第5話・生徒会長 #06
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インターハイが終わり、3ヶ月が過ぎた。山口万美は、クラスメイトの田宮一華、隣のクラスの岡崎リオと一緒に、駅前のショッピングモールにやってきた。インターハイで大敗してしまった四木高のボクシング部を強化するため、万美の後輩でボクシングのジュニアチャンピオン・高樹香奈を、四木高に勧誘するためである。まあ、万美は特にボクシング部には興味が無かったが、香奈を紹介してくれればフードコートの好きなものをおごる、と、一華が約束してくれたので、今、テレビや雑誌などで話題のアイスショップ目当てにやってきたのである。
「――でも、いいの? 岡崎さん。期末テストも近いのに、一華なんかに付き合って」
バスを降り、ショッピングモールに向かいながら、万美は岡崎リオに訊いた。二学期の期末テストは1週間後だ。四木高の生徒にはテスト勉強などという概念は存在しないが、ウワサのエリート・岡崎リオは別だろう。
「大丈夫」リオは笑顔で応える。「これも、学校を良くするために、大切なことだし」
「そうだよ」と、一華が得意げに言う。「すべては四木高を改革するため。そこに個人的な事情は挟まない。あたしたちは、全てを犠牲にする覚悟があるのよ」
「……一華はもっと個人的な事情を優先した方がいいと思うけどね」万美は皮肉っぽく言った。前回の中間テストで、一華の成績はさんざんだった。まあ、万美も人のことは言えないが。
「世の中には勉強よりも大切なものがあるのよ」一華は、いつものように大袈裟な口調で語る。「四木高に付きまとう落ちこぼれというイメージ……それは、この街の呪いとも言えるわ。あたしは、その呪いから学校を解放するために戦ってるの。その熱き戦い、プライスレス。さあ、未来のオリンピック金メダリストを勧誘しに行くわよ!」
1人駆けだした一華の後ろ姿を、万美は呆れ顔で見つめる。「岡崎さん。よくあんなめんどくさいのと付き合ってるよね」
「まあ、付き合ってみると、結構楽しいよ?」リオは、悪意のない笑顔で応えた。
「めんどくさいのは否定しないんだね」
「うーん。そこはちょっと、あたしもフォローできないかなぁ?」
リオが笑い、万美も釣られて笑った。
万美が岡崎リオと話すのは今日が初めてだ。市内一の進学校・聖園高校の受験に失敗し、四木高に来たという話は聞いている。マジメでとっつきにくい娘だと思っていたが、案外そうでもないらしい。
「2人とも、何やってんの? 早く早く!」
休日に家族で遊びに来た子供のようにはしゃぐ一華。2人はまた一緒に笑い、一華の後を追った。
この街のショッピングモールは、県内で最も広い敷地を誇る巨大施設だ。スーパーやファッションショップや飲食店はもちろん、ゲームセンターや映画館などの娯楽施設なども充実している。そのワリに、駐車場や駐輪場は閑散としていた。人口は少ないが土地だけは余っている田舎町によく見られる風景である。ウワサでは、この街を走る車の台数よりも駐車スペースが多いらしい。
公共交通機関で来た者には無駄でしかない広い駐車場を抜け、正面入口前の駐輪場を通りかかった時である。
「――くそう! またかよ! 一体、誰がやりやがった!!」
駐車場の外にまで聞こえそうな大声が響き渡った。見ると、ピンクの派手な特攻服を羽織った女の人が、これまたピンクの派手な改造バイクのそばで、何やらわめき散らしていた。どう見ても暴走族の一員と言う雰囲気である。
「……なんか、見覚えのある人だね」一華が言った。
「忍先輩だよ」万美が答える。「ほら。うちの高校の3年生で、なんとかって暴走族のメンバーで、すごくヤバい人」
「ああ。あの、ザコどものリーダーね」一華はバカにしたような口調で言う。
四木高に入学した頃、一華の友達の白石彩美が、忍先輩ら不良グループをやっつけたというウワサは、万美も知っていた。しかし今日、彩美は何か用事があるとのことで、ここにはいない。
駐輪場にいた人たちが、何事かと、大声を上げた忍を見た。その視線に気づいた忍は、「見てんじゃねぇよ!!」と、敵意を剥き出しに叫ぶ。気まずそうに目を逸らす人たち。
一華は、呆れた表情でその様子を見ていた。「……あの人、学校の中だけじゃなく、外でも、あんな恥ずかしい行動してるの? 嘆かわしいわね。ああいう人がいるから、うちの四木高の評判が下がるのよ」
そうだね、と、万美も同意する。「まあ、忍先輩は3年だから、順調にいけばあと3ヶ月ちょいで卒業だけど、今の2年にも、あの人の仲間がいるんだよね」
「負の連鎖ってやつね」一華は腕を組んだ。「あーあ。やっぱり、あいつら一掃した方が、学校の為かな。彩美と、茉優さんと、後何人か、ケンカの強い人集めてさ」
「そんなこと、言っちゃダメだよ」真面目な口調でリオが言う。「忍先輩だって、同じ学校の生徒なんだし、できれば、仲良くしようよ」
「あんなのと仲良くするの? 絶対無理だわ」一華は、大袈裟に首を振った。
忍は、相変わらず「誰がやったんだ!!」とわめき散らし、通りがかった人が見ると、「見てんじゃねぇよ!!」と、矛盾した言動を繰り返している。
「関わると面倒だし、行こう」万美は一華とリオを促した。
「そうね。未来の金メダリストがお待ちかねだし」
一華たちは、忍先輩を放ってショッピングモールに入ろうとした。しかし、遅かった。
「――おい、待てよ」
獲物を見つけたハイエナのような声に、万美は思わず身を震わせた。
だが一華は、構わずモールに入ろうとする。
「待てと言ってるだろ! 逃げんじゃねぇ!」
走ってきて一華の前に回り込む忍。一華はわざとらしく辺りを見回し、あたしですか? という感じで自分を指さした。
「てめぇ以外に誰がいるんだよ。逃がさねぇぞ」眉間にしわを寄せてガンを飛ばす忍。
しかし、一華を威圧することはできなかった。「別に逃げようとなんてしてませんけど?」
「とぼけるな。さっき、あたしのこと見てただろうが」
「そりゃまあ、天下一武道会のステージに立ったミスター・サタンみたいにギャーギャー騒いでたら、誰でも見るんじゃないですか?」
「あん? てめぇ、ナメてんのか!?」
「初めて会った時から、あたしはあなたのことをずううぅぅっとナメてますけど、今頃気づいたんですかね?」
「ふざけやがって……ぶっ殺してやる!」忍は一華の胸ぐらをつかんだ。
一華は全く動じない。「あらあら。半年前は情けなく地面に転がって、這うように逃げだしたクセに……彩美がいないと、強気ですね」
「フン、てめぇこそ、あの妙な武術使うヤツがいないのに、ずいぶん強気じゃねぇか」
「あたしは先輩と違い、状況を見て態度を変えたりはしませんから」
「ナメやがって、ホントにぶっ殺すぞ!」
いっこうに話が進まないのを見かねたように、岡崎リオが間に割って入った。「忍先輩。今の一華さんの態度は謝ります。申し訳ありませんでした。ですが、あたしたちは、ただショッピングモールに来ただけです。忍先輩には、何もしていません」
「あん? とぼけんじゃねぇ! あのバイクを見ろ!」
そう言って、忍は自分の改造バイクを指さした。前と後ろ、両方のタイヤが、ペチャンコにへこんでいる。どうやらパンクしているようだ。
「……あれが、何か?」と、リオ。
「とぼけんじゃねぇ! てめえらがやったんだろ!」
「はあああああぁぁぁぁい?」これまた大袈裟な口調で訊き返す一華。「えーっと、何を根拠に、そんなことを思ったんでしょうか?」
「普通のパンクじゃねぇ。ナイフかなんかで斬った痕があるだろ!」
そう言われ、万美たちはタイヤをよく見た。確かに、ナイフか何か、鋭利な刃物で切られたような痕がある。誰かにイタズラされたらしい。
一華がタイヤから忍へ視線を戻す。「……で、なんでこれを、あたしたちがやったって思ったんです?」
「あたしのこと見て、笑って、逃げようとしただろうが!」
「うわあお。ものすごい推理ですね。土ワイもビックリですよ」
「うるせえ。てめえらがやったのに決まってる。半年前の仕返しのつもりだろ」
「……どうしてあたしたちが、だらしなく気を失って泣きながら逃げ出した人に仕返しをしないといけないんですか」
「あん? てめぇ、ナメてんのか!?」
「あたしさっき、あなたのことは産まれた時からずーっとナメてるって言いませんでしたっけ?」
「ふざけやがって……ぶっ殺してやる!」
忍は、また一華の胸ぐらをつかんだ。
一華をしゃべらせておくと話がドンドンややこしくなるので、万美は一華の手を引いて後ろに下げた。
リオが落ち着いた口調で言う。「あたしたちはそんなことしていません。たまたま通りかかっただけです」
「うるせぇ。てめぇら以外に誰がいるんだよ?」
「ここにバイクを止めたのはいつですか? どれくらいの間、離れてました? パンクさせられたのなら、その間だと思います」
「ごちゃごちゃうるせぇンだよ! とにかく、てめえらが弁償しろ! 20万だ! 1人20万持って来い!!」
「そんなお金を払ういわれはありません。警察に行きましょう。きっと、犯人を捕まえてくれますよ。防犯カメラをチェックすれば、犯人が映っているかもしれませんし」
「あん? 警察なんかに行かれてたまるかよ! 今すぐ金を払え! 今すぐだ!」
無茶苦茶だなと、万美は思った。確かにヤバイ先輩だ。しかし困ったな。このままリオに任せておいても、「金を払え」「そんなお金を払ういわれはありません」の繰り返しになりそうだ。もちろん、一華にも任せておけない。誰か、警察なり警備員なりに連絡してくれないだろうか。辺りを見回すと。
「――ふう。なんとか遅刻せずに済みそうだわ。ありがとう、里琴。送ってくれて」
自転車の2人乗りで、こちらにやってくる娘が見えた。1人は派手な髪型や化粧をした、いかにもギャルという恰好の娘で、もう1人は、虎の刺繍がされたスカジャンを羽織った、いかにも不良という娘である。2人とも、四木高の制服を着ている。リオと同じクラスの、青山梨花と牧野里琴だ。
「あら? 岡崎さんじゃない?」梨花はリオを見た。そして、その前の、見るからに暴走族という恰好の忍を見て、一瞬で状況を悟ったのだろう。表情を変えた。「……どうかしたのかしら? 困ったことがあるなら、力になるけど?」
「あん? 関係ないヤツは引っ込んでろ!」
今度は梨花に絡み始める忍。
その間に、牧野里琴が立った。
「な……なんだてめぇは」
里琴は背が高い。頭ひとつ分上から見下ろされる形になり、明らかにビビる忍。
「力になるのはあたしじゃなくて、この娘だから」梨花が、ポンポンと里琴の背中を叩いた。
「はん! ケンカは、ガタイでやるもんじゃねぇぞ!」
そう言うと、忍はポケットから折り畳み式のナイフを取り出した。
が、次の瞬間。
里琴の鋭い蹴りが、ナイフを持った忍の手を襲う。
ばしん、と弾かれたナイフは、地面に転がった。
そして、ナイフを弾き飛ばした里琴の蹴りは、急に動きを変え、忍の顔に向かって行く。
しかし、忍の顔に触れる寸前に、ピタリと止まった。
「あ、言っとくけど、この娘、テコンドー千段だから」梨花が得意げに言った。
「……そ、そんな段位、無い」里琴は短くツッコミを入れた。
ヘナヘナとその場に座り込む忍。やがて我に返ると。
「く……くそ。覚えてやがれ!」
捨て台詞と共に、慌てて逃げて行った。ふう、なんとか助かった。万美はほっと胸をなでおろした。
「……こういうのを、デジャ・ビュっていうのかしらね」冷めた目で忍の背中を見つめる一華。
「梨花さん、里琴さん、危ないところ、ありがとう」リオが悪意のない笑顔でお礼を言った。
「まあ、あなたには、入学式の時の借りがあるしね」梨花は腕を組んで答える。
一華が前に出た。「別に危なくは無かったけど、めんどくさい人を追っ払ってくれて、感謝するわ。青山梨花さん、牧野里琴さん。見た目はやんちゃだけど、実はとってもいい娘だというウワサは聞いているわ。あたしたちの部隊へようこそ」
「……こっちも、あなたのウワサは聞いているわ」梨花は髪をかき上げた。「学校を変えるとかなんとか、騒いでる人でしょ?」
「それなら話は早い。あたしたちのチームは、里琴さんみたいな強い人は、大歓迎よ」
「お断りします。里琴を、めんどくさいことに巻き込まないでちょうだい」
「ダメよ。変化を恐れていては。学校を改革するのに、犠牲はつきもの。さあ、一歩踏み出しましょう!」
歌うような大げさな一華の口調に、梨花は呆れ顔で見つめる。「……ウワサ通り、めんどくさそうな人ね」
「でも、悪い人じゃないんだよ」リオが言った。
「まあ、あなたが誰と付き合おうが、あたしには関係なけどね」
牧野里琴が腕時計を見た。「……梨花ちゃん、バイト」
「そうだった! ゴメンなさい、岡崎さん。あたし、バスに乗り遅れちゃって、遅刻しそうなの。もう行くわね。里琴、送ってくれてありがとう! 後でお店に来なさい。何かおごるから」
そう言うと、梨花は従業員用の出入口の方へ走って行こうとした。
「あ、梨花さん、ちょっと待って」リオが呼び止める。
振り返る梨花。「何? 急いでるんだから、早くして」
リオは、悪意のない笑顔で言った。「自転車の2人乗りは、良くないよ。里琴さんも」
ズッコケる梨花。「あなたねぇ……」と、文句を言いかけたが、そんな時間も無いのだろう。ものすごい勢いで走って行った。
「……しかし、青山さんって、アルバイトしてるんだ。ちょっと意外」万美は感心して言った。ギャル系ファッションに身を包み、街を遊び歩いているイメージだった。
「ふむ。勉強がダメなら勤労にいそしむ。なかなか感心な生徒だわ」一華が腕組みして言った。
万美も時計を見る。「おっと、あたしたちも、待ち合わせに遅れちゃうよ。もう行こう」
もう1度里琴にお礼を言って、万美たちは高樹香奈と待ち合わせをしているフードコートへ向かった。
「――あ、万美先輩! こっちです!」
フードコートに行くと、ツインテールの小柄な少女が元気よく手を振った。その隣のイスに座っていた、カジュアルショートの黒髪の娘も席を立ち、ペコリと頭を下げた。
「一華、岡崎さん、紹介するよ」万美は、まずカジュアルショートの娘に手のひらを向けた。「この娘が、ボクシング歴10年、ジュニア大会で優勝経験もある、将来の金メダル候補、高樹香奈」
「……そんな、金メダル候補なんて、やめてください」香奈は、照れくさそうに笑った。
「それで、こっちの娘は……」ツインテールの娘に手のひらを向けた。「まあ、ほっといていいから」
「そんな、先輩ヒドイです」涙目になるツインテールの娘。
「ウソウソ」万美は笑って紹介した。「あたしの後輩の、市川美青。ボクシング部のマネージャーをしてるんだ」
「市川美青です! よろしくお願いします!」美青は、元気よく頭話下げた。
一華とリオも自己紹介をし、さっそく、四木高への勧誘を始めた。
話を聞いた香奈は、目を丸くして驚いた。「――え? 四木高のボクシング部ですか?」
「そう! 県内唯一の高校女子ボクシング部で、しかも所属選手は、ボクシング経験わずか3ヶ月で全国大会ベスト8の才能! あなたのようなジュニアチャンピオンを迎えるのに、ふさわしい部なのよ!」一華は、相変わらず大げさな身振り手振りと口調で言った。
「でも、四木高の選手が出場したライトフライ級って、県内は参加者1人だけでしたよね? 全国大会も、7人だったはずですけど?」
さすがはジュニアチャンピオン。高校のボクシング事情にも詳しいようだ。
「ゴメンなさい。本当のことを言うと、その通りなの」リオが言った。「でも、だからこそ、香奈さんのような選手に来てもらいたいの。うちの部員の刺激にもなると思うし」
「うーん、あたしが四木高ですか……」香奈は小さく笑い、ちょっとイヤそうな感じの口調。なんとなく、四木高をバカにしたような雰囲気。
まあ、気持ちは分からなくはない。誘っているのがボクシングの超名門校とか、勉強が超デキる高校とかならまだしも、偏差値38の、超落ちこぼれ校なのである。誰だってイヤだろう。
「香奈さん。あなたの気持ちは分かるわ」一華が身を乗り出した。「うちの学校は落ちこぼれの集まり。偏差値は低いし、部活動もダメダメだし、さっきも店の前でバカが1人、『あたしはバカですよー』って宣伝してた。でもね。あたしは、ずっとこのままにはしておかない。落ちこぼれだって、やればできるんだって所を、みんなに見せつけてやりたいの。その第一歩として、あたしたちはボクシング部を作った。確かに、全国ベスト8っていうのは形だけだけど、また来年挑戦して、1回戦突破、全国制覇を目指して、今、猛練習してる。四木高は、少しずつ変りつつあるわ。あなたが入学してくれれば、もっと早く変われる。大丈夫。あなたに、学校を変えてくれなんて言わない。あなたは、今まで通りボクシングをやってくれればいい。後は、あたしたちがやるから」
まあ、多少大袈裟に言っている部分もあるが、一華の言っていることは本当である。一華が四木高を変えようと頑張っているのは間違いないし、ボクシング部ができたことによって、少なくともインターハイの全国大会までは、学校は大盛り上がりだった。四木高は、確かに変わりつつあるのかもしれない。
香奈は、真剣な表情で、一華の話を聞いていた。一華の熱意だけは伝わったのかもしれない。
「――お話は、分かりました」香奈は静かな口調で言った。さっきの、バカにしたような雰囲気は消えていた。「でも、申し訳ありませんが、お受けすることはできません」
そして、深く頭を下げる。
リオが慌てて止める。「香奈さん、頭を上げて。そんなことしなくていいから」
香奈は頭を上げ、一華たちにまっすぐな視線を向けた。「実はあたし、もう、推薦で入学する高校が決まってるんです」
一華たちは、顔を見合わせた。
話を聞いて驚いた。なんと、その高校とは、インターハイで茉優が出場したライトフライ級で優勝した高校だった。他にも、男子も含めて計8つの階級で全国制覇を果たしている。まさに、高校ボクシング名門中の名門だ。
「と、言うわけなので、このお話は、お受けすることはできません」香奈は、もう1度頭を下げた。
「いいのよ、そんな、謝らなくて」リオがまた慌てて止める。
「ま、考えてみたら、当然だよね」万美は頭の後ろで手を組んだ。「香奈みたいな将来有望な選手を、他の高校が放っておくわけないもん」
「……何を言ってるの」一華が立ち上がった。「インターハイ優勝校に推薦が決まってる? 香奈さん。あたしはあなたを見損なったわ。そんな、大人が敷いたレールの上を走るようなマネをして、いいの? あなたは将来日本のボクシング界をしょって立つ人間よ? そんな楽な道を選んではダメ。若い時の苦労は買ってでもしろって言うじゃない? 選ぶなら、いばらの道よ! その点四木高は、いばらどころか鉄条網が張り巡らされた最低の道よ! なんてったって、素人同然の部員が1人と熱苦しい顧問とその使い古しのボロボロのボクシング用具しかないんですからね。そんな苦境を乗り越えてこそ、あんたは真のチャンピオンとなれるの! それに、その名門高校は、遠く離れた県外にあるんでしょ? 当然、実家から通うってワケにはいかないから、親元を離れて暮らすことになる。親御さんは心配で心配で、寿命が9年と365日は縮まるでしょうね。その点、四木高なら近くて安心。寮やアパートのお金もかからないし、早い安い美味いの3拍子で80年! さあ! あたしと一緒に、四木高の黒歴史に名を刻みましょう!!」
ワケの分からない理屈になり始めた一華を、万美とリオは何とか抑える。
香奈は、そんな一華たちの姿を見て、おかしそうに笑った。「楽しそうな学校ですね。ちょっと、入学したくなってきました」
「でも、香奈ちゃんが四木高を受験してくれると、あたし、嬉しかったんですけどね」そう言ったのは、香奈の友達の市川美青だ。「あたし、成績悪いから、きっと四木高くらいしか合格できません。あーあ。香奈ちゃんと同じ高校、行きたかったな」
この娘もなんとなく四木高のことをバカにしている雰囲気だな、と万美は思った。いや、屈託のない笑顔に、そんな悪気はなさそうだ。単に空気が読めないだけだろう。
「もしうちに入学することになったら、歓迎するわよ、美青ちゃん」リオが笑顔で言った。
「はい! 先輩方、よろしくお願いします!!」美青は、元気よく頭を下げた。
四木高入学の件はハッキリと断られたものの、すっかり打ち解けた5人。フードコートで話題のアイスクリームやラテアートのコーヒーなどを頼み、みんなで楽しくおしゃべりをした。
「――はいはーい。香奈、美青、笑って笑って」
万美は、アイスを食べる香奈と美青に向かってスマホのカメラを向けた。笑顔でピースサインをする2人を、パシャリと撮影する。
「さっきから、何をパシャパシャ撮ってるの?」一華が訊く。
「うん? ツブヤイターにアップする写真だよ」万美はスマホの写真を見せながら答えた。「ここのアイスとか、ラテアートとか、ネットでも話題だから、みんな喜ぶと思って」
ツブヤイターとは、140文字以内の短い文章を投稿するミニブログだ。アイドルや俳優などの芸能人や、スポーツ選手や政治家などの著名人まで幅広く利用しており、世界的に流行しているインターネットのコミュニケーションツールのひとつである。
「万美、ツブヤイターなんてやってるんだ」一華は感心したように言った。
「まあね。流行ってるから」万美は香奈たちを見た。「ねえ、この写真も、ツブヤイターに載せてもいい?」
「もちろん、いいですよ」香奈たちは笑顔で応えた。
その後、楽しくお喋りをした5人。みんなでケータイ番号やメールアドレスなどを交換することになり、それぞれ携帯電話を取り出した。
「あれ? 岡崎さん、スマホじゃないんだね?」
万美はリオの携帯電話を見て言った。懐かしい、二つ折り式のガラケーだった。
「うん。ずっと、これ使ってる」笑顔で言うリオ。
「えー? 不便じゃない? ゲームとか、SNSとか、対応してないアプリ、多いでしょ?」
「そうだけど、あたし、電話とメールくらいしかしないし。これで十分かな」
まあ、確かにそうだな、と、万美も思った。岡崎さんがゲームやSNSなんて、ガラじゃない。
5人はそれぞれケータイ番号とメールアドレスを交換する。そして、万美たちは香奈と美青の2人と別れた。
「……一応、これからも会って地道に説得してみるつもりだけど、インターハイ優勝校の推薦が決まってるなら、望みは薄いだろうね」香奈の後ろ姿を名残惜しそうに見つめる一華。さすがに諦め口調だ。
「そうだね」リオも残念そうに言う。「なにか、別の方法考えた方がいいかも」
プルプル。万美のスマホが鳴った。見ると、メールが届いたようである。確認し、「え!?」と、声を上げる。
「ん? どうかした?」一華が訊く。
「いや、なんか、『ツブヤイターが不正なアクセスを検知した』って、メールが届いたの」
メールには、『アカウントが第三者に則られた可能性があります。このままではあなたの個人情報が流出し、悪用される恐れがあります。至急ログインし、確認してください』というような文面と、ツブヤイターのログイン画面に誘導するリンクが添付されていた。慌てて確認しようとする万美だったが。
「まって、万美さん」リオが止めた。「それ、フィッシング詐欺かも」
「フィッシング詐欺?」万美は、一華と顔を見合わせた。
リオは、フィッシング詐欺について説明してくれた。
フィッシング詐欺というのは、ツブヤイターに限らず、様々なサイトのIDとパスワードを盗むための詐欺メールや詐欺サイトのことらしい。今、万美に届いたようなメールで利用者の不安感をあおり、ログイン画面に誘導する。しかし、その画面は本物そっくりに作られたニセモノで、IDとパスワードを入力しても、『現在混雑によりアクセスできません。時間が経ってからお試しください』などと表示される。これで、メールを送って来た人は、IDとパスワードを手に入れることができ、本人に代わってそのサイトにログインできるというわけである。
「……だから、このテのメールが来た時は、無視して削除するのが一番。念のため、パスワードも変更しておいた方がいいけど、その場合は、絶対にメールのリンクからやっちゃダメ。普段使っているアプリか、大手の検索サイトから検索してサイトにアクセスして、パスワードを変更しないといけないの」
リオの説明に、万美は感心する。そして、彼女の助けもあり、無事、ツブヤイターのパスワードを変更することができた。
「ありがとう、岡崎さん。助かったよ」万美は笑顔でお礼を言った。
「でもさ――」と、一華。「その、フィッシング詐欺のメールを送りつけてきた人、万美のIDとパスワードなんか盗んで、どうするわけ?」
「うーん」リオは、あごに手を当てて腕を組んだ。「たぶん、特別、万美さんを狙ったわけじゃなくて、何百人、何千人に送ってるんだろうけど、狙いは、主に個人情報だろうね。ツブヤイターとか、利用するとき、名前や電話番号や住所とかも入力できるじゃない? 最近は、ツブヤイターで買い物もできるから、クレジットカードの情報も入力できるみたいだし」
「そういうのは入力してないから大丈夫だけど――」万美は考える。「でも、他に利用しているサイトでは、住所とか入力しているものもあるね」
リオは頷いて話を続ける。「それに、メールに添付されているリンク先にアクセスしたり、メールに返信したりするだけで、そのメールアドレスが使用されていることが分かる。そうなったら、宣伝用のダイレクトメールや、別の詐欺メールを送ることもできるからね。後は、単に他人のアカウントを乗っ取って喜ぶ愉快犯もいるみたい」
「そうなんだ。これから、気を付けるよ」万美はつくづく感心した。「それにしても、岡崎さん。詳しいね、セキュリティのこと。岡崎さんも、ツブヤイターとかやってるの?」
リオは首を横に振った。「ううん。ツブヤイターはやってないけど、ニュースとかで、こういうフィッシング詐欺とか、ワンクリック詐欺とか、インターネットの犯罪のこと、よくやってるから、イロイロ勉強したんだ」
「へぇ。なんか、岡崎さんらしいね」
「あ、そうだ」と、一華が名案を思いついたような表情。「ねえ万美、ツブヤイターのやり方、教えてよ」
「いいけど、一華も始めるの?」
「ううん、あたしじゃなくて、ボクシング部のツブヤイターを作ろうと思うの」万美は、自信満々の口調で言う。「ほら。ツブヤイターって、世界中の人が見ることができるんでしょ? 世界に向けて、四木高ボクシング部をアピールするのよ。創立3ヶ月で全国ベスト8って。1人くらいは、引っかかって入学して来るかもよ?」
「……あんた、それ、フィッシング詐欺とおんなじじゃん」万美は呆れ声で言う。
「人聞きの悪いこと言わないで。ウソはついてないわ。ただ、部員を増やすために、真実を少しだけ隠すのよ」悪びれた様子もない一華。
「同じことじゃん」
「ま、いいからいいから。なんでもやってみないと。さっそく、教えてよ」
一華もスマホを取り出した。万美は、変なことには絶対に利用しないようにと堅く約束させ、ツブヤイターの使い方を教えた。
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