開始
『――に運ばれたとのことですが、意識不明の重体とのことです。
次のニュースです。昨夜未明、15歳少年が無免許にてバイクを運転し――』
「ねぇ、ねぇ、今日の朝さぁ」
「そういえばあの子ら付き合ってるとかって話じゃん?」
「あれだよね」
「なんかさ、最近いなくなる子とか増えてるらしいよ」
「この先に新しい店がさ」
街中を歩いていると時々、音の洪水に揉まれて気持ちが悪くなってくる。
右耳から抜けかけたイヤホンを指し直し、外の音を遮断する。
適当にダウンロードした曲は誰が歌っているのかも知らないが、ピアノの前奏が気に入っている。
歌詞の内容は頭に入らないが、女ボーカルの声は高音部分が独特の伸びをして嫌いじゃない。
(つまんないな……)
今日も学校は退屈で、授業中もずっと音楽を聞いていた。
最初は注意をしてきた教師も、毎日繰り返していれば何も言わなくなってきた。
世の中、つまらなくて退屈なもんだとクラスメイトと話したりするが、本当にそうだと思う。
おもしろそうなことを見付けても、簡単にそれを取り上げられるなんてごく普通の事だ。
そのくせ、覇気がないとか言われても、説得力なんてあるわけがない。
高校2年になったが、おもしろくない毎日が続いて、それなのにそろそろ受験に本腰を入れろとだけ言われる。別に大学に行くなんて俺は一言も言っていないのに、教師も親も大学に行くのが当たり前、と話をする。
といっても、就職をする気もない。
昔はなりたかった職業もあった気がするが、そんなのは無理なんだと思い知った。
本当につまらない。
「……ぶ? 生きて、る?」
「…………」
「起き、た?」
髪の長い幼い少女が顔を傾げていた。
大きな目や白い肌が人形のようで、生きているという感じがしない。それに、どこかで見た事があるような気がする。白いどころか死人のように青白く不健康な肌は生きている感覚がしないのに、大き過ぎる目は長い睫毛に縁取られて実際よりもっと大きく見える。
小さな唇が震えるように小さく動く。
「起きて、ない?」
ことん、と少女が反対側に首を傾げた。
ふたつに分けてまとめられた髪が少女の顔を少しだけ隠した。
「……え? 誰?」
「リオ」
「え?」
「わたし、名前、リオ」
少女の細い指が少女自身を指差す。
「リオ…ちゃん?」
こくん、と少女が頷く。
表情の変化が乏しくて、このリオと名乗った少女が何を考えているのかがわからない。
第一、どうしてこんな少女が俺を見下ろしているのかがわからない。
見下ろす?
「……!!」
俺は慌てて起き上がった。
少女が少しビクリと反応したが、俺は気にせず回りを見回す。
俺は、倒れていた。
倒れるような原因があった記憶も、体調が悪かったりしたような覚えもないのに俺の体は倒れ、リオという知らない少女に声を掛けられるまで意識すら喪失していた。
直前の記憶はただ街中を歩いていたというものしかない。
それに、と俺は首を横に上下にと動かし、この場所の景色を見る。
見回した周囲は真っ白な壁と柱しかない。埃もゴミも一切なく、ただただ真っ白な空間がある。
「どこだ、ここ!?」
持っていたはずの学校の鞄もない。俺が色々と音質を比べながら選んで買った愛用のイヤホンは両方とも耳から離れ、その根元が刺さっているはずの俺のスマホもなくなっている。クラスの連絡用にダウンロードさせられたアプリの他には音楽データくらいしか入っていないスマホだが、あれには気に入った楽曲を容量が許す限り苦肉の選別をした音楽が詰まっている。
重量くらいしか意味のない教科書が入っただけの鞄よりも意味のあるスマホの紛失に愕然とした。
この部屋と呼んでいいのか分からない場所には本当に何もない。
壁に同化するようなドアノブまで真っ白な扉がひとつだけあるが、部屋には窓もない。
とりあえず立ち上がるが、本当に何もない。
「ここ、わから、ない。
気付いたら、ここに、いた。
わたし、と、……ん」
床に座ったまま、リオという少女が俺を指差す。
自分と俺だけがこの部屋にいた、とそういう意味だと思う。
「いたって、他は? なんで、俺が?」
「わかん、ない。
わたし、も、いるの、わかんない」
俺はリオの言葉を無視して、唯一ある扉に走り寄り、ドアノブを力任せに回し押し、開けた。
「……へ?」
扉の先にはまた同じ部屋がある。
その部屋にも同じ様に白い扉がある。
まったく同じ部屋を繋げたとしか思えない白いだけの部屋だ。
「なんだよ、これ……」
俺はさっきまで学校帰りのいつものうるさい繁華街を歩いていた。
それが今は、なぜかこんなところにいる。
意味がわからない。
「なん、だよ……」
俺は頭を抱え、膝をついた。
何が起きているのかも、ここがどこなのかも分からない。
「大丈夫?」
軽い足音が後ろで聞こえ、俺の肩に小さな手が置かれる。たったそれだけの感触にすら俺の体はビクリと大袈裟に驚き、俺は振り向いた。
きゃっ、と小さな鳴き声が同時に鳴る。
さっきのリオとかいう子だ。
「頭、痛い?」
セーラー服のような幅広い襟の制服姿の少女はスケッチブックを胸に抱え、俺を見る。
単語をひとつひとつ区切る小さな声で少女は喋る。
「飴ちゃん、食べる?」
制服の上に着ている大き目のパーカーのポケットに俺の肩に乗せていた手を入れ、リオが飴をひとつ差し出した。子供の頃によく食べていたイチゴ味の飴だ。
「飴ちゃん、嫌い?」
リオは感情の薄い顔ながらも細い眉を寄せ、俺を見下ろしていた。
読み取り辛い表情ではあるが本気で俺を心配してくれているらしい事だけは何となく伝わった気がする。無表情に近い中での僅かな表情の動きからどう見ても年下の女の子に慰められているのが何とも情けなくなり、俺は差し出してもらった飴を受け取り、深く息を吸い込んだ。
「悪い。大丈夫だ。
飴、ありがとな」
「ん」
開いた扉を閉めればもしかすると二度と開かなくなるのではないかと僅かな怯えから二つの部屋を繋げたままとりあえず扉を背にして、床に座る。
貰った飴玉を口に放り込めば、なつかしい甘い味が口中に広がった。
こういう甘いのを口にすると落ち着くのは不思議だ。
「えっと、リオちゃん。
俺以外にはここで見た?」
とにかく今は現状把握だ。
俺の問いにリオが首を横に振る。リオも俺の真似をし、床に座ると同じ飴玉を口に入れた。
「ここに来る前のこと、覚えてる?」
「ん。……撮影、の、休憩、してた」
「は? 撮影?」
その言葉に俺は「あ」と口を開く。
通りでどこかで見かけたことがあるはずだ。
最近テレビに出るようになった子役モデルの女の子だ。クラスの女子達がやたらと可愛いとか、妹にしたいとか騒いでいたのも聞いたことがある。生まれて一度も日光を浴びたことが無さそうな白い肌と艶やかな長い髪に大きな目は人形がその名の通り「人の形」を持ったようだと騒がれている。
あいにく俺はロリコンじゃないので興味はなかったが、男子にもファンのやつがいたはずだ。
ただ、前に俺が見たテレビの中ではこんな喋り方じゃなく、表情ももっと豊かで実に愛らしい笑顔をしていたはずだ。言葉もハキハキと喋り、大口を開けて笑うわけではないがクスクスと小さく笑う美少女だったのを覚えている。
目の前にいるのは能面とでも言った風で、笑顔のひとつも浮かべてはいない。
「……なんか、テレビと違わない?」
「よく、言われる。あいそ、ない」
こっちが素ってことか。
いやまあ、芸能人がいつもテレビ通りとかは思ってないが、こうも違うと別人のようだ。
「名前」
俺を指差し、首を傾げる。
他人を指差しちゃいけないって習わなかったのだろうか?
「ああ、俺は比呂貴」
「ひろ、たか、さん?」
それでいいのか、と聞いているようだ。
さん付けというのも少し照れくさいが、別にいいか、と頷く。
「ここ、来る前、何、してたの?」
リオちゃんも状況を把握したいらしい。
俺は素直にただの学校帰りだったと教えた。
彼女の様な芸能人ならストーカーとかそういうのに捕まって、なんてことがあるかもしれないが、俺みたいな一般人にはそんなことはないだろう。それとも、最近のストーカーは俺みたいなのと彼女を一緒に捕まえておいてどうなるのか、という反応でも見たいのだろうか。
勘弁してくれよ。
俺には幼女趣味はないってのに……。
「犯人じゃ、ない?」
犯人疑いをされてたああああああああああああああああああああああ!!!!!
とりあえず互いが持つ情報を共有し合い、俺が幼女趣味ではないことも俺の誇りに賭けて強く、とうとうと訴える。
俺がどれだけ同じ年かもしくは年上のお姉さんで、優しい癒し系で鉄板の肉じゃがが得意な、作りすぎた手料理を差し入れしてくれる世話好きな、だけどたまに俺に甘えてくれたりする普段は強がりな頑張り屋さん女子が好みのタイプかを事細かに説明した。そして出来れば胸はDカップくらい。
「幼女、違う。私、中学生。2年。14歳」
見た目が小学生なんだけど、と言いたいのを耐える。
特にそのつるぺたまな板なとこが、と口にしたら、せっかく犯人ではないと納得してもらったのに、またいらぬ疑いを掛けられそうだ。
「扉、の先、行って、みる?」
そういってリオが指差すのは、俺達がいた部屋の隣室にある更に奥へと続く扉だった。
開けてみれば、また同じ部屋が続いていそうで怖くはあるが、確かに行けそうなところはそこしかない。
「行くしか、ないだろうな……」
立ち上がり背にしていた扉から離れると音もなくゆっくり扉が閉まり、俺達が初めにいた部屋が視界から消える。
俺とリオは共に扉の前に立ち、一応年上という事と男ということで俺がドアノブに手を掛けた。
出口であってくれ、と願い、扉を開けた。
「?」
「へ?」
ドアの先にある部屋を見て、いや、そこにいたモノを見て、俺達は一度、ドアを閉めた。
互いに顔を見合わせ、頷き合い、もう一度ドアを開ける。
その部屋も壁も床も天井も全部真っ白な部屋だった。
ただ、俺達がいた部屋と違い、白いソファがドアの向いに置かれ、そこにソレがあった。
「ぬい、ぐるみ?」
リオがソレをそう称して、首を傾げた。
「ぬいぐるみ?」
「……布の、かた、まり?」
リオの言葉を繰り返すと、リオが別の言葉に呼び方を変えた。
ずいぶんと大雑把な区分だが、ぬいぐるみというよりも、合っているような気がする。
ソレは、ソファの上に座り、うつむいている。
有り合わせの布を繋ぎ合わせて作った、という実にカラフルなソレは俺達に気付いたのか、うつむかせていた顔を上げた。
ソレは目なのだろうか?
大きな赤いボタンと金のボタンが青い糸で顔らしき部分の目に当たる場所に付けられ、俺達にその両方のボタンを向けている。
「……動い、た?」
「もしかして、やばい?」
ドアを閉めようと腕を引いた途端、ソレがソファから飛び降りる。
「リオ、逃げろ!!」
「ッ!!」
急な事に声は出るが、体が強張る。
近付いてこようとするソレから逃げようと元の部屋の方へ向き直った俺の背中に、そいつが飛び掛った。まずい、と思った時には遅かった。俺は脚をもつれさせ、倒れこんだ。
「ヨカッタよーーーー!! 見付ケラレたーーーーーー!!!!」
「…………は?」
「……しゃべ、った?」
俺の背中の上でそいつは喜びの声をあげた。
「転ンジャッた? 怪我シテナい???」
男とも女とも分からない棒読み的な音でそいつは左右で大きさの違う両手を上げ喜んでいた。