プロローグ Ⅰ
1888年11月午前2時
「やぁやぁやぁ。君はここでは随分と生き辛い趣味をお持ちのようだ。どうだい?僕と来れば楽しくて生きやすいトコロに連れてってやるぜ?」
私、マリア・フランソワーズは仕事を終えて帰宅する最中、路地裏からこんな風に不審者から声をかけられていた。
「あの…どちら様でしょうか?私、仕事の帰りで疲れていますので早く帰りたいの。それに最近は…」
私がそこまで言ったところでニタリと笑った。
「『物騒だから』ってか?どの口が言うのやら。それともジョークかい?だとしたら面白いなブリテンジョーク!」
そう言うなり男はゲラゲラ笑いながら天を仰いだ。
「……失礼しますわ。」
この男、頭がどうかしてるんじゃなかろうか?大体見てくれからして怪しい。11月の上旬といっても今夜はかなり冷える。にもかかわらず男の格好は軽装で防寒具の類いを一切着けていない。それに浅黒い肌と真っ白な髪、どう見ても自国の人間とは思えない。もしかしたらアフガン戦争の逆怨みで通り魔でもしようとしているのか?そんなのに巻き込まれるなんて冗談じゃないわ!
「ハズレだね。」
不意に男はそう呟いた。
私が振り返ると男は満足気にニタリと口元に笑みを浮かべる。
「僕は別にアフガン戦争なんかと関係は無いし頭もイカれてなんかいない。確かに右足は欠けてるけど戦争で失った訳じゃない。ちょっと食い意地のはったババアにくれてやっただけさ。」
そう言ってまたゲラゲラと笑った
「あなた私の考えている事がわかるの?」
私が聞くと男は笑いながら答える
「あっはっはっ!当たり前だろジャック?僕にはなんだってお見通しなのさ。」
男の言うことは普通に考えればどうかしてるとしか思えない。だが私には最初の発言といい信じずにはいられなかった。なにより私を『ジャック』と呼んだのだ
「貴方…何者なの?」
男は此方に向き直ると仰々しく頭を下げた
「人は僕を色々な名前で呼ぶけどそうだな…一番気に入ってる名前は『ネコク』、ネコク・ヤオトルだ。もう一度言うぜ?僕と一緒に来いよ。君のような人間には楽しくて仕方ないトコに連れてってやるぜ?マリア、いやジャック・ザ・リッパー。」
男は再度私をそう呼んだ。確かにそう呼んだのだ。
「わかったわ。それじゃあついて行こうかしら?どこに連れていってくれるのかしら?」
まだ世間に知られていない事実を。ロンドン市警のウスノロがたどり着けていない真実を。
ならばついて行くのもいいかもしれない。この男には底知れない何かを感じる。それに私と同じ匂いがするのだ。
ぬぐっても洗っても取れることのない血の匂いが。
「なぁに簡単さ。ちょっと異世界に行ってもらうだけさ。」
「は?」
次の瞬間、私にかざされた手が光を放ち私の意識は離れていった