誕生編3
約束の日を迎え、二人は早朝の森の中を歩いている。
「ちょっとセディ…あなた早すぎるのよ。女の子と一緒ってこと、忘れてないかしら…?」
森に入って半刻も経たないうちに、アンナは息を切らしていた。
「ごめんごめん!アンと一緒だからつい嬉しくなっちまってさ。なんだか昔を思い出さないか?」
「そうね、でも昔はあなたよりわたしの方が体力があったのに、不思議ね。立派になったじゃない。なんだか雰囲気もガラッと変わって…いまのあなたも、悪くないわよ」
「悪くないって曖昧な言い方だな。少し前の俺と比べたら、明らかに良くなってるだろ?」
「そうなんだけど、そういうことじゃないの!あなたそんなに鈍かったの?」
(俺が鈍い…?人間から見たら俺はまだ知能が足りていないということか…?でも悪くないって言葉の裏に一体どんな意味を含ませているんだ?全く理解できねぇ…)
「どういうことだ?悪いけど、教えてくれねえか?」
「本当バカね。だから、素敵だって、そう言いたいのよ…」
尻すぼみになる声は消え入りそうになるほど小さく、アンナの顔は耳まで紅潮していた。
(なるほど…そういうことか…!アンの体温がさっきよりも高くなってやがる…)
「俺を男として見てくれてるってことか?ーーーあのよぉ、実は…前からアンに言いたかったことがあるんだが…」
「なによ、あらたまって…。聞いてあげるから、早く言ってみなさいよ…」
俯きがちに上目遣いでこちらを窺うアンナは、これからセドリックの言うことに明らかに期待を込めているように見えた。
「ーーーー俺と一緒にならねぇか?」
「えっ、一緒にって…つまりどういうこと?」
「今度はアンの方が鈍いじゃねぇか。結婚しようって言ってんだ」
「け、結婚!?あなた…いろんな過程をすっ飛ばしすぎじゃない!?結婚はあれだけど…その……結婚を前提としたお付き合いとかなら、お受けするわよ…」
(人間の男女が結ばれるのは結婚だけじゃなくて、その過程も必要だってのか。めんどくせぇなぁ人間ってのは。まぁ結果オーライだぜ)
「よかった…!ずっと言いたかったのに言えなかったんだ!でもよ、お付き合いって言ったって、まず…何をしたら良いんだ?」
「わたしもあなたとこういう風になれたら良いなって…結構前から思ってたのよ。…そ、そうね、例えば手を繋いだり、き、キスをしたり…するんじゃないかしら……?って、なんでこんなことわたしが言わなきゃいけないのよ!あなた男なんだからリードしなさいよ。狩りばっかり上手くなっても女の子の扱いは全然上手くならないのね」
きつい口調は普段と何も変わらないアンナだったが、口角はわずかに上がっていた。
「経験がないんだから勘弁してくれよ。まあこれからの俺を見てな!なんてったって今をときめく売れ筋ナンバーワンの男だぜ!」
「わ、わたしだってこう見えて結構モテるんだから!あなたがしっかりしてないと、他の人に取られちゃうかもしれないわよ?
それより狩りはいいの?わたしのせいで収穫なしなんてことになったら、申し訳ない気持ちになっちゃうわ」
「いいじゃねぇか、最近は獲りすぎてるくらいだったんだ。一日収穫がない日があった方が、人間っぽい感じがするだろ?」
「まぁそうね、ここ最近のあなた異常だもの。変なことを疑われる前に、わたしがこうやってちょくちょく付き合って調整してあげるわよ…」
そう言うと、アンナは嬉しそうにはにかんだ。
それから数ヶ月の間、セドリックが狩猟に出るニ〜三日に一度、アンナと共に森へ入った。
普通の恋人同士がそうするように、二人もまた愛を育んだ。
「アンは産まれてからずっとこの村で暮らしてるだろ?外の世界を見てみたいと思わないのか?」
「あなただって同じじゃない。わたしはこの村での暮らしも嫌いじゃないわよ。…セディもいるしね。そういえば昔はあなた王都に行きたいって言ってなかった?もういいの?」
「できると思うか?親父が死んで、俺が家計を支えてるんだぜ。それに、これからはお前と家庭を築いて、のんびり暮らすのも悪くないと思ってるんだ」
「そ、そうね…あなたと家族になれたら…ふふ、幸せな家庭を築けそうね!」
「だろ?村一番の幸せな家にしようぜ!」
いつしかセドリックは、初めて人間を喰らったときの興奮を忘れていた。
そしてこの時、本当にこのままのゆっくりと流れる日々を、ほとんど代わり映えのない毎日を、ずっと送るのも悪くないと思い始めていた。
そんな夢物語のような生活が送れることを、今の彼は露ほども疑っていなかった。
そんな彼はある晩、夢を見た。
『ーーーセドリック、このままで良いの?』
「誰だ…?」
『思い出して、あの時の興奮を…』
「あの時の……」
『君はこれから世界を相手に戦わなくちゃいけない…このままではだめだよ…』
「なんだ…?……意識がふわふわしてくる……」
ーーーーーーーーーーーーーー
いつものように二人は森に入り、しばらく歩いたところでセドリックはアンナに抱擁をした。
「セディ…」
「アン、愛してる」
「わたしも。幸せ……」
しばらく二人はそのままでじっとしていたが、アンナはある異変に気付いた。
「ーーーーーーねぇセディ、今日のあなた、体温高すぎじゃない?」
「ごめん、ちょっと興奮してるみたいだ…」
「興奮って…ちょっ、熱いわよ!一旦離れて!普通じゃないわよ!?」
タガが外れたセドリックは、もう自分でも抑えることができなくなっていた。
体温はさらに上昇を続け、すでにアンナの表皮は軽い熱傷を起こし始めていた。
「一緒になろうって言ったろ!?もう離さねぇ!」
「ーーーっ、あつッ!いや!離して!!」
「ごめんな、アンッ!」
さらに温度が上がるセドリックの体温は二百度を超え、二人からは煙が上がり始めていた。
辺りには肉の焼ける匂いが立ち込め始めていた。
「いあああッッーーーーー!」
既に煙は辺り一面に充満し、二人の身に纏った服からは炎があがっていた。
耳に付く叫び声もいつしか聞こえなくなり、肉が焼ける音のみが聞こえていた。
燃え上がった炎は周囲の草木に引火し、辺りは火の海と化した。
「久々のご馳走だせ。今回はウェルダンだ。これでずっと一緒にいられるぜ。俺の腹の中で幸せにな、お二人さん…」
食事を済ませたセドリックは、周囲を火に囲まれながら立ち尽くし、今後のことを考えていた。
「アンは俺と森へ入ることを家族に言っている。山火事でアンが助からなかったことにすれば、信用は損なうかもしれないが村での生活は続けられる。が、いっそこのまま村を去ってしまうか…いや、もうそんなことどうでもいい…」
これほどまでに焦がれた人間をリスクを冒してまで食し、あの時の興奮を今一度味わおうとしたセドリックだったが、彼の思うようにはいかなかった。
手にするまでの昂りは、手にした後には鎮まる一方で、物足りなさと、彼自身が今までに感じたことのない感情に襲われていた。
虚無感、喪失感、孤独感…彼はそんな感情があることを知らなかった。
こぼれるはずの涙は、一瞬のうちに次々と気化した。
「むしゃくしゃするぜ……一体俺はどうしちまったんだ……」
そう呟き、セドリックは村の方角へと歩いていった。
来た道を戻っていくと、村の手前で自警団らしき青年と出くわした。
山火事を鎮火するために来たのか、逃げ遅れた我々の捜索に来たのか、どちらかはわからなかったが……。
火の手は既に人間の手には負えないほどに燃え広がっていた。
「ーーーーセドリック!無事か!?
ーーーーーお前、炎の中から…来たのか…?」
「そうだぜ。何か問題あるか?」
「なんなんだお前…!?一緒に入ったアンナは、アンナはどうした!?」
「食ったぜ」
青年の状況把握能力はこの非常事態も相まって、とっくにキャパシティを超えていた。
一切表情を変えずにそう告げるセドリックが、この状況で冗談を言うようには到底思えなかった。
しかし、この男の前にいることが危険だということは、本能が告げていた。
何も言わず踵を返すと、一目散に走った。無我夢中で走った。
追いつかれたら死ぬーーーーー!
しかし青年の必死さも虚しく、視界は暗転した。
冷や水を浴びせられたかのように気分が沈み込んだセドリックだったが、今度は奥深くから、沸々と湧き上がってくる衝動があった。
抑えがたいほどの、強烈な破壊衝動ーーーー。
「どうしたってんだ、俺は…!抑えがきかねぇ…!」
セドリックは姿を竜に変え、逃げる青年の頭を食いちぎり、村の方角へ大きく跳躍した。
そして村に降り立つと同時に、一切のためらいもなく、全ての力を込めて炎を吐き出した。
炎は家も、草木も、命も、全てを焼き尽くしながらさらに遠く、さらに広く、その範囲を広げていった。
彼は炎を吐き出し続けた。
もう燃えるものが残っていないことに気付くこともなく。




