第4話・問題児 #05
校庭に出た梨花は、玲奈の姿を探した。向かって左の奥にはボクシング部の練習場がある。その反対側、右の奥にはテニスコートがあり、そこに、玲奈の背中が見えた。ゾンビの数は多いが、そのほとんどが警報に反応して西校舎へ向かっている。その分西校舎が心配だが、まあ、窓さえ閉めておけば大丈夫だろう。梨花は、ゾンビを避けながらテニスコートの方へ走った。
テニスコートに入ると、玲奈が気付いて振り返った。「梨花さん? どうしてここへ?」
「か、勘違いしないでよね? あたしは、マリリンちゃんが心配だから来ただけ。それに、校舎の外に出るのは必ず2人以上で、って、校則でも決められてるし――」梨花は腕を組み、なるべくいつもの口調で言おうとしたが、自分でも声のトーンがおかしいと分かった。顔も赤くなっているだろう。架純がいたら、何と言われたことか。梨花は、コホンと咳払いをして、続けた。「それで、マリリンちゃんはどこに行ったの?」
「たぶん、あそこから外に出たんだと思います」玲奈はテニスコートの隅を指さした。テニスコートおよび校庭は、ボールなどが外に飛び出さないよう高いネットで囲まれてあるが、玲奈が指差したところは大きく破れて穴が空いていた。マリリンちゃんどころか人が十分通れるほどの大きさだ。
当然のことながら、学校の外はどれくらいゾンビがいるか分からない。この辺りの地域は住んでいる人は少ないが、突然ゾンビの群れに出くわすこともある。梨花も玲奈も決して戦闘能力は高くないので、2人だけでは少し心細い。
しかし玲奈は、ためらうことなくネットを潜って外に出た。梨花も後を追った。
四木女子高校は山の上にある学校だ。校庭のネットの外は竹林になっていて、そこを抜けると舗装されていない砂利道に出た。マリリンちゃんの姿はない。玲奈が大きな声で呼んでみる。しばらく耳を澄ますと、右の方からかすかに鳴き声が聞こえてきた。山の上に続く道だ。2人はそちらへ進んだ。
「――あなた、なんでそんなに、人の犬の心配をするの?」坂を上りながら、梨花は玲奈に訊いてみた。
「だって、大切な犬なんでしょ? 梨花さんの」当然のように答える玲奈。
理解できなかった。なぜ、あたしのためにそこまでできるのだろう? 梨花は、玲奈がこの学校に来た時、追い出そうとした。転校が決まってからも、ずっと玲奈を敵視し、ことあるごとに対立してきた。酷いことも言った。それなのに、どうして――。
そこまで考えて、ふと、思い出した。生徒会長の、岡崎リオのことを。
梨花は、岡崎リオともよく対立した。ヒドイことも言った。しかし、岡崎リオは結局、最後まで梨花のことを見捨てなかった。
――――。
「あなた、やっぱり岡崎さんの親友なのね」小さな声で言った。
「――え? 何ですか?」
聞こえなかったようだが、もう1度言うのは恥ずかしかった。「――何でもないわよ」
「――――?」不思議そうな顔をしていた玲奈だが、それ以上訊こうとはしなかった。
道は1本まっすぐに続いている。ときどきマリリンちゃんの名を呼んでみるが、ずっと、道の先から鳴き声が返って来る。幸い、ゾンビと出くわすことは無かった。2人はさらに山道を進んだ。
「この先って、何があるんですか?」大きく息を吐きながら玲奈が訊いた。
「あたしも行ったことはないけど、アウトブレイク前は、バイパス道路の工事をしていたはずよ?」額の汗をぬぐう梨花。
「バイパス道路……そう言えば、そんな計画がありましたね」玲奈は顎に手を当て、記憶を探るように言う。「今使われている隣街への国道は狭くて、毎朝大渋滞が起こることが、昔から問題視されてた。その問題解消のため、バイパス道路の建設が決まったのが20年前。でも、土地の買収とかいろいろ問題があって、最近やっと着工したんですよね?」
「さあ? 詳しいことは知らないわ」梨花は正直に言った。ニュースはあまり見ない。当然、新聞も読んでいない。
玲奈は、独り言のように言う。「……バイパス道路工事……ですか……」
「どうかしたの?」
「あ、いえ。なんでもないです。それより、マリリンちゃんって、何歳くらいなんですか?」
梨花は記憶を探った。「確か、小学4年生の時に拾ったんだから……たぶん、8歳じゃないかな?」
「そうなんですか? 結構大人なんですね」
「そうよ。小型犬だから、あんまり大人には見えないでしょ?」
「はい。3歳くらいだと思ってました。マリリンちゃんって名前は、梨花さんが付けたんですか?」
「いいえ。名付け親は、里琴よ。マリリンちゃんは、あたしの犬じゃないの。里琴が飼ってる犬なの」
「え? そうだったんですか?」
「ええ。8年前、大学病院の近くの公園で拾ったの」
「――と、いうことは、里琴さんとは、その頃から友達なんですか?」
「うーん、ちょっと違うわね。里琴は、5年生になる前に、転校していったから。それから、高校でまた会ったの」
「そうなんですか。じゃあ、縁があったんですね」
「まあ、そうなるわね」
梨花は、当時のことを思い出しながら頷いた。縁がある、か。確かに、縁があったのかもしれない。四木女子校に入学して里琴と再会できて、本当に良かったと思う。
「それにしても、ちょっと意外でした」前を進む玲奈が言った。
「え? 何が?」
「マリリンちゃんの飼い主が、里琴さんだったってことがです。梨花さんって、里琴さんの犬のために、あんなに一生懸命になってたんですね」
「何よ? いけない?」
「いいえ、そんなことないですよ」
梨花は、言うべきかどうか少し迷ったが、結局言った。「……里琴はね、何と言うか……感情を表に出すのが苦手な娘だから。ああ見えて、すごくマリリンちゃんのことを心配してるの」
「ええ。分かります」玲奈は頷いた。
「アウトブレイクがあった後ね、里琴、1度家に帰ったんだけど、もう、両親はゾンビに襲われてて……無事だったのは、マリリンちゃんだけだったの。もう、あの娘にとって、家族はマリリンちゃんだけなんだよ」
「そうだったんですか――」玲奈は、悲しげな声で言った。
「あなたは、家族は大丈夫なの?」聞いて梨花は、少し後悔した。今、四木高校で暮らしている生徒は、そのほとんどが、家族は死んだか行方不明になった娘ばかりだ。家族がいないから、みんなと一緒に学校で暮らしているのである。
玲奈は言った。「お父さんは、ゾンビに襲われて死にました。それを見たお母さんは、首を吊って、それで……」
「そう……ゴメンなさい」自分でも驚くほど、素直に謝ることができた。
「いえ、いいんです」
それから2人は、しばらく無言のまま歩いた。玲奈は、決して、梨花の両親がどうなったのかを訊かなかった。玲奈は、梨花と違って無神経ではない。学校でみんなと暮らしているということは、両親は死んだか行方不明のどちらかだと、分かっているのだろう。
だが実は、梨花の両親は、そのどちらでもなかった。生きている、というわけではない。死んだのか、行方不明になったのかも分からない。つまり、調べていないのだ。家に帰れば何かわかるかもしれないし、帰るのはそう難しいことではない。しかし、梨花は帰ろうとはしなかった。これからも、帰るつもりはない。両親の生死に、興味が無いのである。生きてようが死んでようが、どちらでも良かったのだ。あんな親など。