第1話・転校生 #06
「――玲奈ちゃん」
名前を呼ばれ、玲奈は我に返った。いかんいかん。首を振る玲奈。玲奈は、考え事に没頭すると周りが見えなくなるクセがある。ここが四木高校校舎の屋上だから良かったものの、ゾンビの徘徊する場所だったら、食い殺されてしまうところだ。
声のした方を振り返る。岡崎リオだった。四木女子高校の生徒会長。そして――玲奈の幼馴染。
「ここにいたんだ。ケガは大丈夫? 横になってなくて、平気?」リオは、小学生の頃と変わらぬ笑顔で言った。
「――うん、大丈夫」
玲奈は小さくそう言って、リオから目を逸らした。
久しぶりに会った幼馴染に対する態度としては、かなり冷たいな、と、自分でも思う。こんな態度を取られたら、普通の人なら、気分を悪くするだろう。
しかし、リオは笑顔で玲奈を見ていた。あの頃と同じように。
岡崎リオは、いつも笑顔を絶やさない娘だった。
子供の頃、玲奈はリオの笑顔が大好きだった。でも、いつの頃からか、リオの笑顔を煩わしく思うようになっていた。
リオが笑うのは、嬉しいときだけではないのだ。
悲しいことがあった時も、ケンカをしたときも、怒られた時も。
リオはいつも笑っているのだ。
リオの笑顔は、本心から浮かぶ笑顔ではない。あの笑顔の裏に、本心を隠している。
そんな気がしてならないのだ。
玲奈は屋上から校庭を見下ろした。たくさんの人影が見えた。セーラー服の生徒の他に、体操着を着ている生徒、ソフトボール部や陸上部など、運動部の格好をしている生徒もいる。ここから見る限り、普通の学校の景色だ。しかし、校庭の生徒は、体育や部活動をしているわけではない。ただ目的も無くうろうろしているだけ――つまり、ゾンビなのだ。
教室でみんなにあいさつをした後、保健室でしばらく休んでいた玲奈。体調は特に問題が無かったので、4時間目を利用して、大野先生に校内を案内してもらった。校舎の外をゾンビがうろついている以外は、いたって普通の学園生活だった。午前中は数学と国語と英語の授業を行ったという。さっきはお昼にみんなでお弁当を食べた。この後は、音楽と地理の授業があるらしい。ここにいると、本当に、世界がゾンビだらけになったことなんて、忘れてしまいそうだ。
大野先生の話では、現在この四木高校には、生徒が38人、教師が2人の、計40人で暮らしているそうだ。校内には自家発電装置があり、水道局に行って水も出るようにしたので、学校の購買や、周辺にあるコンビニやスーパーから食料を調達し続ければ、後10年はここで生活できるらしい。
「良かったら、校内を案内しようか?」リオがそばに立った。「玲奈ちゃん、四木高校に来るの、初めてでしょ?」
「いえ、大丈夫です、岡崎さん」遮るように言う。リオ、とは呼ばなかった。呼びたくなかった。「――4時間目に、大野先生に案内してもらったので、大体分かります」
「……そっか」リオは、寂しそうに言い、それでもやはり笑顔だった。
気まずい沈黙。
久しぶりに会った幼馴染。話すことは沢山あるはずなのに、話す気になれない。話したくない。
「……じゃあ、あたしはこれで」
逃げるように、校舎に戻ろうとした。
「あ、待って、玲奈ちゃん」リオが止める。そして、アイドル・ヴァルキリーズのCDを差し出した。玲奈が家から持ってきたCDだ。「これ、ホントは玲奈ちゃんのでしょ?」
「…………」玲奈は、無言で目を逸らした。
「玲奈ちゃん、好きだったもんね、アイドル・ヴァルキリーズ」リオは、昔を懐かしむような声で言う。「今でも目指してるの? アイドル。玲奈ちゃん、中学の時、いつも言ってたもんね。『高校に入ったら、アイドル・ヴァルキリーズのオーディションを受ける。絶対アイドルになる!』って。あの夢は、まだ変わら――」
「やめてよ!!」
玲奈は、リオの言葉を遮るように叫んだ。
「玲奈……ちゃん……?」驚いて目を丸くしているリオ。
玲奈は、リオを睨みつけた。「アイドルなんて、なれるわけないでしょ!? 世界がこんなになってるのに。それに、もうそんな子供じゃないんだから!!」
精一杯の声で、言った。
そうだ。
アイドルになんて、ならない。
なれるわけがない。
こんな世界で。
玲奈は、リオから目を逸らすと、その場を後にした。
校舎へ戻るドアの所に、誰か立っている。シルバーのパーカーに、首から吊り下げられた左腕。ボクシング部員の茉優だ。
目が合った。何か言われるかと思ったけど、茉優は、「あたしは関係ないから」と言うように目を逸らし、スマホを取り出して操作し始めた。玲奈はそのそばを足早に通り抜け、校舎に戻った。