第5話・生徒会長 #05
四木高南校舎の地下室で、宮沢玲奈は、クラスメイトの百瀬架純の話を聞いていた。四木高の、ボクシング部発足の話である。
「――それでね、ちょうど、1年生の時の担任の、藤重っていう先生が、大学時代にボクシングをやっていたみたいなの。部を作りたいって相談したら、ものすごく乗り気でね。その後は、あたしたちが何もしなくても、藤重先生1人で茉優を勧誘し、教頭先生に部の設立を申請して、道具とかも、全部用意してくれたんだ」
へぇ、と、玲奈は感心した。西沢茉優がボクシング部に属しているのは知っていたが、部の発足に、そんなウラ話があったとは。
架純は話を続ける。「その後、茉優は藤重先生の指導のもと猛特訓して、その年のインターハイは、全国大会に行ったんだよ」
「え? その年のインターハイってことは、ボクシングを始めて3ヶ月くらいでしょ? すごいね」玲奈は茉優を見た。
茉優は照れくさそうに笑う。「いや、その年の県予選は、出場したのがあたし1人だったんだよ。だから、自動的に全国大会出場が決まったの」
つまり、リオたちの目論見通り、部を設立して大会にエントリーしただけで、全国大会に出場できたわけである。
「あの時の学校の盛り上がり、凄かったよねぇ」架純がしみじみとした口調で言う。「なんせ、四木高始まって以来の、インターハイ全国大会出場だもん。壮行会とか開いて、学校中で応援に行ったもんね」
「盛り上がったのは、大会前だけだったけどね」苦笑いの茉優。
「そうなの?」玲奈は首をかしげた。
架純が大きく頷いた。「そう。せっかく、みんなでバス借り切って応援に行ったのに、茉優ったら、何の見せ場も無く、1回戦1ラウンドKOなんだもん」
「仕方ないでしょ」茉優は唇を尖らせる。「こっちは、ボクシングを始めてたったの3ヶ月。試合どころか、スパーリングすらしたことなかったんだよ? 今思えば、よく出場が認められたもんだよ」
「それは相手も同じだったって聞いたけど?」意地悪く笑う架純。
「うるさいな。世の中には才能ってものがあるんだよ」
「ま、それでも一応全国ベスト8だし、あたしたちは、盛り上げようとしたんだよ。でも、学校は手のひらを返したような態度になっちゃって。茉優が戻って来ても、報告会や慰労会も無し。まるで、インターハイ出場なんて無かったなかったみたいな雰囲気になっちゃったの。」
「まあ、ベスト8って言っても、出場者は7人だからね。1回戦の1ラウンドでKOされたのはあたしだけだったし、実質、全国最下位だよ」茉優が自虐的に言った。
「それで、せっかくボクシング部を作ったのに、これじゃダメだ、茉優じゃ、形だけのベスト8止まりだ、なんとかしなきゃ、って思ってね」
架純の言い草に、茉優がむくれる。「形だけのベスト8で悪かったわね」
「一華たちといろいろ考えたんだけど、一応、形だけとはいえ、全国ベスト8だし、県内唯一の高校女子ボクシング部なんだから、誰か勧誘できないかなって思ったの。で、調べてみたら、あたしたちの1コ下に、ジュニア選手の大会で優勝した経験のある娘がいたんだよ。高樹香奈っていうんだけど、その娘がちょうど、万美の後輩でね。紹介してもらって、四木高に来ないかって、勧誘してみたの」
山口万美。玲奈のクラスメイトで、青山梨花たちギャルグループの1人だ。さっきの学活で、ショッピングモールに行くか行かないかで、梨花ともめていた娘である。
「あの時はビックリしたよ」茉優がポリポリと頭を掻いた。「なんで、うちみたいな落ちこぼれ高校のボクシング部に、ジュニアチャンピオンみたいなスゴイ娘が来たんだろうって」
「もちろん、すんなり入学を受け入れてくれたわけじゃないんだよ?」架純が苦労を語るように言う。「最初は断られてたんだけど、岡崎さんたちが、地道に説得し続けたんだ。まあ、その辺のことは万美が詳しいから、今度、聞いてみたら?」
玲奈がこの学校に転校してきたとき、梨花たちのグループは、玲奈のことを敵視していた。最近までその傾向は続いたが、先日、ギャルグループの1人・牧野里琴の飼い犬を捕まえたことをきっかけに、玲奈と梨花たちは打ち解けつつある。万美からリオの話を聞けば、もっと仲良くなれるかもしれない。玲奈は、そんなことを考えた。
「――うーん。これはちょっと、あたしの力では直りそうもないですねぇ」
自家発電装置をいじっていた愛が、お手上げです、という風に両手を上げた。
「あちゃー。さすがの愛でもムリか」茉優が、懐中電灯で発電機を照らす。
「故障した部分は特定できたんですけどねぇ」愛が機械の中を指さす。「ここの基盤を取り換えれば大丈夫だと思うんですけど」
美青が腕時計を見た。「この時間、パーツセンターは業務を終了してますね」
「どうするの? 営業再開の見込みは無いよ?」茉優が愛に訊いた。
「病院とか市役所に行けば自家発電装置があるでしょうから、使えそうなパーツがあれば拝借してくるんですけど……まあ、あんまり期待しない方がいいでしょうね。メーカーが違えば、部品も全然違うでしょうし」
「電気が使えないと、梨花とか発狂するんじゃないの? 『ケータイが使えないじゃないの!』って」
茉優の冗談にみんな苦笑いで応える。まあ、電気は水や食料と違い、無いと致命的というわけではないが、いろいろと不便なことは確かだ。夜は真っ暗だし、ガスの供給はすでに止まっているのでお湯を沸かすのも苦労する。防犯カメラやアラームも停止するから、ゾンビ対策も不安だ。
「仕方ありませんねぇ。これは、フェーズ2へ移行する時が来ました」愛、何やらもったいぶった口調。
「……何、フェーズ2って?」茉優が訊く。
「はぁい。そもそも火力発電は、時代遅れの発電と言わざるを得ません。時代はエコ。今、求められているのはぁ、燃料を必要としない、地球にやさしい発電。そう、太陽光発電でぇす」
「太陽光発電?」玲奈たちは顔を見合わせた。
確かに、軽油やガソリンなどの燃料は限りがある。学校周辺のガソリンスタンドはすでにすっからかんだ。少し遠くへ行けばまだ大丈夫な所もあるが、このまま使い続ければ、それも長くはもたないだろう。それに比べ、太陽光発電なら燃料という点はほぼ心配なくなる。まさに、今の時代に合った発電方法だ。
「でも、太陽光発電のパネル、この学校にあるの?」答えは分かっているが、玲奈は一応訊いてみた。太陽光パネルなんてものがあれば、愛はとっくに利用しているだろう。
「この学校にはありませんが、学校周辺の民家には結構設置されてあるので、それを利用させてもらいましょう」
「……そんなことができるの?」
「はぁい。任せてください」愛は、自信たっぷりの口調で言う。「太陽光発電はぁ、余った電気を電力会社に売ることができます。つまり、家から電力会社に電気を送るケーブルがあるんです。それをうまく切り替えて、この学校まで引けばいいんです」
理論的にはそうかもしれないが、実際そんなことが可能なのだろうか? 玲奈は疑問に思ったが、愛の知識はバケモノじみているから、彼女ができると言うならできるのかもしれない。
「その作業って、どれくらい時間かかるの?」茉優が訊いた。
愛はあごに手を当てて考える「そうですねぇ? 1軒あたり、2時間くらいだと思いますけど」
「じゃあ、明日の物資調達当番に、同行してもらおうか? 作業中ゾンビが襲ってくるかもしれないから、護衛が必要でしょ?」
「はぁい。そうしてもらえると、助かりまぁす」
「明日の当番って、誰だっけ?」茉優がみんなに訊いた。
「確か、万美先輩と未衣愛先輩ですね」美青が答える。
「あらら。ちょっと、戦闘力的に不安が残りますねぇ」愛が言った。「2、3軒は回りたいので、かなり長期戦になると思います。できれば茉優さん、一緒に来てもらえませんか?」
「えぇー? あたしケガ人なんですけど? しかも、病み上がりだし」
茉優は左手を振った。その腕は、今だ包帯がグルグル巻きの状態である。また、先日体調を崩して学校を休んだばかりだ。
「そう言いつつ、最後にはイエスと言うのが茉優先輩の良いところです」美青が言った。
「ま、しょうがないか。電気が無いと、あたしも不便だし」しぶしぶという感じで答える茉優。
「あ、ちょっと待って」玲奈は、少し考えた後、言った。「あたし、梨花さんと里琴さんに頼んでみる」
「ええ? あの2人に?」声を上げる茉優。「里琴はともかく、梨花が来るかな? 今、万美とケンカしてるんでしょ?」
「だから、お願いしてみるの。2人を仲直りさせるチャンスじゃない?」玲奈は笑顔で言った。
「あ、それ賛成です!」美青が手を上げた。「2人が仲直りすれば、次のガッ活もスムーズに進むので、あたしとしても助かります」
「うん、玲奈ちゃん。それ、すごくいいアイデアだと思う」架純も笑顔で言う。
茉優は腰に手を当てた。「そんな簡単にいくかな? 現場でケンカして、愛の邪魔するのがオチじゃない?」
「大丈夫だよ」玲奈は自信満々に言った。「きっとあの2人も、本当は仲直りしたいはずだから。あたしも一緒に行って、うまいことやってみる」
「そうですね」愛も賛成した。「里琴さんなら、ケガ人の茉優さんより、頼りになりそうですし」
「何よ? あたしじゃ不安だって言うの?」納得いかない表情の茉優。
架純が呆れ声で言う。「あんた、頼りにされたいの、されたくないの?」
「面倒事はイヤだけど、ウデを見くびられるのは気に入らない」
「ツンデレってやつですね」
美青がそう言い、みんなで笑った。
「じゃあ、玲奈さん。梨花さんの件は、お願いしまぁす」愛が言った。
玲奈は、笑顔で「任せて」と応えた。
その後、玲奈たちはいったん教室に戻り、自家発電機は直りそうもないことを伝えた。そして、太陽光発電に切り替えることを説明し、その作業のため、明日の物資調達当番である万美たちと、戦力を増強するために梨花たちに同行してもらえないかとお願いした。梨花と万美はかなり渋ったが、玲奈同様に2人を仲直りさせたい里琴と未衣愛の説得もあり、渋々同意してくれた。
そして翌朝。
工具や脚立、そして、各自武器を携え、準備を整えた6人は、早速太陽光切り替え工事に出発した。
「はぁ。いいお天気ですねぇ。これは、絶好の太陽光工事日和です」
雲ひとつ無い空に向かって両手を広げる愛。太陽光工事日和かどうかは玲奈には分からなかったが、今日はゾンビの数も少なく、気持ちのいい朝であることは間違いなかった。
玲奈は、梨花たちに向かって言った。「みんな、ありがとう。手伝ってもらって」
里琴と未衣愛は笑顔で応えたが、梨花と万美はむすっとした表情だ。今のところ仲直りしようという気配はない。それでも帰ろうとしないのは、玲奈の読み通り、内心仲直りしたがっているのだろう。
3体ほどゾンビとすれ違ったくらいで、特に大きな戦闘になることも無く、20分ほどで最初の目的地に着いた。クリーム色の2階建ての家。南向きの天井一面に、太陽光パネルが取り付けられている。
「それでは、あたしは作業してきますので、周囲の警戒、お願いしますね」
愛は脚立を使って屋根に上り、パネルを調べ始めた。玲奈たちに手伝えることはなさそうなので、パネルは愛に任せ、言われた通り周囲を警戒することにした。
とは言え、今日は本当に平和だった。ゾンビの影すら見えない。いつもの物資調達もこうなら楽なのに、と、玲奈は思った。
玲奈は梨花と万美を見た。梨花はバールのようなモノ、万美は木製のバットで武装している。初めはゾンビを警戒し、用心深く周囲を見回していたが、あまりにも平和なので、今は少しリラックスした表情である。しかし、お互い会話をする気配は無かった。
玲奈は周囲を見回した。相変わらずゾンビの気配はない。身を隠すような場所も無く、見晴らしも良い。ゾンビが近づいて来たらすぐに気づくだろう。玲奈は、2人に話しかけてみることにした。
「――そう言えば、万美さん。昨日、架純ちゃんたちから、ボクシング部の話、聞きました」
万美は目を丸くした。「え? ボクシング部?」
「はい。リオや、一華さんという人と、ジュニアチャンピオンの後輩を、四木高に勧誘したって話です」
「ああ、あれね」万美は思い出したように話す。「勧誘したのは、岡崎さんと、その一華って娘だよ。あたしはただ、紹介しただけ」
「なになに? 何の話?」未衣愛と里琴もやってきた。どうやら、玲奈の、『梨花と万美仲直り大作戦』を察知したようである。
万美が答える。「岡崎さんと一華が、ボクシング部に香奈を勧誘した時の話だよ」
「えーっと。そんなこと、あったっけ?」首をかしげる未衣愛。
「未衣愛は別のクラスだったから、知らないかもね」万美は、視線を里琴に移した。「あ、でも、あの時、里琴もいなかったかな? ほら。ショッピングモールの駐輪場で、あたしたちが忍先輩に因縁つけられてた時」
忍先輩とは、たしか、四木高の駐輪場でリオたちをカツアゲしようとした、不良グループのリーダーだ。
里琴は、コクンと頷いた。「おおお……(覚えてる。梨花ちゃんと、一緒にいた)」
「へー。そうなんだ」未衣愛の目がキラリと光ったような気がした。そして、梨花の方を見て、雑談に誘う。「ねえ、梨花も、こっちにおいでよ」
それまでチラチラとこちらの様子を見ていた梨花だったが。「フン。無駄話してないで、ちゃんとゾンビが来ないか、見張ってなさい」
予想通りの返事である。万美とケンカをしていなければ、恐らく自分が一番最初に無駄話を始めたはずだ。玲奈と未衣愛は顔を見合わせ、肩をすくめた。
まあ、無理に誘ってもヘソを曲げてしまうだけだろう。ああ言っても、梨花は聞き耳を立て、話を聞いているはずである。玲奈たちは、ひとまず万美の話を聞くことにした。
万美は、記憶を探るように話し始めた――。