第5話・生徒会長 #14
「――でも、驚いたな。リオ、ホントに幽霊になっちゃったの?」
ようやく落ち付きを取り戻し、涙を拭った玲奈は、笑いながら言った。
「うーん」首をひねるリオ。「あたしも、自分がホントに幽霊かどうかは分からないけど、まあ、そう言っていいと思うよ? 確かにあたし、死んだんだし」
玲奈の目の前にいるのは、確かに岡崎リオだ。しかし、その顔色はかなり青白く、身体は薄く透けており、足に至っては完全に消えている。触れようと思って手を伸ばしたが、すり抜けてしまった。
「……なんか、不思議だね。触ることはできないのに、確かにリオは、ここにいるんだね」
「そうだね」
「どんな気分? 幽霊って」
「うーん、生きてる時と、あんまり変わらないかなぁ? 実体が無いからみんなに気付いてもらいにくいっていうのが不便だけどね。便利なこともあるよ? 壁とか自由にすり抜けられるし、お腹もすかないし」
「そうなんだ。いいなぁ、何も食べなくていいなんて。今、うちの学校、食糧が無くなりそうなの。それで、この先どうするかで、すごくもめてるんだ」
「玲奈ちゃんもなってみる? 幽霊」
「いや、遠慮しとくよ。どうせ、いつかはなるんだし」
「ふふ。そうかもね」
そうして、また2人で笑う。懐かしい、本当に懐かしい感じだ。こんなに笑ってリオと話すのは、中学生以来だ。話したいことは、沢山ある。
「そうだ。今日、四木高でのリオのこと、みんなから聞いたよ」
「――え?」
一瞬、リオの表情が曇った。
でも、それは本当に一瞬で、すぐにいつもの悪意のない笑顔に戻る。
だから玲奈は、特に気にすることなく話す。「一華さんや彩美さんって人と、四木高を変えるために、頑張ってたんだよね? ボクシング部を作ったり、ジュニアチャンピオンの後輩を誘ったり。あと、ヤバイ先輩に絡まれてた生徒を、いっぱい助けたって話も聞いた。あれ、みんなちょっと迷惑そうだったよ? リオが、余計なことにクビを突っ込みすぎるって。でも、それがリオらしいところだとも言ってた。みんな、仲が良かったんだね。うらやましいよ。あたし、聖園高校にいた時は、友達と、あんまりうまく行ってなくてさ」
「…………」
リオの表情は暗い。まあ、幽霊だから当たり前といえば当たり前だが、そういうのではなく、なんとなくテンションが下がったような感じだ。何故だろう? 考えて、すぐに思い当った。リオはもう、クラスメイトと話すことはできない。理屈は分からないが、あたしのような限られた人物としか話すことができないのだろう。それが、寂しいのかもしれない。
玲奈は話題を変えることにした。「そうそう。あたしね、架純ちゃんから、次の生徒会長にならないか、って、言われちゃった」
「――え?」
「驚くよね? あたしもビックリしちゃってさ。でも、ガンバってみようと思うの。リオが、一生懸命変えようとしてた学校だから。リオの遺志を継ぎたいの」
「…………」
「それとね、防犯カメラの話も聞いた」
「防犯カメラ?」リオは不思議そうな顔をする。
「そう。カメラの電源が切れなくて、どこかで誰かが何らかの目的でこの学校の様子を監視しているってやつ。愛ちゃんと架純ちゃんが、リオと一緒に調べてたって、聞いたんだけど」
「――玲奈ちゃん」
リオの顔から笑顔が消え、すごく真剣な表情になる。
ただならぬ雰囲気を感じ、玲奈は息を飲んだ。「――な、何?」
「みんなの話を、信じちゃダメよ」
「――え?」
言葉を失う玲奈。みんなの話を信じちゃダメ? どういうことだろう?
リオは、真剣な表情で言う。「愛さんの話も、架純さんの話も、茉優さんの話も、梨花さんの話も、全部全部、信じちゃダメ。みんな、玲奈ちゃんを騙そうとしている」
「ちょっと待って、リオ。なんでそんなこと言うの? みんないい人だよ? もう友達だよ? リオとも、仲良かったんじゃない?」
リオはうつむき、小さく首を振った。「違うの……違うのよ……」
「リオ、どうしたの? なんか、変だよ? 何かあったの?」
「玲奈ちゃん、あたしね――」
リオは、ゆっくりと顔を上げ、玲奈の顔をまっすぐに見つめた。
「あたし、この学校で、いじめられてたの」
――――。
何? 今、リオはなんて言ったの? 分からない。
リオは、玲奈の戸惑いを察したように、もう1度、ゆっくりとした口調で言う。「この学校で、いじめられてたの」
いじめられていた? リオが? 誰に? 分からない。今のクラスに、リオをいじめそうな人なんていない……とは言えないが、ただ1人、その可能性がありそうなギャルグループのリーダー・青山梨花とは、関係は悪くなかったと聞いている。他の生徒も、みんないい人ばかりだ。とてもじゃないが、信じることはできない。
「……いじめられてたって、誰に?」恐る恐る訊いてみる。今の四木高に残っている生徒は40人弱だ。出て行った生徒も多いらしいから、リオをいじめていた人は、その中にいたのかもしれない。
しかしリオは、玲奈の考えを否定するように言った。「みんなよ。今、学校に残っている人からも、学校を出て行った人からも。あたしは、学校のみんなからいじめられていたの」
言葉が出てこない玲奈。到底、信じられる話ではない。あの茉優が、架純が、梨花が、いじめをしていたというの?
「……信じないよね、こんな話」リオは、悲しそうな顔で下を向いた。
玲奈は、慌てて首を横に振った。「ううん。そんなことはないけど……でも、何かの間違いじゃないかな? みんな、いい人だよ、すごく良くしてくれるし」
「あたしも、最初はそうだったの」リオは、肩を震わせて話す。「入学したころは、みんなと仲良くやってたの。みんな、いい人だった。でも、あたしが聖園高校を落ちたと知ってから、急に変っちゃって……そこから、いじめが始まった」
「なんで……なんで、聖園高校を落ちたら、いじめられるの?」
「この学校にとって、聖園高校は敵だからよ」
――この学校にとって、聖園高校は敵? 確かに、そういう空気はあるけれど、でも、だからって。
「最初は、ちょっとしたことだったの」リオは、感情が溢れ出すように喋る。「宿題を任されるとか、話しかけてもなかなか返事をしてくれないとか。でも、それがだんだんエスカレートして行った。嫌な仕事をあたし1人に押し付けたり、恥ずかしいことを強要されたり、完全に無視されるようになったり。そうだ、玲奈ちゃん、1年生の2学期の終わりごろ、駅前のショッピングモールで会ったの、覚えてる?」
もちろん、覚えている。あの日、リオは万引きの疑いをかけられ、警備員室に連れて行かれ、屈辱的な仕打ちを受けた。
「あの時あたし、店員さんに、あたしは万引きなんてやってない、って、言ったんだけど……本当は、やってたんだ」
「――――!?」
リオが、本当は万引きをやった!? そんなバカな!! だってあの時のネックレスは、あたしの友達の、智沙が!?
「みんなから、強要されてたの」リオは、今度はゆっくりとした口調で語る。「あの店の商品を万引きして来い、じゃないと、ヒドイ目に遭わせる、って。あたし、怖くて逆らえなかった。でも、万引きなんてしたことがないから、うまくできなくて、お店の人にバレちゃったの。とっさに万引きした商品は捨てたから、疑われただけですんだけど」
では、あの時智沙が盗んだネックレスは、店頭から万引きしたのではなく、フロアに落ちていた物を拾った、ということだったのか。
「……ゴメン。軽蔑するよね、こんなの」自嘲気味に笑うリオ。
「ううん! そんなことは、ない」
「ありがとう。玲奈ちゃんにそう言ってもらえると、救われる。あたしの味方は、玲奈ちゃんだけだね」リオの瞳に、いつの間にか涙がいっぱいに溜まっていた。「アウトブレイクの後は、本当に酷かった。先生がいなくなって、歯止めがきかなくなったんでしょうね。耐えきれなくなって、あたしは……」
リオは顔を伏せた。
耐えきれなくなって、それで、どうしたと言うのだろう? まさか、自ら命を絶ったとでも言うのだろうか?
そう言えば。
玲奈には、少し、思い当たる節があった。
――リオは、どうしてゾンビになったのだろう?
そうだ。
あたしは、この事を心のどこかでずっと疑問に思っていた。それなのに、気づかないふりをしていたのだ。
あの時、あの状況で、リオがゾンビになるなんて、あり得ないのだ。
人がゾンビになるのは、死ぬか、ゾンビに咬まれるか、の、2通りだ。
リオがゾンビになったのは、玲奈がこの学校に転校してきた日、クラスみんなの前で、アイドルの歌を歌って踊った、あの朝だ。
その前日、リオは校則を犯し、1人で学校の外に出た。玲奈が着るための四木高の制服を、自宅へ取りに行くために。
リオがゾンビに咬まれたのならこの時だろう。そう思っていた。
しかし、冷静に考えると。
――そんなことが、あり得るだろうか?
あの日、校舎に戻れなくなったリオを救うため、玲奈と茉優は裏門に迎えに行った。その結果、裏門付近に大量のゾンビを呼び寄せてしまい、かなりの危機に陥った。あの時、もしくは学校に戻るより前に、リオがゾンビに咬まれていても、特に不思議ではない。
しかし、リオは、なぜそれを黙っていたのだろうか?
リオがゾンビになれば、クラスのみんなは少なからず危険にさらされる。現に、玲奈はゾンビとなったリオに襲われた。
リオが、玲奈を危険にさらすような結果になると分かっていて、それを黙っているなんてことが、あり得るだろうか?
玲奈は、以前、茉優から貰った、リオの生徒手帳を取り出した。この最後のページには、自分がゾンビになった時、どのような対処を望むかを書き込む欄がある。リオは、『1・私は、ゾンビ化した場合、すみやかに頭を潰されるか首を切断され、埋葬されることを希望します』に○をし、その下に、『大切な人たちを傷つける前に、必ず、実行してください』と書いていた。これは、リオの決意の表明だ。
だから、リオが学校の外に出てゾンビに咬まれたのなら、絶対に、そのことを言うはずだ。リオの性格から考えて、隠しておくことはあり得ない。
リオは、ゾンビに咬まれたのではない。
だとしたら、リオは、死んだのだ。
心臓麻痺などで突然死したのでないのなら。
誰かに殺されたか。
自ら命を絶ったか。
どちらにしても。
リオは、この学校の生徒たちに、殺された。
そうとしか考えられない。
「――玲奈ちゃん、気を付けて」
リオの声に、玲奈は顔を上げる。気を付ける? 何を?
リオは、大きく息を吐くと、言いたくないことを言う口調で言った。「次にいじめのターゲットになるのは、玲奈ちゃんだよ」
「――――」
その言葉は、ゆっくりと、玲奈の心に染みこんでいった。
――次のいじめのターゲットは、あたし?
みんなが、あたしをいじめると言うの?
リオは、心配そうな表情で玲奈を見つめている。
リオの言う通りだ。
この学校の生徒は、聖園高校の生徒を敵視している。
聖園高校を落ちたリオですらいじめられたのだ。合格し、2年間も聖園に通ったあたしを、いじめないはずがない。
今まで優しくしてくれたのは、あたしを油断させるためだったのだ。1度あたしを信頼させておいて、それから裏切るつもりなのだ。すっかり騙されるところだった。
「だからね、玲奈ちゃん」
リオが、玲奈の耳元でささやくように言う。
「――いじめられる前に、みんなを殺すといいよ」
――――。
みんなを、殺す?
いじめられる前に、殺す?
そうだ。
みんな、あたしをいじめようとしている。あたしも、リオと同じようにいじめられる。その先にあるのは、誰かに殺されるか、自ら命を絶つかだ。
だから、殺される前に殺す。自ら命を絶つ前に、みんなの命を絶つ。それは当然だ。自分の命は、自分で護らなければいけない。それに、これはリオの敵討ちにもなる。死んでしまったリオの、遺志を継ぐことになる。あたしは、リオの遺志を継ぎたい。そうだ。リオの言う通り、みんなを殺すんだ。どいつもこいつも、殺してやる!
――――。
――違う。
違う。
「――ちがう!!」
玲奈は叫んだ。
驚くリオ。「玲奈ちゃん? 違うって、何が?」
玲奈は、リオを睨みつけた。「あなたは、誰!?」
「え? 誰って、リオだよ。玲奈ちゃんの幼馴染の、岡崎リオだよ?」
「違う! あなたはリオじゃない! 絶対に、リオなんかじゃない!!」
「――そんな、ヒドイよ、玲奈ちゃん」悲しそうな顔で、玲奈を見る。
「そんな顔しても騙されない! あなたは絶対にリオじゃない!! みんながリオをいじめていた? リオが自ら命を絶った? みんながあたしをいじめる? あたしに、みんなを殺せって? 違う、違う違う違う! 絶対に違う!! そんなことはあり得ない!! あなたはリオじゃない! 絶対に絶対に、リオじゃない!! 消えろ! あたしの前から消えろ!!」
玲奈は、叫んだ。
全てを否定するように、叫んだ。
そうだ。
こんなヤツは、リオではない。
コイツの話は矛盾だらけだ。リオがクラスのみんなからいじめられたのなら、アウトブレイク後もこの学校に留まっていたのは不自然だ。それに、玲奈がこの学校に来た日、制服を取りに行くために学校の外に出たリオを、茉優たちは危険を冒して助けに行った。いじめている相手にそんなことをするとは思えない。また、聖園高校に関わった人がいじめられるというのなら、リオが、幼馴染の玲奈をこの学校に迎えようとしたのもおかしい。ショッピングモールでの万引きの件もそうだ。あの時ネックレスを盗んだ智沙は、ネックレスはポケットに入っていたと言った。拾ったのなら、拾ったと言うだろう。
そして、なにより。
リオはあたしに、みんなを殺せなんて言わない。
みんながあたしをいじめるなんて、あり得ない。
みんながリオをいじめるなんて、あり得ない。
だから消えろ! 消えろ! 消えろ!!
叫んで叫んで、叫び続けた。
「――分かったよ」
リオは――いや、リオに見えるモノは、不気味に微笑んだ。
「あたしの話を信じないのなら、それでもいいよ。でもね、玲奈ちゃんは、きっと殺すよ? あたしに言われなくても、みんなを殺すよ? だって――」
「うるさい! 消えろ! 消えろ! 早く、早く消えろ!!」
叫んだ。叫ぶことで、リオに見えるモノの言うことを、聞こえなくするように。目を閉じ、耳をふさぎ、叫んだ。叫び続けた。
しかし、その言葉を、止めることはできなかった。
「――だって、玲奈ちゃんはもう、1人殺してるんだから」
その瞬間、目の前に。
倒れた人影。
床を染める深紅の液体。
握りしめた包丁、手のひらに残る肉を差した感触、刃先から滴り落ちる血、壁に飛び散った血、自分の身体に飛び散った血、鏡に映る血まみれの自分、倒れた人、女性、あたしは勉強しないといけない、血、女性、包丁、あたし聖園高校に行かなければいけない、血、死、包丁、命、女性、あたしはアイドルになれない、あの人がいるかぎり、あの人がいるかぎり、あの人がいるかぎり、あの人がいるかぎり、アイドルにはなれない、血、死、死、死、殺す、アウトブレイク、終わる世界、誰もいない世界、アイドルになる、もうなれない、誰のせいだ、死、刃物、ゾンビ、あたしは自由になれない、殺せ、死、血、ゾンビ、罪にはならない、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、聖園なんか行きたくなかった、死、血、自由、あたしは自由になりたい、女性、殺せ、あたしはあなたのおもちゃじゃない、包丁、血、死、女性、死、死、死、死、死、死、死、死、死、あの人はもういない、あたしは自由だ、もう誰にも縛られない、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ、あたしは自由だ――。
「――玲奈ちゃん?」
不意に、名を呼ばれ。
「――――」
玲奈は、顔を上げた。
岡崎リオは――いや、岡崎リオに見えるモノは、もう、居なかった。
声をした方を振り返る。地下室の階段。百瀬架純だった。
「玲奈ちゃん、どうかしたの? なんか、独りごとを言ってたみたいだけど、何かあった?」
心配そうに顔を覗き込む架純。
――今のは、なんだ?
リオに何か言われた後、変なものが見えたような気がした。
分からない。思い出せない。
「玲奈ちゃん?」
玲奈は、ようやく我に返った。「あ、えっと、大丈夫。ちょっと、いろいろ考えてて」
「そ、そうだよね。さっき、変な話、しちゃったもんね。あんなの、驚くよね。ゴメン」
「うん。でも、大丈夫だから」
玲奈は、架純に笑顔を返した。だが、うまく笑えている気はしなかった。架純も、曖昧に笑っている。気まずい沈黙。
「――あ、いた。玲奈さん。探したよ。こんな所にいたんだ」
廊下の向こうから、山口万美と葉山未衣愛がやってきた。
「あ、うん。ちょっと、架純ちゃんと話をしてて」玲奈は、万美たちを見て笑おうとしたが、やはりうまく笑うことはできなかった。
「どうしたの? 変な顔して」小さく笑う万美。
「なんでもない。それより、何かあった?」
「うん。お昼の話の続きをしようかなって思って」
「お昼の?」
「そう。ボクシング部にジュニアチャンピオンの高樹香奈が入学して、それから、岡崎さんがどうしたか。あたしと未衣愛、2年の時は岡崎さんと同じクラスだったから。ね? 未衣愛」
「うん」未衣愛が、笑顔で頷いた。「えーっと、あれはねぇ――」
「――やめて!!」
思わず、叫んでしまう玲奈。
驚き、目を丸くする万美と未衣愛、そして、架純。
「れ、玲奈さん? どうしたの?」万美が、戸惑いながら玲奈の顔を覗き込む「そんな、大声出さなくても、いいのに」
「あ、ゴ、ゴメン」玲奈は顔を伏せた。「ホントに、ゴメン」
「玲奈ちゃん、ちょっと疲れちゃったかな?」架純が、玲奈をかばうように言う。「今日はもう、休んだ方がいいよ? ね?」
「うん、そうする」玲奈は、未衣愛の方を見た。「ゴメンね。話は、また今度聞かせてね。ホントに、ゴメン」
「ううん。別に、大丈夫」未衣愛はそう言ったが、戸惑いは隠せていなかった。
玲奈は、3人を残し、寝室代わりに使っている教室へ向かった。
――あれは、いったい何だったのだろう?
突然目の前に現れた幼馴染・岡崎リオ。ゾンビになり、死んだはずの、岡崎リオ。
リオは、自分のことを幽霊だと言った。
幽霊。この世に未練を残し、さまよっている、死んだ人の魂。
幽霊なんて信じていないが、ゾンビが存在するのだから、幽霊だって存在するのかもしれない。この世界に幽霊がいないことは、科学的にはまだ証明されていない。
だが、仮に幽霊が実在するとしても、あれは絶対に、岡崎リオではない。
しかし、確かに玲奈の前に現れた。
幽霊は、脳の誤認だという説を唱えている学者がいるのを、玲奈は思い出した。
幽霊を見たという人や、霊感があるという人は、自己認識や行動、空間認識に関係する脳の部位に損傷があるという。そして、異常な状態に直面した時や、極度に緊張した時など、脳が勝手に情報を作り出してしまい、居るはずのない人の姿が見えたり、聞こえるはずのない声が聞こえたりするのだ。
つまり、あの岡崎リオは、玲奈の脳が作り出した、幻覚と幻聴。
そこで、気づいた。
――PYC症候群。
記憶の混同、幻聴、幻覚、被害妄想、そして、他者に危害を加えるなどの異常行動を引き起こす、精神疾患。
いま、大野先生がPYC症候群を発症している。大野先生は、穂波杏という存在しない生徒を作りだし、ゾンビになって死んだという保健の斉藤先生が生きていると思い込んでいた。そして、青山梨花たちが自分を殺そうとしていると思い込み、逆に、梨花たちを殺そうとした。
大野先生は、それらはすべて、斉藤先生のアドバイスだったと言っている。
玲奈が見た岡崎リオも、クラスメイトが玲奈をいじめようとしていると言い、殺すようにアドバイスした。
記憶の混同、幻聴、幻覚、被害妄想、そして、他者に危害を加える行為。
すべて、当てはまるのではないか。
そうだ。あれが岡崎リオの幽霊などと考えるより、自分が生み出した幻覚幻聴だという方が、現実的だ。
だが、そうなると危険だ。あたしも、いつ大野先生のように攻撃行動に出るか分からない。
PYC症候群は、不治の病ではない。適切な治療を受ければ、完治は難しくない。
しかし、アウトブレイク後の世界で、適切な治療を受けることはできない。大野先生は今、北原愛の治療を受けているようだが、愛は専門医ではない。知識は本などで得られるかもしれないが、治療するための薬や器具を入手するのは難しいだろう。一応、愛には相談してみるが、発症しないためには、自分がしっかりするしかない。
大丈夫。あたしは、あの幻覚の言うことに流されることはなかった。
あれは、リオではない。
リオが、みんなを殺せ、なんて、言うわけがない。
今日、みんなから話を聞いて分かった。リオは、この学校のみんなから大事にされていた。
そして、リオ自身、生徒みんなを大事に思っていた。この学校を大事に思っていた。
リオが、この学校や生徒みんなを貶めるようなことを、言うわけがないのだ。
あれは断じて、リオではない。
リオは、この学校を護ろうとしていたのだから――。