エピローグ
「あの……本当にするんですか。セーラさん」
「大丈夫大丈夫。痛かったらすぐに止めるから」
「でも……」
「心配しないで……私に任せてくれれば何も問題はないよ」
「あう……」
不老婦人グロリア・ヴェルとの死闘から一夜明け、戦闘によりとっちらかったセーラ邸の掃除も一段落ついた頃。
二人の女性が何やら問答を繰り広げていた。
一人はこの館の主セーラ。その相手は館の主人に買われた少女ナズナ。
ナズナは主人の言った無茶な要求を何とか取り下げさせようとしたが、むべなるかな、相手は最強の吸血鬼にして自身の主人、強く言えることなどできない。
だが、できないなりにもナズナは食い下がった。
「止めましょうよ。何かあったら私……」
「だから、心配はいらないよ。ナズナちゃんのことを信頼しているからね。それにこれはナズナちゃんのためでもある」
ナズナの控えめな懇願は一蹴された。そのままセーラはドアへと手をかける。
「私の、ため……?」
「ああ、そうさ――」
そして――ドアは開け放たれた。
意気揚々と踏み出される足。
吸血鬼と不死の少女を待ち構えたいたのは――。
「……ははっ――これが太陽か……中々――心地いいもんだね……」
心底楽しそうに笑みを浮かべるセーラ。
彼女はその身全身に太陽の光を浴びて笑っていた。
「大丈夫ですか、セーラさん!?」
「大丈夫だよ。ナズナちゃんの血のおかげ」
通常吸血鬼は太陽の光を浴びると灰となって散ってしまう。セーラの母親がそうだった。
だが、今のセーラは違う。太陽の下でピンピンとしていた。
その理由は、自身の主人がなんともないことに安堵しているナズナ――彼女の血に関係していた。
ナズナの血は彼女自身が一度でもかかったことのある毒や病を完全に治す血清となり、その血を飲んだ者は二度とその病気や毒にならなくなる異常性を有している。
太陽の光を浴びることによって引き起こされる病気は多々ある。身近なもので言えば、長時間太陽を浴びることによって起きる日射病。
日射病に限らずナズナが過去に太陽に関する病気を患っていたら、ナズナの血は太陽光に対する抗体を作っているということになる。
つまり、ナズナの血を飲んだ吸血鬼は太陽の光への耐性を獲得する。
それゆえにセーラは太陽の下を歩いても灰にならず無傷でいられた。
ナズナからしたら一々無効化した病気のことなど覚えてはいなかったため、本当に大丈夫かとセーラが外に出て太陽を浴びると言い出したときから心配しきりだった。
生き生きと腕を挙げて伸びをしているセーラの姿を見て、杞憂で良かったと胸を撫で下ろした。
「……正直驚きましたわね。セーラの目指した完璧な吸血鬼にこんなに容易くなれるなんて」
そう言ったのは二人の後に続いて館から出てきたグロリアだった。
彼女は昨日の一件後、ナズナの説得と、乱れたセーラ邸の修繕を手伝うようセーラ本人に詰め寄られたため、こうしてセーラ邸に残っていた。
「いや、耐性ができたのは太陽だけだから、完璧とは程遠いよ。聖水とか十字架とかは相変わらず駄目だね」
「それでも大したものですわ。……もしセーラが……オリジナルのセーラがこれを知ったら泣いて喜んだでしょうね」
「そう? イライラしながらまだ太陽だけ……って悪態付きそうだけど」
「……私と別れた後に何がありましたの……? セーラはもっと前向きな人だった筈ですけれど……」
「私といる時、そんなことはなかったけどな。いつも何かに追われてるみたいで余裕がなかった――と、こんな話はどうでもよくて――」
気を取り直してナズナへと向き直るセーラ。
「ナズナちゃん! 私と一緒に旅に出ようか。世界を回ろう!」
「旅――!? なんでまた急にそんなこと……」
「おかげ様で日中も外に出れるようになったからね。君の望みも叶えやすくなった」
「望みって……」
「不死を辞めて普通になりたいんだろ? それを叶えに行こう」
思い出すのはいつの日か二人で交わした言葉。
セーラは誰かの特別になりたいと語り、ナズナは不死の異常性なんて欠片もない普通な女の子として過ごしたいと語った。
「私が思うにナズナちゃんの血は病や毒だけじゃなくて、物事の異常性も無効化するんじゃないかな。私の魅了を解いた時みたいに。
だったら、不死になる異常性を取り込んで無効化したら、自分の不死だって無効にできるんじゃないかな」
「そんなうまい話がありますの?」
「わかんない。合ってるかもしれないし間違ってるかもしれない。
けど世界は広いんだ。旅をすれば何かしら不死を無効化する方法は見つかるだろうよ」
「あの……! いいんですか……?」
おずおずとナズナが声を上げた。
確かに普通になりたいとナズナは言った。だが、それを叶えるためにどれ程の年月がかかるか分からない。それなのにセーラを巻き込むことは躊躇われた。
「いいんだよ。だって――ナズナちゃんは私を夢中にさせたいんだろ? だったらずっとここにいるよりも色んな所に行くほうがやりやすいと思うよ」
にやっと人好きのする笑みをするセーラ。
それを見たナズナは一瞬面食らったが、すぐに笑みを返した。
「覚悟してくださいよ。私無しじゃ生きられない体にしてあげますから」
「ふふっ、それは楽しみだ」
不敵な微笑みへと表情を変えたセーラ。
その後、彼女は何かに気がついたように後ろに振り向いた。
視線の先には、グロリアの姿が。
「グロリアお前はこれからどうする?」
「私ですの……? どうしましょうかしらね。
今まではセーラ……ああオリジナルの方ですわよ。あいつの手足をもいで私を捨てたことを後悔させた後に、奴隷として目一杯可愛がってあげることを目標にして鍛錬してきましたから……」
「さらっと怖いことを言うな」
「もちろん冗談ですわ。……いつか痛めつけようとは思っていましたけれど」
暗い笑みを浮かべるグロリアを見て、セーラは何とも言えない顔をした。
そんなセーラのことは置いておいてナズナは切り出す。
「ということはこれから何するか決めてないってことですよね?」
「そうなりますわね……これからどうしましょうね」
「あの、だったら私達と一緒に来ませんか?」
「本気で言っていますの?」
「あの……グロリアさんは嫌ですか?」
「嫌じゃありませんわ。ただ――」
そう言ってグロリアは黙りこくった。
疑問に思ったのだ。はたして自分はここにいていい人間なのかと。
セーラへの憎しみと、不死になりたいという理由から不死狩りの脱獄を手引きし、返り討ちにあったとはいえ自分も二人を襲ったのは事実。
それなのに、のうのうと二人の仲に加わるのは間違っているように思えた。
「――辞めておきますわ」
「そうか」
「えぇ……どうしてですか、グロリアさん……」
残念そうに肩を落とすナズナにグロリアは優しく微笑む。
「私は間違えました。感情が暴走して振り回されて自分が何をしたいのか、何をしているのか分からなくなってしまいましたの。貴方はこうなってはいけませんわよ。何か気になることがあったり気に入らないことがあったら、きちんとセーラに言うんですのよ」
「グロリアさん……」
「それからセーラ。貴方もしっかりとナズナのことを守るんですのよ。あなたの言った通りナズナの血が異常性も打ち消せるのだとしたら、狙う輩は増えますわ。絶対に守りきるんですのよ」
「言われなくても――」
グロリアは二人の姿を視界に収める。
それは自身がずっと憧れていた姿。
願わくばその光景が壊れないことを祈って……。
「私も自分を見つめ直すために旅に出ることにします。――どこかで、また」
またな、とセーラとナズナの別れの言葉を背に受けてグロリアの姿はどんどん小さくなっていった。
二人は何も言わずにそれを見送り姿が完全に見えなくなった頃、今度は入れ替わりで魔女が飛んでやってきた。
「おい、無事か!? セーラ!」
「トゥガか。どうした?」
「どうしたじゃない! 不死狩りを尋問したら脱獄を手引きしたやつを吐いた。驚くなよ、不老婦人だ。どんな理由か知らないがお前のことを狙っている」
冷や汗を垂らしてセーラに詰め寄るトゥガ。
その姿は余りにも必死で――
「ぷっ――くく、あはは」
セーラはおかしくなって吹き出してしまった。
「な、何がおかしい……」
「いいんだよ、それはもう」
「いや、しかし……って、なんでお前外に出てるんだ?! 灰にもなってないし……」
「色々あって太陽が大丈夫になった。いい機会だから旅に出るよ。後のことは全部任せた」
「急展開過ぎて話についていけないんだが?!」
「しょうがねぇな。じゃあ何があったか話すからお茶にしよう。ほら入るぞ」
理解が追いつかず目を白黒させるトゥガを置いて、セーラはナズナの手を引いて館へと向かう。
不意にナズナがセーラに問いかけた。
「最初はどこに行きますか」
「そうだな――」
屋敷に入る前に空を仰ぎ見る。
自身の母が死ぬほど憧れた太陽、青空、この光景。
セーラの脳裏には母が死んだあの日、外へと舞い散った灰が浮かび上がった。
あの灰はきっと今でも世界のどこかを自由に漂っていることだろう。
自分たちもそうだ。
自由に、何処へでも行ける。
ナズナがいればそれが出来ると思えた。
「――ナズナちゃん」
「へっ? ――――きゃっ!!」
不意にセーラはナズナを抱きしめた。
抵抗する間も与えず、唇を奪う。
そして、屈託ない表情を浮かべて言った。
「ナズナちゃんがいれば私達はきっとどこまでも行けるよ!」
「なっなっ……わ、……」
当のナズナは一瞬にして顔を赤く染め上げた。
数秒のフリーズの後、ナズナは右手を掲げて。
「私は最初の目的地を聞いたんだが!? この妖怪キスちゅっちゅっ!!」
「あてっ!」
そう言って照れ隠しに頭にチョップをいれたのだった。




