さくらの話
いつもの学校でのある日、担任教諭に呼ばれ、私は生徒指導室で今後の進路に関する重要な話を聞かされた。
私の通う高校は私立の進学校で、私はそこで成績優秀者のみが受けられる入学金や授業料免除の特待生待遇にある。
無論、大学もそういった優遇措置のある私立大へと進学の予定であり、担任からも現状の成績ならば問題がないと太鼓判を押されていた。
こうして生徒指導室に呼ばれたのもその私立大への推薦に関する話だと予想は付いている。
つい先日返却された期末テストの結果も自分でも納得が行くものであり、推薦して頂くための勉強もけして疎かにしていない。
私には自信がある。
中学までは成績優秀であってもこの高校のレベルに付いてくることが出来ずに落ちこぼれていった他の生徒とも違う。生徒会にも入り、教師達の手伝いも欠かさず進んで行っている。
私は優秀な人間だ。
底辺を這っているような人種と私とでは比べることさえ愚かだ。
私は姿勢正しく担任教諭に促され席に座る。
そして担任教諭は話し出す。
「非常に申し訳ない話なのだけれど、推薦の話をしていた私立大学さんが、あちらの事情で奨学生枠を廃止することになったと連絡が入ったの」
え?
「もちろん、貴女の成績や普段の生活態度と、それと……ご家庭の事情については相談をさせていただいたのよ。
でも、ほら、今は色々と難しい時期でしょう。それで大学側もどうしても学費の免除が難しいという理事会での話になったそうなの」
え?
「あ、でも安心して頂戴。免除というわけにはいかないけれど、貸与での奨学金なら問題なく受けることが出来るわ。
貴女は我が校の特待生でもあるわけですし、大学のレベルを考えれば大学卒業後の就職で問題なく奨学金も返せると思うの。だから免除ではなく貸与、ということで考えてみてはどうかしら」
…………………………………………え?
「その、ご両親のことも、貴女からお話をすればきっとご両親も分かってくださると思うのよ。先生もなるべく力になるようにはしたいと思っているわ。
貴女が立派な学歴を持てばご両親も、ねぇ。
だからご両親とも一度話し合ってみてはいかがかしら。
まあ、その、場合によっては公的機関に相談してみるという手もあるかもしれないし。その、貴女のご両親のようなご家庭はこの学校ではあまり聞かない話なので私達もそういった方面は疎いのだけれど。あ、いえ、けして貴女のご両親に失礼なことは思ったりしていないわ。安心してちょうだいね。でも、なんというのかしら、ギャンブルというのはあまりこの学校の生徒の親御さん方には縁遠い話ではあるわけだから、どうしても、ね。私達も貴女の力になりたいという思いは十分にあるのよ。だけれど前例のないご事情ではあるわけですし、金銭的な問題を持ったご家庭というのもこの学校では少ないでしょう。この高校も私立としてそれなりに名のある学校ですから親御さんもそれなりの社会的地位を持たれた方が多くていらっしゃるわけで。私達教員としてもあまりお金の使い方を考えていらっしゃらないご両親の考え方というのは少し理解に難しい面があるのは事実で、あ、でも、貴女はご両親に似ずに本当に立派でいらっしゃるわね。詳しくはないけれどそういったご家庭の子は子供自体にも問題がある場合が多いとも聞くわけですし、そう考えると本当に立派だと思うわ。私達も入学時にお話を聞いた時には心配もしたものだけれどとてもそういったご家庭の子とは思えない立派な生徒だと職員室でも話題になっているのよ。だからやはり私達教師が貴女のような特殊な環境の子供を救わなければならないと考えているの。今回の大学の件は非常に残念ではあるけれど、ご両親と改めて向かい合って話をするチャンスなのではないかしら。貴女ももう高校3年生ですもの。もうじき大人になるのですから今の内にご両親ときちんとお話をして今後のことを考える良い機会でしょう。ご両親も貴女の今後を考えれば今の生活を見直される可能性はあるわけですし。そうすれば貴女のこれから先も良き未来が開かれるのではないかしら。やはりこういった進路というのはご両親と本人とで決めるのが一番でしょう。だからね、貴女ももう大人の一員としてご家庭と向き合っていきましょう。是非、ご両親と貴女とで話し合って今後の事を決めてちょうだい。その上で私達も最善を尽くしたいと思っているわ」
何を言っているの?
普段なら一語一句逃さず聞く担任教諭の言葉が耳から滑り落ちていく。
忙しく口を動かしながら何かを言っているのだけれど、その言葉は私の頭には入ってこない。
私が何かの音を発することさえ許さず続けられる言葉の波は止まらない。私はいつまでこの言葉を受け止めていなければならないのだろう。担任が次々と矢継ぎ早に続ける言葉が終わるのを私は待ち続けた。
私は教師達からも信頼された成績優秀な生徒だ。
生徒会長として生徒達の信頼も厚く、やや厳しい面もあるかもしれないがこの高校のためと日々を頑張った。
常にトップの成績でいられるように勉強して勉強して勉強して、同じ家にいる社会の底辺と同等に見られないよう努力を続けてきた。真夜中過ぎまで勉強して、時には勉強のし過ぎで聞き手の右手が痛んでも歯を食いしばって耐えてきた。
自分が天才気質でないことを理解しているからこそ努力を欠かさなかった。
生活に困窮していると思われないように身嗜みも神経質になるくらい毎日鏡の前で確認した。お酒や煙草の匂いが染みつかないように狭いアパートの中で夏も冬もベランダの狭い場所でなるべく過ごすようにした。
少しでもお金が入れば蛆虫達が持って行ってしまうから僅かの小銭さえ下着の中に隠して眠ったりした。
全て、同じ家にいる底辺と一緒にならないための、私なりの精一杯だ。
ご近所に分けて頂いた食材を数日分のお弁当のおかずに作り置いたのに蛆虫はちょっと目を離すと酒の肴にしてしまう。
役所に相談へ行っても子供だからとまともに相手にしてもらえなかった。
虐待だと訴えても役場の人間に私と蛆虫を引き離す力はない。
だから私は自分の力で蛆虫と離れるための努力をした。
そのための高校生活であり、その準備のための中学生活だった。
私は自分の力で大学へ進み、優秀な人間として過去を切り捨てて生きていくはずだ。
私は優秀だ。
勉強ができる。
教師や生徒からの信頼も厚い。
有名進学校の特待生として申し分ない成績と学校生活を送っている。
優秀な私になぜ社会は能力に応じた場所を用意しない?
貸与型の奨学金なんて言葉を変えた借金だ。
蛆虫達は祖父が亡くなった時、遺産相続をした。
祖父が持つ実家が金になる、祖父はきっとお金をたんまり貯めているはずだと見越して遺産を相続した。
結果は借金の担保となっている祖父の家と、祖父が友人の連帯保証人となっている借金に、行方不明となっている祖父の友人。賢い祖母はとうに遺産相続を破棄し、蛆虫達にも相続破棄を勧めていたのに、蛆虫は考えもせず遺産相続というのは正の遺産だけが引き継げるものだと信じて疑わなかった。
自ら進んで借金を背負った蛆虫はそれでも自分達が作った借金ではないと訴え続け、どうしようもないところまで自分で自分の首を絞めた。
せめてもと祖母が私を引き取ろうとてくれた矢先、祖母も亡くなった。
結果、私は蛆虫と生活するしかなかった。
こんな底辺にはならないと私が決めたのはその時、小学校4年生の時だ。
そのために今まで頑張った。
蛆虫と同類にならないため。
自分の足で未来を切り開くために。
私は誰からも認められる存在になりたかった。