不死狩り
「随分と気に入ってるんだな。その子のこと」
「ふふふっ、見た目も可愛ければ言うことも可愛い。気に入らないわけがないよ」
「本当に抱きかかえたままお客様を迎える人がありますかっ!」
満面な笑みを浮かべながらセーラは客人を家の中へと招き入れる。
そんなセーラの胸の中で彼女のことをポカポカと叩きながら抗議しているナズナ。
その様子をさして気にした風でもなく見ている客人。マイペースなのか、はたまたセーラがこういう奴だと分かっているからか。
「仲が良いのは、いいことだな」
……おそらくその両方だろう。
客人は呑気にそう言うと、勝手知ったるなんとやらとばかりに屋敷の中を進む。
客間へとついた三人はソファへと腰を下ろした。
「茶でもだそうか?」
「遠慮しておく。お前に入れられる茶葉が可愛そう」
「言うと思った……おっとナズナちゃん、どうしたんだい?」
「どうしたもありません! なんで私を足の上に乗せているんですか!」
「ははっ、いいじゃないか」
「よくありません! 恥ずかしいじゃないですかっ!」
お姫様抱っこの体勢のままセーラの太腿の上にちょこんと乗ったナズナは、主人の足の上から退こうとするも、吸血鬼の力でがっちりと押さえつけられているため叶わない。
「そんなに抵抗しないでくれよ。悲しくなるじゃないか。私はこんなにも君のことを好きだというのに」
「はぅ……!」
好きと言われ抵抗する力が無くなる。ナズナは腰砕けになりながらも、そろそろと主人の腰に手を回してしっかりと抱きしめ返した。
「……しょうがない人ですね。今回、だけですからね」
「うんうん! 今回だけ今回だけ」
ちゅっちゅっと少女の額にキスをするセーラと、まんざらでもなさそうにそれを受け入れるナズナ。
甘ったるい雰囲気にさすがに胃もたれ気味になってきた客人が口を開く。
「……要件、いいか」
「あぁごめんね、トゥガ。ナズにゃんが可愛すぎて君の事を忘れていた」
「もう、セーラさん! ナズにゃんは止めてください!」
「ええー……いいじゃんナズにゃん。可愛くて好きなのになぁ」
「……もうっ! ……今回だけですよ……」
再度二人きりの世界に入ろうとしたところを――。
「ごほん」
客人は咳払い一つ。
「要件、いいか」
「お、おう……」
「すみません……」
客人はため息を一つ吐くと、ナズナの方を見た。
「キミとは初対面だし、自己紹介をしておこう。――私はトゥガ・クリーメ。その馬鹿の友人だ」
「はじめまして。私はナズナといいます。……ばか?」
「馬鹿とは酷いな。――ナズにゃんナズにゃん、トゥガはね見た目若いけど実際は何百年と生きたくそババ――痛たたっ、ギブギブ」
一瞬にして狩人の目になったトゥガがセーラへと指を向けると、突然セーラは頭を抑えて痛みを訴えだした。
「おい馬鹿。人のことをババアと呼ぶなとあれほど」
「まだ言ってな――悪かった! 悪かったから、魔術解いて!」
「ったく――。もう人のことをそう呼ぶなよ。……期待はしてないが」
「だったら一々目くじらを立てないでほしいな……うそうそ冗談だから、指を向けないで」
何が起こったか分からないが、主人の頭が突然痛くなったということだけは分かる。ナズナは心配そうにセーラへと目を向けた。
「あの……大丈夫ですか」
「大丈夫大丈夫。いつものことだから。じゃれあい……? みたいなもんだよ。だけど、あんまりトゥガは怒らせないほうがいいよ。すぐ魔術か拳が飛んでくる。短気なやつなんだ」
誰が短気だと目くじらを立てるトゥガ。
そんな彼女を見つつ、主人が言った単語にナズナは目を丸くする。
「魔術、ですか……」
「そうそう。魔女なんだ、トゥガは。ナズにゃんだって魔術くらい知ってるだろ」
ナズナは首を振った。
生まれてこの方魔術なんてものは見たことがなかった。
そんなナズナを見て愕然とするセーラ。
「まじか……そんなことある?」
「……魔女然り、魔術師が数を減らして久しい。もはや魔術の概念も薄れつつある。耳慣れなくても仕方ないだろう」
「そっか……時代かねぇ。
――魔術っていうのは人の手によって起こされた奇跡のことだよ。指先一つで火を起こしたり、空を自由に飛んだり……そういう奇跡の総称を魔術って呼んでる」
「なるほど……魔術ですか……」
感心したように頷くナズナ。
その動作も可愛らしくて……我慢できなくなったセーラは頭を撫で回した。
「ナズにゃんは本当にかわいいなぁ、もう……!」
「わっ!? ちょっと、セーラさん!? 突然頭を撫でないでください! ……それに、ほら……トゥガさんの話聞かないと」
「いいんだよ。あのババ……お姉さんはいくら待たせて――痛っ!」
「いいわけあるか」
頭を抑えて頭痛を訴えるセーラにため息をつくと、魔術を解いた。
「本題を話すからよく聞け」
「ったく――ちょっとからかっただけで、すぐ手を出すのは大人気ないぞ……そう思うよねナズにゃん」
「えっと……」
「聞け」
何も言わさぬ圧力にセーラは口をつぐんだ。
やれやれと首を竦ませた吸血鬼は、どうぞとばかりに魔女に向かって手を振り話を促した。
「――不死狩りが脱獄した」
「それは……最悪だな」
瞬間、一変――。
からかう時のおちゃらけた雰囲気は鳴りを潜め、鋭い視線が魔女を射抜いた。
吸血鬼は鋭い目をして続ける。
「だいたい……だいたいだ。どうやって脱獄した。中からじゃグランベルの檻は破れないだろ」
「分からない。気づいたら檻の中から消えていたそうだ。……もぬけの殻になった檻の中に君宛の手紙があった。内容は――」
「だいたい予想つくから言わなくていい。大方私に復讐するみたいな内容だろ」
「正解だ。つまり――」
「私を狙ってくるってことか」
深い――深いため息をつくセーラ。そして深刻そうに眉根をさげるトゥガ。
二人の様子からしてただならぬ雰囲気だということが見て取れたナズナは、件の人物について尋ねた。
「その不死狩りって言うのは誰なんですか? そもそも人なんですか? セーラさんみたいに吸血鬼だったりします?」
「人だよ。普通の人よりも異常性が高いだけのね」
「自称ヘル・ザ・ウォッチドッグ。本名はジェイソン・グッドマン。通り名は【不死狩り】――名前の通り不死者を殺そうとする異常者」
「……不死の人を殺せるんですか?」
そんな話聞いたことない。
トゥガの説明を聞いた不死少女は怪訝な瞳を向ける。
トゥガは渋い顔をして。
「基本的には殺せない。故の不死だ。そこにいる吸血鬼がいい例だ。何をしてもすぐに回復する」
「って言っても、吸血鬼は弱点がいっぱいあるから、殺そうと思えば殺せるけどね」
「不死狩り自体も例外だ。――あいつのつけた傷は治らない。魔術を使おうと不死だろうと傷が再生しない。そういう異常性を持っている」
「それって心臓を潰されると……」
「例えが怖いよ、ナズにゃん……まあ、潰されたままだね。だけど永久的に不治ってわけじゃないから安心して。不死狩りを気を失わさせれば、不死性が機能して怪我が治るよ」
「不死者に擬似的な死を与える。――故に不死狩り。……それに奴は凶悪だ。不死狩りなんて通り名だが、生きていれば誰であろうと殺そうとする」
「昔、そいつと戦ってね。その時はギリギリなんとか勝利したけど、吸血鬼の特性を理解されてたら多分負けてた。
倒した後、刑務所に入れたんだけどねぇ……逃げたか……しかも私を狙ってるときたか」
セーラは面倒くさいことになったと内心でため息をつく。
過去に対峙した時には不死狩りは不死者――高い再生能力を持つ吸血鬼に対して異常な執着を見せていた。
もし、ナズナが不死であることがバレたら何をされるか分かったものじゃない。
「早いところ捕まえるか――ありがとうな、情報持ってきてくれて」
「待て、話はまだ終わっていない」
「まだあるのかよ……他に脱獄したやつでもいるのか」
「脱獄じゃない。紛失だ。グランベルの武器庫から空隙拡釘がなくなった」
それを聞いた瞬間、セーラの顔がうげっと心底嫌そうに歪んだ。
「不死狩りがくすねたのか?」
「関連性は分からない。だが、可能性は高いだろうな」
二人の会話にナズナの頭の上ではてなマークが踊る。
「その、くうげき……かくてい? っていうのはなんですか? セーラさんの様子から何となくヤバイものってことは伝わりましたけど……」
「簡単に言えば壁抜けできるようになる釘。どんなに壁が分厚くても、複雑な錠がかってあっても、その釘を打ったそばから崩れ去って中に入ることができる。……結界だって一瞬で破壊して無力化してくるから面倒な道具だよ」
事態はセーラの思っていたよりずっと厄介だった。
人殺しのエキスパートが、どこにでも侵入できる道具を持っている。
その事実はどこにも逃げ場がない恐怖を示していた。
ついでに言えば【不死狩り】の狙いは自身を監獄に入れたセーラへの復讐。遠くない未来にセーラの目の前に現れるだろう。
その時ナズナは――? 自分で自分を守る力のない彼女を巻き込みたくなかった。
「不死狩りの居場所に見当は?」
「ない。強いて言えば近いうちにここにくる」
「それだとナズナの安全が確保できない。ここに来る前に決着をつけ――――」
セーラの言葉を遮って――
ジリリリリリィ!!!
けたましいサイレンが鳴り響いた。
それは最悪のタイミング。
その音は、屋敷を包んでいる結界が何者かに破壊されたことを知らせる警報音。
今、結界を破って侵入してくる人物は一人しかいない。
強襲の知らせ――だが、迎撃の用意も出来ておらず、守るべき人の安全の確保もできてない。
トゥガの頬を冷や汗が伝う。
まさか脱獄してから昨日の今日で襲いにかかってくるとは思いもしなかった。
動揺を隠すよう垂れた冷や汗を掻き飛ばすと、サイレンにかき消されたセーラの言葉に答えた。
「……どうやらそれは叶わないらしい」
セーラは心の中で特大の舌打ちを一つ。
こちらの戦力は吸血鬼と魔女の二人。
焦燥に駆られて視線をナズナへ。
この愛しい少女を守り抜く――その覚悟はある。
だがしかし、それが難しいのも理解していた。
不死狩りは強い。それこそ一歩間違えたら殺されるくらいには……。
緊張と一緒に生唾を飲み込む。
「トゥガ……やれる?」
「やるしかない。……お前は?」
「少し血が足りないけど……やるしかないよなぁ」
セーラの膝から重さが消えた。
立ち上がったナズナは、何も言わずに主人の顔をじっと見つめた。
「――そんな顔するなよ」
ナズナの瞳が不安に揺れていた。
その表情はナズナには似合わない――。
彼女を見つめ返したセーラは、ニッと人好きのする笑みを浮べた。
「君の事を守りきるよ――」
安心させたかった。
相手は一筋縄ではいかない強敵。加えて反則級の武器を使ってくるせいで逃げ隠れることも叶わない。確かに状況はこちらが不利だ。
だが――
「約束しただろ。君に痛い思いはさせないって」
少女には笑っていてほしかった。
思い起こすは初めてオークション会場で少女を見たときのこと。
そのときのナズナの瞳は真っ黒に淀み、希望など有りはしないと並々ならぬ絶望を物語っていた。
あんな表情はもう二度と――。
「私は――痛いのは嫌いです」
「うん。知ってるよ」
「私のことを守ろうとしてくれるのは嬉しいです。……でも、無理はしないでください。痛いのが嫌なのと同じくらい、セーラさんが傷つくのは嫌です」
はっきりと告げられた言葉。
純真無垢なお願いがセーラを貫く。
「ははっ――!」
――嬉しいことを言ってくれる。
そんなことを言われたら愛おしさが溢れてしょうがなくなる。
ナズナの笑顔のため……ひいては彼女との平穏のため――それを思うと力が湧いてきた。
「安心して! ナズナちゃんのためなら、不死狩りだろうが何だろうがちょちょいのちょいよ! 足元にも及ばないね!」
テンションは振り切れた。その証拠にセーラはスキップなんてしだした。
戦闘をするにはこれぐらい高揚しているくらいがちょうどいい。
それを分かっているからかトゥガは苦笑いを浮かべるのみで何も言わない。
三人の間で幾らか弛緩した雰囲気が流れた。
しかしそのとき――
「あ、見つけた! みつけたみつけた……見つけましたぁ――ユフフ、お久しゅう吸血鬼ぃ!」
突如として男の声が。
泥のように粘着的で、鳥の鳴き声のように甲高い――一度でも聞けばあまりの気色悪さに拒否反応を起こしそうな声。
吸血鬼はその声を知っている。
一瞬にして鼓動が跳ねる。声のしたほうに振り向くと――いた。
「不死狩り――!」
まるで幽鬼のごとくゆらりと身を翻す長身痩躯の男性。
吹けば飛びそうな線の細さと不健康過ぎて紫に近い肌色が男の得体のしれなさを助長している。
「やだなぁ吸血鬼。本当に嫌だよ。やだやだ……ボクにはヘル・ザ・ウォッチドッグって立派な名前があるんだから、不死狩りなんて無粋な名前で呼ばないで欲しいなぁ。気軽にヘルきゅぅんって呼んでおくれ――おくれっ!」
言い切るやいなや、男は爆ぜた。
いや、爆発したように見えただけ。
そう見間違えるほどの速さでヘルは床を踏みこんで、セーラ目掛けて突っ込んだのだ。
――言うなればゼロ距離からの超加速!
ゴウっ!
風切り音が届くのと同時に、ヘルの拳がセーラの顔面を捉える。
「ちっ――誰が呼ぶかっ!」
拳が届く直前、セーラの頭部が四散した。
「セーラさん!」
「君は前に出るな。下がれ!」
セーラの頭が飛び散った。
あまりにショッキングな光景にナズナはいても立ってもいられず駆け寄ろうとするが、トゥガに引き止められたため叶わなかった。
すぐにトゥガは人一人が入れるだけの広さの結界を構築すると、その中にナズナを閉じ込めた。
防御結界。その場しのぎのちっぽけな安全地帯。
「とりあえずその中にいれば怪我はしない! 足手まといだ。その中にいろ! セーラは大丈夫だから!」
足手まとい。そう言われれば何も言い返すことはできない。
本当は今すぐにでもセーラのもとへ行きたかったが、手を強く握って堪えた。
「セーラさん……」
この場において少女は余りに無力。
できることはトゥガの言葉を信じて、二人の勝利を祈るのみ。
「…………おやん?」
ヘルもヘルで困惑していた。
――手応えがなさ過ぎる。
そもそも頭が弾け飛ぶのがおかしかった。一発殴っただけでは頭はトマトみたいに潰れることはない。
なのに四散したように見えたのは何故か――すぐにどういうことか理解し、獣を思わせる俊敏なバックステップで距離をとった。
「――そんな逃げるなよ。ビビってんのか?」
セーラの声。
頭の無い胴体。その首の上に黒い霧がかかっている。
その霧は段々と一箇所に密集すると、セーラの頭を形作った。
「――吸血鬼、本当に厄介。ほんとのほんと。嘘じゃないからね。信じて」
「だよな、さしもの不死狩りも霧は殴れまい」
そう、霧。
殴られる直前、セーラは吸血鬼固有の能力、霧化で自身の頭を霧へと変えると、攻撃を無効化していた。
当然、無傷。不死狩りのもつ壊したものを再生させない不治の異常性も、霧になれば関係なかった。
「降参するか? 今なら監獄まで送ってやるぞ」
「いやいやいや、霧になったくらいで、勝った気になるの止めてくれますぅ? ほら、あれだ……それだ――霧になってる間は攻撃できないでしょ」
「どうだろうね? まあどっちみち私の後ろには魔女がいる。攻撃する手段なら幾らでもあるぜ」
ヘルの推測は正しい。霧になっている間は、セーラからは何もすることが出来ない。
今日この場にトゥガがいてくれて助かったとセーラは安堵した。霧化だって無限にできるわけじゃない。
もし、いなかったら攻撃をいなすことができるにしてもいずれジリ貧になって追い詰められていたことだろう。
「じゃあこうすればいいじゃぁありませんか!」
不死狩りはいやらしい笑みをトゥガへと――。
あまりの不気味さに目を見開いた魔女は、反射的に指先を不死狩りへと向ける。
そのまま魔術で焼き殺そうとして……。
「あらよっと――!」
ヘルは懐に手を入れると小瓶を取り出し、魔女へ向かって放り投げた。
綺麗な弧を描いて宙を舞う小瓶。
すわ爆弾かと警戒した魔女はとっさに火炎魔術の発動を中止。
瞬時に爆発に巻き込まれないよう土壁を出そうとして――その一瞬が命取りだった。
ゼロ距離からの超加速はヘルが最も得意とするところ。
何百年と魔術の研鑽を積んだトゥガは、発動の中止から別の魔術への切り替えを一秒以下で可能としている。
だが零コンマ一秒もいらない、たかだか数メートルの距離を詰めることなどヘルにとっては造作も無いことだ。
「は……?」
「あら。おマヌケさん、可愛らしいねぇ」
気がついたら気色の悪い顔がトゥガのすぐ目の前にいた。
瞬きだってしていない。
小説を一ページ飛ばして読んでしまったような、そんな唐突さ。
不死狩りの後ろでガタンと先程投げられた瓶が落ちたが……何も起こらない。
――やられた!
小瓶は気を引いて接近を容易にするためのブラフ。
気づいたときにはもう遅かった。
「じゃあ――死んで!」
心臓めがけて突き降ろされる手刀。
――不死狩りの手は、簡単に肉を抉りとることが出来る。つまりガード不可の一撃。
まるで熱さを確かめるためにお湯の中に手を入れるかのごとく。ヘルの腕がトゥガの身体を貫いた。
「――う、ぐ……あああああっ!!!」
絶叫。明滅する意識。
痛みがトゥガの脳をショートさせる。
貫かれた痛みだけじゃない――まるで……獣が身体の中を這いずり周り、外へと向かって食い破るような激痛が――。
「えらいですねぇ。寸でで身体を捻って心臓を突かれるのは回避しましたか。――だけど無意味無意味……無駄なんだよなあ――」
ヘルが肩口から手を引き抜く。
立っていられなくなった魔女は――ガクンと膝から崩れ落ちた。
打ち上げられた魚のようにビクビクと痙攣するトゥガ。
意識はすでにそこに無かった。
じわりと赤い液体が傷口から広がり、水溜りを作る。
ヘルはそんな魔女に向かっておぞましい笑みを浮かべ――
「ん〜毒手ぅ……精々死ぬまで毒の激痛に苦しんでくださいねぇ。肩に空いた大きな穴は魔術じゃ治せませんよぉ。当然解毒も出来ませんから――出血死かショック死、あなたの死因はどちらでしょうねぇ。――不治の病で野垂れ死ね!」
「っ――不死狩りィィィっ!!!」
「おや怖い」
叫び、一直線にヘルへと詰め寄るセーラ。
目の前で物言わず倒れている友人を見て、血管が収縮したのを感じた。
激情――殺意。感情任せに殴りかかる。
この男だけは、絶対に許しておけなかった。
吸血鬼特有の怪力で乱打。霧になることも忘れて、腐乱に拳を叩き込む。
鬼気迫る猛攻だが、ヘルはその全てをおちょくるようにひらりひらりと軽やかに躱した。
「ユフフ……可笑しい可笑しい――あぁ傑作だ。笑えるねぇ」
「何がおかしいんだよ――異常者がッ!」
「何がおかしいってそりゃ――お前の浅慮」
カチリ、とスイッチの入る音。
不意に聞こえたそれはセーラの背後――先程投げられた小瓶から。
「時っ間差でーす! ふっとべ!」
「――っ!」
爆弾――この狭い室内で?
こんなところで爆発したらヘルだって巻き込まれる。
普通に考えたらブラフ。もしくは威力が抑えられているかのどちらか。
が、相手は異常者。巻き込まれるのを承知の上で、部屋丸ごと吹き飛ばしてきてもおかしくない。
ナズナは……結界に守られている。
だったら構わない――セーラは全身を霧へと変えた。服がはらりと床に落ちる。これなら爆発しても無傷でいられる。
「――それが、浅慮ォ!」
ヘルが吠えたのと同時に小瓶の蓋と底面が弾け、タイヤが飛び出した。側面に針の先程の穴がいくつも開く。
爆発は――しない。
その代わりにくるくると回りだした。
――みず…………?
スプリンクラーのように透明な水を四方八方に撒き散らし始める。
初めはチョロチョロと漏れるような弱い勢いだったが、次第に勢いを増していった。
霧の端にその水がかかり、熱されたコテを押し付けられたような痛みが走った。
痛み……痛み? 霧となった吸血鬼に痛みを――?
訳がわからなかった。この状態なら毒すら効かないというのに。
一瞬の混乱。だが、すぐにその正体に思い至る。
――違うっ! 水じゃない!!
その液体が何か察した時にはもう遅い。
もう止められないほど勢いを増して……霧を包み込んだ。
「きゃアッ――アアアァアアァァァッ!!!」
痛みによる絶叫――。
実体はないというのに業火に肌を焼かれているような……。
霧の姿を維持できなくなって、人型に強制的に戻される。
晒されたのは、一糸纏わぬ裸体、その全身が焼け爛れ、見るも無残な姿と成り果てたセーラ。
その水はただの水じゃない。
吸血鬼の弱点の一つ――聖水。
「霧になってくれたおかげで、全身くまなくかけることができたよ。吸血鬼自らが聖水のロス削減してくれるたぁ驚きだね!」
時間にして数秒の散水。だが、それだけで吸血鬼を虫の息にするのに十分だった。
「セーラさん――っ! ……セーラ――」
ナズナは必死に手を伸ばしてセーラを呼ぶ。
結界に阻まれ手は手は届かず、声も響かない。
「うーん、無駄無駄。いくら呼んでも無駄だよ。ありゃ死んだ。――君も死ぬ」
不死狩りは悠々とナズナへ近づく。
不気味に、おどろおどろしく。
少女に死を与えるため――。
ナズナの顔に絶望の色に沈んだ瞬間――ぴちゃんと雫の落ちる音がヘルの耳に届いた。
「――あ、がはっ――ま、て」
「セーラさんっ!」
「……へぇ、まだ動けるんだぁ。偉いねぇ」
血反吐を吐き、肉塊になりながらも立ち上がろうとしているセーラがいた。
積み重なったダメージで立ち上がることすらままならない。足はガクガクと震え、何度も床に膝をつく。
「まあ、いいや。そこで見ててね吸血鬼――この娘も殺してあげるからねぇ」
「やめ、ろ……やめてくれ……」
ヘルは結界の前まで足を向け、吸血鬼からの静止の声を聞かず、懐をまさぐると一本の釘を取り出した。
「引きこもりは駄目だよ。そのせっまい犬小屋から出ましょうねえ――ほら釘だぞ、喜べ」
境界破壊の魔具――空隙拡釘。
ヘルはそれを素手で少女を守る結界へと打ち付けると、ガラスの割れる音と共に散り散りに砕け散った。
不死狩りの前に無防備にさらけ出される少女。
「はじめまして――さようならぁ」
何百年も生きた魔女を一撃で沈めた毒手が事も無げに少女の腹を貫いた。
ただの少女にそれを防ぐ手などなく――。
「――――――」
絶叫すらない。耐えきれない激痛に一瞬で意識が刈り取られた。
ヘルが腹から手を引き抜くと、血の塊が勢いよくゴポっとナズナの口から吐き出された。
事切れたナズナに立つ力など当然あるはずもなく、その場に崩れ落ちた。
――不死狩りの与えた傷は決して治癒しない。
「あ、あぁ……あ」
呻き。絶望に沈むセーラ。
視線の先には人形のように物言わぬ少女が。
「さてと、吸血鬼にもとどめを刺しますかね」
不死狩りはゴミを見るような目で少女が死んだのを確認すると、足をセーラへと向けた。
「この前はよくも豚箱に入れてくれましたねぇ。あそこで出る飯クッサくて臭くてとても生きている心地がしませんでしたよ……」
不死狩りは吸血鬼へと狙いを構える。
――――あ。気づいた。
逃げることはできない。セーラはまともに動けない体で、それでも不死狩りを睨み返した。
「檻の中だと何より狩りも出来ませんでしたし、娯楽に飢えているんですよ……」
「ご、らく? ずいぶんと、しゅみが……わるい、な」
「あら楽しいですのよ。自分は絶対に死なないと思い込んでいるやつをなぶり殺すのは。……ほら、今も。喋るのだって精一杯でしょでしょ、吸血鬼ィ」
「ふし……じゃなくても、ころしてるだろ」
「そりゃ、人を殺してから食べるメシは美味しいですから。知ってるかな? かな? 人殺しの後の飯って生の実感がパねぇのよ――不死を殺したあとの飯はもっと美味い!」
「――いじょう、しゃ……が」
「褒めてくれてありがとう。死ね」
拳が振り下ろされる。
このままなす術なく吸血鬼は狩られ殺される。少なくともヘルはそう確信していた。
もう吸血鬼には抵抗するだけの力はないのだから。
――吸血鬼、には……だ。
突如として不死狩りが機関車にでも衝突されたかの勢いで真横に吹き飛んだ。
「すまない。遅れを取った」
声がしたのは吸血鬼の視線の先――その女性の肩の傷は塞がっていた。
壁に半分埋まったままの不死狩りは女性を睨みつける。
「……ん、ああ……あれれ? どういうことですか?」
「魔術で吹き飛ばした。エアロシューターって魔術なんだが――」
「攻撃方法なんか聞いてねぇわっ!? ――なんで、なんでなんで――怪我が治ってるっ!」
その立ち姿はまさに威風堂々。何度も死線をくぐり抜けてきた修羅の瞳が、不死狩りを見下す。
【火葬麗人】トゥガ・クリーメ。
穴の空いたケープを翻らせ、怪我一つない彼女がそこにいた。
さらに、その彼女の傍らに一人の少女が。
彼女も胴体の真ん中に穴をあけたはずだが、嘘みたいに健康そのものだ。
「――私にも同じ毒を使ってくれて助かった。おかげで楽に抗体を作れた」
「な、な……なんでお前までっ!?」
――不死の少女、ナズナ。
怪我をすればまたたく間に治癒し、毒を喰らえば瞬時に体の中で抗体を作る少女。
「なんでって? 私の不死とお前の不治――私の呪いがお前の異常性を上回った。それだけのこと」
ナズナはゆっくりとセーラへと近づく。
全身が焼け爛れ、血だらけとなった主人。今もなお聖水が体を蝕んでいるせいで肉が崩れ落ちており、もはや人の形を成していなかった。肉達磨と形容されても違和感のないその姿。
ナズナのことを見捨てればいくらでも逃げられただろうに、それでもそんな姿になってまで守ろうとしてくれた。
その事実にナズナは得も言われぬ感動を覚えた。
「セーラさん……ありがとうございます。私を守ろうとしてくれて」
「ぶじでよかった……でも、もう――わたし、は……」
「いいえ。間に合ったんです。私が起き上がったのに気がついて時間を稼いでくれたおかげです」
服をはだけさせ、白く陶磁器を思わせるような首元を吸血鬼に晒す。
「私の血を飲んでください」
「でも……」
「いいんです。セーラさんになら」
恐怖はない。むしろ、その逆。
「こんなになるまで私のことを守ってくれた。今までそんな人はいなかった――セーラさんが初めてなんです。だから――」
尽くしたくて仕方がなかった。
愛おしくて仕方がなかった。
食べて――ほしかった。
「どうぞ、私の全てを――貰ってください」
「――――」
言葉はなかった。
まるで蛾が夜に瞬く光に吸い寄せられるように、セーラはよろよろと少女の首へ……。
「なぁにをするか知りませんけどもっ! これ以上好き勝手はさせませんけどもぉ!」
「いや、好き勝手してたのは――お前だろ!」
破壊の轟音。
不死狩りとセーラの間に割って入るように、不可視の空気の塊が床を砕いた。
木片が、舞い散る――。
「邪魔ァッ!」
「奇遇。私もお前のことを邪魔だと思ってた」
空気の巨弾が不治の男を怒涛の勢いで攻め立てる。
不死狩りに小細工を仕掛ける余裕を与えない。
終始トゥガが圧倒しているように見えたが、相手は人殺しのエキスパートだ。そう上手くいかない。
不死狩りはほんの僅かな隙きを見つけて、隠し持っていたナイフを投げつけ反撃した。
破れかぶれにも似た一刀は、魔女の腹部に命中した。
だが、それも無意味。トゥガは腹に刺さったナイフを引き抜き、投げ捨てる。そして腹部の傷は鋭利なナイフによって刺し抜かれようとも、次の瞬間には元通りに――。
「不治は!?」
「さぁなんでだろうね」
嘲笑混じりにとぼけてみせたトゥガ。
その実、どうして治ったのかは、理解していなかった。
――とんでもない子どもを拾ってきたな。
そのとんでもない子どもが瀕死のセーラを救おうとしている。それを邪魔させないよう、不死狩りへ魔術を打ち付け続けた。
当のナズナは今、吸血鬼によって首から血を吸われていた。
身体中から血液という血液が搾り取られ、白い肌がさらに白く……。
恐怖はない。
吸血鬼に血を吸い付くされるよりも、目の前の女性を失う方が怖かった。
ぎゅうっ、とセーラの頭に手を回す。
それは、これから先ずっと……絶対に放さないという証。
「セーラさん……」
血が足りない。再生の速度を上げる。だが、造血したそばから全てを吸い上げられた。
心臓が空打つ。意識はすでに暗闇への一歩手前。
それでも、血を与え続けた。セーラにまた立ち上がる力を……不死狩りに立ち向かう力を取り戻してもらうために。
「わたしの血は、抗体になるだけじゃないんです。……飲んだ人を……一時的な、不死にするんです……」
ズズッ……。
吸血鬼の身体を覆っていた血が蒸発し、傷一つない珠の肌を見せる。
深淵を映していた切れ長の瞳に光が灯った。
「ありがとう――ナズナ」
白金の髪をたなびかせ立ち上がる。
少女の手がセーラの肩からスルリと落ちた。その少女は童話に出てくるお姫様のような美しい顔で、穏やかな息を立てていた。
少女を抱き上げると、巻き込まれないよう部屋の隅へと連れていき、優しく横たわらせ、彼女を包むように防御結界を構築した。
「さてと――」
愛しいナズナの安全は確保した。
次は――。
「よくも好き勝手やってくれたな――不死狩り」
「なんでぇ! なんでお前も生き返ってんだよ! おとなしく死ねよしねしねしねしねしね――」
「――お前が往ね」
そう言うと――吸血鬼の姿が消えた。
「え?」
不死狩りの口から間抜けな声が漏れる。
つかの間もない。消えた吸血鬼が突然目の前に――。
ゼロ距離からの超加速。
なにも不死狩りだけの専売特許ではない。
不死狩りのように人並外れた膂力があれば可能であり、吸血鬼は文字通りの人外だ。必然、彼女にも同じことが出来る。
「ダチクショーー――!」
不死狩りの顔面をセーラの拳が捉えた。
叫び、真後ろに吹き飛ぶ不死狩り。
見事に鉄拳が命中したように見えた――だが、軽い。
手応えの浅さにセーラは仕留め損なったことを知る。
瞬時に拳がぶつかる寸前でヘルみずから後ろに下がって威力を殺したのだと気づき追撃を――。
「ッザケンナァーー――!!」
怒号とともにセーラに向かって一本の釘が投げ放たれた。
その釘の名は――空隙拡釘。
対象の内と外を分ける境界を破壊する魔具。壁に使えば崩落し、結界に使えばバラバラに砕け散る。人に使った場合――。
セーラの胴に釘が打ち込まれる。
「――――――」
赤く、弾けた。吸血鬼の胴が風船のように膨らむと、身体が膨張に耐えきれなくなって弾け飛んだ。
血が、大輪の花火のように一面に咲き誇る。
「――――――」
だが、次の瞬間には何事もなかったかのように無傷の吸血鬼が姿を現した。
彼女の鋭い眼光が射抜くのは、殺しても殺しても起き上がってくる吸血鬼に恐怖し腰を抜かした不死狩りの姿。
「――なぜ? なぜ死なないの?」
「ははっ、怯えるなよ。お前の大好きな不死だぞ」
吸血鬼は指先を哀れな男へと向ける。
指先から赤い閃光が走った。
それは血液の光線。
取り込んだ血を圧縮してビームとして打ち込んだのだ。
「アガっ――――」
「まあ、可愛そうだから少し種明かししてやると……そこで寝ている少女の血に不死になる効果があったらしい。お前の不治すら無効にしてな。だから、私も魔女も復活することが出来た、らしい。……何分初めてのことだから正直言ってよくわかってない。間違ってるかもしれないけど、許せ」
「そんな訳――」
「あるんだよ。ほら、証拠にお前の傷も治っただろ」
セーラの言葉に不死狩りは先程血の弾丸によって穴があいた筈のどてっ腹に目を落とす。
確かにそこには傷一つ見当たらない――。
「お前にも撃ち込んだんだよ。私の中にあった不死の血を――」
「……ふはっ、何やったか分かってますぅ? ボクちんを不死にしたってことちゃんと分かってます、ますぅ?」
「分かってるよ――」
深呼吸を一つ。悠然と足取りを前へ。セーラは指をボキボキと鳴らすと、調子づいたヘルの首をわし掴んで持ち上げた。
「――――まず一回」
そのまま吸血鬼特有の怪力で首の骨をへし折った。
うめき声にも似た悲鳴を上げヘルが絶命する。
白目を向いたヘルはゴミが投げ捨てられるように床へと叩きつけられた。
暫くすると、くへっと声を上げて呼吸が再開された。
「この――ァ――」
ヘルの言葉が途中で止まったのは炎が身を包んだため。魔女が起こした火炎が不死狩りの身体を燃やし尽くした。
「炎はやめろ。家が燃える」
「おっとすまん」
すぐに炎はかき消えたが、悲鳴すら出ないほどの業火。ヘルの体は一瞬で炭化していた。
……だとしても次の瞬間には元通りに。
「どういうことかって聞いたな……お前こそ分かってるか?」
復活したばかりのヘルの瞳を覗き込み問いかけた。
吸血鬼の瞳に射抜かれ、ひうっと引きつった声が漏れる。
すでに二回。なす術もなく殺された。
その事実にヘルの体が恐怖で震える。
「吸血鬼は血を得れば得るだけ強くなる。……だけど、ただの人間のお前が不死の血を得たところで何になる?」
「……わ、わるかった。もうしないから――人殺しはもうしないから、から許し――」
「お前、私がやめろって言ったとき、ナズナを殺すのやめたか?」
ヘルの顔が恐怖一色に染まった。
「そういうことだ――せいぜい楽しめ」
――吸血鬼の怪力が産み出した轟音。それと魔女の魔術が作り上げた理不尽な暴力。その両方に曝された男の悲鳴が夜一夜屋敷に響き渡った。