴方から言ったことでしょう。
拾われ、育てられ、そして好きになる。貴方は私と同じですわ。私はセーラに捨てられ不幸になりました。
――貴方は私のようにならないでくださいまし」
「……グロリアさん…………」
「捨てられて、それでも忘れられずに……生きていればいつかまた一緒になれると思って今まで生きてきました。だというのに、まさか知らない間に亡くなっているなんて……。
――こんな惨めな思いをするのは私だけで十分ですわ」
ナズナは気がついた。
嘲笑も諦念も、セーラに向けているわけではない。
それはグロリアが自分自身へと向けているのだと。
「誓うよ、グロリア――」
セーラがそれに気づいたかどうか分からない。だが、その瞳に覚悟を灯してグロリアに言った。
「病める時も健やかなる時も、私はナズナと共に生きて、絶対に幸せにする」
それは一生の誓い。
自分は決して慕ってくれる手を放さないと。生涯を共にすると。
それを聞いたグロリアはフッと、目を細め……。
「せいぜい頑張るといいですわ」
グロリアの浮かべた表情はどこか晴れやかで、憑き物が落ちているようにナズナは感じた。
そのナズナもセーラと向き合った。
「――えっと……これからもよろしくお願いしますね、セーラさん」
「ん。こっちこそ」
セーラとナズナは見つめ合う。
二人の間に名状しがたい雰囲気が流れた。気恥ずかしくなるような、でも決して不快じゃない……。
セーラはナズナの肩へと手を置くと、ナズナの顔を覗き込むように顔を近づけた。
「ここで誓いのキスの一つでも――――」
「ああっ――!」
目を閉じて唇を突き出したセーラを遮るようにナズナは声を上げた。
「私の前に育てていた子どもってどんな子だったんですかっ!? ……ひょっとしてその子ともキスとかしてたんじゃ――」
「い、今聞くの……? 後からでも……」
「いいえ、今聞きます。言ってくれるまでキスはしませんから」
「えぇ……」
「ほら、早く! 私より可愛い子だったんですか!」
「いや、そんなことは――」
一転して痴話喧嘩を始めた二人。
そんな二人を見て、グロリアはポカンとした顔を浮かべ。
「思いの外、嫉妬の深い子ですわね……」
ポカンと唖然とした顔でそう呟いた。
だが、次第におかしくなって、ぷっと吹き出すと肩を震わせた。
「ふふふっ……良いですわね。嫉妬。嫉妬ですか。ふふ……あの時の私はセーラにそれを伝えることは出来ませんでしたわ……」
もしあの時――セーラ・レプリカの生まれたあの日。
もっとセーラに対して執着を――嫉妬を見せていたならば、自分の思いをセーラに伝えていたのならば、今でもセーラの隣に入れたのだろうか、と考える。
だが、すぐにそんな考えを振り捨てた。
「もう今更ですものね……」
未だにわちゃわちゃとはしゃいでいる二人を見る。
問い詰めているナズナと困ったように眉根をかいているセーラ。
二人の姿は親しげで、その光景はいつかグロリアが夢見た自身とセーラの理想の姿と同じだった。
「……あなた達は幸せになるんですのよ」
「あ、グロリア何一人で黄昏れてやがる! くっそ、こうなったらお前も残って屋敷の片付け手伝ってけよ」
「ちょっと、セーラさん話をそらさないでください! ……あ、グロリアさんはぜひ寛いでてくださいね」
仲良く言い争っている二人を見て、グロリアは何も言わず苦笑を浮かべた。