第4話・問題児 #07
「――梨花さん、いました。マリリンちゃんです」
玲奈に言われて、梨花は我に返った。四木女子高校の裏山、バイパス道路の工事現場である。工事はまだ着工したばかりなので、山を切り崩している途中だ。山の中にぽっかりと開けた広場に、ショベルカーやトラック、ロードローラーなどの重機が放置されてある。一般的な重機よりもかなり大きな物もいくつかあり、工事の大きさがうかがえる。もちろん、アウトブレイクの発生で工事は中断され、再開の見込みは今のところ無い。
玲奈が指差す先を見る。ブラウンのポメラニアン。間違いなく、マリリンちゃんだった。
「マリリンちゃん、いい子だから、おうちに帰りましょ? こっちにいらっしゃい」
梨花が手を広げて呼ぶが、マリリンちゃんはチラリとこちらを見ただけで、ショベルカーの方へトコトコと歩いて行く。
「ダメよ、マリリンちゃん。そっちは危ないから、戻って来なさい」
梨花と玲奈はマリリンちゃんを追いかける。マリリンちゃんは、ショベルカーの向こう側に隠れた。
「――はーい、マリリンちゃん。おっかけっこはおしまいですよー」
梨花がショベルカーの陰を覗き込むと。
突如、ゾンビが両手を振り上げて襲い掛かって来た!
「危ない!」
玲奈が叫び、梨花は頭を押さえてしゃがむ。その上を、玲奈のフライパンが通過し、ゴイン! と金属音を響かせ、ゾンビの頭にヒットした。以前北原愛が、ゾンビを倒すには十分な強さと言っていたフライパンの一撃。しかしゾンビは、2、3歩後退しただけで、倒れることなくまたこちらに向かって来る。ほとんどダメージを受けていない。それもそのはず。ここは工事現場。そのゾンビは、頭にヘルメットをかぶっているのである!
梨花も警棒を振るうが、硬いヘルメットに弾かれ、やはりダメージを与えられない。
「ちょっと! そんなの反則でしょ!」ゾンビの胸を押して突き飛ばす。ゾンビは尻餅をついて倒れるが、すぐに起き上がった。いったん離れる梨花と玲奈。
「どうするの? あんなの、倒せないわよ?」梨花が言った。
玲奈は少し考えて言った。「目的はゾンビを倒すことではなく、マリリンちゃんを連れ帰ることです。あたしがゾンビを引きつけますから、そのスキにマリリンちゃんを」
玲奈はゾンビに向かって行った。幸い、ヘルメットをかぶっている以外は普通のゾンビだ。動きは遅い。ゾンビの手が届かない距離を保ちながら、玲奈はゾンビを誘導していく。言われた通り、そのスキにマリリンちゃんの方へ向かう梨花。
「はいはーい、マリリンちゃーん。今度こそ、お姉ちゃんと一緒に帰りましょうねー」
マリリンちゃんは、小さな身体の毛を逆立転ばかりの勢いで、きゃんきゃんと吠えている。
「大丈夫よー。コワーイおじさんは、玲奈お姉ちゃんが、あっちに連れて行ってくれるから」
しかし、マリリンちゃんはゾンビが離れても吠えるのをやめない。というか、マリリンちゃんの視線は、さっきからずっと梨花に向けられている。コイツ、畜生のくせに生意気な。里琴の犬じゃなかったら、ソーセージにして食ってやるところだ。そんな梨花の気持ちを敏感に察してか、マリリンちゃんはますます吠える。それに反応して、別のゾンビが近づいてきた。ゾンビは犬には興味を示さないが、音には反応する。このまま吠えられては、ゾンビはどんどん集まって来るだろう。グズグズしてはいられない。
――仕方がない。とっておきを使うか。
梨花はポケットから魚肉ソーセージを取り出した。以前、物資調達係の時に見つけた、とっておきの食料である。ビニールを剥き、マリリンちゃんに向けてフリフリと振った。これで、相手はイチコロだろう。この青山梨花、物で釣るのは最も得意とするところである。案の定、マリリンちゃんはケロリと鳴きやみ、嬉しそうに近づいてきた。いただきまーす、とソーセージに噛り付こうとしたところを、さっと取り上げ、同時にマリリンちゃんを捕まえた。
「フン、かかったわね。犬のくせにあたしに刃向かおうなんて、1億万年早いのよ」
勝ち誇ったように言う梨花。そして、マリリンちゃんに見せつけるようにして、魚肉ソーセージをひと口食べる。抗議の声を上げるマリリンちゃん。梨花は無視して、1人で全部ペロリと食べた。貴重な食料を、あんたみたいな犬コロにあげるわけないでしょ?
「……梨花さん、何やってるんですか?」
後ろで、玲奈が軽蔑の眼差しを向けていた。
「……ち……ちがうのよ、コレは。ほら、魚肉ソーセージは塩分が高いから、犬にはあげちゃいけないって、よく言うじゃない。あたしは、マリリンちゃんの健康を心配して――」
「そうじゃなくて、早く逃げないと、ゾンビが来てますよ!」
言われて顔を上げると、いつの間にか目の前には10体ほどのゾンビが集まっていた。慌てて玲奈の元に走って行く梨花。反対側も、同じくらいの数のゾンビが集まっていた。当然みんな、ヘルメットをかぶっている。マリリンちゃんは、相変わらず梨花に向かって吠えている。その鳴き声につられ、集まって来るゾンビはどんどん増える。くそ。こんなことなら半分あげておけばよかった。
「突破するしかないですね」玲奈がフライパンを握りしめた。「梨花さん、マリリンちゃんが逃げないよう、しっかり抱きしめててください」
玲奈はゾンビに向かって行き、フライパンを振るった。ガイン! ゴイン! と、いい音を響かせてヒットするが、やはりヘルメットの防御力にはかなわない。せいぜい転ばせる程度で、1体も処分することができない。ゾンビはどんどん集まって来る。その数は、50体を超えていた。工事の規模が大きいだけあって、働いていた人も多いようだ。じりじりと崖の方へ追い込まれていく2人。
「……これはちょっと、あたしたちの戦闘力では、キビシイですね」玲奈が、肩で息をしながら言った。
「……ゴメンなさい、玲奈さん。あたしのせいで、こんな、危険な目に……」
「何弱気なこと言ってるんですか。らしくないですよ、梨花さん」玲奈は笑顔で応える。「大丈夫です。きっと、みんなが助けに来てくれますよ。それまで頑張りましょう。ちょっと、梨花さんの武器を貸してください」
梨花は、警棒と玲奈のフライパンを取り換えた。「どうする気?」
「できるだけ時間を稼いでみます」
玲奈は、再びゾンビに向かって行った。そして、振り上げた警棒を、ゾンビの頭ではなく膝に向けて振り下ろした。ゴキッ! 鈍い音がして、ゾンビはその場に崩れ落ちる。しかし、ゾンビは痛みを感じない。ケロリとした表情で立ち上がろうとする。が、またすぐに転んだ。うまく立てない、どうやら、膝の骨を折ったようだ。玲奈は、次々とゾンビの足を狙って攻撃していく。倒れていくゾンビ。確かにあれなら、時間稼ぎにはなるだろう。だが、決定打にはならない。一撃で足の骨を折るというのは容易なことではない。たとえ両足を折ったとしても、ゾンビは這ってでも襲ってくるだろう。玲奈の言う通り、誰かが助けに来てくれなければ、このままではジリ貧だ。
だが。
――大丈夫、里琴が、きっと助けに来てくれる。
梨花は、そう信じていた。
四木高校に入学したころを思い出す。
あの時も、里琴はあたしのことを、助けてくれた。何度も
そう。いつだって里琴は、あたしのピンチの時には、助けに来てくれるのだから――。




